第三話【縛られた野犬】
───────「ココは何処だ……」どれほど眠っていただろうか。ト壱は意識を取り戻した。
重い瞼を無理やり開けたその光景は、見覚えのない場所。
ヒビ割れたコンクリートの天井、壊死した皮膚の匂い。
そして、動かすことの出来ない腕と脚。何か、革製の帯のようなもので締め付けられているのを感じる。
外界の光すら差さず、黄ばんだ蛍光灯の病的な眩しさが部屋を照らしている。
意識朦朧とする中、ト壱は自分がベッドのような台に、仰向けになっている事に遅れて気がついた。
「─────気が付きましたカ。白骨さん」
突然、聞いた事のある声が耳に入る。横からひょっこり顔を出した伊助の声だ。
ト壱は、腕を拘束している拘束具を、ガチャガチャと揺らす。
しかし、金属製の留め具が擦れる音を響かせるだけだ。
「貴様か所長……何企んでんだ」
ト壱は伊助を睨みながら、後頭部に未だ響く痛みに悶えている。
伊助は不気味な笑みをト壱に見せながら、シワシワの手をベッドの縁に置く。
「安心してください。腕の拘束は、暴れられないようにしているだけデス」
その言い方が、かえって不安を煽る。
「ココは……何処だ」
ト壱がそう問うと、伊助は少々考える仕草をする。
「そうですねェ……」伊助はその問いに対し、話し始めた。
「どうせ覚えていられませんし。多少話したところでデメリットも無いでショー」
その一言で、ト壱の喉が詰まる。腕の拘束を揺らすスピードが上がり始める。
「ここは『仕事』を与える場所ですよ。 しかし、職業訓練所とはワケが違いマス」
伊助は、静かに続ける。ト壱の目を、優しく、我が子を見るように覗く。
「犯罪者─────社会に戻っても居場所のない人。必要とされない哀れなドブネズミ……あなたのような方々にデス」
ト壱は歯を食いしばる。鋭い眼光が伊助を照らすようだった。
「刑務官は知ってるのか……ココの実態を」
ト壱は再び問う。
それに対し伊助は「ククク……」と気味の悪い笑い声を、喉で鳴らす。
「いえ─────刑務所はおろか、政府は何も知りませんよ。
お国の上の方々にとって、ここはタダの『更生施設』としか思ってまセン」
「どうせバレるぞ……こんな、あからさまな監禁なんて──────」
「バレても構いまセンよ────────それに、今更気が付いたところで、既に『我ら』に対処する方法など無いでしょうがネ」
そう言いながら伊助は、いつの間にか手に取っている、注射器のピストンをゆっくりと押し始める。
その注射器から、ト壱の左腕に刺さる管へ薬品が流れてゆく。薬品は深緑の毒々しい液体。ト壱の腕の中へ徐々に侵入する。
「な、何をしやがるジジイ!!!」
ト壱の怒鳴るような言葉は、もう伊助の耳には入らない。伊助にとって、今のト壱はモルモット同然である。
伊助は、ただ穏やかな声で一言を発するだけ。
「舌───噛まないでくださいネ」
───────次の瞬間、ト壱の腕に冷たい感触が走る。
同時に、電気が走ったような刺激。血管を伝い、左腕に苦痛を植え付ける。
痛み、痺れ、ト壱は唸る。
「ウッググァァァァァ──────!!!」
ト壱は「フーッフーッ」と獣のように息を荒らげる。その痛みはたちまち、全身を左腕から順に循環していく。
