箱舟の復活(前編)
ちょこちょこと、小さなメイドが忙しそうにガレージの一階を走り回る。
汚れを見つけたら箒と塵取りで片付けて、誰か来たらそっとお茶を用意して。
小さな身体で一生懸命。
見ているだけで癒される。
理解したくないけれど、彼女――莉央にメイド服を着せた理由が、あさひは少しばかり理解出来てしまった。
『小森莉央』
外部協力者『西島恭司郎』から出向するという形でうちの部に入った彼女の経歴は謎が多い。
けれど、彼女の経歴を詳しく知ろうとはあまり思っていなかった。
あさひが知っているのは、キョウジが"親代わり"ということだけ。
その時点で、両親が当たり前のように揃っているあさひが気軽に触れて良い部分ではない。
だから、あさひはせめて彼女と普通に仲良くなれるよう心掛けていた。
もちろん、彼女のためだけでなく、ただ彼女と仲良くしたいという気持ちもある。
友達と言ってくれたことも、がっかり体型偽装大学生コンビであることも、あさひの中では決して軽くない。
とはいえ……今のところは大きな壁の隔たりを感じている。
ただし、これはあさひだけに対してではない。
むしろ、一応は友達な分、壁を感じるあさひが一番マシだろう。
他の人は、壁を感じるほど彼女と接せていない。
彼女はいつも、会話を逃げるように雑用に勤しんでいた。
どうにも莉央はシャイらしい。
それも、控え目な表現で。
だから、遠くからちまちま動く姿を愛でるのが、今のあさひが出来る唯一のコミュニケーションであった。
その近くのテーブルで、ナガレは頭を抱えながら教本を開き、横でカイが読書の"ながら"で指導する。
男性同士ということもあり、彼らはあっさりと仲良くなって、それもまた少しあさひは寂しかった。
『二十六木流』
元プロレス同好会出身。
同好会は消滅したがプロレス愛は消えてないらしく、他所の大学や近隣のイベントには今でも積極的に参加しているらしい。
だからだろう。
彼がアークに入る条件は『悪役をやること』ただ一つだった。
奥の方では、赤羽が足を組み尊大な態度でパソコンを叩いている。
髪をばっさりと切ってから妙に色気が溢れていて、出来る女感がはんぱない。
良くわからないが、何か凄い複雑なことをしているんだとは思う。
画面が無限に切り替わり続けており、事務書類の作成なのか、機械工学的なことをしているのかさえ特定出来ない。
タイピング速度が速すぎて、大分気持ち悪かった。
みんなそれぞれバラバラなことをしている。
けれど、皆同じ方向を向いている。
それが、あさひは嬉しかった。
「大分良い感じになってきたねぇ」
うんうんと頷きながら、あさひは誰とも知れず呟いた。
「何の話だい? 俺の勉強結果の話ならちょっと過大評価し過ぎだぜ?」
ナガレの言葉にあさひは微笑む。
「それも期待してるけど、部活の話」
「ああ。あさひちゃん一人だけだったんだっけ最初は」
「バックアップはあったけど、部員は私だけだったねぇ」
「ほーん。ま、油断はしない方が良いぜ。わかってるだろ?」
ナガレの言葉に、あさひは頷く。
そう――わかっている。
例えナガレがライセンスを取り正式なPDになったと仮定しても、まだ足りない。
天羽あさひ。
竜胆戒。
二十六木流。
小森莉央。
顧問を除けば、総勢四人。
正式な部員まで、あと一人――。
「なあ、あさひ。お前の友達に頼むことは出来ないのか? いや、前断られたのはわかっている。けれど、大分状況も変わって来た。幽霊部員としてでも……」
カイの言葉に、あさひは首を横に振った。
「ごめん。頼む気もないし、たぶん……頼んだら、不味い」
「不味い? ……どういうことだ?」
カイは怪訝な表情を見せた。
「だってさカイ。冷静に考えてみてよ。あの"なぎさ先輩"が祐希に頼んでないんだよ?」
「……つまり、あいつに何かあるってことか?」
「わからないし、知る気もないよ。でも、なぎさパイセンが遠慮するようなタマに見える?」
その言葉は、これ以上ないほど説得力があった。
「他の方法を考えた方がよさそうだ」
「意見が一致して良かったよ」
そう言って、あさひは苦笑した。
「おや? おやおや! 君たち! 今、私の話をしていなかったかね?」
ばばーんとなぎさがその場に登場し、カイは顔を顰める。
その後ろにはいつものように達臣がいた。
いつもよりちょっと目が死んでいたが。
「してない」
