魂の蝋燭
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肌を刺すような冷たい水が、朦朧とする意識を繋ぎとめる。
苦しい、痛い、辛いが和らぎ、肉体の不調が徐々に回復しているのが体感で理解出来る。
けれど同時に、肉体が回復するごとに、やらかしたという実感も強まって――。
水のシャワーを浴びながら、あさひは羞恥でいっぱいになっていた。
少なくとも、五回は吐いたと思う。
正直意識が半分飛んでいたからわからないけど。
ぐちゃぐちゃになった状態でお姫様抱っこされて、ベッドに寝かされて介護のように綺麗にされて、手足とかまで脱がされて。
冷静になればなるほど恥ずかしくなってくる。
まったくもって情けない。
「大丈夫か? 大丈夫じゃないならそっちに行くぞ?」
ドア越しのカイの声にあさひは「ひえっ」って怯えた声が喉から零れた。
「だ、大丈夫だから来ないで! 裸まで見られたらもう死ぬか殺すしかなくなるから!」
その場に流れる少々の沈黙が、カイの呆れを上手に表現していた。
「……お前は武士か何かかよ。ま、それだけ元気なら大丈夫だろう」
「すぐ出るからちょっと見ないようにしてくれる?」
「安心しろ。ずっと外を見てる」
「ん。……遅くなったけど、ありがとう。それとごめんね。本当に」
「謝るな」
「でも……」
「本気でPDになるつもりなら、謝るな。この程度気にしてる奴PDにはなれん」
「……じゃあ、カイもそういうことがあったの?」
「俺の場合はもっとひどい。なにせクソ漏らした上に病院直行だったからな」
「ふぇっ!? 本当に!?」
「ああ。だからまあ、あまり気にするな。……本当に嫌だったら、女性の救護班を用意しておけばいい。それだけの話だ」
「……そか。そっか。……ありがとう」
返事はなかった。
けれど、あさひはそれが嬉しくて、つい笑みが零れた。
シャワーを止めた後、用意されていた服に着替える。
不思議なことに、サイズは驚くほどぴったりだった。
なぎさの背丈を考えればぶかぶかになっていてもおかしくない。
それどころか下着まで違和感なく収まり、あさひは少しだけ背筋が寒くなる。
いったいどうして、自分のサイズを知っているのだろう。
そんな疑問を抱きながらシャワー室を出ると、カイが本当にこちらに背を向け、カーテンだけを見つめていた。
「もう大丈夫だよ」
そう言われ、ようやくカイはあさひの方を見てから、冷蔵庫に入っていた経口補水液を取り出し渡してきた。
「嘔吐感はないか? もしあるなら正直に教えてくれ。あと、シャワーで吐かずに済んだか?」
「え? うん。大丈夫だよ? 気持ち悪くもないし……」
そう答えてから、ペットボトルを受け取り喉を潤す。
「それ、美味いか?」
「え? うん。美味しいけど?」
カイの表情が、ちょっとだけ険しくなったのにあさひは気づいた。
「……そうか。だったらもう少し休め」
そう言ってベッドに座るようカイは言って、そっと傍にバケツを置いた。
「あ、ありがとう?」
「構わん。……ただ、一つ……いや、二つ教えて欲しい。もちろん、言いたくないことは言わなくても良い」
「あはは。もうここまで来ちゃったらスリーサイズだって恥ずかしくないよ。いやはや……情緒めちゃくちゃになりそう」
「……悪い。見られたくなかったのはわかるが……」
「ううん。冷静になったらわかるよ。私が酷いことになってるってわかったから、他の人に見られないようにしてくれたんでしょ? 感謝こそすれど恨みなんてないよ。ただ恥ずかしいだけで」
「……繰り返すが、気にしなくても良いことだ。その羞恥はパイロットの勲章と思えば良い」
その言葉を口にする時のカイは、妙に力強く、そして確かな自信に溢れていた。
「はは。うん、頑張ってそう思うことにするよ。それで、聞きたいことって何ですか? 命の恩人さん」
「そういうのは良い。まず一つ目だが……あの血はなんだ? 持病と言っていたが……」
「ああ……ちょっと大げさに言っちゃったね。持病ってほどのものじゃないんだ」
「いや、大げさでも何でもないだろ。だって、あれだけ血を……」
「大丈夫だって。本当にいつものことだから」
「……は?」
「別に特別なことじゃないよ。人より多く入院したとか、人よりちょっと身体が弱いとか、その程度のこと。それだけ」
そう言って、あさひは笑った。
生まれた時から、あさひは身体が弱かった。
だから、身体が人よりも小さい。
人よりも筋肉が付かない。