早まる鼓動、脳をほじくり返すような痛み、息が出来ぬほどの圧迫感。
痛みを例えようとすればキリがない。しかし、その痛みの全てが、ト壱を襲う。
「ングゥゥ───────!!!!!」
悶絶。目は見開き、充血する……まるで彼岸花のような血走る瞳。
舌を噛み切らぬよう、歯をこれでもかと噛み締めている。
銃に撃たれるよりも、ドスで脇腹を掻っ切られるよりも───────何千倍という苦痛。
叫ぶ。ト壱は犬のように吠える。
肌の上からでも分かるほど、全身の血管という血管が、深緑に染まっていく。
笑う。伊助は笑い続ける。まるで、イルカのショーを見る子供のように。
泡を吐くト壱。それを見て伊助は興奮している。
気が高揚し、まん丸と目を見開く伊助は、前傾姿勢となりト壱に叫び始める。
「何度観ても美しい……アリの行進を踏み潰すような快感デスよ。
分かりますか? 今私───────『勃起』してるんです。 新たな『存在』を作ることにスゴく興奮してるんですヨ!!!」
痛みの中、ト壱は理解する。
ここは『俺の自由の邪魔をする』場所だと。
ガシャンガシャンとベッドは揺れる。
苦痛は最高段階。より一層、腕へ力が入る。
グググ……と、革の拘束具は上へ引っ張られる。
ト壱は喉が枯れるほどの声量で怒鳴った。
「俺ァ……真っ当に生きるんだ──────!!!!」
感じていた激痛。それはやがて、ト壱の怒りへと変換された。
それは、はち切れんばかりの拘束具から見て取れる。
グイグイと引っ張られる拘束具の金具は、ギチギチと音を立て捻り曲がっていた。
ト壱の腰は浮かび上がり、海老反りになる。
アドレナリンの分泌により、もうト壱は『痛み』など頭に入ってこない。
今はただ、『自由』への渇望がドンドンと胸を叩く。
皮膚が裂けそうなほど、血管を浮かばせ力を込めている前腕。
その拘束はやがて──────────解かれる。
───ガッシャァアン──────────!!!!
拘束具が、有り得ない速度で吹き飛んで行った。その音は研究所の地下に響いた。
両腕が空を切ると同時に、右脚、左脚と拘束具は跳ね飛んでいく。
ト壱の四肢は今や、『自由』である。
伊助は、一時の自由を掴んだその腕を見つめている。
「な、なんという力────!!」
伊助は驚愕した。口を大きく開き、仰け反るように立っている。
しかし、その表情には『喜び』が滲み出ており、不気味な笑みを浮かべていた。
ト壱はベッドから獣のように飛び上がる。
そして一瞬──────伊助が身構えるより早く飛びつき、老いて皮膚が弛んだ細い首を、右手一本で締め上げる。
ググググ───と腕に力を入れ続け、ト壱は伊助の背中を、独房の鉄格子へ叩きつけた。
ガシャン! という錆びた鉄の衝撃を、伊助は強く受け止める。
ト壱は怒鳴った。伊助を睨み、鼓膜を破壊するほどの声量で、怒鳴りつける。
口の両側から、泡のような唾液をダラダラと垂らしながら。
「貴様─────終わらしてやる!!!」
伊助の目は涙ぐんでいた。しかし、その涙は恐怖から来るものではない。
嬉しさが限界を迎え出てきた、歓喜の涙。
ジョボジョボ─────と白衣のズボンを黄色く濡らし、震える声で口を開いた。
「せ、成功だ白骨さん───君はもう人間じゃない!!
