第二十一話【覆われた男 Part2】
黒い鱗に覆われた巨大な拳が────────垣真の顔面、その目前まで迫る。
「チィッ────────!!」
「喰らえクソガキ!!! 『殴り鱗』!!!」
見えている───────鱗太郎の右肩が動き、肘が伸び、握られた拳が自分の鼻先へ向かってくるその一連の動作。
その全てが『照準眼鏡』によって、まるでスロー再生のビデオのように───────ハッキリと見えている。
「間に合え───────!!!」
垣真は避ける事を諦めた。後ろへ下がる時間も、横へ飛ぶだけの余裕も無い。
ならばせめて、その拳が顔面へ届くより先に───────両腕を自分の顔の前へ。
右手には拾ったばかりの『トレカヴ』、左手には残弾一発の『ニュートウブ』。その二丁を握ったまま、両前腕をバッ───────と顔の前で交差させる。
──────────ドゴォォォンッ!!!!
鱗太郎の右拳が、垣真のクロスした両腕へ衝突した。
「ぐッ───────がァッ!!!?」
それは『殴られた』というより───────走ってきた車の正面へ両腕を突き出した、そんな感覚に近かった。
──────────両腕が、自分の顔面へめり込む。
肘から肩へ、骨の芯まで響くような強烈な衝撃。
鱗太郎の拳の『重さ』と『勢い』は────────垣真の防御ごと身体を持っていく。
「吹っ飛べやァァァァ────────!!!」
垣真の両足が階段から離れた。
身体が浮く。そしてそのまま────────後方へ。
「ぐぁッ!! くッ─────!!」
背中が階段へ叩きつけられ、そのまま数段をゴロゴロッ───────と転がり落ちていく。
肩や腰……身体のあちこちが硬い木製階段へ何度も衝突し、その度に視界が上下左右へ目まぐるしく回転する。
十段近く転がっただろうか。最後は階段の一番下、その玄関口の黒く磨かれた床へ───────ドサッ!!! と背中から落ちた。
「ぐッ……ハァッ───────!!」
垣真は床へ仰向けになったまま、数秒動かない。
両腕が痺れている。特に拳を受けた右前腕、そこは袖越しでも分かるほどジンジンと熱を持ち、指先まで感覚が鈍い。
下手をすれば骨にヒビくらい入っていてもおかしくない──────それほどの一撃だった。
「なんて──────クソ馬鹿力だ……」
それでも───────垣真は『トレカヴ』も『ニュートウブ』も手放してはいなかった。
階段を転げ落ちながらも、両手の拳銃だけは反射的に強く握っていた。
腐っても────────元陸上自衛官である。
訓練で何度も転び、何度も地面へ叩きつけられ、山の斜面を這い、重い装備を背負ったまま走り続けた。
まして垣真は、一般隊員以上に厳しい訓練を経験しているのだ。
たった一発殴られ、階段から転げ落ちた程度で───────そのまま寝転がっているほどヤワではない。
ト壱とは違う『タフさ』を持っている。
「だがまぁ……上官のシゴキほど辛くはねぇさ」
左手を床へ着き、身体を起こす。
片膝をついた状態で顔を上げれば、階段上には────────鱗太郎。
「防ぎやがったかクソガキ」
鱗太郎は右拳を軽く振る───────その拳を覆う黒い鱗には傷一つ無い。
「顔面狙ったんだがなァ───────しぶてぇクソガキだ」
「元自衛官舐めんな……こんなモンで気絶してたら───────山ン中で何回死んでるか分かんねぇよ」
「だったら────────もう一発だ」
鱗太郎が階段を下りる。
いや───────『下りる』などという生易しい動きではなかった。
ダンッ────────!!!
