第二話【出発地点】
──────照りつける猛暑の中、約一時間。電車を二本乗り継ぎ、ト壱は研究所の最寄り駅へ到着した。
プシュゥゥ────と、ホームドアが開く。
冷房の効いた車内から一歩降りた瞬間、再び真夏の熱気が襲いかかってきた。ト壱はあまりの暑さに顔をしかめる。
駅を出れば、刑務所周辺とは違って人通りは少なかった。
高い建物も減り、住宅と倉庫のような建物がちらほら並んでいる。そしてミーンミーンと蝉の声だけが、やけにうるさい。
ト壱は資料を取り出した。紙面に載っている、真っ白な建物。
『木鼓研究所』
その名前を見ながら、ト壱は口元を歪めた。
「三ヶ月の辛抱か。」
資料を折り畳み、レザージャケットの内ポケットへ突っ込む。
そして、研究所へ続く道を歩き始めた。
住宅地を抜けると、左右が木で生い茂る山道へ続いていた。
道は一応舗装されているが、路肩に目をやると雑草が茂り、大小様々な小石がゴツゴツと顔を覗かせている。
車道とは言い難く、無理やり山を切り拓いた獣道のようである。
───────そして歩くこと20分。ふと顔を上げれば、目的の建物が目に入ってきた。
まるで白い要塞。清潔で大型病院のような建物の前には、『木鼓研究所』の文字が刻まれた記念碑が鎮座している。
「ここか───例の研究所とやらは……。」
汗を拭いながらそう呟く。
ト壱は、資料を握る手に無意識に力が入っていることに気づいた。
この建物を前にして、胸の奥がわずかに熱を持っている。
ト壱にとって、研究所は言わばチャンス。何も持たぬト壱に残された唯一の『出発地点』だと感じているのだ。
ト壱はジャケットを今一度整えながら、研究所の入口へ歩く。
研究所のガラス張りの自動ドアがウィーン……と開く。抜けると、そこは大学病院のようだった。
刑務所のカビや湿った匂いを嗅ぎ続けたト壱にとって、研究所に充満するアルコールの清潔な匂いは新鮮に感じた。
ト壱は中央に位置する、受付であろう円形のカウンターへ進む。そこには、清楚で美しい、黒髪の女性が立っている。
10年ぶりにする女性との会話。何故か鼓動が早くなり、顔が強ばっている。
「えーと─────」
声が詰まる。「ン゛ッン゛!」と咳払いをして、意味もなくジャケットの襟を整えた。
「今日から世話ンなる白骨という者だが。 今日刑務官が紹介状を書いてくれてて……。」
ト壱は研究所の資料をカウンターの上に置く。
カウンターの女性はト壱を一瞥し、長い髪をかき上げ、手元のパソコンにカタカタと何かを打ち込む。
カチッカチッ────数回のクリック音が鳴ると、女性は顔を上げ、ト壱へ微笑みながら話す。
────見た目も可憐ながら、その声も美しい高い声である。
「えぇ、お待ちしておりました白骨 ト壱様……本研究所長の木鼓が、直々にお迎えに上がりますので、もうしばらくお待ちください。」
──────そう聞くや否や。突如、ト壱の背後から男の声がした。
こもったような、鼻の詰まったような……声の主が老体だとわかるような声。
足音ひとつ無かったというのに、背後に誰かがいる。
「ほぅ、噂をすればなんとやら……カナ?」
ほんの2、3秒────すぐ聞こえるその声に、ト壱は息を飲んで振り向く。
そこには声の主……いかにも博士風の、白い衣装に身を包む高齢の男が立っている。
身長は162cmのト壱より少し低く、鷲の嘴のような尖った鼻が目立つ。
しかし、ト壱が一番気になるのは、女性と話すその瞬間まで、そこに人の気配はなかったこと。
(ど、何処から来やがったんだこのジジイ! )
後ろから近づく足音さえ聞こえなかったのにどうやって。
ト壱はそれ相応に修羅場をくぐってきた人間である。背後に気配ひとつあれば、すぐ飛びかかっていたハズなのだ。
その男は、驚くト壱の顔を見ると、更に話し続ける。
「私がこの研究所を管理している『木鼓 伊助』という者です。 貴方が紹介状に書いてあった、白骨 ト壱さん……ですカナ? 」
伊助と名乗る男────その笑顔はあまりに穏やかで、ト壱は逆に、理由の分からない居心地の悪さを覚えた。
短く「あぁ……よろしく。」とだけ、ト壱は答える。
その返事を聞くと伊助はまた話し続けた。
