悪魔の教室の後継者(前編)
いつも彼女は、嵐のように現れる。
突然で、何の脈絡もなくて……それでいて、必ず誰かを巻き込んで。
神楽坂なぎさというのは、いつだってそういう、天災みたいな女だった。
「やぁやぁ君たち! 今日も元気に活動してるかな!?」
ガレージに現れた彼女はいつものように元気良く、それでいて、いつものようにどこか胡散臭かった。
「あ、パイセン!」
あさひはぱぁっと表情を明るくし、なぎさの方を向いた。
「ああ、そうだとも。なぎさ先輩だよ! 元気してたかい?」
「ぼちぼちですなー。パイセンは?」
「うむ! 君たちが楽しそうで元気いっぱいだとも! というわけでカイ君。調子はどうだい?」
カイはどこか呆れた表情を向けていた。
「まあ、悪くはない。活動も一応は順調だ」
「そうかそうか! それは何より。けれども……うむぅ、どこかご機嫌斜めだねぇ。これはあれかい? もしかして私がお邪魔だったのかね? 二人の蜜月の時間を台無しにしたのなら、私は謝罪し回れ右を――」
「そんな事実はない。どうせ何か用事があるんだろう? さっさと話してくれ」
当然のように、なぎさは頷いた。
「うむ! 話が早くて助かるよ! というわけで、カイ君には申し訳ないことだが……」
そう言って、なぎさは二人の前にあるテーブルに、封筒を開いたまま置く。
それは、新幹線の往復チケット二人分だった。
「……ふむふむ、そんなに遠くない場所だね?」
指定された場所は県内で、バスや電車でも全然今日中に帰ってこれる程度の距離だった。
「うむ! というわけであさひちゃん。ちょっと行ってきてくれないだろうか」
その言葉を聞いて、二人は首を傾げた。
「ん? 俺じゃないのか?」
「というか、チケット二枚あるのに私だけなの?」
二人の疑問を聞き、なぎさは残念そうに眉を落とした。
「うむ! 本当に申し訳ない! 私としてはだねぇ、二人に……というか、カイ君の方に是が非でも行ってもらいたかったのだが……なにぶん、兄さんからのストップが入ってしまって……」
「おっと。達臣先輩が出てくるとちょっと話は変わってくるな、これ」
あさひはそう口にした。
神楽坂なぎさの双子の兄、神楽坂達臣はなぎさの正反対。
つまり、ドが付く常識人である。
その達臣が言い含めたという事実は、なぎさの信用は即座にストップ安へと暴落させる。
隣でカイは眉を顰め、疑いの眼差しをなぎさに向けた。
「端的に説明してくれ。どうしてあさひが行くのかと、俺が行かない方が良いのかを」
「もちろんだとも! というわけで兄さんからの連絡事項があるから、読ませてもらおうか」
なぎさはこほんと咳払いをして、達臣メモを取り出し、ちょっとだけ男っぽい口調で読み上げだした。
「『業務提携候補先が契約の条件として交渉相手にパイロットを希望している。あさひ、行って契約をしてきて欲しい。失敗しても構わんから気楽に行ってくれ。ただしカイは連れて行くな。相性が悪い』……とのことだよ。どうする? どうするかね?」
なぎさの態度は"俺も行く"とカイが言うことを期待しているそぶりむんむんだった。
「……その、俺と相性が悪いってどういうことか聞いても良いか? 女好きとか、そういう類なら流石にあさひを行かせるのは……」
「いや、そういうのじゃないと思うよ。ただ……」
「ただ?」
「自称マッドサイエンティストでドリルについて語りだしたら小一時間、歯車の話なら三時間は止まらないという程度の話だよ。兄さん曰く『なぎさの同類だから、止めておけ』とのことだ。それでも行きたいなら止めないというか、私としてはその方が面白い予感がするのだが……どうする?」
カイは、とんとあさひの肩を叩いた。
「行ってくれ。お前が適任だ」
「はーい! んでパイセン。余った一枚はどうするの? パイセン一緒に行く?」
「なんと! それはとても魅力的なお誘いだね。けれど残念、私は仕事があるんだ。……いや、仕事サボって……は、駄目だな。流石に今回は不味い。というわけで、それは差し上げよう。祐希君とデートでもしてきたまえ」
「んー。まあ、暇そうなら誘ってみるよ。じゃ、パイセン行ってきまーす」