私が作り出したんだ……生物兵器『BONE』を!!!」
ト壱は左手を振り上げる。
拳を強く握りしめ、その狙いは伊助の頭に定めている。
獣のような、「フーッフーッ」という息遣い。血走る眼。まるで怒りを前方へ放つような『覇気』がそこにあった。
しかし、この状態でもト壱は冷静さを保っている。
「オイ、テメェ……なんなんだその『BONE』ってのは───!!!」
伊助の表情から未だ喜びは消えない。
ト壱の問に、苦しみながら答える。
「き、聞いたところで貴方は覚えてない。記憶改ざん手術を施し、命令しか聞けぬようにするからな─────しかし、強いて説明をするならば、『我ら』の生物兵器の総称だ」
「生物……兵器だと? 『我ら』って誰だ。どこの馬の骨だ」
「そうだな───────それは脳ミソイジった後に教えてやるヨ!!」
瞬間────────ト壱の腹部へ、メリ込むような痛みが走った。
伊助が右膝を、力強くト壱へ向けて蹴り込んでいた。
ト壱の口から、血とヨダレが合わさった体液が飛沫を上げて溢れる。
「カハッ───────!!!!」
ト壱の身体が宙に浮く。胃や腸が背中まで押し潰され、腹の奥まで貫くほどの衝撃に悶える。
バタリ───と地面に伏すト壱。
伊助は首をさすりながら、身体を丸めるト壱へ向けて話を始めた。
「この研究所にいて、貴方達と一緒にいる以上───私も丸腰じゃあいられませんヨ。
いい機会です。同じ『BONE』同士、お話しましょう」
何とか身体を起こすト壱。立ち上がるやいなや、拳を固めて構えを取る。
ヤクザ人生において、格闘技などマトモに習ったことが無い。
長年の喧嘩で培った、完全な『感覚』だけのファイトスタイル。
左半身を前へ。拳の高さを顔まで上げ、見よう見まねで作り出した『ボクシング』の様な構えを完成させた。
ト壱は拳で、口元の血を拭う。
「お前もその生物兵器ってヤツなのか──────俺と一緒にするな。俺は違う」
「一緒ですとも。仲良くしましょう白骨さん。
貴方がどんな兵器になったかは知りませんが、腹を割ってお話しまショー」
伊助は白衣の袖をまくり、細々とした前腕をト壱へ見せつける。
そして、皮が垂れているその腕へ力を込めると、ト壱の理解を超える現象が起こり始めた。
──────伊助の前腕はグングンと正気を取り戻したかのように膨れ、あのミイラのような腕がみるみるうちに『筋骨隆々』のたくましい腕へと変貌を遂げた。
ト壱は理解できなかった。しかし、生物兵器と変えられてしまうということはこういう事かと、目の前の現象から理解する他なかった。
伊助は自慢げに、そのマッシブな前腕を見せつけている。
「──────これが私の兵器として授かった力……スーパーパワーなのですヨ。名を冠するのなら『血液製造局』でしょうかネ。
私の力は一言で言えば『骨髄から生成される血液を操る力』なのデス」
伊助の説明を聞いて、今まで起きた事象の合点がいった。
気配もなく背後に現れたり、超人的なまでの膝蹴りを放つことが出来るのはこの力があるからだと確信した。
『血液』を大量に増幅させ、特定部位の血管を膨張し、筋力増強していた。最初の時も、気配もなく現れたのではない。超人的な脚力で、何処からか『飛んできた』のなら辻褄が合う。
脚に送れば超人的な脚力、腕に送れば超人的な怪力を得られる
────そういう力なのだ。
そしてト壱は考える。
目前に立つこの老体でさえこの能力を手に入れている……ならば、自分にも秘められた力があるのかも知れない。
『このピンチを乗り越える切り札』が、この体に宿っているのではないのかと。
ト壱はダメ元で右腕に力を込め始める。
「何か……何か出てこいよ……俺の身体ァ!!!」
出し方なんて知らない。そもそも、本当にそんな力があるのかすら分からない。
それでも今は、己の身体に賭けるしかなかった。
その光景を見ていた伊助。ト壱の能力が出てこないのが分かると、その超人的なまでの脚力でト壱の懐へ入り込む。
「さっさと地に伏せロ!! 今出せなくとも、記憶を消したあとに訓練すれば出せますからネ!!!」
伊助の右腕は一瞬にしてパンパンに膨張する。前腕はまるでゴリラを思わせるほど太くなっている。
さらに、血液が急激に送り込まれたことで、皮膚が赤く染めあげられている。
狙いは『殴ること』一択。大振りなその拳が、ト壱の顔面に目掛けて放たれようとしていた。
「終わるのは白骨 ト壱、貴方だァァア─────!!!」
まるで大砲のように放たれる巨腕。能力を出すことに夢中だったト壱は、反応が遅れてしまった。
しかし、そんな状況でも焦りや後悔はない。そして『防御』もしない。
ただ────────自分に秘められた『力』を信じて、伊助と同じく『大振りな右ストレート』を放った。
「うぉぉぉぉおおおおアアアアアアアアア!!!!!」
腕のサイズは一目瞭然、ト壱の腕より二周りも伊助の腕は太かった。
この差では、悪くて右腕の複雑骨折。良くても相打ちが上等。勝ちへの確信はない。
(俺は昔から、幾度となくブン殴ってきた……それは自分の『意志』を貫くためだ。今放ったこの拳も、俺の『自由への意思』を通すためにブン殴ってんだ!!!)
