第十九話【蹄の女 Part3】
夕暮れの穴富会本部、その石畳。
先程まで二人が立っていた場所を中心に────────灰色の砂埃が大きく舞い上がっている。
女の『蹄』とト壱の『外骨格の刀』。
上空4mから落下する女。
それに対し、真下から『銘心鏤骨』を突き出したト壱。
硬いモノと、硬いモノ。
互いに一歩も引かず、ついに真正面から衝突した結果────────辺りには、未だ二人の姿すら見えないほどの砂埃。
そして、パキッ───────っと砂埃の中から、小さな音。それは、何かが『割れた』音だった。
「グァッ───────」
続いて聞こえたのは────────ト壱の声。
砂埃が、夕風に流されていく。少しずつ、ゆっくりと。
その中にいた二人の影が────────姿を現し始める。
埃が晴れ、先に見えたのは───────女だった。
黒いワンピース、長い黒髪、黒いレザーマスク……そして────────獣毛に覆われた異形の『脚』である。
女は片脚で立っていた。左脚を石畳へ真っ直ぐと。
そして、もう片方────────右脚。
その黒く硬質な『蹄』は────────ト壱の右腕、その真上。
「ぐぁがァ──────イテェ……!!!!」
ト壱は仰向きに倒れ、苦痛に顔を歪ませていた。
右腕の、そこから伸びていた『銘心鏤骨』。
象牙色の外骨格の刀は────────女の右蹄、その真下。
そして、刀身の中央部分へ────────大きな亀裂が走る。
その亀裂は一本だけではない。
ピキッ……ピキピキッ────────と、蹄が押し付けられている場所を中心に、蜘蛛の巣のような細かな亀裂が、象牙色の刀身全体へ広がっていく。
「ちょっ───────待て」
ト壱の頬が引きつる。
「ソ、ソレ以上は───────」
だが、女は止めない。
「残念ね〜弱い男って言うのは」
グググッ─────────さらに右脚へ体重を掛ける。
そして更に力を強めれば──────────バギィィィンッ!!!
「くかァ──────────ッッ!!!?」
『銘心鏤骨』が────────激しく砕けた。
象牙色の刀身、その中央から先端部分が───────パキンッ!! と折れ、クルクルと宙を回転する。
カランッ────────力を入れられ折れたそれは、石畳の上へと落ちる。
「ぐッ────────あァァァァァッ!!!」
ト壱は左手で右腕を押さえた。
痛い、ただ刀が壊れた───────それだけではない。
『銘心鏤骨』は、身体から生えた『外骨格』。
ト壱自身の骨とは違う……しかし、その内部には───────神経が通っている。
以前、太寛との戦いでも味わった。
折れれば────────痛い。それも、生半可な痛みではない。
自分の右手の中指を────────途中からペンチでへし折られた。
──────────そんな錯覚すら覚えるほどの痛み。
「ぐッ……ぐぅぅ…………!!」
右腕全体へ、ビリビリッ────────と激痛が走る。
肩、肘、手首とそして────────中指へ。
ト壱は反射的に右腕を胸元へ引き寄せた。
「ハァッ……ハァッ…………クソ───────!!」
「やっぱり───────」
女はそんなト壱を見下ろす。その狐のような目が────────楽しそうに、微笑むように細くなった。
「その刀───────壊されると痛いのね。さっき蹴った時も───────少し顔が歪んでたもの」
女は右脚を、ゆっくりと持ち上げる。
ト壱の折れた『銘心鏤骨』の残った刀身から────────蹄が離れる。
「アナタと違って───────ちゃんと考えてるのよ?」
「あっそうかい……」
「男ってホント───────痛い目見ないと学ばないんだから」
女は────────笑った。
そして、左脚。
石畳へ置いていた、もう一方の脚へ───────力を移動させる。
「これで終わりよ。アナタとのデートも」
ト壱が顔を上げる。
女の右脚は、未だト壱のすぐ横。だが今度は────────左脚だ。
女がその膝を曲げる。
ゆっくりと、獣毛に覆われた左脚を──────クレーンのように持ち上げていく。
ト壱の目前で、胸元の高さを越え────────さらに上へ。
「また……何をしようってンだよ……ッ!」
女の左脚が────────『I字バランス』のように、自身の頭上まで持ち上がった。