「ああ。楽しんできたまえ! そうそう、裏門にタクシーを用意してある。会計はこっち持ちだから遠慮なく使うと良い」
ぶんぶんと手を振り、あさひはガレージを後にした。
「いやはや、せっかくの蜜月だったというのに、本当に申し訳ないことをした。埋め合わせは期待してくれたまえ」
あさひがいなくなった瞬間、なぎさはいつもの胡散臭い笑みのままそんなことを口にする。
面倒なのは、それが本気なのか冗談なのかわからないところにある。
本気と冗談の境界線が限りなく曖昧。
他者から見た神楽坂なぎさという存在は、そんな面倒な厄介者であった。
「繰り返すが、あさひとはそういうのじゃないし、そんな気もない」
一応はきちんと言っておかないと余計面倒になると、カイは正直な気持ちを伝える。
既にカイの中でのあさひ像は定まり切っている。
というか、外見はともなくあいつの内面に女らしい要素は欠片もない。
あれはむしろ面子を重んじる武士の類に近いだろう。
逆に、ときおり見せる儚い美少女感が悍ましく感じるくらいとなっていた。
「ふむ。それなら……もしかして私狙いだったのかい? いやはや、流石に少々気恥ずかしいね」
「これまでの発言の中でも最低最悪の冗談だな。勘弁してくれ」
「なら、まさかの兄さん狙いかい? それはとても良い趣味だと言っておこう」
「最悪を一瞬で塗り替えるのはやめてくれないかな?」
「ははははは!」
楽しそうに笑うなぎさを、カイは呆れ顔で見ることしか出来なかった。
タクシーから新幹線に乗るという滅多にないブルジョワ経験の末、あさひと祐希は地図を片手に目的の場所まで散策していた。
あっちの方じゃないか。
道はこっちじゃないか。
あ、あそこの喫茶店美味しそう。
向こうの方には商店街があるね。
そんな風に、デートらしいと言えばデートらしいかもしれないが、当事者同士にその意識は薄い。
カイの言う通り、あさひは女性自認ではあることに代わりはないが、趣向は限りなく男性的である。
モデルと聞けば模型のこと。化粧品よりプラモ塗料。ファッション雑誌よりロボットアニメ。
女性らしさにまったく興味がないというわけではない。
けれど、彼女の中での優先順位が高くないのは紛れもない事実であった。
だからこそ、祐希と友情を育めているのだろう。
祐希は男性というには、少々女性的過ぎた。
中性的と言えばそれっぽいが、女性寄りの中性的。
だからある種バランスが取れ、男女のデートでありながらも女性同士のお出かけのようになっていた。
そうして駅からおよそ十分。
二人は目的の場所に到着した。
白い豆腐のような総二階のオフィス棟に、背の低い小さな工場が窮屈そうに肩を寄せ合っている。
良く言えば、余計な装飾を削ぎ落とした実用的な佇まい。
悪く言えば、地味。
社名さえどこにも出ていないこのオフィスなのか個人宅なのかわからない質素な場所こそが、今回の目的の場所だった。
「えと、たぶん、会社……なんだよね?」
祐希の質問にあさひは曖昧に頷いた。
「たぶん?」
「社名とか、聞いてない?」
「にゃい」
「えと、相手の名前とかは……」
「にゃい……」
「え、えぇ……」
「ご、ごめんにゃさい……」
「いや、謝らなくても良いけど……と、とりあえず行ってみようか!」
そう言って祐希はあさひの前に出て歩く。
そしてそっとチャイムを鳴らすも、静かなままだった。
「……あれ?」
何度か押してみるが、反応がない。
中にしか聞こえないという風でもない。
どうやら、チャイムそのものが壊れているらしい。
「工場の方かな?」
そう言ってあさひは工場側の方に向かってみるが、シャッターは完全に降りきって、どこかに入れるような感じもない。
というか、この工場の雰囲気はあさひが最初に見た頃のアーク拠点ガレージに似ている。
つまり、年単位で稼働した痕跡がない。
シャッターの錆具合から見ても、使い込んだというより放置したという感じとなっている。
「いないっぽいねー」
そう言ってあさひは祐希の元に戻った。
「そか。どうしようか?」
「んー? そうだねぇ。入ってみる?」
そう言ってあさひは扉を何度かノックしていると、扉の向こうから、何か物音が聞こえたような気がした。
「……おや?」
