紅の後継者
的確に狙い放たれる弾丸は、どこからでも飛んでくるとさえ錯覚させる。
あさひは怯え身を縮こませることしか出来なくなっていた。
小さな、身を隠すには頼りなく、いつ壊れるかわからない三メートル程度の遮蔽物。
それだけが、彼女の最後の拠り所となっていた。
追い詰められている。
チェスだったらもうチェックメイトとなっているくらいに。
自由に動ける相手と違い、こちらからできる選択の幅があまりにも少ない。
同じ武器なのに、相手の攻撃とこちらの攻撃では効果がまるで違う。
つまり、現状でもまずいのに、時間さえも敵になってしまっていた。
そもそもの話だが。壁の、それも隅に追い込まれた時点でほぼ敗北に等しい。
ただでさえ移動範囲がないのに、なぜ隣に歩行を妨げる程度の瓦礫が置かれているのか。
こうなるともう、どうしようもない。
カイの通信も勝利宣言に等しく、そしてそれを実行して良い程度には、終わっている。
まったくもって状況は最悪で、まさに“逆境”だ。
だから――。
「駄目だなぁ私は……。こんなのに、楽しくってしょうがないや」
身体はもうボロボロだ。
そろそろ前のように嘔吐やら吐血やらかしそう。
いや、その前に意識が落ちるかも。
スポーツのような快適なものではなく、明らかに不健康な冷や汗で全身がびっしょり。
それが妙に不快で、それでいて身体が寒さで震えている。
追い詰められ過ぎて、自分も機体もまあボロボロだこと。
それでも、天羽あさひに諦めるという文字はない。
その心はどこまでも燃えていた。
彼女の胸にある一番星、憧れである“紅朱雀”が飛び越えた逆境は、この程度ではなかったと――。
彼女が憧れるパイロット、紅朱雀は別にプロでもなければ大学で活躍した選手でもない。
はっきり言ってしまえば、外見が美しく、若い女性であったことくらいしか特色はないだろう。
それでも――あさひは、紅朱雀に憧れた。
彼女の容姿ではなく、その貫いた意思と成し遂げた偉業に恋焦がれた。
ただし……偉業は悲劇に上書きされ、あの美しかった翼はへし折られた。
世界は、彼女の敵となった。
ファンレターを書こうとあさひが思った時には、既に彼女は引退していた。
紅朱雀が翼で羽ばたくことを、世界は許さなかった。
だからこそ、あさひは決めたのだ。
たとえ世界が敵に回ろうと、自分らしさを貫き続けると。
追い詰められ、苦しみ、心が一瞬折れそうになって。
それでも奮い立ち、ようやくあさひは憧れの背中が見える場所まで来られたような気がした。
左右どちらも逃げ場はない。
だったら――。
あさひは正面に見える障害物――ビルをモチーフにしたその屋上にそっと手を付き、そのまま上に乗ってカイに向かい飛び掛かった。
障害物の耐久性能と、その高さを考えたら誰もしようとしない無茶。
だからこそ一発逆転になり得る。
そうあさひは思っていたが――カイはそんなあさひの無茶を、読んでいた。
上から飛び掛かったあさひが見たのは、腰だめでショットガンの銃口をぴたりとこちらに合わせたコヨーテの姿だった。
金属のかみ合うような鋭い音が響くと同時に、鈍い火花が飛び散る。
爆発的な轟音と共に、激しく跳ね上がる銃口。
それがどれほどの衝撃を与えるかは、誰もが一目で理解できた。
『ショットガン』
それは軽量機体における結論の一つ。
正面から重量級に決定打を与えられ、面制圧によって軽量級の高速機動を一方的に叩き潰す。
積載荷重も高火力武装の中では軽い部類となり、取り扱いもたやすい。
欠点はダメージが分散するため、距離が延びるほどに威力が下がること。
つまり、近距離で使ってしまえば欠点などないに等しい。
ユニットの世界において、近接武装と遠距離武装は比較的対等な地位にいる。
