第十七話【蹄の女 Part1】
──────────ドゴンッ!!!
女の黒い蹄が床を踏み締めた瞬間。
床板がミシィッ───────と僅かに沈み込み、その周囲へ小さな亀裂が走った。
一歩床を踏んだだけ───────それだけでこの威力。
当然───────普通の人間の脚力ではない。
だが──────そんな事は、今のト壱にはどうでもいい。
追ってきたかと思えば、今度は先回りされ、穴富会という助け舟を壊された──────ト壱は容赦しない。
「ウオラァァァァァ──────────!!!」
ト壱は床を強く踏み込み、女との距離を一気に詰める。
右腕から伸びる象牙色の『外骨格の刀』─────『銘心鏤骨』を頭上まで振り上げた。
「お前らイチイチ執拗ぇんだよ────────!!!」
ト壱の右肩が落ちる。
それは腕だけではない。肩、腰、そして体重───────全身の『重さ』を乗せ、その刃を真上から真っ直ぐ叩き落とす。
──────────ズガァァァンッ!!!
『斬る』というより────────『叩き割る』ような攻撃。
もしそのまま地面まで振り抜けば、床板ごと切り裂き、その下へ突き刺さってもおかしくないほど荒々しい縦斬撃。
ト壱が喧嘩で培った、剣術でも何でもない───────力任せの一撃である。
しかし────────
「見た目通り──────遅いわね」
女の身体が、スッ───────と横へズレた。
大きく跳ぶでもない。かと言って、慌てて後ろへ逃げるでもない。
左へ───────僅か一歩。
ト壱の刃は、女の黒髪を数本ほど掠め───────そのまま床へ。
ボガァンッ────────!!!
木製の床板が叩き割られ、破片が宙へ舞う。
象牙色の刃、その先端が床へ深々と突き刺さった。
「チッ……クソ───────」
ト壱が顔を上げる……その時既に────────もう女は動いていた。
右脚の黒い蹄を床へ置き、その脚を『軸』にして、腰を回転。
長い黒髪とワンピースの裾が────────ブワッ!! と広がった。
「男って──────ホント単純なんだから」
左脚──────獣毛に覆われた、その異形の脚が横方向へ大きく振り抜かれる。
────────────ブォンッ!!!
狙いは────────ト壱の脇腹。 その蹴り、所謂『ミドルキック』である。
「───────『蹄御前』!!!」
だが───────蹴り出されているのは人間の足ではない。細長く発達した脚。
更に、その先端に付いている物も、柔らかい足の甲でも、踵でもない。
硬質な────────『蹄』
「お前も──────ノロっちぃ蹴りじゃねぇか」
ト壱は床へ突き刺さった『銘心鏤骨』を強引に引き抜く。
右腕を身体の横へ構え、飛んでくる左脚へ刃を合わせた。
ガギィィィィンッ──────────!!!
『蹄』と『外骨格の刀』……硬質物同士が真正面から激突し───────まるで鉄板をハンマーで殴ったような、甲高い音が玄関口へ響き渡る。
「ぐッ─────!!」
ト壱の右腕へ───────想像していたより、遥かな重み。
女の細い体格からは考えられないほど、強烈な衝撃。
『銘心鏤骨』そのものに亀裂は入っていない。
しかし───────その内部にはト壱自身の神経が通っている。
外骨格越しに伝わる振動が、右手首から肘、肩へ────────ビリビリッ!! と駆け抜けた。
「ほう───────重さはあるな」
「あら、防いだのねおチビちゃん」
「当たりめぇだろ───────こんなんで……」
ト壱が言い終える、その途中。
女の狐のような目が────────細くなる。
「なら、二発目はどうする?」
ト壱の目が見開く。
女の左脚。
ト壱の刀とぶつかり合ったその脚は────────まだ宙に浮いている。
本来、左の回し蹴りを放ったなら、右脚を軸に身体を回し───────その左脚を再び床へ戻す。
────────それが『人間』の動き。
しかし────────女は違った。
蹄と刀がぶつかった『反動』……その力は殺さない。
むしろ───────利用した。女の身体が空中へ。
「何───────!?」
右脚を軸にしていた『身体全体』が────────今度は宙で横回転する。
黒いワンピースが大きく捲れ、獣毛に覆われた二本の脚が円を描く。
つい先程まで地面へ置かれていた『右脚』
それが────────遅れて飛んでくる。
「───────『女蹄』!!!」
女の右脚が、空中で横方向へ振り抜かれた。
バゴォンッ──────────!!!
黒い蹄、その先端が────────ト壱の左頬へ直撃した。
ト壱の顔面が横へひしゃげる。唇の端から血と唾液が、ブバッ──────と吹き飛んだ。
ト壱の身体が、二歩、三歩───────横へよろめく。
「ぐッほぁ……!!」
頭の中で────────鐘でも鳴らされたかのような音がする。
視界が一瞬だけ白く染まり、女の姿が二重に揺れる。
(何だ今の───────二段蹴りか!?)
