第一話【人生の再始動】
皆様いかがお過ごしでしょうか?
本作は以前執筆した『BORN ARMS』のリメイク作品となりますが、設定などモロモロ大幅変更しています。
是非最後までお付き合い下さい!!
───────2040年 7月15日……東京都内某所に位置する、鉄筋コンクリート造りの刑務所。
空の表情はまだ、夜の余韻を残した淡い青に染まっていた。
刑務所内の時計が朝5時を指し示す頃、野太い声が所内に谺する。
「206番、開門─────!!!」
怒号とも取れるその声と共に、ガガガガ──ッと錆びた鉄格子の扉が一つ開かれた。
その奥にいるのは、一人の男。
囚人服に身を包み、顔には伸び放題の無精髭。肩にかかるほど伸びた髪も、ろくに整えられずボサボサだった。
見るからに不潔な男は、扉の前で待っていた刑務官に促され、ノソノソと房を出る。
コツン……コツン─────と、二人分の足音だけが、朝の冷たい廊下に響いていた。
────別室。
鼻を刺すような湿った匂いがするその部屋には、二つの椅子と一つのスチール製デスク。
男と刑務官は、デスクを挟んで向かい合う形で着席する。
静寂──────刑務官の腕時計から、カチ……カチ……と秒針の音が聞こえる。
男は椅子の背にもたれ、窮屈そうに首を左右へ倒した。
殺風景な部屋で、先に口を開いたのは刑務官だった。
「206番……今日で出所だな。まずはご苦労。」
刑務官は手元の資料へ視線を落とす。 そこに記されているのは、目の前に座る男の経歴だった。
声を聞くなり、男が少しだけ身体を前へ起こす。
無精髭の奥から覗く鋭い目は、ただ座っているだけだというのに、獲物を前にした野犬じみた威圧感が滲み出ていた。
「やっとか……刑務官。やっとこの肥溜めから出れるんだな……清々したぜ。」
「同感だ。」
その野犬の声に刑務官は淡々と返し、資料を一枚めくった。
出所前手続きというやつだ。
氏名、年齢、身体的特徴。 そして、ここへ送られることになった罪状。刑務官はそれらを順番に確認していく。
「今日からお前は番号で呼ばれなくなるな……『白骨 ト壱』。年齢は今年43歳。……ほう、今日が誕生日か。」
ト壱はニヤケながら、手錠から伸びる短い鎖を人差し指へ巻き付けて遊んでいる。
「ハッ────ドウデモいいなそんなこと。」
刑務官は構わず続ける。
「罪状は暴力、住居侵入、殺人未遂。その他諸々……そして10年の服役を経て、本日出所に至る……と。」
ト壱は何の反応も示さなかった。
読み上げられる言葉を右耳から左耳へ流しながら、デスクの端へ視線を落とす。
過去に別の受刑者が付けたのであろう、小さな爪痕がいくつも刻まれていた。
誰が付けた。 何年ここにいた。 もう出たのか、それともまだ中にいるのか。
そんなことを考えている訳もなく、ただ眺めている。
ト壱にとって、罪状はトロフィーでもなんでもない。武勇伝として自慢する気もなければ、勲章のように誇る気もない。
今のト壱にあるのは、ただ一つ。
『この肥溜めから、さっさと出たい。』
それだけだった。
机の下で貧乏ゆすりをする膝が、少しずつ速くなる。
刑務官は最後の資料を確認すると、それを一つに纏めて机の端へ置いた。そして、ト壱を見る。
「……で。 『反省』はしたか?」
ジャラッ────ト壱の指から、手錠の鎖が落ちた。刑務官へ向けられた目が、僅かに細くなる。
10年……10年だ。ただ、長かった。
20代でもなければ、まだ何者にでもなれる歳でもない。 33でここへ入り、出ていく頃には43。
塀の外へ置いてきたものが、今も同じ形で残っている保証など一つもなかった。
