【223】冒険者試験編㉕ 〜深淵魔獣《アビスロード》〜
「──《契約位階・第七層》」
低く、地を這うようなその声に、アリーナ全体が──息を止めた。
「……おい……冗談だろ……」
観客席のどこかで、掠れた声が漏れる。
次の瞬間。
コロシアムを照らしていた魔導照明が、音もなく消えた。
「……!?」
ざわめきが、恐怖へと変わる。
夜空の星すら、霞んだ。
世界そのものが悲鳴を上げるように、石床が軋む。
アーシスの足元で、空間が沈み始める。
重力が狂い、視界が歪み、色が剥がれ落ちていく。
そして──
“それ”は、そこに立っていた。
月明かりに照らされ、全高二十メートルを超える巨躯の影が、アリーナに浮かび上がる。
ヴォォォォォォ……!!
身の毛がよだつ咆哮が轟き、地鳴りのようにコロシアム全体が揺れた。
ヂヂヂヂ……と火花を散らしながら、魔導照明が再び灯る。
照らし出された“それ”を目にした瞬間、客席を満たしていたざわめきが──悲鳴へと変わった。
「な……なんだ、あれ……」
「で、でかすぎる……」
「……ひ、ひぃ……」
黒鉄と深淵結晶が癒着した装甲。
王冠のように湾曲した角。
六つの眼──すべてが、アーシスだけを捉えている。
背中から展開される、四枚の魔力翼。
一振りごとに、空間が裂ける。
右腕には、山を断つほどの魔力斧。
左の掌には、重力そのものが渦巻いていた。
──深淵魔獣
バル=ゾルディアス。
「……ネーオダンジョンのボス、どころじゃねぇぞこりゃ……下手すりゃ、"魔族"レベル……」
パブロフの声が、震える。
ネプチューンは、タバコの煙を吐き捨て、静かに呟いた。
「さて……はじめるか」
次の瞬間。
バル=ゾルディアスが、一歩踏み出した。
ドンッ──!!
それだけで、衝撃波がアリーナを薙ぎ払う。
アーシスは剣を地面に突き立て、必死に踏みとどまった。
「……っ、重……!」
顔を上げた、その刹那。
目の前で、魔力斧が振り下ろされる。
──避けきれない。
直感が、悲鳴を上げた。
──死ぬ。
だが。
「《アビスグラム》ッ!!」
紅蓮の炎を纏った剣撃が、斧と激突する。
ドガァァァン!!
火花と魔力が爆ぜ、アーシスの身体が宙を舞った。
地面を転がり、血を吐く。
「……ぶはっ……!」
「……立てるか?」
ネプチューンが、感情のない声で問う。
アーシスは歯を食いしばり、ふらつきながら立ち上がった。
「……ああ」
「そうか」
ネプチューンは、どこか寂しげに目を伏せる。
「なら、続けよう」
バル=ゾルディアスが咆哮する。
六つの口から放たれる《終焉咆哮》。
結界が悲鳴を上げ、風圧がアーシスの髪を激しく掻き乱した。
次の瞬間──アメーバ状の黒い鞭が、鋭くアーシスを狙う。
「どわっ!?」
咄嗟に跳躍してかわす。
だが、振り返った瞬間──上方から斧が落ちる。
ドギィィン!!
アビスグラムで受け止めるも、足元の石床が耐えきれず粉砕された。
バル=ゾルディアスの左腕から伸びた半透明の鞭が、瓦礫をブラックホールのように吸い上げ──そして、逆噴射。
瓦礫の豪雨が、アーシスを襲う。
「くっ……!」
剣で弾きながら後方へ跳び、アーシスは距離を取る。
頬、腕、足……すでに全身に傷を負い、装甲も無惨に削れていた。
「……くそ……あの体格で、このスピード……」
だが。 アーシスの目は、まだ死んでいない。
左手を上げ、小さく詠唱する。
「……サンダーボルチ!」
空中の魔法陣から雷撃が落ち、アビスグラムへ──
剣は雷を滑らせ、そのままた巻き込んで吸収、ビリビリと光る刃が脈動する。
「今度はこっちの番だ!」
アーシスは地面を蹴り上げ、真っ直ぐに駆ける。
「──速い……!!」
観客席から声が上がる。
襲いかかる黒い鞭を紙一重でかわし、勢いを殺さず跳躍──バル=ゾルディアスの首元へ。
「おらぁぁぁ!!」
鋭い雷剣が、確かに首を捉えた。
──だが。
バル=ゾルディアスは、微動だにしない。
「……なっ……」
次の瞬間──魔獣の翼が振るわれ、アーシスは結界へと叩きつけられた。
ドザッ!!
