第二十話【覆われた男 Part1】
──────────ドシィィィィィィンッ!!!!
穴富会本部、その巨大な玄関口。外から聞こえてきた。
────────腹の底までズシンと響くような、重たい衝突音。
巨大な赤い階段、その中腹に立っていた垣真は僅かに視線だけを横へ向ける。
つい先程、ト壱とあの獣脚の女が飛び出していった方向……何が起きたかまでは見えないが───────どう考えても、普通の人間同士が殴り合って出るような音ではない。
「また派手にやってんな、あのおっさん」
「他人の心配してる余裕あんのか? クソガキ」
低い声を聞き、垣真は────────再び正面へ顔を戻した。
階段の一番上。そこに立っているのは、先程現れたもう一人の『大男』。
完全に剃り上げられたスキンヘッド、黒いタンクトップに色落ちしたジーパン。
身長は180……いや185cmはあるだろうか、何より服の上からでもハッキリ分かるほど全身の筋肉が膨れ上がっており、首から肩にかけての太さだけでも垣真とは一回り以上違っている。
そして────────その両腕。肩から肘、前腕、手の甲付近まで、その皮膚表面を覆い尽くすように黒い『鱗』がビッシリと生えている。
魚───────いや、部分によっては『鰐』の皮膚にも見えるそれは、一枚一枚が厚く硬そうで、それらが互いに隙間なく重なり合い、天井から吊るされたシャンデリアの光を受ける度にヌラッ───────と黒く鈍い光を返していた。
「女の脚といい、随分わかりやすい能力だな」
垣真は男を見上げ、大男もまた階段の上から垣真を見下ろす。 上と下───────互いに数段の距離を空けたまま、どちらも先に動こうとはしない。
だが、垣真が見ているのは目の前の男だけではなかった。 視界の端、階段の右側───────木製の手すりと壁との僅かな隙間には、一丁の黒い『自動式拳銃』が落ちている。
(あの『トレカヴ』を手に入れれば──────)
先程『照準眼鏡』で確認した、現在でも裏社会では時折出回っているという八弾装填の自動式拳銃───────『トレカヴ』
恐らくは穴富会の組員が所持していたモノで、この大男か、あるいはあの獣脚の女と戦った際に落としたのだろう。
垣真からの距離は右へ約2m──────たった2m。走って飛び付けば一瞬で手が届く距離ではある。
しかし───────目の前にはこの大男。
(普通に取りに行きゃ───────返り討ちも視野に入るな)
現在、垣真が持っているのは研究所から持ち出した五連発式リボルバー────────『ニュートウブ』……そして、その残弾はたったの二発。
たった二発で、目の前の男をどうにかしなければならない。能力の詳細は不明、見ただけで分かるのは両腕を覆っている黒い『鱗』だけで、それがただ硬いだけなのか、それとも衝撃を吸収するのか、あるいは太寛や雀のように見た目とは別の機能まで隠されているのか────────────現時点では何一つ分からない。
「何だ? 黙り込んじまってよ。さっきまで随分と余裕そうだったじゃねぇか」
「アンタと違ってよく『見る』性格だもんでね」
「口減らねぇクソガキだ」
大男は太い首を左右へ曲げ、ゴキッ──────ゴキッ……と骨を鳴らした。
その音が誰も居ない穴富会本部の玄関へ妙に響き、男は思い出したように「あぁ、そういや」と口を開く。
「紹介が遅れたな」
「なんだって?」
「俺の名前だよ」
大男は自分の胸元へ親指を向ける。
「俺は───────『助入 鱗太郎』……覚えておけ」
「──────────嫌だね」
垣真は即答した。
「戦う前から自分で名乗る奴ってのは───────大体、自信過剰なヤツって相場が決まってんだ」
「テメェ───────」
「それか、自分がカワイイと思ってるヤツだな」
「余程、殺されたいらしいな」
鱗太郎の額へ────────ピキッと青筋が浮かぶ。