ほぼ垂直、黒いワンピースの裾から伸びる、長い獣の脚。
その先端、黒く硬質な『蹄』が────────夕暮れの空へ向けられている。
見れば察せられる。次に何をするつもりなのか。
この至近距離から、振り上げた脚を────────そのまま、真下へ。
そして狙う場所は、三度ト壱の────────『顔面』へ。
「確実なるトドメってやつか」
「ねぇ、言ったでしょう?」
女はバランスを崩すことなく、左脚を頭上へ上げたまま───────冷たい目でト壱を見下ろす。
「アナタごとき───────脚しか使う必要がないって」
マスク越しに、勝ち誇った笑みを浮かべる女。対して、ト壱は右腕は痛みで満足に動かない。
自慢の『銘心鏤骨』も────────折れている。
そして、目の前には、もう片方の蹄。
逃げるには遅い。防御するにも────────右腕は使えない。
この状況はどう見ても────────『詰み』である。
ト壱は仰向けのまま、女を見上げた。
「一個……聞いていいか」
「あら? 遺言でも?」
「テメェ───────名前は?」
女の目が僅かに開く。
「俺ァ、テメェの名前すら知らねぇんだよ。これで殺されたら────────死んでも死にきれねぇだろ」
ト壱は折れた右腕の『銘心鏤骨』を僅かに持ち上げる。
「死ぬ前に───────聞いときてぇだけだ」
女は数秒、ト壱を見下ろしたまま────────黙っていた。
「いいわ、教えてあげる」
女の目が────────少しだけ柔らかくなる。
「これが『冥土の土産』ってヤツね。私は────────」
女は、ゆっくりと名乗る。
「日詰 馬依」
「日詰……か」
馬依と名乗った女は、狐のような細い目を少し開いた。
「そして───────私の『BONE』は」
左脚、頭上へ高く上げたままの黒い蹄が────────僅かに動く。
「……『蹄刻美女』……能力は言わなくてもわかるわよね?」
ト壱は────────鼻で笑った。
「蹄刻美女ねぇ」
「この脚は、人間とは比べ物にならない」
馬依は続ける。
「走る、跳ぶ、蹴る───────その全部が、人間の脚より遥かに上なのよ」
「そいつァ充分、身体で分からされたよ」
馬依の左脚、頭上へ上げられた蹄が────────ピクリと動く。
「それじゃ───────」
ト壱の顔面へ、狙いを定める。
とうとう、ト壱を『終わらす』ため、今その蹄を振り下ろさんとする。
「さよなら───────白骨 ト壱」
ト壱は動かなければ、逃げない。
ただ────────馬依を見上げている。
「冥土の──────土産か」
「あら?」
「そりゃいい言葉だ……いや、なんだ───────俺もよ」
ト壱の口角が─────にこやかに釣り上がる。
「テメェに一個───────教えといてやろうと思ってな」
馬依の眉が、僅かに動く。
「何を?」
「俺の『一将万骨』、その中の────────『銘心鏤骨』だが……」
ト壱は右腕を見る。真ん中から折れ、象牙色の刀身は半分ほどしか残っていない。
「外骨格の刀───────それがどうしたの?」
馬依の左脚は────────未だ上。
今にも振り下ろせるという、その数秒……『刹那』とも言えるその時間。
「俺ァ───────」
ト壱が────────左腕を動かした。その動作に当然、馬依の目が追う。
左手今まで一度も、この戦いでは武器を『生成』していない────────左手。
ト壱は掌を上へ向ける。そして、中指を────────真っ直ぐ伸ばした。
「この『銘心鏤骨』が────────」
馬依の目が────────見開かれる。
「右手にしか出せねぇなんて─────俺ァ一言も言ってねぇぞ?」
「一体何を───────」
そう……馬依の口から漏れた瞬間。
ギギギギギィィンッ──────────!!!
ト壱の左手に立てられた中指、その延長線上へ。
皮膚の外側から────────象牙色の『骨』が、一気に伸びる。
長さ────────変わらず、およそ50cm。
右腕に形成していたものと────────全く同じ。
荒く、硬く、薄汚れた象牙色と……鋭利な先端。
もう一本の────────『銘心鏤骨』である。
「残念……遅ぇよ」
──────────ズブッ!!!
