【228】冒険者試験編㉚ 〜勇者の瞳〜
円状に広がる風圧だけを残して──バル=ゾルディアスの巨躯は、跡形もなくアリーナから消えていた。
砂煙が、薄く流れる。
静寂に包まれた円形闘技場を、グローリーゲイトの魔導照明が淡く照らす。
「……魔獣が、消えた」
「召喚を、解いた……のか?」
「……なんで?」
観客席からのどよめきが、徐々に大きくなっていく。
「ど、どういうことでしょう!?……瀕死のアーシス選手を前に、ネプチューン選手は自ら召喚を解いたように見えました!!」
実況の声が魔導スピーカーからこだまし、かえってこの場の異様さを際立たせた。
──タッ…タッ…タッ……。
ネプチューンが歩く。
倒れたまま動かないアーシスに、ゆっくりと近づき──その姿を無言で見下ろした。
「アーシス!!」
金網を握るシルティの手に、力がこもる。
今にも飛び出そうとする仲間たちの気配。
パブロフもまた、右腕を軽く折って構え、鋭い目でネプチューンを射抜いていた。
次の瞬間。
──ジャバァッ。
紫色の液体が、アーシスの全身に容赦なくぶちまけられた。
「……っ!?」
シュゥゥゥ……という音と共にアーシスの身体から煙が上がり、悲鳴に近い息が、控えエリアから漏れる。
──シルティは剣を握り、踏み出す──が。
「……待て」
パブロフの手が、飛び出しかけた肩を押さえた。
「せ、先生……止めないで!!」
「……落ち着け」
パブロフは肩を抑える手に力を入れる。
「あれは、"特上回復薬"だ」
「……!?」
──次の瞬間。
「……ん……うん……」
ピクリとも動かなかったアーシスの唇が、小さく音を零した。
「アーシスくんっ!」
瞳を潤ませたマルミィが声を上げる。
その声に押されるように、アーシスのまぶたが重く開いた。
状況を把握できず、ぼんやりと周囲を見回す。
視界にネプチューンが入り込んだ瞬間、反射で身体を起こそうとする──が、
「……んぐっ!」
全身が引き裂かれるような痛みが走り、喉が詰まった。
「……無理をするな。……戦いはもう終わりだ」
ネプチューンは淡々と告げる。
その声には、勝者の愉悦も、敗者の悔しさも──見えない。
「な、なんだ……と……」
アーシスは開ききらない目で睨みつける。
その視線を真正面から受け止め、ネプチューンは―──はっきりと言った。
「降参する。俺様の負けでいい」
「……え?」
「……もう十分だ。……貴様の"覚悟"、確かに見せてもらった」
ネプチューンは、フッと口元を緩めた。
笑み、というには苦い。
「でも……」
アーシスは困惑したまま、言葉を探す。
「ふっ。ギルドからの司令は"この戦いに出る"こと。勝てとは言われてねぇしな。俺様はまたしばらくゆっくりさせてもらうさ」
ネプチューンは魔導タバコに火を点け、ふーっと大きく煙を吐く。
月明かりの下、煙がゆっくりとほどけていく。
そして、アーシスを見下ろし──瞳の奥を覗き込むように低く言った。
「……俺様は、すべての人を救うことは出来ないと思っている……今でもな」
ほんの一瞬。
ネプチューンの脳裏に、焼け野原と──小さな木剣がよぎる。
「……だが」
その声が、わずかに揺れた。
「貴様なら。俺様に出来なかったことが──出来るかもしれない……」
「ネプチューン、さん……」
「……その瞳の焔、消すんじゃねぇぞ」
ネプチューンは振り返り、にゃんぴんへマナポーションの小瓶をひょいっと投げた。
「にゃっ」
にゃんぴんは受け取り、ぼんやりと瞬きをする。
──そして、上空を見上げ、大きな声を上げた。
「おい審判!そういうことだ!!」
「……!!」
審判が面食らって、ホバーボードの上であたふたする。
ネプチューンは背を向けたまま、片手を軽く振り──
「……じゃあな」
足早に、アリーナを去っていった。
月明かりが、戦いの終わった石床を淡く照らす。
──その静けさを破るように、魔導スピーカーが息を吸った。
「……え〜〜〜……こほん。……勝者!!──アーシス=フュールーズ!!!!」
一瞬の静寂。
──そして。
ドッ……!と。
せきを切ったように拍手と歓声が爆発した。
控えエリアから、仲間たちが飛び出してくる。
「アーシス!!」
シルティが頭を抱き上げ、アップルとナーベがすぐさま治癒詠唱へ。
マルミィはにゃんぴんを抱きしめ、アーシスの元へ。
そこへ、ギルド救護ボートが降り立った。
「──どいて!」
専門の救護班が素早くアーシスを担ぎ上げる。
固定、点滴、魔力測定──流れるような動き。
ボートは再浮上し、夜空へ滑るように上昇していった。
その光景を、仲間たちは心配そうな目で見つめることしか出来なかった。
「……ふーーっ」
アリーナの壁にもたれ、パブロフは魔導タバコを咥えたまま夜空を見上げた。
「やれやれ……終わってみれば、学生たちの勝率は"過去最高"……か」
軽く煙を吸い、吐く。
そして、アリーナに集まる学生たちへ視線を落とし──ふっと笑った。
「──“最高の世代”、の誕生だな」
(つづく)