再び階段を強く蹴り、一気に数段を飛び越える。
巨体が、片膝をついた垣真へ向け────────上から落ちてくる。
「休ませろよ───────!!!」
垣真は歯を食いしばりながら立ち上がる。
だが、今度は────────先程と同じではない。
「狙え──────『照準眼鏡』!!!」
右目を閉じる。すると左目へ────────再び赤い光。
その瞬間、垣真の視界が変わる。
階段を飛び降りてくる鱗太郎、その巨体の一つ一つの動きが、また何倍にも引き伸ばされた映像のように見え始める。
だが今度は───────避けるためではない。
防ぐためでもない────────『攻撃する』ため。
(あっちから来るなら───────)
自分より遥かに重く、自分より遥かに力も強い。それなら──────────
(その勢い───────そのまま貰う)
鱗太郎が着地する。
ドンッ────────と床板が大きく軋み、そのまま右拳を振りかぶりながら一歩。
「コレで死ね───────『鱗回転』!!!」
ただの『殴り』ではない。
拳、前腕───────それをまるで『ワインのコルク抜き』のように回転させて放つパンチ。
ボクシングで言うところの──────『コークスクリューブロー』である。
「来いよデカブツ───────!!!」
垣真は逃げない。むしろ─────── 一歩前へ。
「自分から来るとはな──────飛んで火に入る夏の虫ってヤツか!!!」
鱗太郎の拳、その内側。
大男の腕、その懐へ潜り込むように────────垣真は身体を滑り込ませた。
鱗太郎から見れば、自分のパンチへ自ら飛び込んできたようにしか見えない。
しかし垣真の目には、その拳が通る『軌道』が見えている。 拳そのものを避けるのではない。
その腕の下────────最も攻撃が届きにくい位置へ。
そして──────────垣真は右腕を折り畳む。
右手には『トレカヴ』を握ったまま。その銃を握る右拳ではなく───────『右肘』を。
「そこだ───────!!!」
────────ドゴッ!!!
「ぐッ───────!?」
垣真の右肘が────────鱗太郎の腹部へ突き刺さった。
自分から勢いを付けて突っ込んできた鱗太郎。
その速度と、垣真が前へ踏み込んだ勢い。
互いの力が重なるように───────右肘の先端が、分厚い腹筋へとめり込む。
「肺ン中の空気……全部出しちまいな!!!」
垣真の口角が上がる。しかし───────
「───────軽ィな」
感触が──────────おかしい。
人間の腹へ肘を打ち込んだ感触ではない。
肉? 筋肉? 否──────────そんな柔らかさではなく。
『硬い』……それはまるで────────分厚いゴム板の上から、鉄板でも殴ったような。
「まさか───────」
垣真の左目が、鱗太郎の腹部へ焦点を合わせる。
黒いタンクトップの布越し、腹の表面が僅かに盛り上がっている。
そして、タンクトップの隙間から覗く────────黒い『鱗』。
「ア───ハッハッハ〜〜!!」
鱗太郎が笑った。
「残念だったなァ!!」
「また移しやがった───────『鱗』を!!」
先程まで鱗太郎の鱗は、右腕と右脚にあった。
だが今、右脚の鱗が────────消えている。
その代わりに────────腹部。
垣真の肘が当たる寸前──────────鱗太郎は、右脚に展開していた鱗を腹部へ移動させていた。
否───────正確には、垣真が腹部へ攻撃することを見てから、瞬時に防御位置を変えた。
「二箇所って分かってるなら───────こっちだって移せるに決まってんだろうが!!」
「便利な防弾チョッキだな───────!!」
鱗太郎が左腕を振るう。
今、その左腕には────────鱗が無い。しかし、筋肉だけでも、普通の人間とは比較にならない。
垣真は右肘を腹から離すと、そのまま身体を半回転。
「だったら───────こっちはどうだ!!」
左脚、床を蹴る。
腰を回転させ、長い脚を────────鱗太郎の頭部へ。
所謂────────『ハイキック』である。
──────────ブォンッ!!!
「オラッ!!!」
垣真の左脚が、鱗太郎の側頭部目掛けて振り抜かれる。
「甘ェよ────────クソガキ」
しかし、鱗太郎は右腕を────────上げただけ。
バシィィンッ────────!!!