───────しかし、その拳同士がぶつかるコンマ数秒、ト壱の拳に突如として異変が起きた。
何か……感じたことの無い筋肉の動きが、ト壱の右手を叩く。
(──────な、なんだ……この感覚は!! )
痛みでも、苦しみでもない。これは、ト壱に与えられた『能力』他ならない。
右手へ瞬間、変化が起きる。
────────メキメキメキィイ!!!!!
ト壱の右拳が、目に見えて変形する。
各指の付け根から、ボコッボコッと浮き上がり露出する『黄ばんだ白い硬質物』……トゲトゲしく、そして物騒な形状。
その全貌、正体……それは──────
「なんだこれ─────ほ、『骨』か!?」
『骨のメリケンサック』───────衝動的な攻撃の表れ。
膨張した伊助の拳と、骨のメリケンサックを装備したト壱の拳。同時にぶつかり合う。
言葉では言い表せない轟音……バゴォオーンと言うような、二人が聞いた事のない『衝突音』が、研究所内を響き渡った。
膨張した拳を受け止められた伊助。その奇っ怪なト壱の拳を見て確信した。
「ハハハハ!!! なるほど──────『外骨格』でスカ!!
『外骨格を自身に形成する能力』……元々人間に備わっていない身体機能を手に入れましたネ!!」
伊助とト壱は、お互いに拳を引き、そして再び戦闘態勢へ戻った。
ト壱は一瞬だけ、自分の右拳へ視線を落とす。
黄ばんだ白骨が、指の付け根から拳を包み込むように形成されている。 握れば、ギチギチ……と骨同士が擦れるような感触。 痛みはない。
自分の身体なのに、自分の身体ではないような──────奇妙な感覚。
「骨……『外骨格』……メリケンサック……」
伊助はその様子を見ながら、歓喜に震えている。 先程まで膨れ上がっていた腕へ更に血液を送り込み、赤黒い血管を皮膚の上へ浮かび上がらせた。
ゴリラと言う表現では足りないほど太ましく、まるで『タイヤ』を思わせる。
「あぁ……良いですヨ、白骨さん。とても興奮しますヨ……。一緒に『兵器』として、愛であいましょう!!!!」
『兵器』─────その言葉を聞いた途端、ト壱の眉間へ深い皺が刻まれた。
白骨で覆われたその拳、それは顔の前に構えられている。
確かに、こんなモノを生やしている人間を『普通』とは呼べないのかもしれない。
だが──────
「勝手に人の身体イジくり回しといて……『兵器』だァ?」
ト壱は血の混じった唾を、床へ吐き捨てた。
「知ったこっちゃねぇなクソジジイ。」
左脚を前へ。腰を落とす。
先程よりも強く拳を引き絞り、伊助へ向けて左拳を構えた。
「俺は兵器じゃねぇ。初めてだ、被害者側に立ったのはな」
前を見れば、伊助の口角が、耳元まで届きそうなほど吊り上がっているのが見える。
「ククク……いいでショー」
両脚が膨れ上がる。
細かった老人の脚に、異常な量の血液が流れ込んでいく。 ズボン越しでも分かるほど筋肉が隆起し、靴底が床をミシリと鳴らした。
「では──────性能試験を続けましょうカ?」
「オイ、誰が誰の試験をしてるって?」
ト壱は笑った。刑務所を出てから、まだ一日も経っていない。
ようやくシャバへ戻ったと思えば、訳の分からない研究所へ連れて来られ、頭を殴られ、縛られ、薬を打たれ────挙げ句の果てには『人間じゃない』とまで言われた。
散々な一日、それでも─────また檻へ戻るつもりだけは、毛頭なかった。
「──────こっからは『喧嘩』だ、クソジジイ」
同時に床を蹴り加速する二人。
白骨の拳と、赤血の拳。
二つの異形が、再び互いへ向けて振り抜かれる。
白骨 ト壱。
出所初日、真っ当に生きるために選んだ『更生プログラム』によって───────彼は、人間を辞めさせられた。