反省が無い訳じゃない。後悔だってある。自分がやったことで傷ついた人間もいる。
だが、今更どれだけ頭の中で繰り返したところで、その10年は返ってはこない。
ト壱はそう無理やり割り切っていた。
返事をしないト壱へ、刑務官は続ける。
「お前は『仁隊組』のヤクザだったな。」
ト壱の眉が、僅かに動いた。
「22で組入り。 鉄砲玉になって、他所の組へ殴り込み……誰彼構わず噛みついた。」
刑務官が資料を指で軽く叩く。
「弾丸を撃ち込まれても帰ってきたことがあるそうじゃないか。
身長162cm。そんな小柄な事もあり、それで付いた渾名が────『イタチのトイチ』……か。」
ト壱は答えない。
「何度放り込まれても噛みついて、何度殺されかけても帰ってくる。鉄砲玉のくせに、しぶとく生き残るチビ……随分と景気のいいこったな。
……だが、そんなイタチも、結局ここに送られてきた。」
ト壱の貧乏ゆすりが止まる。刑務官は少しだけ間を置いた。
「……なるんじゃなかっただろ? ヤクザなんか。」
ガタッ──────ト壱が姿勢を正した。
今まで弄っていた鎖から、指が離れる。
少しの間、何も言わなかった。
やがて鼻から長く息を吐き出すと、背もたれから身体を離したまま口を開く。
「えぇ。自分なりに反省してますよ。」
その言葉だけは、先程までの態度とは少し違っていた。割り切っていた後悔が少しだけ漏れたような、そう感じられる口調だった。
「でも、凄い後悔してるかって言われりゃ……そんなことも無い。」
刑務官は帽子のツバを少し深くし、黙って聞いている。
「俺ァ、暴走族から流れるようにヤクザになった。誰かに首根っこ掴まれて、無理矢理やらされた訳でもない。」
ト壱は一度、机の上へ目を落とした。
「だから今更『全部間違いでした』『若気の至りでした』……って泣いたところで……そりゃ都合良すぎるし、そんなんじゃ俺じゃねぇ。」
そこで初めて、ト壱は刑務官の目を真っ直ぐ見た。
「だが……だからこそ、次こそ真っ当に生きたい。」
部屋の中に、カチッカチッ───っと時計の針の音が戻ってくる。
「ヤクザモンは通帳一つ作るにも苦労する。家借りるのも、仕事探すのも面倒臭ぇ。
それに……うちの組も、暴対法でもう消えたと聞いてる。」
ト壱は椅子へ深く腰を沈めた。
「後戻りはもう出来ないし、俺にそんな道は無いみたいだ。」
口元だけが、ほんの少し吊り上がる。
「だからこそ────進むしかないんですワ。」
ト壱はそう言いながら、胸の奥で決心を固めていた。
硬い鎖のように、『無理やりでもやり直してやる』……その一心を。
しかし、それと同時に少量の不安も残っていた。
外の世界が怖いのか、それとも──────何も残っていないことが怖いのか。
ト壱は外へ出ることが、こんなにも怖いとは思わなかった。
鉄格子の中では、次の一日は必ず来た。だが外の自由、外の責任に限っては、何の保証もない。
険しい表情で思考するト壱。そして、腕を組みながら話を聞いていた刑務官。
刑務官はしばらく黙っていた。やがて腕を解き、鼻から息を吐く。
「────まぁ、反省しているなら良しだ。暴走族の時点で辞めてれば、臭い飯を食わずに済んだんだよ。
とりあえず……出所して不安になるコトの第一位は寝床の問題だろう。組もないお前にアテはあるのか?」
ト壱はフゥーッと息を吐くと、刑務官へまた視線を移した。
「……無いな。 俺の組も、城も、何もかもな。」
見かねた刑務官は、ト壱の資料の下から別の資料を取り出し、パサリとト壱の手元へ置いた。
そこには、『出所後更生プログラム』のタイトルと、『木鼓研究所』の文字。
資料を眺めるト壱へ、刑務官はまた話を続ける。