垣真の脛が、黒い鱗で覆われた右前腕へ激突。
「いッ───────てぇ……!!」
蹴った側の垣真の足へ、逆に痛みが走る。 鉄柱でも蹴ったような感触。
鱗太郎の腕は僅かに動いただけで、ハイキックをまともに受けても顔色すら変わらない。
「蹴りも軽ィなァ!!!」
瞬時に、垣真は接近戦を諦める。
左脚を床へ戻すと同時に、鱗太郎の胸を右手で押すようにして───────後方へ飛ぶ。
ダッ───────まるで、跳ぶように。
鱗太郎との距離を──────── 一気に数m離す。
「畜生……コイツと戦うのはト壱の方が良かったぜ」
床へ着地した垣真は、すぐに姿勢を低くする。
右腕はまだ先程のパンチを受けた痺れが残っている。左脚は硬い鱗を蹴ったせいでズキズキと痛む。
(近距離は───────分が悪過ぎるか)
見える──────────攻撃の軌道は見える。
相手がどこを殴るか。
どこへ体重を掛けているか。
どの部位へ鱗を移したか。
それすら見えている。だが────────見えたところで。
こちらの肘は鱗で防がれる。
蹴っても腕一本で止められる。
単純な筋力、体格、防御力……その全てが────────鱗太郎の方が上である。
「だったら───────」
垣真は右手を────────前へ。
握っている『トレカヴ』……その銃口を、鱗太郎へ向ける。
「なら──────『文明の利器』を使わせてもらおうか」
「ハンッ────結局、銃頼みかよ」
鱗太郎が鼻で笑った。
「何発撃っても同じだっ言ってんだろ」
「それは撃ってみなきゃ分からん」
鱗太郎は右腕を持ち上げる。現在、鱗が展開されているのは────────右腕と腹部。
(撃てば───────また鱗を移す)
例えば頭。頭を狙えば、腹の鱗を頭へ移すかもしれない。
左腕。撃てば、また別の場所から鱗を移す。
鱗太郎の防御は完全ではない。同時に二箇所だけ。
だが、銃口と弾丸の軌道を見てから鱗を移動させられるのなら────────単純に撃つだけでは弾丸の無駄。
「どうしたクソガキ───────撃たねぇのか?」
「今どこ撃とうか考えてんだよ」
「だったら考えてろ……距離取ったくらいで────────安全だと思うなよ」
鱗太郎の右腕。黒い鱗に覆われた、その太い腕を────────ゆっくりと後ろへ引く。
垣真の眉が動く。殴る距離ではない。
二人の間には、少なくとも数m。
拳を振ったところで、届くはずがない。
「何する気だ───────?」
「近付かなきゃ───────殴れねぇとでも思ったか?」
鱗太郎が笑う。
「俺の『鱗』はよォ───────」
右肩、筋肉が盛り上がる。
肘、前腕、そして────────『黒い鱗』……一枚一枚が、僅かに逆立つ。
「守るだけじゃねぇんだよ」
垣真の左目。
『照準眼鏡』が────────その異変を捉える。
右腕を覆う黒い鱗、その中の一枚。
手首近くにあった────────大きめの鱗、その根元が。
皮膚からピシッと────────浮いた。
「まさか─────」
「避けてみろやァ────────クソガキィィィィ!!!」
ブォンッ───────鱗太郎が右腕を、横へ振り抜いた。
届かない。当然、その拳自体は垣真から数m離れた空間を切っただけ。
だが、振り抜いたその瞬間。
黒い何かが────────鱗太郎の右腕から飛び出した。
「アレは──────!!!」
高速で、そして薄い。
黒い物体が、回転しながら一直線に────────垣真の顔面へ向かって飛んでくる。
普通の人間なら、『何かを投げた』くらいにしか見えないかもしれない。
だが垣真には────────見えている。
回転しながら飛んでくる黒い物体。一枚の、硬質な──────────
「コレは『鱗』か!?」
鱗太郎の腕を覆っていた────────鱗そのもの。
一枚を身体から剥がし、腕を振る勢いに乗せて、まるで────────投げナイフや手裏剣のように。
─────────こちらへ飛ばしている。
「飛ぶ鱗──────『飛魚鱗』!!!」
鱗太郎が叫ぶ。
飛んでくる鱗、距離────────残り数m。
高速で回転し、その鋭い縁がシャンデリアの光を受けて一瞬だけ白く光る。
あれが顔へ当たれば、切れる───────どころではない。
硬度は────────拳銃弾を防ぐほど。
そんな硬い板が高速回転しながら顔へ飛んでくる。
眼球だろうが、頬だろうが、どこへ当たっても────────タダでは済まされないだろう。
避けるか? いや、身体が────────間に合わない。
見えている───────鱗が回転する速度も、軌道も、角度までも。
だが、横へ飛ぼうとしても────────間に合わない。
「だったら───────」
垣真の右手に握られた『トレカヴ』の銃口を────────飛んでくる一枚の鱗へ。
「撃ち落とす!!!」
赤い左目の十字線はとらえている。
回転する鱗の中心。その僅か数cmしかない────────黒い標的。
『飛んでくる小さな物体へ銃弾を当てる』だなんて、そんな芸当────────常人には出来るはずがない。
だが、垣真には────────『見える』という強みがある。
「───────『見えた』ぞ」
人差し指が────────引き金を引く。
──────────パァンッ!!!
『トレカヴ』から弾丸が放たれる。
前方から飛んでくる────────一枚の黒い鱗。
銃口から飛んでいく────────一発の弾丸。
二つの軌道が、垣真の赤い左目、その中心で────────完全に重なった。
──────────ギャキィィィィンッ!!!!
空中、垣真の顔面の──────────その僅か手前。
弾丸と────────『鱗』
硬質な二つが真正面からぶつかり────────激しい金属音と共に、互いに弾け飛んだ。




