箱舟の復活(後編)
アーク結成翌日。
相変わらずナガレは、勉強漬けの日々を送っていた。
ことりと、お茶がテーブルに置かれる。
静かに、一切の自己主張なく存在感を極限まで消して。
そんなメイドに、ナガレは優しく微笑んだ。
「ありがとな」
そのメイド、莉央は少し恥ずかしそうに俯き、さっとその場を離れた。
嫌われているのではなく、人見知りなだけ。
それはこの短期間でもアークの皆は理解出来ていた。
用意された緑茶を口に含み、その渋みに脳を癒しふたたび教本を開く。
その表情から、芳しくないことが伺えた。
もともとナガレは二学年であり、年齢や身体的な能力はクリアしている。
ネックとある実技経験や操縦時間もガレージ地下という機体操縦環境と適切な指導員、つまり赤羽がいるからそう遠くないうちにクリアされる予定だ。
だから後の問題点は学科テストのみ。
そして、それがまたなかなかに苦戦していた。
ナガレで筋肉馬鹿であるのは事実だが、決して馬鹿ではない。
むしろ神科大の中では平均より大分上の成績を維持している。
ただ、イクス・ユニットに対しての知識はあまりなかった。
「んで、搭乗者のことはPDと呼んで、リーダー機に……アルカナ? えーいーぴー? はぁ。漢字だったらも少し覚えやすいのに……」
ぼやくナガレの言葉をカイは聞き流す。
本当に出来ないなら介入するが、そうでもない。
そもそも、ナガレは上級生である。
専門知識はともかく、学術面においては一年分の余裕がある。
よほどおかしな勘違いをしない限り、介護する必要などほとんどなかった。
だから黙って読書をする。
静かな、こうした自分を見つめるような時間は、嫌いではなかった。
けれど、そんな心地よい時間は長く続かない。
外から、音が聞こえてきた。
この穏やかな時間の、崩壊の序曲である妙な喧噪の。
いや、ぶっちゃけ喧騒というか、ただ単に騒がしいあさひの声である。
誰かと叫ぶようにはしゃぎながら、こちらに近づいていた。
眉をひそめながら、ぱたんと本を閉じる。
耳に入るもう片方の騒がしい声は、男のものだった。
「この声……」
莉央が小さく呟くと、ドアが開き、あさひとともに二十代後半ほどの男が入ってくる。
その細身の男は、ラフな服装の上から白衣を羽織っていた。
「失礼する! 我が名は狂磁郎! 悪魔の教室、その正統後継者であり狂気に身を宿した悪逆なるマッドサイエンティストである!」
その男、キョウジは叫んだあと、わざわざ備え付けられていたホワイトボードに『狂磁郎』という名を記す。
何故か知らないが、妙に丁寧で神経質そうな字だった。
その後、莉央はこそっと現れ、丁寧に二重線で文字を潰し、『西島恭司郎』という文字を上に書き足す。
こっちは逆に、普段の小動物っぷりに似合わぬ力強い字だった。
「ええい! 駄メイドめが! まあ良い。それで、貴様が竜胆カイだな!」
くるっと方向を変え、ターゲットをカイにロック。
カイは静かに顔を顰めた。
「あ、ああ……」
「貴様に問おう! 貴様の浪漫はどこにある!?」
それは、予想通り過ぎる質問だった。
浪漫を理解しないカイだが、実は必要性そのものは認めていた。
巨大メカであるイクス・ユニットの操縦は非常に過酷であり、辞める者は後を絶たない。
だから、その苦しさに耐えるだけの理由が必要となる。
つまるところ、"好きでもない限り続けられない"ということだ。
実際、プロの世界にいるのはそんな異常者ばかり。
煌びやかなRAEオンラインの世界とはまるで異なる。
けれど、今のカイに浪漫なんてものはない。
いや、考えてみたら昔からなかった。
ロボットアニメに興味がなくて、乗っていた理由も家柄以外にない。
だから、結局回答はこうなってしまう。
「俺に浪漫はない。けれど、積み上げることと浪漫の価値は理解している」
一瞬、キョウジは真顔となる。
その後少しの沈黙の末、小さく頷いた。
「そうか。ならば貴様はまだ卵というわけだ。貴様に浪漫が出来る日を期待している」
それだけ言って、キョウジはカイから離れた。
(ありがとう……達臣先輩……)
事前にキョウジから聞かれるであろうことを教えて貰い、予習していたカイは、そっと静かに感謝をした。
「んで……貴様が三人目。二十六木流か。良い名だ」
ナガレは勉強するのを止め、にかっとした笑みをキョウジに向けた。
「おう! あんたが協力者のキョウジか。応援ありがとうな!」
「ふっ! 気にするな。そして問おう! 貴様の浪漫はどこにある!?」
「俺の浪漫はプロレス。ヒールは俺の魂だ!」
