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弐:噂話のあれやそれ。/丹羽万千代

 お気に入り登録や評価、感想有難うございます!

 妙な話ですが、末永くお付き合いいただけると幸いです。


 今回、ちょっと下品と云うか明け透けな会話があります。ご注意下さい。

 ― 一五四五年(天文十四年)那古野城・客間



 丹羽にわ万千代は、頭を打って寝込み、うんうんとうなされている柴田勝家を見て素直に「お可哀想だ」と思った。


(幾ら何でもアレはなぁ)


 どうして吉法師きっぽうし女子おなごと思い込んでしまったのかは知らないが。その女子だと当たり前に思っていた人が思い切り善く下半身を晒し、そこにしかと男根があるのを見てしまえば気を失うのも仕方ない。そう、万千代は哀れに思うのだ。

 確かに吉法師への敵視とも云える言動には眉をしかめていたけれど。勝三郎のように、寝ている隙に悪戯をとまでは思わない。大人しそうに見せかけておいて、勝三郎は意外と過激なのだ。その辺り、流石は吉法師の義兄弟と云うべきか。きっちり“薫陶くんとう”を受けている。

 その勝三郎は、寝込んで唸る勝家の額へ蛙を乗せようとして、平手政秀に止められていた。蛙くらいなら善いような気がしている辺り、万千代も順調に吉法師から毒されている。


てて殿、どうにも妙な気が致すぞ」

「むぅ。俺もそう思う」


 本来なら評定所で話し合うべきだろうが、勝家を一人で放っておけぬと大殿である織田信秀が云うので、客間の一つで父子は向き合っていた。勿論、吉法師は着替えを終えて髷も結い直して、だ。

 幾ら厳つい勝家であっても、板張りの上で寝かせるのは可哀想だと云うのだ。別に適当な部屋で寝かせておけば善いと思うのは、間違えてない気がするが。信秀は万千代が思う以上に、勝家を大事にしていると云う事なのだろう。

 その割には勝三郎の悪戯に対して、「元気で善い善い」と笑っているけれど。


「妙、とはどう云う事で御座いますか、殿」


 片膝を立てて、まるで山賊のように粗暴な格好で悩む主へ、つい万千代は問いかけていた。確かに、大殿が大事な話があると云って那古野城へ来てくれたと云うのに、妙な事態になっている気はするが。

 どうにも二人の言葉は、今の状況そのものを指しているのでは無さそうであった。


「知れた事。権六がわしを女子と思い込んでおった事じゃ」

「ここの所、妙に権六らが反対していてな。てっきり吉法師が二形ふたなりであるからだと思っていたのだが」

「どこで情報ネタがねじくれおったのやら」


 その点が、どうにも二人には気になるようであった。

 云われてみればそうかも知れないと、万千代も思う。

 吉法師は湯帷子の片方を常に脱いでいるが、万千代や政秀が煩く云うので胸も腹もサラシで覆っている。近くで見れば乳房の存在に気付けるが、万千代や勝三郎の他、吉法師の近くへ侍るのは子分らばかり。彼らは自分達の大将がフタナリである事を重々承知だ。女子だと騒ぎ立てるはずもない。ここ那古野城の者達も同様だ。信秀より善く善く云い含められているのである。

 そして世間では、“うつけ”の殿様と云う情報ばかりが先行していて、吉法師を女子だと見なす者はとんと居なかった。やる事成す事とんでもないので、「綺麗な顔をしているが、あれで女子のはずが無い」と云う思い込みが働いているのかも知れない。おのこでもどうなのだと云う行動ばかりなのだから、尚更であろう。


 では何故、古渡ふるわたり城では「吉法師様は女子である」とされてしまったのか。まだ確認はしていないので、勝家のみが思い込んでいると云う可能性もあるが、勝家の立場を思うとそれは低いだろう。勝家と似たような立場や地位にいる者らはみな、吉法師を女子と思っているのではないだろうか。だから信秀へ度々訴えているのではなかろうか。


「古渡には弟妹らへ会いに顔を出しておるがな。皆、わしを「兄上」と呼ぶ。それでも勝家はわしを女子だと云い切りおった」

「誰かが意図的に、吉法師の性を偽ったと云う事になるか。俺の膝元でよくやるな」

「ふん。侮られておるのではないか、父殿」

「何おう。まだ耄碌もうろくはしてないぞ」

「大殿はしょっちゅう城を空けられますから……。その隙を突かれたのでは」

「だとしても間抜けじゃ」


 万千代がつい信秀を庇う発言をしたのだが、それを吉法師は鼻で笑って一蹴した。にべもない。


「わしを女子としてしまえば、年の近い弟がいる以上家督相続を取り上げる事も出来よう。確かに、乳も女陰ほともあるがな」

「しかし精通はしたが、初花はつはなは迎えていないだろ?」

「しとらん。男の方は使えるとは思うが、女の方は今の所は分からんぞ」


 あんまりにも明け透けな父子の会話に、つい万千代は赤面してしまう。何でも無い事のように話すから、余計にこちらとしては恥ずかしくなってしまった。

 大人しくならない勝三郎を膝へ抱え上げた政秀も、「お二人とも、はしたないですぞ!」と頬を少し赤らめながら云っていた。なので万千代が特別初心うぶと云う訳ではあるまい。