幸い胃腸だけは丈夫だから何とか食べてはいるが、それでも一度に多くを食べられない。
筋トレやジョギングも毎日しているが、あまり負荷をかけすぎると入院してしまう。
あさひの身体は、そんな虚弱なものだった。
「だからねぇ。お父さんがまた心配性でね、説得するのが大変だったんだ。……って、どうしたの?」
目を丸くして、絶句し固まるカイにあさひは首を傾げた。
「お前……それで、そんな状態であんな長時間……」
「いやはやお恥ずかしい。次はきっちり一時間頑張る所存ですとも」
「本気で……だってお前……今日だって一歩間違えば……」
あさひは微笑を浮かべ、首を横に振る。
「私の普通だよ。でも、私の蝋燭はちょっとだけ人より短いみたい。だからね……私は最後まで、激しく燃えたいの」
それが、あさひの定めた行動原理。
あさひの頭の中には、常に燃え盛る蝋燭が宿っていた。
カイは何も答えない。
いや、言えるわけがない。
健常な身体を持ち、エリートの家に生まれながら心が折れた程度でドロップアウトした自分が、今のあさひにかけられる言葉なんて、持ち合わせているわけがなかった
「それで、もう一つの質問は?」
突然、カイは唇を噛みしめ、苦渋に満ちた表情に変わった。
「え? なにその表情!? 変顔選手権?」
「違う。……あらかじめ謝っておく。すまん」
「……ふぇ?」
「気道確保と体温を下げるため、服をずらした。その時見えたんだ」
「パンツが?」
「足がだよ!」
「あー。ああ……そっちか」
ほっと、安堵の息を吐く。
パンツが見られることも純粋に恥ずかしいが、それより古くて色褪せたボロパンツを見られなかったことは本当にありがたかった。
それに比べたら、《《古傷》》を見られることくらい、なんてことはないだろう。
「んで、傷がどうしたの? 見苦しい?」
「そんなこと言うわけがないだろう!」
立ち上がり、怒鳴る勢いのカイに、あさひは両手を上げ降参のポーズを取った。
「ご、ごめん」
「……いや、こっちこそすまん」
しゅんとなり、再びカイは椅子に座る。
そして、ぽつりぽつりと小さな声で尋ねた。
「それはもしかして、ユニットでの事故じゃないか?」
「え? わかるの?」
「傷が深すぎるからな」
カイが見ただけでも、太もも全体を切り開いたかのような傷跡が残されていた。
しかも相当昔の傷であるはずなのに、いまだ薄れることなく残り続けていた。
現代医療の発達したこの時代に、そんな痕が残ることなど滅多にない。
よほどの大事故に遭ったか、あるいは巨大な何かに押し潰され、命を落としかけたか。
そうでもなければ、説明が付かない。
あさひは静かに、こくりと頷いた。
「……うん。昔ちょっとあってね」
「そうか。……怖くならなかったのか?」
「あはは。ならないよ。……なるわけがないよ。いつだって、私の憧れだもの。イクス・ユニットは」
「……お前は凄いな」
そう呟くカイは、笑っていた。
笑っていたはずなのに、あさひには泣いているように見えた。
会話の終わりを示すようにノックの音が響き、なぎさの声が部屋に響いた。
「医者を呼んできた。入って大丈夫だろうか?」
「ああ! 問題ない。……それじゃあ俺は行く。ゆっくり休め」
「あ、待って。私も二つほど言いたいことがあるんだけど」
「……外で人が待ってるから早めにな」
「うぃっす。まずさ、今更だけどその服どうしたの? いや、汚した私が言うことじゃないけど」
カイはいつものまっくろくろすけのような黒尽くめの服ではなく、工事現場の作業員を思わせる作業着姿だった。
「……この部屋、なんでか知らんがめちゃくちゃ服が多い。あんたの服って書いてあったから渡したけど、サイズとかどうだった?」
「ぴったりだった……」
「俺もだ」
「……なんか、怖くない?」
「それは否定しない。それで、もう一つ聞きたいことってなんだ?」
「聞きたいことってわけじゃないんだけどね……」
「ああ」
「勝負は勝負だからちゃんとやってね。そしてそれを見たいな!」
「――は? ……は? はぁ?」
信じられないものを見るような目で、カイはあさひを見る。
そんなこと気にも留めず、あさひは元気いっぱいで満面の笑みだった。
「次はカイの番でしょ? だからよろしく! そして私がお医者さんよりゴーサインが出るまで開始は延期でよろしく!」
カイは心底呆れ顔になり、吐き捨てた。
「お前、馬鹿だろ?」
「今更でしょ?」
溜息だけ残してから扉を開き、カイは医者となぎさの二人と場所を交代した。