鈍い感触。左腕から伸びた『外骨格の刀』が────────馬依の腹部へ突き刺さった。
黒いワンピースの布地を貫き、皮膚、肉、更にその中へ────────深々と。
「あがッ───────!!!!」
声にもならない声と共に、馬依の身体が硬直した。
頭上まで上げていた左脚の動きも────────完全に止まる。
ポタッ……ポタッ……ポタッ……と、刀身を伝い────────赤い血が落ちる。
「───────な……んで」
「言っただろ? お嬢ちゃん」
ト壱が────────立ち上がる。
右腕は痛いし、顔も痛い。蹴り飛ばされた背中も痛い。
だが左腕、そこから伸びた『銘心鏤骨』だけは────────真っ直ぐと伸びて、馬依の腹部へ突き刺さっている。
「俺ァ───────テメェ倒すのに」
ト壱の口角が────────『勝ち誇った』ように上がる。
「……『刀』以外いらねぇってな」
馬依は反射的に────────後ろへ跳んだ……否、跳ぼうとした。
しかし────────腹に刀が刺さっている。
左脚の、ト壱の顔面へ振り下ろすはずだった蹄……それを石畳へ。
そして────────両脚へ力を入れ、無理やり後方へ。
ズルッ────────────馬依の腹部から『銘心鏤骨』が抜ける。
「きゃッ───────!!!」
ブシュッ────────!!!
同時に、腹部から────────赤い血が、黒いワンピースを一気に濡らしていく。
「ハァッ……ハァッ……!!」
馬依は腹を押さえながら────────後方へ下がる。
「オイオイお嬢ちゃん」
ト壱がスクッと立ち上がる。
「脚だけは───────自慢だったんじゃねぇのか?」
「黙りなさい」
「そう言ってフラフラして、痩せ我慢じゃねぇのか?」
「黙れって───────言ってんでしょうがッ!!!」
馬依が────────右脚を振り上げる。まだやる気である。
腹部から血を流しながら、ト壱へ向かって────────蹴りを放とうとする。
しかし、力が入らない。右脚を上げたその瞬間。
身体を支えていた左脚が────────ガクンッ!! と折れた。
馬依の身体が傾く。
黒いワンピース、長い黒髪……そして異形の獣脚。
その全てが────────石畳の上へ倒れ込んだ。
「まだ……まだよ……!!!!」
馬依は、なおも立とうとする。
両手を石畳へ。腹の穴から流れた血が────────地面へポタポタと落ちる。
「もういいだろ」
「まだ────まだよ……!」
ト壱が──────歩く……倒れた馬依へ。
「まだ────────私はッ!!」
馬依が顔を上げるその瞬間。
スッ────────額へ、何かが────────触れた。
ト壱の右手、その────────『中指』が。
馬依の身体が止まる。
右腕の『銘心鏤骨』は折れている。今、額へ触れているのは────────ただの中指。
しかし、馬依は知ってしまった。
この男は、右でも左でも……中指の延長線上へ────────あの『外骨格の刀』を出せる。
ト壱は馬依の額へ中指を付けたまま、見下ろす。
「動くなよ。テメェが蹴るより────────こっから骨生やす方が、多分速ェぞ」
馬依の歯が────────ギリッ……と鳴った。
「卑怯ね……隠してたんでしょう? ……左手でも出せるって」
「そりゃ隠すだろ? テメェ敵だぞ?」
「ヒドイ男ね……腹立つ男」
「あぁ……よく言われる」
二人は数秒────────沈黙。
夕風はザァァァァ───────と、敷地の松の葉を揺らす。
穴富会本部の、その大きな玄関は今も開いたまま。
馬依はト壱を見る。ト壱も、見返す。
額へ中指を付けたまま。
「で、まだやるか? やるっつーなら────────次は遠慮なくココから生やすぞ」
ト壱の中指。その先端が────────馬依の額を軽く押す。
「脳味噌までなら確実に貫ける」
馬依は唇を噛む。
悔しい。それは目を見れば────────分かる。
先程まで、ト壱の攻撃を全て避け、蹴り飛ばし、外骨格の刀まで折った。
どう見ても────────勝っていた。
あと一撃、左の蹄を振り下ろしていれば……それで────────終わっていた。
「フフッ───────」
馬依が、血の気を失った顔で────────僅かに笑った。
「私の負けね──────────」
ト壱は────────ニヤリと笑った。
「これで───────勝負あったな」
馬依は石畳へ倒れたまま。その顔は悔しそうに────────ト壱を睨み付ける。
「嫌いだわ───────アナタみたいな男」
ト壱は鼻の下に残った血を────────袖でゴシゴシと拭う。
「俺ァ───────アンタみたいなデケェ女、結構好きだぜ」
「───────死ねばいいのに、」
夕暮れの穴富会本部。
石畳の上、赤いレザージャケットの男と────────獣脚の女。
その勝者は──────ト壱であった。