垣真は小さく笑うが、その目はまったく笑っていない。そのまま右手に持つ『ニュートウブ』をゆっくりと持ち上げ、階段上に立つ鱗太郎へ銃口を向けた。
「名乗ってくれた礼だ──────こっちも自己紹介してやるよ」
垣真は右目を閉じる。
そして残された左目、その瞳の中心へ────────赤い光が灯った。赤色は一瞬で瞳全体へ広がり、まるで銃の『照準器』のような十字線が浮かび上がる。
────────『照準眼鏡』の発現。
「俺ァ────────眼が良い」
瞬間、垣真の見ている光景が変わった。
世界そのものが遅くなったような視界───────普段なら一瞬で終わる人間の僅かな動作、肉眼では追い切れない高速の動き、その全てが何倍にも引き伸ばされた映像のように垣真の左目へ映り込む。
鱗太郎が呼吸する度に膨らむ胸板。右腕の僅かな筋肉の収縮、左脚へ掛けられた体重、足先の角度、それに────────両腕を覆う黒い鱗。
一枚一枚の形状、その縁、重なり方、僅かな隙間まで先程とは比べ物にならないほど鮮明に見える。
(見るからに硬そうだな……)
垣真は鱗太郎の身体を、頭から足先へ向け────────ゆっくりと観察していく。頭、首、胸、腹、腰、両脚。今見える範囲で『鱗』があるのは両腕のみ。
ならば狙うべきは頭か胴体───────いや、最初は『脚』だろうか。
あれだけ体格の大きい相手なら、足を撃ち抜き機動力を奪うだけでも戦いやすさは大きく変わる。どれほど腕が硬かろうが、まともに歩けなければ追いかけては来れない。
しかし、問題はもう一つある。垣真の右側、階段へ落ちている『トレカヴ』である。
(取るには──────コイツを動かすしかねぇな)
自分から取りに走れば、その瞬間に狙われる。
ならば逆に、相手をこちらへ来させ、鱗太郎自身を元の位置から動かす。
垣真の人差し指が────────『ニュートウブ』の引き金へ掛かった。
「お、引き金に指をかけたな────────なら、もう始まってるよなァ?」
鱗太郎の両膝が沈んだ。
ダンッ──────────!!!
鱗太郎が───────階段を蹴る。
185cmはあろう巨体、どう計算しても100kg近いか──────あるいは、それ以上はありそうな筋肉の塊が、予想とは反対に凄まじい速度で階段を一気に駆け下りてきた。
「速ッ───────!!!!」
一段一段を律儀に降りるわけではない。一度に二段、三段と飛ばし、ドンッ!! ドンッ!! と───────巨体が着地する度に古い木造階段そのものが僅かに揺れる。
黒い鱗を纏った太い両腕。その右拳を大きく後ろへ引きながら、鱗太郎は垣真目掛けて真っ直ぐ突っ込んでくる。
「頭ァ────────ヒネリ潰してやるよォ!!!」
だが、垣真は動かない。
『照準眼鏡』によって、こちらへ迫ってくる鱗太郎の身体はハッキリと『見えている』
右拳が後方へ引かれ、肩が動き、腰が捻られ、その拳をこちらへ叩き込む直前の動作まで────────ゆっくりと。
しかし、それはあくまで────────『見える』だけ。
『照準眼鏡』はあくまで視力を強化する能力であり、垣真自身の反射速度、脚力、腕力まで強化するものではない。
時速100kmで飛んでくるボールがゆっくり見えたとして、だから身体も簡単に避けられるのかと言えば───────話は全く別である。
だからこそ、垣真は迫ってくる鱗太郎へ────────銃口を向けない。
(なんだコイツ──────引き金に指をかけているが、コッチに向けて放つ素振りは無いぞ……)
鱗太郎が気付く。『ニュートウブ』の銃口が向いている先。それは自分ではない。
階段の右側───────そこへ落ちている、一丁の『トレカヴ』へ向けて。
「どこ狙ってんだ───────テメェ!!」
「イキナリぶっ放すバカに見えたか?」
──────────バァンッ!!!