左脚の回し蹴り。ト壱はそれを『外骨格の刀』で受けた。
だが───────女は、右脚を床へ残したまま終わらない。
左脚の反動と身体の回転をそのまま利用し、軸だった右脚まで『二発目』として飛ばしてきた。
長く、軽く、そして───────強い。
さらに蹄という硬質な『先端』を持つ。
女にとって下半身そのものが────────『二刀流』の武器なのだ。
「クソ女ァ……!!」
ト壱は歯を食いしばる。
右手の『銘心鏤骨』を構え直そうとする。
だが────────その間にも女は止まらない。
女の姿が───────ト壱の目前から消えた。
「どこに消え────────」
否──────消えたのではない。
女は『獣の脚』を持つ───────人間以上のスピードで、駆けることが可能。
獣のように、そして蹄で床を確かに捉えることで成り立つ───────加速である。
そして────────後ろ。ト壱が気がつく間もなく、女は既にその背後へ。
長い黒髪が、動きの余韻でユラリ───────と横へ流れている。
「──────無防備ね。アナタ」
女はト壱へ背中を向けるように────────身体を『反転』……先程の回し蹴りとは違う。
回転で横から叩くのではない。
腰を捻り、上半身を前へ倒す。
そして───────右脚を、後方へ一直線に突き出す。
まるで杭や槍のように────────獣の脚、その強靭な筋肉を一気に解き放つ。
「飛びなさい───────おチビちゃん」
───────ドンッ!!!
『後ろ蹴り』である。
黒い蹄が────────ト壱の背中、その中心へめり込んだ。
一瞬、声すら出なかった。
身体の表面を叩かれたのではない。
背中から胸へ────────衝撃が一直線に突き抜ける。
肺の中にあった空気が───────一気に口から押し出された。
「ゴッ────────ハァッ!!!」
ト壱の身体が────────宙へ浮く。
ト壱自身にはもうどうすることも出来ない。
赤いレザージャケットを着た小柄な身体が、まるで蹴られたボールのように────────一直線に吹き飛んでいく。
体感、それは『背中でダイナマイトが起爆した』──────そんなイメージをト壱はしてしまう。
穴富会の玄関口───────先程ト壱自身が開けた、巨大な木製の両開き扉。
その間を────────ト壱の身体が通過する。
「───────うおォォォッ!!?」
ブォンッ───────!!!
夕方の風、庭の光景、松、灯籠───────それらが、ト壱の視界を一瞬で、目まぐるしく流れていく。
そして、ト壱の身体が落下。
背中から────────石畳へ叩きつけられた。
地面と衝突した瞬間……ト壱の後頭部が、ガンッ!! ─────────と硬い石へぶつかり、視界へ星のような光が散る。
ト壱の身体は、石畳の一本道を、二回、三回───────転がっていく。
赤いレザージャケットが灰色の石を擦り、新品の革表面へ細かな傷が入る。
ジーパンの膝も砂利を巻き込み、ゴリゴリと削られていった。
「ぐッ──────クソッ……!!」
転がること数メートル、ようやく────────ト壱の身体が止まる。
空には、夕暮れのオレンジ色に染まった空が、ト壱の視界いっぱいに広がっている。
肺が───────上手く膨らまない。背中が熱く、顔面も痛い。
右腕には、先程の蹴りを受けた痺れがまだ残っている。
「ハァッ……ハッ──────」
無理矢理息を吸った後、そして────────吐く。
ト壱はゆっくりと上体を起こした。
ザリッ───────っと掌が石畳を擦る。
鼻の下を右手で拭うと────────ワインのような赤い血が付いていた。
「鼻血まで出やがった」
頭を軽く左右へ振る。
穴富会本部の、その巨大な玄関口。
開きっぱなしになっている木製の扉の、その向こう。
あの女が───────立っている。
先程と変わらず、息一つ乱れていない。
長い黒髪、黒いレザーマスク……そして───────異様に長い獣の脚。
黒い蹄が、床へ───────コツン。
ゆっくりと、ト壱を追うように──────玄関口へ近づいてくる。
「案外丈夫に出来てるのね。筋肉の塊ってカンジ」
女は起き上がるト壱を見ると、楽しそうに目を細めた。
「穴富会の若い子達は─────今ので背骨くらい折れてるモンだけど」
「ハァ……ハァ……」
「それとも───────小さいから軽くてよく飛んだだけ?」
ト壱の額に────────青筋が浮く。
「さっきから……チビチビうるせぇんだよ─────」
石畳へ片膝をつきながら───────ト壱はゆっくりと立ち上がる。
「まったくよ─────喫煙者にも容赦ねぇな」
「フフッ───────」
女が笑う。
「本当に面白い人ね」
ト壱は右腕を軽く振る。
『銘心鏤骨』────────象牙色の刀身。
女の一発目の回し蹴りを受けた場所には、僅かに黒い擦り跡が付いているだけ。
ト壱は、その跡を見る。
硬い────────あの『蹄』……。
『肉の脚』だと思って受ければ────────痛い目を見る。
「蹴りが得意ってか…………」
ト壱が女を見る。女は玄関から外へ一歩。
コツン─────石畳の上へ、黒い蹄が置かれる。
「得意ねぇ……」
女は少しだけ首を傾けた。
「それは違うわよ……アナタごとき、脚しか───────使う必要がないの」
ト壱の口角が上がる。
鼻血を袖で乱暴に拭き取り、再び『銘心鏤骨』を構える。
「気が合うじゃねぇか……俺も──────テメェ倒すのに『刀』以外いらねぇ」
象牙色の刃を女へ向ける。
「どっちが先に折れるか───────試してみようぜ」
夕暮れの穴富会本部、石畳の一本道。
その中央で────────赤い革ジャンの男と、黒い獣脚の女。
──────────二人は再び向かい合った。