「さて。わしから嫡子の座を取り上げて、勘十郎へくれてやったとして……。得するのは誰かの」


 同腹の弟の名を呼びながら、吉法師は愉しげな顔をした。悪い事を考えている顔だ。


 吉法師のすぐ下に当たる弟の勘十郎は、大人しく心優しい童子であった。幼いながら礼儀正しく頭も善い。それ故か、母親の土田どた御前から深い寵愛を受けていた。その影響もあって、古渡城の家臣らは勘十郎を支持しているのだろう。


(御前様は殿に冷たいしなぁ……)


 生まれて間もない頃に、吉法師は那古野城を信秀より譲られ城主となった。信秀なりの考えがあった事は分かるが、土田御前にしてみれば我が子と早々に引き離された訳であり、さらにその子は“うつけ”などと云われるようになってしまった。常に側に居る次男坊を寵愛しても、仕方ないと云えば仕方ないのかも知れない。


(それでも、情が無いじゃないか)


 吉法師は腰が軽い性質たちで、弟妹の顔を見に古渡城へ度々赴いている。そして訪れた際には、必ず土田御前へもご機嫌伺いをしているのだ。

 それのお供をしている万千代は知っている。その時の土田御前は酷く素っ気ない事を。その事に関して吉法師が時折、寂しそうな顔をしている事も。

 離れて暮らしていても、母親は母親なのだ。万千代は主が不憫に思えてならない。


「単純に考えれば、勘十郎に付けた家臣らか」

「分かりやすいな。それに母上が乗ったとも考えられるが」

「御前様が……」

「もしくは、母上が主導で家臣らが乗ったか。勘十郎自らが求めた可能性もあるか?」


 寒々しい話をしているはずなのに、やはり吉法師の顔は愉しげであった。「敵対するならば容赦はせん」と表情が語っている。

 だが万千代は気付いて小さく溜め息をついた。これは“強がっている”のだと。


「なんせわしは“大うつけ”じゃからな」

「楽しげに仰いまするな、殿!」

「何じゃ爺。苦言はいらんぞ」

「爺めが何を云おうが、殿は聞いて下さらないではありませんか」

「爺の云う事は古臭くって退屈であるからな」


 ふん、とそっぽを向きながら吉法師は云う。政秀はがっくりと肩と頭を落とし、勝三郎に慰められていた。その様子を見ながら、信秀は軽快に笑う。


「吉法師、そう云ってやるな。爺はそなたが心配なのだぞ?」

「それは分かるが、退屈は退屈ぞ。天王坊てらの坊主共の話の方が愉快じゃ」

「勉学に熱心な事には感心するがなぁ」


 幼い頃より通い詰めている寺の名前を出して、吉法師は云う。さらには「牛頭天王ごずてんのうの話は面白い」と楽しげに語り始めてしまった。

“うつけ”と呼ばれているが、吉法師に教養が無い、なんて事は一切無い。それは万千代が保障する。本人の云う通り、坊主らの小難しい話も熱心に聞き覚えていたし、漢詩も読めるし歌だって稀に詠う。

 ただその歌を残す事を恥ずかしがってしまうだけで。


(この前書き残そうとしたら殴られたもんなー)


 万千代は善い歌だと思うのだが。当の吉法師は「たまたま口ずさんだだけぞ」と云って照れてしまう。その照れ隠しが暴力へ直結してしまうのは考えものだが、分かってしまえば可愛いと云えなくも無い。


「殿ー、柴田様たちのおはなしは善いのですか?」


 思わぬ所から話題の軌道修正が入った。政秀の膝の上でうごうごしていた勝三郎だ。幼いその声に「あ、そう云えば」と云わんばかりの顔になる主君父子は、根本的には呑気なのかも知れない。


「さて、如何したものかな」

「わしが他の者どもにも“下”を見せれば早くないか?」

「やめて下さい」「やめて下され!」「やめてください」

「うむ、やめておけ。また妙な噂が立っても困る」

「そうか。手っ取り早いと思うたのだがな」

「殿、恥ずかしくないんですか?」


 裸体を晒すと云う事は、恥ずかしい行為である。特に身分の高い人間は、人前でそうそう肌を晒したりはしない。吉法師のような格好をしている大名の子などはまずいないのである。

 しかし万千代の問いかけを聞いた吉法師はきょとんとして、


「妙な事を申すな、万千代。わしの体のどこに恥ずかしい所がある?」


 ――などと云うので、万千代はぐってり畳に倒れ伏してしまった。


(いや、確かに綺麗ですけどね! 綺麗な御体ですけどね!)