銃声─────────『ニュートウブ』の銃口から火花が弾け、残された二発の内、一発が発射された。
弾丸は鱗太郎へ向かわず、階段の右端────────床でも、壁でも、手すりでもない。
落ちている『トレカヴ』そのものへ。
────────ガキィンッ!!!
金属同士が激しくぶつかる音。
『ニュートウブ』から放たれた弾丸は、計算された軌道で『トレカヴ』の側面へ命中した。
床に落ちたままなら2m先。しかし────────軽い拳銃本体へ横から弾丸をぶつければ話は別。
弾丸の衝撃によって『トレカヴ』が────────クルクルクルッ!!! と、宙へ舞い上がる。
「何ィッ!?」
「──────今だッ!!」
垣真は同時に右へ飛び込んだ。
そのほんの一瞬後───────鱗太郎が振り抜いた右拳が、先程まで垣真の立っていた場所へ。
ドゴォンッ────────!!!
鱗に覆われた拳が階段へ突き刺さり、バキバキッ!!! と分厚い木材が砕け散る。
だが垣真はもうそこにはいない。身体を右へ投げるように飛び込みながら、赤く発光する左目は宙を舞う一丁の拳銃だけを追っている。
拳銃の位置、角度、回転する速度、重力によってこれから落ちてくる場所────────その全てが『照準眼鏡』には見えている。
垣真が右手を伸ばす。──────────パシッ!!!
掌の中へ────────『トレカヴ』……。
掴んだ。
だが、拾えたからといって喜んでいる暇など一秒も無い。
安全装置の状態、残弾数、故障の有無───────本来なら拳銃を拾った瞬間に確認すべきことはいくつもある。だが、そんな確認をしている間に鱗太郎の次の拳が来る。
だから垣真は────────拾ったその瞬間に使う。
身体を起こしながら銃口を鱗太郎──────その『右脚』へ。
「銃制圧の鉄則────────まずは脚だ」
──────────────バァンッ!!!
『トレカヴ』の銃口から火花。
拾ってから発砲するまで───────ほんの一瞬。
「ぐッ────────!?」
弾丸は鱗太郎の右太腿、色落ちしたジーパンへ命中。
布地がパッ──────と弾け、その部分へ小さな穴が開く。
「撃ちやがったな……!!!」
垣真は赤く光る左目で確認する。
当たった。狙い通り、膝より少し上の太腿───────普通の人間なら弾丸が肉を抉り、そのまま内部へ食い込んでいる場所。
しかし──────────
「血が─────出てねぇ?」
一滴も無い。
鱗太郎の身体は僅かに揺れただけで、その右脚は何事もなかったかのように階段を踏み締めている。
「ハッ───────惜しかったな、クソガキ」
垣真の左目が、撃ち抜いたジーパンの穴へ────────焦点を合わせる。
破れた布地の、その奥……本来ならば人間の肌が見えるはずの場所にあったもの。
「まさか……鱗?」
黒い鱗、一枚や二枚ではない。
ジーパンの内側、鱗太郎の右太腿を覆うように────────両腕と同じ黒く分厚い鱗が、ビッシリと生えている。
「腕だけじゃねぇのかよ」
「誰が腕だけだっ言った?」
垣真が撃ち込んだ弾丸は、その鱗の表面へ僅かにめり込んでいるだけ。
太腿どころか、皮膚へ到達すらしていない。
────────完全に、弾丸を止めている。
「銃弾まで防ぐってか。イイ鱗をお持ちのようで」
「その程度の豆鉄砲で────────俺様の鱗が抜けるかよ」
鱗太郎は何事もなかったかのように右脚へ体重を掛ける。
つまりあの鱗───────見た目だけではない。
本当に『防具』として機能しており、少なくとも拳銃弾一発程度なら防げる硬度を持っている。
だが、その光景を前にしても────────垣真の表情は、絶望とはまるで違った。
「なんだ……?」
鱗太郎が怪訝そうに眉を寄せる。
何故なら垣真の視線は、撃った右脚から────────ゆっくりと上へ移動している。
腰へ。
腹へ。
胸へ。