「おや、つれないねぇカイ君は。と言っても、残念ながら今日は君に用事があるわけじゃないんだ。構って欲しいなら後にしてくれたまえ」
「どうして俺が構って欲しいことになってるんだよ……」
「ははははは! というわけで、赤羽顧問! こちらが約束の物だよ。さあ、受け取ってくれたまえ!」
なぎさは赤羽に二枚の紙を渡し、それを確認すると赤羽の顔が強張った。
「お前ら……マジか。マジだったのかあの馬鹿話……。いや、マジで後悔はないのか?」
「ははははは! あるわけないとも! なあ兄さん!」
なぎさに呼ばれた達臣は、静かに両手を頭に抱え蹲った。
「……お前の"兄さん"は違うみたいだが?」
「そういうこともあるかもしれないね」
「いや、最悪そっちはいなくても良いんだから返してやれよ……」
「こ・と・わーる! それとも、先の話は嘘っぱちで、本当は何の覚悟はなかったのかい?」
挑発的ななぎさの言動に赤羽は歪んだ笑みを見せた。
「上等。なめるなよクソガキ」
あさひはそんな"なんかちょっと良い感じに格好良い会話"を羨ましいなぁと思いつつ、小さな違和感を覚えていた。
なぎさと達臣がいつもと違うように感じる。
覇気がないというか、物足りないというか。
そうして、違和感の元凶に気づいた。
彼らにあるべきものが、そこになかった。
もっと具体的に言えば、『腕章』と『役員バッジ』。
彼らは、大学運営サイドの証明を付けていなかった。
こほんと、赤羽は咳払いをして皆の注目を集める。
そして、事実だけを端的に指摘した。
「えー新入部員の紹介をする。神楽坂達臣となぎさの馬鹿だ。こいつらは神楽坂グループという自分の地位と名誉を全部ドブに捨てて泥船に乗りに来た。仲良くしてやってくれー」
全員、言葉を失った。
単純に意味がわからなかった者。わかった上で信じられない者。あまりにアレ過ぎてかける言葉がない者。
みなそれぞれの理由で絶句する中、なぎさが笑いながら自己紹介を始めた。
「というわけで、君たちの後輩となるなぎさだ。気軽になぎさちゃんでもこれまで通りパイセンでも、好きに呼んでくれて構わないとも。ただし、一つだけ言っておくことがある」
もったいぶった後、なぎさは最高に楽しそうな顔で、呟いた。
「私はともかく、生真面目兄さんは大学サイドから非常に重宝されてて、んでそれを引き抜いたわけだから、まあアークは若干だが恨まれてるだろうねぇ。そんなわけで、多少の嫌がらせが予想されるから、頑張ってくれたまえ」
頭を抱える達臣。溜息を吐く赤羽。きょとんとする莉央。
反応は様々だったが、あさひだけは楽しそうに、キラキラと希望に満ちた目をしていた。
ガレージの中から、騒がしくも楽しそうな声が聞こえる。
祐希は外から、扉を開くことなくじっと見つめていた。
『だから、君は無理をしないで良い。君は今で十分過ぎるほど、良くやっている』
なぎさに言われた言葉が祐希の中でリフレインする。
「……まるで神様みたい」
自分の事情も、しようとしていたことも、すべてなぎさに見抜かれていた祐希はそう呟いた。
その嘲笑は自分の情けなさか、自暴自棄なのか、それとも神様気取りのなぎさを恨んでなのか、もう自分でさえわからない。
勇気を出さないと。
そう思った。
あと一人部員がいれば、彼女の夢に近づく。
彼女を羽ばたかせるために、友達として出来ることをしないと。
けれど、その思いさえも否定された。
いや――なぎさの言葉は、すべて正しい。
この程度のことに、勇気を絞り出さないといけない程度には、面倒な事情がある。
彼女に対し明かせぬ秘密が、祐希には存在する。
その秘密を神楽坂の二人は知っていて、そして理解し、祐希のために止めてくれた。
恨むのは、完全なる筋違いだ。
それでも、やっぱり思ってしまうのだ。
彼女のために、何かしたかったと。
それに――。
「僕なんかの事情より、そっちの方がよほどじゃないか……」
祐希は神楽坂の二人から、直接何をしでかしたのか聞いた。
彼らがこの部活のため、神楽坂という地位を放棄した。
大学運営という枠から外れたことで、神楽坂グループの後継者となることも、大学の理事長となる道筋も消滅した。
彼らは、自分の抱える事情の何倍も重たい物を、容易く捨てたのだ。
だからこそ――屈辱だった。
部室を遠くから見つめるだけで、恥ずかしくてどうしようもなくなるくらいに。
「結成おめでとう。あさひさん」
それだけ言って、祐希はその場から逃げるようにして立ち去る。
今だけは、彼女に合わせる顔がなかった。