そう言って、ナガレはどんと胸を叩いた。
「……何故、ベビーフェイスでなくヒールを愛する?」
「かっこいい以外の理由は野暮だろ」
「再び問おう。貴様の目指す悪は、貴様の浪漫はどこを向いている? 貴様の目指すべき頂はどこにある?」
「プロレスラーの夢なんて、結局のところ一つだろう。観客の笑顔よ。そのために、俺たちレスラーは皆身体を張ってるのさ!」
「だが、貴様はヒール。誰かを笑わせることは……」
「だから良いんだろうが。誰かを笑わせる下準備。大人を怒らせ、子供を泣かせ、そして現れるベビーフェイスに夢を託す。な? かっこいいだろう?」
嬉しそうに、楽しそうに。
でかい体格の癖に、子供みたいな笑みを浮かべて。
だけど少しだけ恥ずかしそうに、ナガレは夢を語った。
「ふふ……ふ。ふはははははは! あさひも悪くはなかったが、貴様だ! 貴様こそが浪漫の申し子だ!」
キョウジはありえないほどの声量で笑いだした。
莉央はそっと耳を塞ぎ、ボードに『煩い』と書き記す。
けれど、テンションが上がっているのかキョウジも気づいてさえいなかった。
「貴様はこの悪魔の教室の後継者である我が支援するに相応しい漢だ! 良いだろう! 俺は貴様を贔屓する! 文句はないな!? 一号! 二号!」
それがパイロットのことであるとわかったあさひとカイは顔を見合わせる。
その後、静かに頷いた。
「初心者を優先的に強化するのは理にかなっている。特に、ナガレの伸びしろは俺たちの中で一番高い」
「そだね。ナガレパイセンの強化を手伝ってくれるのなら、私達はオールオーケー。感謝感激雨あられですよ」
二人の許可を得て、キョウジは大きく頷いた。
「うむ! ならばメイドよ! 顧問の元に案内せよ! 三号の機体改修について噛ませてもらう! それと……」
テンション高いキョウジはナガレとの会話に夢中になっている。
カイはそっと視界から中二白衣とマッチョ男を外し、我関せずと本を開いた。
「あのさカイ。ちょっと言いづらいんだけど……」
開いた直後あさひに声をかけられ、カイは小さく溜息を吐いて本を閉じた。
「どうした? 何か厄介事か? それとも練習についてか」
「ううん。どっちでもないんだけど……ちょっと金策でさ……」
「ふむ? 大会の予定は入ってないはずだが……」
「あ、ううん。そっちじゃなくて、私個人の伝手での金策があってね。まあ大会と比べたら小粒なんだけどね」
「それがどうしたんだ?」
「それで、ちょっとカイにも協力してほしくて。クライアントがチーム的なの期待しててね」
「ふむ……」
カイは手を口元に当て、思考する。
あさひが自分を呼ぶようなことで、そしてチーム的な内容。
おそらく、RAEオンラインの変則マッチでもあるのだろう。
RAEオンラインのデフォルトはシングル……つまりタイマン戦であるが、国際規模の大会などはダブルスとなる。
ライズ本来のトリプルもあるにはあるが、あまりメジャーではない。
機体が増えるほどにシミュレーターが荒れるからだ。
そして世界ではダブルスばかりなのに、国内環境はシングル一強でダブルスは練習相手にも困る始末。
それで、あさひ知り合いのアマチュアプレイヤーか、もしくはプロがその練習相手を志望しているのだろう。
そう、カイは考えた。
「……チームワークを鍛えるにも役に立つか」
「ん? まあ、そうだね。割と忙しいしチームワークを鍛えるにも役に立つ……かもしれない……かなぁ?」
「わかった。俺程度で良いなら手伝おう」
あさひは両手を上げ、驚きをオーバーリアクションで表現していた。
「本当!? 正直断れると思ってたんだけど……」
「構わん。ただ、RAEオンラインの経験はあまりない。そこまで期待しないでくれ」
「大丈夫。誰でも最初は初めてだって! んじゃ、今から行こうか!」
「今からか。随分急だな……。だがまあ良い。本を読むよりは有意義な時間の使い方になるだろう」
あさひは嬉しそうに微笑んだ。
「カイがそんな積極的だって知らなかったよ。それならもっと早く誘えば良かったかな」
確かに、RAEオンラインは所詮ゲームに過ぎない。
けれど、シミュレーターが無駄であるとはカイは思っていない。
あれはあれで、実機では味わえない経験を多く詰める。
そう、カイは認識していた。
「そうだな。ま、これから参加すれば良いだけの話だ。色々学ばせてもらおう」
そう言ってカイは静かに立ち上がる。
その数時間後だった。
カイが、自分の選択に心の底から後悔したのは。




