皇真琴
『鳳学園大学』
その名前は、あさひも知っている。
県内トップクラスに優れた学力を持ちながら、多くのアスリートを輩出している文武両道のマンモス大学である。
その武の中にはイクス・ユニットが当然のように含まれ、今一線で活躍するプロさえ排出している。
学力的にはあさひなら十分狙えるレベルだったものの、選択肢にさえ入らなかった。
理由は単純。
この鳳学園大学は、マギア社と直接の業務提携を行っている。
ここでイクス・ユニットに乗るということは、マギア社の機体に乗ることと同義。
それは、宗教上の都合でマギア社を拒絶しているあさひに許容できるものではなかった。
「それで、私をスカウトって言うと?」
真琴は長い髪を梳いてなびかせ、優雅な微笑を浮かべた。
「数日前のライズバトル。見させて頂きました」
「賞金大会のやつかな」
あさひが大会に出たのは、まだ一度だけ。
となれば、思い浮かぶのはあの大会しかない。
カイに喧嘩を売った挙げ句、損失だけ残して終わった、あの小さな黒歴史の。
「はい! 偶然わたくしの業務と重なっただけで興味はなかったのですが……ええ、素晴らしいの一言でした」
「そりゃありがとう」
「だからこそ、もったいないと」
「もったいない?」
「ええ。だって――イクス・ユニットは、男の世界でしょう」
ぴくっと、あさひの笑みが引きつった。
それでも真琴は気にもせず、言葉を続ける。
「悲しいことですが、体力の差異を覆す手段はありません。いえ、肉体が優れた女性が挑むのなら、心より応援します。でも、貴女は違うでしょう?」
ぴくっぴくっ……。
こめかみの血管が、怒りで疼いていた。
「そしてだからこそ――これこそが、女の戦場なのです!」
そう言って真琴が示したのは、RAEオンラインだった。
「男女による性差のない平等の戦い――いえ、女性の優秀さを示す反逆の場です。悲しいことにトッププレイヤーの男女比は八対二。ですがそれは性差などではなく、プレイヤー数が違うというだけ。むしろ二割の割に十分善戦して――」
「真琴様。話が脱線しています」
祐希の傍にいる一人が、申し訳なさそうにそう呟く。
それを聞いて真琴は、こほんと一つ誤魔化すように咳払いをした。
「まあ、つまりあれです。鳳学園RAEオンライン部初代部長として、貴女をメンバーに加えたいと考えております。理想は鳳大学への転入ですが、まあ、外部協力者という形でも構いませんわ」
あさひは何度か頷いた。
「ほーほーほーほー。なるほどなるほど。事情はわかったけど、あっちは?」
「すいません……ただのナンパらしいです。お恥ずかしい……。いえ、そんなことより……」
「悪いけど、私にとっては貴女の話の方がそんなことです。謹んで、お断り申し上げますわ」
にっこりと、愛想よく笑って。
礼儀正しいからこそ、その意味はわかりやすい。
あさひの態度は、明確な拒絶だった。
自分が、嫌になる。
祐希は心底死にたいという気持ちで、シートに座ったまま、自分の機体を操作していた。
対戦相手は、皇真琴と名乗っていた彼女。
理由は色々あるが、一番は押し切られたというのが正しいだろう。
"わたくしの戦い方を見れば変わるはず"だとか、"まずは実力を披露させていただきますわ"とか、なんかそんな感じ。
(あさひさんが断るつもりだから、私も断らないと迷惑かけるのに……)
わかっているけれど、女性に強く言われると、怖くて何も言えない。
そんな自分を変えたいとずっと思っているけれど、やはり、性根の部分は何も変わっていないらしい。
だから、自分が嫌いだ。
手が震える。
目が涙で霞む。
情けなさで泣いてしまいそうだけど、ここで泣いたら絶対に面倒なことになる。
だから我慢して、我慢して――。
「手、へろへろー。もしかして初心者さんだったのかな? 大丈夫ー? 丁寧に手取り足取り教えてあげようかー?」
囲んできた女性の一人が祐希の手に触れる。
その瞬間、脳裏にかつての記憶がフラッシュバックした。
虐げられ、けなされ、否定され、苦しめられた時間。
トイレの上からかけられた水の冷たさ。
両親から貰った入学祝のペンを折られた悲しさ。
ペンキ塗れになった制服の理由を誤魔化すための、両親につく嘘の申し訳なさ。
いじめという言葉さえ使いたくない負の記憶。
頭が真っ白になり、胃から何かがせり上がって来る。
吐きそう。
そう思った瞬間、不思議と吐き気も気持ち悪さも一瞬で消えた。
まだ、強く手を握られているのに。
けど、その手の温かさで祐希は気づく。
それは、あさひの手だった。
「悪いけど、私のツレなの」
それだけ言ってあさひは取り巻きを威嚇した後、祐希にそっと顔を寄せる。