「正確には民間の更生支援施設だ。元受刑者の住居支援、職業訓練、健康診断……その他諸々。身寄りのない出所者やホームレスを受け入れてる。」
「研究所がねぇ……。」
ト壱は胡散臭そうに片眉を上げ、資料を指先でつまみ上げた。
紙面には白を基調とした大きな建物の写真。 その下には『社会復帰支援』『就労斡旋』『生活環境提供』と、いかにもお堅そうな文句が並んでいる。
「なんか胡散臭いんだよなこーゆー研究施設ってのは。 こんな文章とか、元受刑者に読ませる気がサラサラ無いだろ。」
「お前に胡散臭いと言われたくはないだろうな。 それに、ゲームのやり過ぎだイタチくん。」
刑務官は聞き流し、机上の資料を指先でトントンと叩いた。
「書面上、国から正式に認可を受けてる施設だ。刑務所とも提携している。今までにも何人か、身寄りのない出所者を預かってもらってるそうだ。」
「……『書面上』……言い方、逆に怖ぇな。」
「なら野宿でもするか? イタチなんだから野生に戻ってもいいんだぞ」
途端にト壱の口が止まった。資料へ再び目を落とす。
『住居提供』の四文字、ト壱には妙に目についた。
外へ出れば自由だ。だが、自由だからといって雨風を凌ぐ屋根まで勝手に生えてくる訳じゃない。 組はもう無い。頼れる人間がいるかどうかも分からない。
「……どれくらい置いてくれんだ。」
「原則3ヶ月。状況次第では延長もあるらしい。その間に仕事と住居を探し、準備をしろ。」
「短いんだか長いんだか分からねぇな。」
刑務官は机の引き出しから一枚の用紙を取り出すと、ペンを走らせ始めた。さらさらと紙を擦る音。
ト壱は頬杖をつきながら、その様子を眺める。
「紹介状を書いてやる。今日中に行けば受け入れてもらえるよう連絡もしておく。」
「今日中だァ? 」
「嫌なら何時でもいいぞ。寝る場所があるならな。」
「……今日行きますワ。」
「素直でよろしい。」
書き終えた刑務官は紹介状を二つ折りにし、先程の資料と重ねてト壱の前へ滑らせた。
そして最後に、ト壱の出所に関する書類を手元へ引き寄せる。
朱肉──────印鑑……ト壱の視線の前で、刑務官の手がゆっくり持ち上がった。
バンッ─────と、乾いた音が部屋に響く。
紙の右下へ、『出所受領』の赤い印が押された。
書類を眺めるト壱へ、刑務官はまた話を続ける。
「研究所はここから電車で行ける距離だ。乗り換えがあるとはいえ、迷わないだろう。
──────そしてこれがお前の持ってた所持品だ。持ってけ。」
刑務官がデスクの引き出しから、ト壱の持ち物を机上へ置き始める。
まずは服─────汚れたジーパン
弾痕の穴が残る白いシャツ
そして赤い合皮のレザージャケット。
C-SHAKEの腕時計、ヒビ割れたスマートフォン。
そして最後に、作業報奨金として43万が渡される。
ト壱は服を手に着替えを始める。それを横目に、刑務官はト壱へ一言口に出す。
「─────もうここへは来るんじゃないぞ。バカモノ。」
ト壱は着替えを終えるとジャケットの襟を整え、刑務官へ背を向け、部屋の扉へ歩み始めた。
そして出る直前、ドアノブに手をかけるやいなや、最後に一言残して去るのだった。
「えぇ、気ィつけますわ。」
───────2040年 7月15日、時刻は午前7時。ト壱はこのコンクリートの要塞から、晴れてシャバへ出ることとなる。
ブゥゥーン─────と、鉄製の分厚い門が左右に開く。そこから差し込む、白く眩い陽の光。
外気温は40度……焼けるアスファルトには、揺らめく蜃気楼が映る。
すぐ辺りに目をやれば、汗をダラダラと垂らすサラリーマンや、公園の噴水で水浴びをする子供たちの姿。