──砂煙が舞い、観客席は沈黙に包まれる。
“圧倒的”。
誰もが、そう思った。
アーシスは倒れたまま、動かない。
「……アーシス……」
シルティの声が、震える。
控えエリアの仲間たちは、心配そうにアリーナを見つめている。
──ピク。
アーシスの指が、微かに動いた。
ゆっくりと膝を立て、そして立ち上がる。
血が顔を覆い、地面に滴る。
アーシスは血の唾を吐き捨てた。
「……まだやるか?」
ネプチューンは相変わらず淡々と問う。
「はぁ、はぁ……あたりめーだ」
顔の血を拭いながら、アーシスはバル=ゾルディアスを睨んだ。
「くそ、強すぎる……。でも……」
そして、剣をグッと握り直す。
「うおぉぉぉ!!」
アーシスは雄叫びと共に地面を蹴りつけた。
超高速で魔獣の周囲を駆け回り、影が揺れる。
「なんだ?分身か!?」
「……いや、残像だ」
客席がどよめく中、アーシスの残像が魔獣のまわりを取り囲んだ。
「……ほう、意外と冷静だな」
上階ギルド席で、影の男が呟く。
G=フュールーズは、ふん、と鼻を鳴らした。
観客たちの目が、バル=ゾルディアスを囲む残像たちを追いかけていた、その瞬間──残像から抜け出したアーシスが、ネプチューンの背を取った。
「俺が倒すのは……魔獣じゃない!」
叫びと共に、アビスグラムを振り下ろす。
「──だが……」
影の男が呟いた。
バチィィィン!!
「なっ……!?」
完全に死角を取った剣が弾かれ、アーシスは吹き飛ばされた。
ネプチューンはゆっくりと振り返り、アリーナの端に着地したアーシスを見据える。
「あー、不意打ちは効かないよ。俺様レベルにはな」
「……な、なんだと……」
「ほら、目を凝らして見てみな」
ネプチューンは腰に手を当て、気だるそうに呟いた。
アーシスは、釈然としない表情ながらも、言われるがままに目に意識を集中し、ネプチューンをじっと見つめる。
「……!?、こ、これは……」
「おっ、見えたか?」
ネプチューンはニッと笑う。
「──防御魔法の自動」
控えエリアのパブロフが低く呟いた。
「えっ?」
アップルは思わず声を上げる。
「……薄い魔力が、身体中に張り巡らされて、ます」
マルミィは汗を流しながら小さく呟いた。
「……そうだ。お前らも目に魔力を集中してアイツを見てみてろ」
パブロフの言葉を受け、アップルたちも意識を目に集中する。
──!?
微かに、ネプチューンの身体のまわりを“薄い膜“のような魔力が覆っていた。
「これはな、自分の意識から剥離させた防御魔法──24時間、自動で身を守る魔力の鎧だ。……まぁ、お前らも成長すればいずれ辿り着く力だよ」
ネプチューンの言葉に、アーシスは理解が追いつかない。
「それより、よそ見してる場合か?」
ハッ、と我に戻った瞬間、バル=ゾルディアスの斧が、アーシスを叩き飛ばした。
ドゴォォォン!!
アリーナの壁に激突し、アーシスは崩れた瓦礫に埋もれる。
「アーシス!!」
アップルが悲鳴をあげる。
「やれやれ……」
ネプチューンの声が、低く響いた。
「理想を語るガキほど……早く死ぬ」
(つづく)




