第十六話【蹄と鱗】
ト壱と垣真はバッ──────と、ほぼ同時に振り返る。
そこには────────一人の『女』。
「いつから居やがった───────」
垣真の目が────────細くなる。
つい数秒前まで、二人は確かに背後を確認していた。少なくとも、この広い玄関口には──────誰も居なかったはずだ。
だが今───────階段の一番下、そのすぐ手前。
女は、あたかも最初からそこに立っていたかのように───────二人を見上げている。
その容姿────────背中半分ほどまで届く、長い黒髪。
狐のように細く、吊り上がった両目。
鼻元から口までを覆う────────黒いレザー製のマスク。
顔立ちは細く、顎の線もシャープ。
年齢は20代後半───────いや、30前後くらいだろうか。
そして、何より目立つのはその『身長』……180cmはあるだろうか。
ヒールも履いていないのにこの高さ。ト壱と並べば頭一つ以上は軽く違う。
「デケェ女だな─────好みだぜ」
「ここでおっさんのフェチを知ってもな……」
女の服装は一見すれば普通だった。
黒色のカジュアルなワンピース。腰元は細く絞られ、スカート部分は膝よりも遥か上───────いわゆる『ミニスカート』である。
しかし────────その黒いスカートから伸びる『両脚』。
そこだけが─────────明らかに普通ではない。
人間の脚ではないのだ。
太腿から下へ向け、黒とも茶色とも取れる硬そうな獣毛がビッシリと生えている。
膝にあたる関節は、人間とは違う向きへ大きく湾曲。
細く締まった脛……しかし、その先にあるはずの『足首』は存在せず───────後方へ跳ね上がるような骨格になっている。
ヤギ? 馬? 鹿?
四足歩行する草食動物の『後ろ脚』───────それを、そのまま人間の下半身へくっ付けたような形。
さらに───────本来、人間の『足』がある部分。
そこには、黒く硬質な───────『蹄』がある。
女が僅かに体重を移動させただけで、蹄と黒い床が触れ合い……コツン────────と、小さな音を鳴らした。
ト壱は女の脚を────────ジロジロと見る。
「そんな脚がなきゃ────いや、いいわ」
「何を言わんとするのか見当がつく。口を閉じてろオッサン」
しかし───────垣真も、内心ではト壱と同じ場所を見ていた。
あの脚、人間のものではない。
太寛の『関節』───────雀の『舌』……。
これまで戦った相手は、人間が本来持っている機能を極端に誇張した能力だった。
だが───────コイツは違う。
一目で分かる────────『動物の特徴』
以前、研究所を脱出する途中で垣真自身が説明したBONEの分類。
人体機能の強化。
他生物の特徴。
そして──────その複合。
目の前の女は───────少なくとも、その二つ目である。
そんな分析をしている二人を見ながら、女は───────クスッと目を細めた。
「あら─────」
黒いレザーマスク越し、僅かに口元が動く。
「写真より───────随〜分ッ……と小さいのね」
女はト壱だけを見る。
「貴方が─────『捕獲命令』の出ている『白骨 ト壱』でしょう? 可愛いわね」
ト壱の表情が変わった。
つい先程まで、懐かしい本部へ帰ってきた。そんな程度の空気が残っていた顔……しかし──────今は違う。
目が──────据わっている。
「俺の名前、知ってんのか」
「えぇ─────」
「じゃあテメェ───────『組織』の人間だな?」
「さぁ?」
「ハッ───────誤魔化せてねぇよ……女」
ト壱は階段を一段、ギシッ───────と、降りる。
「んで──────もう一つ聞く」
「あら、何かしら?」
ト壱の視線は、女から一切離れない。
先程まで歩いてきた広い庭……門番がいない、車もいない。
煙草の匂いも、若い衆の怒鳴り声も無い。
そして女は───────『上に行っても誰も居ない』
「────────穴富会の連中はどこ行った」
女は「あぁ」と、何かを思い出したかのように首を傾ける。
「あの人達?」
「そうだよ。若ェ衆も、幹部も───────ここにいた連中だ」
女は一瞬だけ黙る……が───────まるでどうでもいい質問に答えるように。
「あの『雑魚共』なら───────もう始末したわよ」
ト壱が止まる。垣真の目も、僅かに細くなった。
「死体を上まで運ぶの───────本当に疲れたわ」
女は肩をコキッ───────と回す。
「男って重たいのね。デカいし、血は付くし、何人も何人も───────階段を往復するハメになったもの」
女はどうでもよさそうに言った。
ト壱の右手。その指が───────僅かに握られる。
「全員───────殺したのか」
「なに……『全員』ではないわよ」
ト壱が顔を上げる。
女はその反応を楽しむように、狐のような目をさらに細めた。
「会長? ……のオジサンだけは───────生かしてる」
「…………会長? どこだ」
「二階。まだ何もしてないわよ」
「じゃあ何で───────」
ト壱が言い終わる前、女は遮るように言った。
「だってあのオジサンには──────『必要』なことがあるもの」
天井から吊るされたシャンデリア──────その光だけが、黒い床へ白く反射している。
ト壱は───────俯いた。
「おっさん─────やめろよ」
垣真が横顔を伺う。だが───────返事は無い。
ただ───────ト壱の右手……それは爪が掌へ食い込むほど、強く握られている。
自分が盃を交わした『仁隊組』の親。
別に───────恩義深い人間ばかりではない。
嫌いなヤツもいたし、名前すら覚えていない連中もいた。
若い頃には、理不尽に殴られたことだってある。
そもそも、足を洗っている。
それでも、ト壱が10年以上を過ごした───────『昔の世界』。
現在、藁にもすがる思いで助けを求めた場所。
その場所を、目の前の女は──────────
「雑魚って言ったな」
女が首を傾げる……瞬間───────ダッ!!!!