あさひは静かに耳を扉の傍に寄せる。
確かに、何か聞こえる。
気のせいかどうかというギリギリの音。
おそらくは、声。
その直後、ガラガラガシャン! と、何かが崩れた音が扉の先から響いた。
あさひはきょとんとした顔で、祐希と見合う。
その後、慌てて扉を開いた。
「すいません失礼します!」
そうして中を見ると、小さな少女がうつ伏せに倒れていた。
彼女の足元には、何かの缶や金属の小物が乱雑に転がっている。
おそらく、躓いで転んだのだろう。
「大丈夫!?」
慌ててあさひは少女の元に駆け寄った。
「だ、大丈夫です……。すいません……」
それは、儚いを通り越し今にも消え入りそうな声だった。
あさひはその小さな手を握り、少女をそっと起き上がらせる。
ふわりと揺れる栗色の髪。
幼い少女は涙をこらえるように目を潤ませ、赤くなった鼻をすすっていた。
膝には、転んだ拍子についた小さな擦り傷が残っている。
「あ……僕、消毒液と絆創膏持ってるよ」
そう言って祐希は小さな医療箱をバッグから取り出し治療しようとして……。
「――いや、僕じゃない方が良いね。あさひさん。お願いして良い?」
「かしこまりー」
あさひは祐希から医療箱を受け取った後、水道の位置を確認し治療を開始した。
手を洗った後流水にしっかり晒し、タオルを巻いて止血。
すぐに血が止まっていたから、そのまま絆創膏を張り傷口を保護した。
「手馴れてるね」
「まねー。それで、大丈夫? 痛い場所はなに?」
少女に尋ねると、少女はこくんと頷く。
あさひは、そんな少女をじっと見つめた。
なんとなく、見ていると親近感が湧いてくる。
治療の時身体を支えたらなんとなく思ったのだが、少女の背丈や体つきが自分に良く似ている。
その可愛らしさから年下と思い込んでいたが、おそらく違う。
幼女にしては、何か、別の違和感があった。
「違ったら悪いんだけど、貴女もしかして神科大の学生じゃない? 校内で見覚えがある気がしたんだ?」
少女が小さく頷くと、祐希は目を丸くした。
彼女の外見は小学生にさえ見間違うほど。大学生だなんて祐希は欠片も思っていなかった。
けれど、それを声に出さない程度は、祐希は弁えていた。
「えと、天羽あさひ様ですよね?」
「うん。私は天羽あさひ。貴女は?」
「わ、私は……小森莉央です……」
まるで震える小動物のように怯えながら、彼女――莉央はぺこりと挨拶した。
幼いという共通点の所為か、二人の外見はどことなく似ていた。
けれど、決定的に違う部分がある。
いつも元気で誰とも話せるあさひと違い、莉央は、見るからに人慣れしていない。
実際、普段の口数はもっと少ない。
莉央は極度の人見知りだった。
初対面との会話なんて考えるだけで赤面し逃げたくなってくる。
だから、さっき客が家の前まで来たというのに何も出来ず、おろおろとした挙句にすっころんだのだった。
それそれゆえに、あさひと会話が成立していることは、莉央にとっては限りなく奇跡に近かった。
自分と背丈が同じくらいであるという、その共通点がシンパシーとなって彼女の人見知りを緩和させていた。
つまり……。
「私達は、同士だったんだね……」
あさひは空を見上げ、静かに呟く。
そう――同士。
高校生として違和感がないどころか、中学生にだって違和感がないちんまりとしてやせ細った身体。
大学というきらびやかな舞台で、周りの女性がみんなかっこよかったり綺麗だったりする中で、幼く未成年に扱われる悲しき存在。
生まれながらにして、女性らしさの敗北者。
二人は、そんな同じ経験を共有していた。
莉央も同じ気持ちだったのが、こくこくと何度も頷く。
そして、勇気を振り絞って、あさひに言葉を伝えた。
「お、お友達に、なって下さい……」
その声はあまりにも小さかった。
耳元であるあさひならともかく、傍にいる祐希にさえ届かない。
それでも、莉央にとっては人生で最大の勇気を出した一言であった。
あさひは満面の笑みを浮かべ、手を差し出した。
「莉央って呼ばせてもらうわ。私のことは好きに呼んで。様付け以外でね」
そう言ってあさひが握手をすると、理央は淡い笑みを浮かべ恥ずかしそうにその手を取った。




