シミュレーターの限界
ハンドガンでの射程は、想像以上に短い。
正しい意味で狙い撃てる距離は、射撃特化機体でもない限り、十メートルにも満たないだろう。
それを考えたら、三十メートルオーバーで精密射撃が出来ている時点で、あさひの技量は疑う必要はないだろう。
ライセンス取得クラスは確実に超えている。
決して、自分より下だなんて思うべきじゃない。
そう、カイは判断していた。
けれど、いやだからこそ、あさひの射撃は絶対に当たらない。
二人の間にある壁は技量の差などではなく、純然たる経験則でしかないからだ。
理由そのものは多岐に説明出来る。
フェイントを全くはさまず、常に最大狙いでの射撃であり、テンポが平坦で単調。
優れた技量を持つからこそ、その技量に振り回されていると言い換えても良い。
だが、それさえ最大の理由ではない。
最大の理由は、あさひの蓄積された"経験そのもの"にある。
彼女が培ってきた努力の証、尋常ではない経験値の大半は、シミュレーターにて会得したものだからだ。
相手の動き、立ち回り、技量。
そういった動き方から、カイはあさひがシミュレーターで相当の訓練を重ねて来たと判断した。
ハンドガンの遠距離射撃なんて一朝一夕で覚えられるものではない。
そもそも、普通の素人は単純動作一つに苦戦を覚える。
この大会に出ている奴らでさえ、決してぼんくらではない。
初心者ではあるものの、正しく準備と努力をしこの場に立っている。
それに勝利してこの準決勝の場に立っている時点で、あさひの努力を疑う理由はないだろう。
けれど、シミュレーターは決して万能ではない。
実機と比べた場合、小さいながら確かな差異がある。
例えば、ユニット。
シミュレーターの世界では、コヨーテどころかアステロイドブルーさえ最下層のユニットとなるだろう。
あのネットワークの世界は、世界大会や企業の準新型が基準になっている。
良くも悪くもプロの模倣。
これは武装などのハードウェアだけの話ではなく、ソフトウェア……つまり内部の処理や操作感にも関係する。
オンラインの機体を高級車とするなら、コヨーテなんて軽トラ程度の代物だ。
高級車で慣れた身体では、軽トラを操作することは相当に負荷となっていることだろう。
当然、武装や環境も違う。
ユニットの疲弊や人間の疲労はシミュレーターでは考慮されない。
疲弊・疲労が出る後半は、相当な差異に苦しむこととなるだろう。
そして何より……シミュレーターはあくまでシミュレーター。
現実と異なり、再現しきれない『誤差』が存在する。
確かに、シミュレーターは限りなく現実に近いだろう。
けれど同時に、確かな非現実でもある。
現実と空想。
その二つの差が小さな、けれど決定的な誤差を生み出している。
シミュレーターで訓練を真面目にやればやるほど、その『歪み』は身体にこびり付く。
その歪みという名の誤差を正しく理解し、悪い癖として修正したカイには、あさひの歪みが、射撃の狙いと制度という形で特定出来ていた。
つまり、カイはあさひの射撃に対し、『偏差射撃込みでどこを狙われているか確実に判断出来る』状態となっていた。
根が真面目で、素直で、優秀であることは正しい。
だからこそ、弾丸はカイには届かない。
「技量そのものは、悪くないんだがな」
顔を歪めて笑いながら、カイは呟く。
少なくとも、ロボット遊びとして考えるなら最上だろう。
この大会だって、きっと無双出来る。
後は体力さえあれば、プロになる可能性だってワンチャン程度は残るだろう。
だからこそ、結局カイの結論は変わらない。
『天羽あさひはプロには成れない』
女性であり、病弱である彼女の体力では、どうしようもないと――。
チリッと音が鳴る。
それは、デフレクターが削れる音だった。
ラッキーヒットじゃない。
その程度は当たらないくらいに、あさひの行動は観えている。
