第十五話【親の元へ】
───────時刻は18時00分。
夕暮れに染まり始めた東京の道路を、一台の古びたバイクが走り抜けていく。
ブォォォォォォンッ──────────!!!
オレンジ色の車体、丸目のヘッドライト、エンジン内のガソリンは轟音を鳴らし燃え続けている。
その運転席には───────赤いレザージャケットを羽織ったト壱が、アクセルを握る。
ト壱の表情、久々に『風』を感じ、どこか嬉しそうな顔をしている。
そして──────その後ろ。
「ちょ────────ちょっと待ておっさん!!! 速ェって!!」
青いロゴ入りパーカーを風でバタバタとなびかせながら、垣真が必死にト壱の背中へ、コアラのようにしがみ付いている。
ビュオオ──────という風を切る音が、バイクの遥か後方へ流れていく。
「陸上自衛隊が何をビビってやがる」
「速度超過してんだよ!!!」
ドルルルルルルルッ────────ト壱はアクセルを捻る。バイクはさらに加速する。
垣真の身体がグンッ───────と後ろへ引っ張られた。
「ウオッ─────!!?」
二人を乗せた『ファルコン』は東京の街を進んでいく。
研究所を脱出してから───────約一時間が経過。
そして現在、二人が向かっている場所。そこは───────
──────東京都、港区。
日本でも有数の、高級住宅地。
高級マンション、高級ホテル、高級キャバクラ、一流企業の本社ビル──────そして金を持った連中が集まる街。
ト壱からすれば、昔からあまり縁の無い場所である。
「しっかしよォ──────」
信号待ち。ト壱は片足を地面へ着けながら、周囲を見渡す。
視界に入るのは───────ガラス張りの高層ビル。
道路脇には、聞いたこともない外国企業の看板。
走っている車もどれもこれも綺麗で、黒塗りの高級車がやたらと多い。
「相も変わらずお高くとまった街だな、港区ってのは───────何回か前に来たことはあるが」
「アンタにゃ似合わんな─────何しにココへ?」
「カチコミかけたんだ。ダイナマイト片手に」
「……そりゃ、聞かなかったことにする」
信号が青へ変わる。
ブォンッ──────と、再びバイクは走り出す。
周囲には背の高いビル。その窓ガラスには、沈みかけた夕日がオレンジ色に反射している。
歩道を歩くのは、スーツ姿の会社員。
ブランド物らしきバッグを肩から下げた、水商売をしているであろう女。
首輪より高そうな服を着せられたチワワ。
そんな小綺麗な街中を───────ボロい旧車に乗った、元ヤクザと元自衛官が走っている。
「なぁ──────まだ着かねぇのかよ」
後ろから垣真が問いかける。
「もうちょいだ。ただ、10年ぶりだもんで少し忘れてるがな」
「忘れてンのかよ……」
「雰囲気で分かる────と、思う」
「思うってなんだ、思うって」
ト壱は気にせず、交差点を右へ曲がる。しばらく進み────────また左へ。
一本ほど大通りから外れた道へ入ると、途端に交通量が減り始めた。
先程まで鳴り響いていた車の走行音も少し遠のき、辺りには高層マンションと雑居ビルが立ち並んでいる。
左右に目をやれば、街路樹がズラーッと整列している。
ト壱はそこをゆっくりとバイクを走らせながら、キョロキョロと辺りを見渡した。
瞬間──────ト壱の目が、ある一点で止まった。
道路の先。二棟の高層ビルに挟まれた、その『隙間』……そこだけ───────明らかに、周囲とは違う。
ト壱の口角が、少し上がった。
「──────あったあった」
ト壱はその方向へバイクを走らせる。
ドルルルル……先程よりも速度を落とし───────やがて、その場所の真正面で停車した。
「到着だ」
垣真はバイクから降りる。そして───────顔を上げた。
「な、なんなんだココは!!!」
思わず、そんな声が漏れた。
目の前、ビル街の─────────────ど真ん中。
そこには、巨大な『木造の門』がドンと建っていた。
高さは、優に数メートル。
黒ずんだ太い柱、上部には立派な瓦屋根、左右へ伸びる塀も、古い寺か武家屋敷を思わせる純和風の造り。
周囲にはガラス張りのビル、近代的な高層マンション、電子看板に監視カメラ。
そんな2040年の東京都港区、その真っ只中に───────ここだけ、時代が数十年ほど取り残されている。
「まるで───────料亭や寺みたいじゃないか」
口を半開きにする垣真。
それを他所にト壱はバイクから降りると、懐かしそうにその門を見上げた。
「────────変わってねぇなァ〜」
「おい、目的地はココで合ってるんだろうな?」
ト壱は顎で───────クイッと門の横を指す。
垣真は、その方向へ視線を移した。そこには、一枚の大きな看板。
黒地の板───────そこへ刻まれている、金色の文字。
それは『穴富会』
垣真の顔が目に見えて引きつる。
「本気で?」
ト壱はニヤリと笑った。
「俺が盃を交わした『仁隊組』─────その『親』だ」
そう言うと、ト壱はバイクのスタンドをガコンッ──────と蹴り下ろし、エンジンを止める。
つい先程まで辺りへ響いていた排気音が、徐々に弱くなっていき──────やがて完全に消えた。
急に静かになった───────間近で見ると、より一層大きい。
柱一本だけでも、ト壱二人分くらいはありそうな太さ。古い木材独特の黒ずみ、所々に入った亀裂。
しかし───────不思議とボロボロには見えない。
むしろ───────手入れされ続けているような印象。
「随分と立派なモンだな」
垣真が門を見上げながら呟く。
「昔っからこうだよ。見栄っ張りなんだ、本部の連中は」
「港区のど真ん中にコレ建てる時点で相当だろ」
ト壱は門の前まで歩く。そして───────右手を上げた。