時代や流行によって変わるものの、戦争と異なり近接が使い物にならないという時代はこれまでなかった。
けれど、それは散弾銃カテゴリーの武装が近接の価値を著しく落としていることを否定する事実ではない。
つまるところ、この武装は近接殺し。
近づいてくる相手には、滅法強い。
「終わったわね。はい、お疲れ様」
赤羽は、呆れ顔で壊れゆく赤いユニットを見つめる。
乾いた炸裂音から放たれた無数の散弾は、あさひのコヨーテの全身に、特に脚部を中心に着弾している。
デフレクターなどものともせずに貫通し、右足は完全大破。
左足にも無数の弾痕が残り、足先が砕け散っている。
もう、立つことさえできない。
初心者用の大会なら、これでもう終わり。
いや、このダメージ量なら正規大会でも終了のサインさえ出てもおかしくない。
そう赤羽は思っていたのだが、試合終了のブザーは不思議と沈黙していた。
「これでも鳴らない?」
不愉快そうな赤羽の呟きに、なぎさは微笑を浮かべた。
「説明しよう! コヨーテ・RCは既存のコヨーテと異なるデフレクター・装甲バランスをしているため、両足がもげようとデフレクター・耐久共に半分を割らないのである!」
「……なんでそんな無駄なことを? いや、だったらどこに装甲比重を集めたのよ?」
なぎさは、にやりと笑った。
「決まっているだろう? ――右腕だよ」
その言葉の意味は、普通の人には決して通じない。
けれど紅朱雀と呼ばれた彼女には理解できた。
あのパイロットが自分に憧れたというのならば、その答えはたった一つに収束する。
祐希はわけもわからず呆然としていた。
けれど、無関係というわけではない。
祐希が懇意にしているミリタリーショップの店長がいなければ、コヨーテのカスタムは成立しなかったのだから。
祐希が頼み、あさひが頭を下げ、ようやく一度だけ、店長は手を貸してくれた。
かつて紅朱雀に武器を提供してくれた時のように。
その結果が、この――。
『その、夢をつかみ取るために……』
歌が、聞こえた。
陳腐で、くだらなくて、どうでも良い、薄っぺらい歌が弱々しい声で、スピーカー越しに響く。
散弾は、完全に直撃した。
両足破損で、もう立つことさえできない。
だというのに、終わらない。
試合は、まだ、終わってくれない。
それだけでなく、散弾の衝撃を受けてなお、赤い機体は近づいてくる。
空から墜ちるかのように。
赤い機体が頭上から拳を構える姿は、まるで不良漫画で組み合いになった時、のしかかられて殴られているかのような、そんな臨場感をカイは他人事のように感じていた。
振りかざす拳が、スローに見える。
ゆっくりと繰り出される拳。
その殴ってくると思っていた拳は、急にかくんと下向きにスライドする。
そして、手首と腕の隙間から、銀色に輝くそれが見えた。
『今こそ、貫き通せ――』
どうして、彼女はもう一つの武装を持っていなかったのか。
どうして、彼女はわざわざ空から奇襲をかけたのか。
今更になって、理解した。
先の空中宙返りの時も、これを狙っていた。
あの三メートル半という至近距離さえ、まだ"彼女の間合い"ではなかったのだ。
けれど、今は違う。
ここはもう――彼女の間合いの中。
二つの点が重なり、その射程の中に――。
『パイル――バンカー!』
限界までうなりを上げた駆動音と共に、かしゅっとシリンダーよりガスの抜ける音が鳴る。
そして――銀の楔が不可視の速度で空気を引き裂いた。
楔は、コヨーテの腕部側面に触れ、そのまま胴体を貫く。
まるで紙細工かのように肩を粉砕するも勢いは止まらず、衝撃波が周囲のコンクリートを蜘蛛の巣状に砕いた。
その一瞬で、世界が沈黙する。
すべての音が消え去った世界はしばらく続き、静寂を引き裂くように、試合終了のブザーが鳴り響いた。