 そう云う問題では無いのである。しかし其れを懸命に吉法師へ説いても、少しの理解も得られないだろう事が容易に想像出来てまたぐってりしてしまった。

 この御方に掛かれば、二形である事すら瑣末に思えてしまうのであった。


「まぁ、権六は善く善く分かっただろうから、妙な噂も立ち消えるとは思うけどな」

「さて、流した人間にもよりそうだがな。古渡へまた顔を出すか」

「出してやれ、出してやれ。弟妹らも側室らも会いたがっていたぞ」

「そうか」

「俺の側室ものに手を出すなよ?」

「父殿じゃあるまいし、誰が出すか! 人のモノにまで手を出して、恥を知れ!」


 軽くであるが取っ組み合い出してしまった父子を、万千代と政秀は慌てて止めに入る。この二人の愛情表現の一環なのであろうが、見ているこちらは心の臓が持たないのでやめて欲しい。



 ――この「吉法師は女子である」と云う小さな噂が、後々とある禍根と縁を生む事になるのだが。

 今はまだ、誰一人として知る由もないのであった。



「ところで、権六はまだ起きないのか?」

「まだ魘されておりますなぁ……」

「こう、わしが隣りに寝てだな。目を覚ました権六へ気だるげに、「よう眠っておったな。初めての事で疲れたか?」と云ったらどうなると思う?」

「やめて差し上げて下さい!」

「下手をしたら切腹なさいますぞ!」

「おもしろそうでいいと思います!」

「勝三郎、自重して」


 こっちの方が先に書き上がってしまいました……。

 信長公へのむらむらが中々発散されないようで。だって調べれば調べるほどに面白くって素敵なんですもの信長公ー!

「やだ、信長公優しい……(トゥンク)」なんて当たり前ですよね。この方マジで後世のイメージが悪いだけで善い方じゃないのかと云いたくなります。焼き打ちと皆殺しの話が多いけど、無意味な殺戮はしてないんですよね。当時関わりを持った人達からの評判は結構いいし、逆に江戸に入ってからの方が悪い感じが……。ちょっとー竹千代ー、どう云う事よー(棒)。

 ちなみに信長公関連で細川忠興のとある一面を知って目ん玉飛び出ました。ただの戦国ヤンデレDQNとか思っててごめん忠興! あなためっちゃ素敵な人やったね!←



・織田信長(吉法師)

 露出癖になりそうな悪寒。←

 弟妹を可愛がってたのは本当っぽいですね。第一次信長包囲網の際に弟が何人か打ち取られた時、相手を全力で殲滅して報復したり。母親の取りなしはあったとは云え、一度は信行許してるし。その子供らは厚遇してるし。弟妹ではなく兄ですが、信広とは散々やり合ったのに和解した後は頼りにしてるっぽいんですよね。お市の方は云うまでもない……。そら十四歳くらい? 年の離れた妹は可愛かろうよ……。ふふふ……。

 身内に甘い信長公可愛い。実は気遣い屋でそのせいで謀反されまくったとかたまらん可愛い。←


・織田信行(勘十郎)

 なーんーでー幼名残って無いのちょっとー! そんな訳で、また別名から持って来てしまいました。それも勘十郎なのか勘重郎なのか……。名前の方も自分では信勝だったり達成だったり信成だったり。

 立花宗茂もころころ名前変えてたって聞きましたけど、そう云う感じだったんでしょうか……。

 母親に可愛がられてたなら、素直で可愛い子だったのかなー(幼い頃は)と想像しつつ。周りから、「貴方が織田を継ぐべき!」って云い続けられたら、性格にも影響出そうだわー。


・丹羽長秀(万千代)

 既に苦労性の気配びんびん。作者は苦労性好きなんで、出番増えますねきっと!←

 信長公との出会い辺りも想像・妄想・捏造して書きたい所で御座る。


・池田恒興(勝三郎)

 吉法師の薫陶(笑)を受けて、隠れやんちゃッ子(身内にはばればれ)な感じに。

 十歳で小姓になったって事は、優秀な方だったのか。それとも信長公が望んだのか。想像してにやにやがとまりません。


・織田信秀

 信長公がどんなに“うつけ”と云われ身内や家臣から文句云われても、跡取りは信長公であると譲らなかった辺り、仲良し親子なイメージがあって。今回そこを結構推したつもりです。明け透けな会話しすぎだろと自分でも思いましたが!

 信長公へすぐに那古野城を譲って正室を伴って古渡城へ……。結構、御幼少のみぎり寂しい思いをしたかも知れませんね、信長公は。


・平手政秀

 色んな話を読んで、信長公の行動を見て。……本当に諌死だったのかなぁ……とか思ってしまうのは、私が信長公贔屓だからでしょう。理解はしないまでも、受け入れてはいてくれたんじゃないかなと考えたくなるのでした。

 信長公お寺建ててるもん……大好きやろ……。


・土田御前

 どうにもこわーいイメージが付きまといますお母様。

 母親が長男を疎んじて次男を可愛がるのは戦国時代よくあったそうですが、それってやっぱり、長男は家督を継ぐのであれこれ教育を受けるために早々と母の手から離れるからなんでしょうか。会い辛いとか、次男は会い易いとか。土田御前の場合は、信長公が本当に幼い頃に離れてしまってますし、しかもその乳母が側室になっちゃってるしで……。

 御前も辛かったのでしょうかねぇ……。


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