「おーい!!!」
ドンドンドンドンッ────────門を叩く。
「誰かいねぇのかァ──────!!!」
返事は無い。数秒待っても────────何も聞こえない。
人の声、足音、扉を開ける音……何一つ───────聞こえてこない。
「留守か? そんな事もあるんだな」
垣真が横から覗き込む。
「んなワケあるかよ。普通の家じゃねぇんだぞ」
ト壱はもう一度、ドンドンドンドンッと先程より激しく叩く。
「おい!!! ご来客だぞ───────!!!」
「客って言い方でいいのかね」
やはり──────返事は無い。ト壱の眉間に、少しだけ皺が寄る。
「おッかしいな……普通なら────門のトコに一人か二人は立ってんだよ」
「あぁ、警備員か?」
「まぁ、そんなトコだ。若ェのが交代で門番やらされてたンだがね」
「おっさんも経験が?」
「まだチンピラだった時の頃、やったことあるぜ─────────冬なんか地獄だったな」
ト壱は懐かしそうに鼻を鳴らす。だが──────その表情はすぐに消えた。
「それが誰もいねぇ─────『労働改革』でも起きたのか?」
垣真も門の周囲へ視線を走らせる。監視カメラらしき物はあるし、塀の向こうには木々も見える。
──────────しかし、人影は無い。
ト壱は黙って門へ両手を置いた。
「ちょっと待て。勝手に開けていいのかよ」
「ハッ────『イタチのトイチ』様が来てやったんだ、歓迎されるさきっと」
ト壱はニヤリと笑う。そして────────力を込めた。
ギイイイイイイィィィィ……───────
重たい音を立て、巨大な門がゆっくりと開いていく。
鍵すら掛かっていない。
ト壱の顔から───────今度こそ完全に笑みが消えた。
門の向こう、そこには───────想像以上に広大な敷地が広がっていた。
地面一面には、灰色の砂利。
その中央を真っ直ぐ伸びている──────石畳の一本道。
左右には、綺麗に刈られた松の木。
所々に置かれた大きな庭石。
小さな灯籠がチラホラ……まるで寺の境内か、日本庭園のような景色。
そして────────石畳の、その一番奥。
「デッケェ……」
垣真が思わず呟く。
巨大な建物が、そこに佇んでいた。
瓦屋根、黒い木材で組まれた外壁、横へ長く広がる造り。
正面には────────大きな木製の扉。
『寺院』──────そう言われても、知らない人間なら信じるだろう。
しかし──────ここは寺ではない。
指定暴力団『穴富会』─────その本部。
「相変わらず───────坊主でも住んでそうな見た目だな」
二人は門をくぐる。
コツン……コツン────────
石畳を踏む音、それだけが、広い敷地内へ妙に大きく響く。
ト壱は歩きながら、周囲へ視線を送っていた。
────────誰もいない。
庭、縁側、離れらしき建物。
どこを見ても───────人影が無い。
「本当にココ、ヤクザの本部なんだよな?」
「俺もだんだん自信無くなってきた───────建物は合ってるし、門も看板も昔のままだ」
「じゃあなんで誰もいねぇんだよ」
「先代の葬式───────とか?」
ト壱は少しばかり歩調を速める。垣真も、その後ろを追う。
石畳の一本道。その先にある、大きな建物。
近づけば近づくほど──────やはり、人の気配が無い。
車も無い、話し声も無い、煙草の匂いも無い。
聞こえるのは、風で木の葉が擦れる音だけ。
──────────サァァァァァ……
先程までいた港区の喧騒が、嘘みたいに遠い。
やがて────────二人は建物の正面へ到着する。
目の前には、大きな木製の両開き扉。
「────────ここだ」
ト壱はその扉へ手を掛ける。
「おい──────マジで勝手に入るのか?」
「ビビってんのか? さっきから」
「いや、普通こういうトコって……入った瞬間蜂の巣に──────」
「挨拶なら中ですりゃいい……『おひけぇなすって』ってな」
ト壱は左右の扉を掴む。そして───────一気に開いた。
ガララララララッ──────────!!!
二人の目の前にまず現れたのは───────広い玄関口。
そのさらに奥、真正面に────────巨大な階段が伸びている。
「いかにも……だな」
垣真は顔を上げる。
赤い階段は二階部分へ真っ直ぐ伸びており、その幅もかなり広い。
左右には木製の手すり。
床は黒く磨かれ、天井からは古めかしい巨大な『シャンデリア』が吊るされている。
まるで───────旅館か、大昔の豪邸。
しかし、ここにも───────誰もいない。
ト壱は一歩、中へ入る。
キィ────────と、床板が鳴った。
「おーい!!!」
声が建物内へ響く、が……返事は無い。
「俺だ─────!!! 『イタチのトイチ』だー!!! おひけぇなすってェェ──────────!!!」
てェ───てェ──てェ─……
…………やはり───────誰も出てこない。
垣真の顔からも、少しずつ冗談っぽさが消えていく。
「白骨のおっさん───────」
「───────あぁ」
ト壱も頷く。ここまで入って───────人間が一人もいない。
門番すら、玄関にもいない。
建物の中にも───────気配が無い。
「二階か────────」
「行ってみるしかねぇだろ、おっさん」
二人は巨大な階段へ足を掛ける。
一段目──────ギシッ……
二段目──────ギシッ……
古い木材が、二人の体重で小さく軋む。
ト壱が先。垣真がその後ろ。
周囲へ警戒を向けたまま────────ゆっくりと階段を上り始めた。
────────その時だった。
「上に行っても、誰も居ないわよ」
二人の足が止まる。
女の声、背後───────すぐ近くから聞こえた。
ト壱と垣真はバッ──────と同時に振り返った。