つまり……。
「近づいてきたか」
命中精度を上げる方法は、もうそれだけ。
カイがレーダーを確認した瞬間、あさひはほぼまっすぐこちらに向かって走り出していた。
即座にカイはもう一丁のハンドガンを取り出し、下がりながら二丁を構え、引き撃ち気味に連射を叩き込む。
無数のマズルフラッシュが輝き、あさひのコヨーテに弾丸は数発直撃する。
さっきまでの遠距離でない、適正距離での直撃は決して軽いダメージではない。
それでもあさひは怯むことなく、ジグザグに走りながら一気に距離を詰めてきた。
(ちっ! 判断が遅れた)
内心舌打ちしながら、自分の判断力のなさを毒づく。
ここまでまっすぐ近づくのは、想定していなかった。
カイの持つもう一つの武装は『ショットガン』。
この距離ならば一撃で残りデフレクターの大半を削り切れ勝敗を決せた。
だが、今からでは武器換装しても間に合わない。
とはいえ、それは判断ミスというよりも、あさひの接近が早かったというだけ。
相手を褒めるべきだろう。
カイは右手のハンドガンを収納し、右手を前に出して格闘技のような構えを取る。
それは最悪の最悪を想定した時、犠牲を右手のみに収めるという、終始合理的な判断によるものだった。
そう――カイは決してあさひを侮ってはいない。
プロに成れないのは体力の問題だけであり、それ以外の素質は、むしろ自分より上だと認めている。
ハンドガンの射程内……完全なる至近距離に入っても、あさひの接近は止まらない。
武装を変えず、片手にハンドガンを持ったまま、まだ走り続けた。
至近距離のハンドガンでないとしたら――。
(まさか格闘術か!? こいつ、どんだけ風呂敷広いんだよ!)
とはいえ、言われてみたら納得出来る。
ちまちま射撃するよりも、近接戦闘の方が“あさひらしい”と、大して付き合いの深くないカイにだって思えた。
「ちぃ!」
カイは、最悪右手をパージする覚悟を持って、拳を相手の顔面に叩き込む。
けれど、その拳は空を切った。
いや、それだけじゃない。
右腕を振るったというほんの一瞬の間に、カイはあさひの姿を完全に見失っていた。
「なっ!?」
視界から完全に消えた。
コヨーテの広範囲カメラさえ映っていない。
巨大な物体が突然消えるなんてこと起きるわけがない。
けれど実際にはそうなっている。
その事実が、カイを惑わせた。
どこに逃げたのか。
慌ててレーダーで確認を取るも、表示がおかしい。
どうにも、重なっているように見える。
その直後、コックピットにまで伝わるほどの激しい喧噪が、けたたましく響き渡った。
サッカー場で熱烈なファンが騒ぐような、そんな怒声にも似た大歓声。
それでようやく、カイは理解した。
あさひが居るのは――自分の《《上》》だ。
頭部の角度を変えて、視界を上に向ける。
視界の上部に、あさひの操るコヨーテの頭部が映った。
それを見て、思わずカイは笑ってしまう。
「普通、宙返りするか?」
頭部が見えるということは、そういうこと。
あさひはカイのコヨーテを跳び箱のようにして、宙返りで頭上を舞っていた。
出来るかどうかで言えば、たぶん出来るだろう。
プログラムを組んで一発だ。
だが、そんなこと普通やろうとさえ思わない。
それにこいつのことだ。
どうせ事前プログラムなんて組んでいなくて、土壇場の手動操作のみでやってやがるだろう。
まあ、宙返りなんてわけわからないプログラムを事前に組んでいたなら、それはそれで大分頭のおかしい奴ってことになるが。
着地するだけで、とんでもない衝撃が来る。
それだけで脚部のデフレクターは相当削れるだろう。
そもそも、反転姿勢から着地するのは相当難しい。
こけでもしたら、その時点で自爆からゲームセットだ。
あまりにも無茶苦茶過ぎる。
けれど、その一手がカイを出し抜いたことは、紛れもない事実であった。