右腕へ……そして────────『左腕』へ。
「おい、アンタ───────さっきまで、両腕に鱗あったよな?」
鱗太郎が、一瞬だけ黙った。
垣真は────────その一瞬を見逃さない。
右腕は現在も肩から手の甲まで────────黒い鱗。
右脚はジーパンの中、先程放った弾丸を防いだ────────黒い鱗。
そして左腕は……。
「────────ハッ」
垣真が小さく笑った。
先程まで左腕を覆っていたはずの鱗が────────無い。
太い筋肉はそのままだが、そこにあるのは普通の人間と変わらない『皮膚』だ。
鱗は、一枚たりとも見当たらない。
「なるほどな、アンタの『鱗』──────」
垣真の頭の中で────────一つずつ、点が繋がっていく。
最初に鱗太郎が姿を現した時、その鱗は『両腕』に存在していた。その時点では脚に鱗など見えず、少なくともジーパンの破れた部分から覗くような黒色も無かった。
そして今───────垣真が右脚へ向けて弾丸を放ち、それが太腿へ命中する直前、鱗太郎は右脚へ鱗を展開して防いだ。
その代わり────────左腕から、鱗が消えた。
「出せる場所に───────限界がある」
鱗太郎の目が僅かに細くなる。
「最初は両腕。それで俺が右脚を撃った瞬間、右脚へ鱗を移した───────だから、その代わりに左腕から鱗が消えた」
垣真は『トレカヴ』を握ったまま、人差し指と中指────────二本の指を立てる。
「同時に展開出来るのは───────人体の『二箇所』まで……違うか?」
沈黙───────鱗太郎は何も答えない。
「どうよ? 図星か?」
数秒後、男は鼻で笑った。
「ハッ───────だからどうした?」
「図星かデカブツ」
「それが分かったから────────何だってんだよ、クソガキ。弱点でも見つけた気になってんのか?」
鱗太郎は、先程拳を階段へ突き刺した姿勢からゆっくりと身体を起こす。
右腕には黒い鱗。右脚にも黒い鱗。
対して左腕は────────生身。
「俺の鱗が二箇所までだから何だ? 腕撃つか? 脚撃つか? それとも頭か───────腹か?」
鱗太郎が一段、階段を降りる。
「数打ちゃ当たるか───────全部撃てる程弾があるのか?」
また──────── 一段。
「テメェの銃に────────弾ァ何発入ってんだよ」
垣真は右手に握ったばかりの『トレカヴ』へ一瞬だけ視線を落とす。
最大装弾数は八発。しかし、今一発撃ったから残り七発───────とは限らない。
これは拾った銃であり、元の持ち主が既に何発か撃っている可能性もあれば、最初から全弾装填されていた保証すらない。
さらに手元の『ニュートウブ』も先程一発使ったため、残された弾丸は────────あと一発。
「考える時間ァ────────終わりだ」
ダンッ──────────!!!
鱗太郎が再び階段を蹴った。
右脚───────黒い鱗に覆われた脚で強く踏み込み、その筋骨隆々の巨体が一気に垣真へ迫る。
速い──────────先程見て分かっていたはずなのに、それでも巨体と実際の速度が全く釣り合っていない。
そして鱗太郎は、その勢いのまま────────黒い鱗で覆われた右拳を振りかぶる。
「ブッ飛べ────────クソガキィィィィ!!!」
ブォンッ──────────!!!
巨大な拳が垣真の顔面へ向け、一直線に迫ってくる。
『照準眼鏡』には見えている。
肩が動く。肘が前へ出る。拳が回転しながら伸びる。黒い鱗、その一枚一枚まで────────全てが見えている。
しかし────────
垣真の身体能力は────────普通の人間。
どれだけ見えようが、どれだけ軌道が分かろうが。
避けられるとは────────限らない。
「チィッ────────!!」
黒い鱗に覆われた巨大な拳が────────垣真の顔面、その目前まで迫った。