「貴方は───10年もの長い間、社会から切り離されていたようですねぇ。 しかしもう大丈夫。 ここでは、貴方のような人達を助ける活動をしているんですヨ。
『更生プログラム』───まずは部屋でじっくりお話しでもしませんカ。」
ト壱の心は『危険信号』を発令している。彼の勘から来るものなのか、無意識にト壱に警戒心を持っている。
しかし、ここで『やっぱ辞めておきます』と言えば、シャバへ復帰することは叶わない事も知っている。
『やり直す』ために────ト壱は心の警鐘に逆らい、伊助の後へ続き、通路を進む。
ト壱は伊助を追うように、研究所のエレベーターへ乗り込む。
押された階のボタンは『地下15階』────嫌に深く潜るなとト壱は感じた。
それだけではない。エレベーターのボタンが1、2、3階までしか存在しないのだ。
ト壱は先程、外から研究所を見上げていた。その際、少なくとも3階だけという規模ではなかった。
10階────確実にあったハズである。
(なんだ……まさか3階から上はハリボテなのか? )
エレベーターのボタン以外に目をやれば、他は至って普通に見える。しかし、地下へ進むにつれ、ト壱はやはり警戒する。
伊助は依然、にこやかにエレベーターのドアを見ている。
「さすがに深いな地下15階は……アーケードゲームのダンジョンでもあるまいのに。」
ト壱はつい言葉を漏らす。
緊張、警戒、期待……様々な感情が入り混じった、伊助への語り。
しかし、伊助はト壱へ「心配しなくてもいいですヨ。」と一言発するのみ。
そうしているうちに、約2分の時間をかけて、二人は地下15階へと行き着く。
ウォーン─────と、エレベーターのドアが左右へ開き、二人は外へ足を踏み入れる。
地下15階─────ト壱は警戒し周囲を見回す。そして、どこか見た事のある場所だとデジャヴを感じる。
コンクリートの壁、鉄格子、呻き声をあげるオレンジの服を着た人々。
足枷の鎖がジャラジャラと音を上げる─────既視感。
「──────ここは……。」
瞬間、ト壱は気が付く。心の危険信号は、今や最高潮を迎えている。
鼻から入るのは、湿った匂い。汗や垢の不潔な腐敗臭……期待よりも後悔が上回る。心臓の鼓動、ドッドッドと加速し続ける。
10年前に入れられた監獄が、今ト壱の脳裏を切り刻むようによぎる。
「こ、ここって─────ムショの中じゃねぇか……。」
ト壱の反応は正しい。東京都内某所の、あの刑務所の廊下と同じ光景を思わせる。
そんなト壱の心配を他所に、伊助は不敵な笑みを見せる。
「クククク……」と、鼻の奥で鳴らすような笑い声。
伊助はト壱へ、静かに話す。
「似てるでショ。 不思議なことに、『人を管理しやすい建物』を突き詰めると、刑務所になるんですねぇ。」
口調がさっきと変わる。まるで冷戦時代の独裁者のような、なにか冷たい感情がこもっている。
「受刑者、罪人、暴漢─────そう呼ばれる人達は、強い力を持っています。 普通の人ならば、殺そうと思って人は簡単に殺せません。」
ニタリと、伊助の口角は不気味に上がる。
「犯罪者は劣ってなどいない。 むしろ、容易く殴れる、襲える、殺せる──────そういう人間は『強い意志』がある。」
やっぱり引き返すべきだった……ト壱は立ち止まり言い返す。
恫喝するように低い声で、番犬のように吠える。
「何考えてるんだ貴様!! 俺に何するつもりなんだ!! この施設は一体──────!!!」
伊助は立ち止まり、ト壱の方へ体を向ける。
ト壱を見るためではない。ト壱の後ろへ視線を移し、一言だけ放つ。
「─────おねんねの時間カナ。」
────ト壱は、後頭部に激痛が走るのを感じた。
『ゴンッ』という、鈍い衝突音。頭の中に反響する。
打撃、ポールやバールのような、棒状のナニカで殴られる感触。
それは電気のように、頭から背中へ、脚へ、痛みは駆けていく。
視界が遠のき、膝が折れるように崩れる。
「痛い」というその言葉さえ出せず、ト壱はその場に倒れ伏した。
まるで伊助へ頭を垂れるように。
ト壱の背後には、伊助と同じく白衣を纏った男が、黒い鉄製の棒を抱え立っている。
彼の持つ鉄製の棒からは、ツーっと深紅の雫が床へ垂れている。