ト壱にとって、関わることの無かった『健全』な人々。
ト壱は大きく腕を広げると、大の字に伸びをした。
10年間感じたムショ内での反省、後悔……しかし、出所後最初に感じたのは、開放感だった。
「さて───行くか。」
ト壱は厳しい暑さの中、『木鼓研究所』へ向け足を進めようとする。
──────が。2、3歩進んだところで、ピタリと足を止めた。
「────あ。」
何かを思い出したように、赤いレザージャケットのポケットをゴソゴソと漁る。
指先に、四角い箱の感触。
「……あったあった。」
取り出したのは、少し潰れた煙草の箱だった。
10年前に没収され、そのまま所持品として眠り続けていたもの。 箱の角は潰れ、銘柄が記された『FUNKY STRIPE』表面も薄汚れている。
ト壱は蓋を開けると、中には数本だけ残っていた。
「ハッ……懐かしいねぇ。」
一本を口に咥える。続けてポケットから古びたライターを取り出し、親指で擦った。
カチッ───────カチッ、カチッ。
「…………。」
火がつかない。
「おい────テメェまで俺を見捨てんのかよ。」
苛立たしげにライターを振る。
仕方なく周囲へ目をやれば、道路を挟んだ向こう側にコンビニが目に止まった。
「しゃーねぇなぁ〜……。」
横断歩道を渡り、店内へ入るとたちまち、冷房の風が身体へまとわりついた。
まるで天女の羽衣のように、全身へフワリと巻き付くようだった。
「おぉ……生き返る。」
外との温度差に思わず声が漏れる。店内を見回しながらレジへ向かい、使い捨てのライターを一つ手に取る。
ついでに煙草の棚へ目を向け────ト壱の顔がピタリと止まった。
値札を見る。
一度、目を逸らす。
「イヤイヤイヤ……。」
目をゴシゴシ擦り、もう一度棚を見る。
「─────いや高ッ!!」
10年前より明らかに上がった値段に、思わず声が漏れた。
『FUNKY STRIPE』────その値段は『1100円』……。
急に声を上げた小柄な男……店員がこちらを見てくる。
「……いや、何でもねぇ。」
ト壱は気まずそうにライターだけを購入し、そそくさと店を出た。店の脇。 日陰になっている喫煙スペースを見つけ、そこへ入る。
買ったばかりのライターを取り出し火打石を擦ると、今度は一発で小さな火が灯った。
煙草の先端へ近づける。ジジジ……と、赤い火が葉を焼く。
そして────深く吸い込んだ。
「スゥゥゥ────フゥゥゥ────。」
白い煙が、ゆっくりと空へ昇っていく。
苦くて喉に引っ掛かる。10年ぶりのせいか、少し咳き込みそうになった。
しかし……。
「─────うめぇ……。」
ト壱は目を細めた。刑務所の中では吸えなかった。
たったそれだけのことが妙に嬉しかった。
ト壱は煙草を口に咥えながら、ポケットからスマートフォンを取り出した。
ヒビだらけの画面。 電源を入れてから、妙に長い時間をかけて起動する。
「オンボロめ。」
ようやくホーム画面が表示される。
10年間ほとんど触れていなかったスマートフォン。地図アプリを開き、『木鼓研究所』と入力する。
現在地から最寄り駅まで徒歩16分。そこから電車を2本乗り継ぎ、約一時間。
「おわッ……遠いなァ……。」
スマートフォンを睨み、火が灯った煙草を咥えがら、ト壱は歩き始めた。
───────この日、ト壱の自由が始まると共に、悲惨な冒険の幕が上がる。
そして同時に、『真っ当な人間に戻るはずだった更生プログラム』が、彼を『人ならざる領域』へ引きずり込むことを
────────ト壱はまだ知らない。
読んでいただきありがとうございます!!
長期連載を目指してるので、今後ともよろしくお願いします!