その間、手は繋がったままで。
「ごめん。勝手に触って。嫌な気分はしない?」
耳元で、美しい銀が揺れる。
温かさと優しさを感じる香りが、ふわっと漂う。
どれも女性的なものだけど、不思議と嫌悪感はなかった。
「嫌じゃない。あさひさんは……嫌じゃ、ない」
我慢できず、祐希の目から涙が零れる。
それは悲しいからじゃない。
嬉しいから零れた、温かい涙だった。
祐希の左手に右手を重ねたまま、あさひは画面を見る。
操縦桿代わりのスフィアに異物判定されるも、離す機会を失いそのままとなっていた。
まあゲームだし動くから良いか。
そんな気持ちであさひはにぎにぎと手を動かすと、くすぐったそうに祐希は笑った。
「もぅ……」
「あはは。ごめんごめん。さて、なんかお相手さん待ってくれてるし、そろそろ戦おうか。応援してるよ、祐希」
そう言って、あさひは手を離し、代わりに後ろから祐希の両肩に手を置いた。
いちゃついているとさえ思えるほどの距離感。
普段ならそんなことはしない。
それが、自分を守るためだと、周りへの威嚇だと、祐希は当然理解出来ていた。
「……勝てないと思うけど、あさひさんが見てるし、ちょっと頑張ってみるよ」
「そうそうその意気だよ。……でも勝てないってことはないんじゃない?」
「いや……相手マックス八百位のランカーだよ? 勝てるわけないって」
「そなの?」
「……話、聞いてなかったの?」
確かに、ぺらぺらと自慢話は長かった。
それでも、まったく話を聞いていないというのは、少しばかり予想外だった。
「うん。興味なかったし。それより祐希のことが心配だったしね」
「あ、ありがとう……」
「あ? 照れた?」
「ちょっとだけね。……PDネーム『ハートクイーン』。最高ランク八百。これ、プロに匹敵する記録だね」
「そなの?」
「……あさひさんも、RAEオンラインはやってたんじゃ……」
「うん、練習として。だから記録とかランキングとか、まーったく意識してなかったかな。イベント系は頑張ってたよ!」
「……ちなみに、ランキング最高ランクは?」
「覚えてない」
「現在ランクは?」
「申請し忘れたから、この前のシーズン変更で全部消えた!」
「えぇ……」
祐希はあまりのことに言葉を失っていた。
祐希という、そこまで本気じゃないプレイヤーだってランキングは意識する。
これは一種の指標であり、ランキングを上げることがゲームのメインコンテンツと言っても良い。
ランキングに興味があまりない人もいるだろうが、それでも自分のランキングがわからないというのはなかなかに異常なことだった。
「本当に興味ないんだね……」
「興味ないね」
何故かあさひはきりっとした顔をしていた。
「あはは……。まあ、全世界で八百位だから本当に凄い記録だよ。プロに匹敵している……ううん、勝っていると言っても良い。一万にも入れない僕じゃ勝てないさ」
「そか。それでも頑張って」
祐希は微笑みながら、小さく頷いた。
画面に見える巨大な相手を、真琴は見ていた。
なんかずっといちゃいちゃしてまともに戦っていないけど、我慢しながら。
というか、相手が恋人同士だったらこっちの部員がちょっかいを出したことになって、それは相当に不味いし、これで二人の間に亀裂が走ったら罪悪感がすこぶるやばいとか、まあ色々と考えながら待っていた。
そしてようやく落ち着いたのか、相手が動き出してから真琴も戦闘行動に移行する。
それは、戦闘開始してから一分二十秒ほど過ぎたあたりのことだった。
祐希と呼ばれていた相手……パイロットネーム『EVENING GLOW』の機体はかなり特殊なものであり、真琴さえも把握していなかった。
機体にはカテゴリーが存在し、大きく分けてAからDまでの四つ。
AからCまでは現実に存在するが、Dは違う。
"カテゴリーD"というのは、非現実であるゲームでしか再現出来ないオリジナル機体を表すからだ。
現実の縛り、つまるところ物理法則を超越した機体であると同時に、性能がワンランクダウンしているという癖の強いカテゴリーである。
相手の機体もそれであると、真琴は確信している。
なにせ相手のサイズは十七メートルオーバー。
真琴の乗る『|Das Rheingold《ラインの黄金》』の倍を軽く超えている。
ルール的にも物理法則的にも上限を超越しているとしか言いようがなく、そしてそんなのはもうカテゴリーD以外にはありえない。
(デカイだけ……とは思わない方が良いですわね)
カテゴリーDならば、何か特殊ギミックがあるだろう。
そう思い、真琴は慎重に様子見の立ち回りに入った。