ト壱が──────────階段を蹴った。
作戦────────無し。
能力の詳細────────不明。
女の脚が何の動物なのか、どんな速さで動くのか、どれほどの力を持っているのか。
そんなこと───────何一つ考えていない。
「テメェ──────────ッ!!!」
怒り、それだけ……右腕を前へ出す。
ギギィンッ────────!!!
中指の延長線上へ、一瞬で象牙色の外骨格が形成される。
ギザついた刀身───────長さ、およそ50cm。
『銘心鏤骨』。
「待てバカ!!!」
垣真も同時に階段を蹴る。止めなければ。
太寛戦でも、雀戦でも───────ト壱は頭を使った。
直線的に攻めて失敗すれば、違う方法を探す。
環境を使う。
相手の弱点を探す。
しかし今のト壱には───────それが無い。
ただ、女へ斬り掛かろうとしている。
「おっさん待て────────!!!」
垣真がト壱の背中へ手を伸ばす、その時────────
「お前の相手は───────俺様だ、クソガキ」
低い声……今度は───────上から。
垣真の足が止まり、反射的に顔を上げた。
巨大な赤い階段の、その一番上。
つい先程まで───────確かに誰もいなかった場所。
そこに───────もう一人。
それは『大男』だった。
180───────いや、185cmはある。
女と同じくらい、あるいはそれ以上。
完全に剃り上げられたスキンヘッド。その首は太く、肩幅は玄関の柱と大して変わらないほど広い。
黒いタンクトップ、色落ちしたジーパン、足元には、古びた黒いブーツ。
全身の筋肉が盛り上がり───────タンクトップを内側から押し広げている。
「今度はゴリラの能力か?」
垣真が最も注目したのは───────筋肉ではない。
男の『両腕』、肩から肘。そして前腕から手首まで──────いや、手の甲付近まで。
ビッシリと────────『黒い鱗』。
爬虫類か? ───────いや、魚に近い。
一枚一枚が小さく、重なり合うように皮膚の表面を覆っている。
シャンデリアの光を受ける度、ヌラリッ──────と黒く鈍い光を返す。
「──────鱗か」
まただ……さっきの女に続き、そしてこの大男。
二人とも───────『他生物の特徴』を取り込んでいる。
「おいおい──────動物園どころか、水族館と来たか」
「ハンッ─────余裕じゃねぇか」
大男はニヤッと笑う。
しかし垣真は────────静かに観察する。
こういう時、白骨ト壱なら───────とりあえず殴る。
しかし垣真は違う。
元陸上自衛官は相手を見る。
位置を見る。
武器を見る。
逃走経路を見る。
───────まずそれから。
何か───────弱点。そして強みは何か。
太寛には、左右の関節数に差があった。
雀には、舌を覆う粘液があった。
なら───────コイツには?
分からない……少なくとも───────見ただけでは何も見つからない。
ただデカい、ただ筋肉質、ただ両腕に───────気色悪いほど鱗が生えている。
ビッシリと、コチラよりも能力は『使える』ように見える。
「観察は終わったか? 若いの」
「まだ始めたばっかだよ」
垣真は視線を男から僅かにずらす。
階段や手すり、太く立派に立つ柱、木造の床──────────使えるものを探すため。
そして────────垣真の視線が止まった。
階段の右側、壁と手すり、その僅かな隙間。
何か───────黒い物が落ちている。
垣真の右目が閉じる。左目が───────赤く発光する。
『照準眼鏡』─────視界が一気に拡大される。
黒いスライド、細長い銃身、独特のグリップ……これは見覚えがある。
(……自動式拳銃、あれは──────『トレカヴ』!!)
現在でも、裏社会ではたまに流れているという自動式拳銃────────『トレカヴ』……装弾数は8発。
(誰かが落としたのか……?)
穴富会の組員───────恐らく、この大男か女に殺された誰か。
最後に抵抗しようとしたのか、あるいは撃つ前に倒されたのか。
銃そのものに血は付いていない。
距離───────約2m。
走れば届くが、大男は階段の上。
自分は中腹、トレカヴは────────右側。
取りに行く素振りを見せれば、まず間違いなく邪魔される。
垣真は左目の赤い光を消した。
残弾2発の『ニュートウブ』そして───────床に落ちている8発装填の自動式拳銃。
選択肢は一つ───────
(どうにかして───────アレを拾う)
────────── 一方階段の下。
「ウォォォォォラァァ──────────!!!」
ト壱は、血気を帯びた表情で、既に女の眼前へ迫っていた。
右腕の『銘心鏤骨』……象牙色の刃。
狙いは───────迷いなく、女の胴体一閃を目指す。
「あらあら───────怖い怖い」
女は逃げない。黒い蹄を───────コツン。
一歩床へ置く────────瞬間。
──────────ドゴンッ!!!
その床板が、女の蹄を中心に─────────僅かに沈んだ。
ト壱と獣脚の女……その距離───────残り一歩。
穴富会本部、その巨大な玄関。
誰も居ないはずだったその場所で───────『二つの戦い』が、今まさに始まろうとしていた。




