第十三話【蛙駆除】
ト壱はダッ──────と床を蹴った。
「しゃらくせェ──────あの『舌』をぶった斬る!!!」
レジカウンターの瓦礫を踏み越え、一直線に距離を詰める。
ト壱という暴走列車は止まらない。
目の前に立ちはだかる男は、あんぐりと口を大きく開き、舌を『圧縮』している。
────────次の一手、威力がさっき以上なのは想定内である。
「オイ──────垣真!!」
ト壱は、男への視線を逸らさずに叫ぶ。
「そのジャマな女をさっさとドカせ!!」
一瞬、垣真の目がレジカウンターの方を見る。 床に尻餅をつき、震えながら固まっている女性店員。
顔面蒼白で涙ぐんだ表情をしていた。
「ほ、ほら……死にたくなかったらさっさと逃げろ!! あの単細胞チビに巻き込まれンぞ!!」
垣真が優しく諭すと、女性店員はふと我に返る。
「わわわ、わかりまひたァ────────!!!」
悲鳴混じりの声を上げ、バックヤードへと駆け出していく。
ガチャリ─────と非常扉が閉まる音がした。
──────────これでいい。ト壱は右手の中指を立て、『外骨格の刀』を構える。象牙色の歪な刃が、照明の光を反射した。
ト壱の目、それは獣のような眼光を放っている。
「お前の舌──────────シャレたスプリットタンにしてやるよ……!!!」
男はニヤついたまま口を開く。
「HAッ! ! まだ余裕じゃねぇかYOO!!」
3m……2mとト壱が接近する。あともう一歩で『外骨格の刀』の間合いに入るかと思われた、その刹那。
「イキがってんのも今のうちだZE……『舌BULLET』!!!」
瞬間───────────その毒々しい色の舌が、弾丸のように射出された。
────────ヌルズルァァッ!!
ト壱はその正面から踏み込み、迫り来るそれの真正面から迎え撃つ。
「……『突破者』───────しゃオラァァッ!!!」
『外骨格の刀』を突き出す。 狙いは舌の『根元』─────筋肉の収束点であり、支点。
────────しかし、奇妙な事にト壱の刺突は不発となる。
ヌルりと──────暖簾に腕押すような感触。
「何ッ!?」
刃先が滑った。
舌の表面を覆う、半透明の『膜』──────それは舌から分泌されている『唾液』だった。
しかし、ただの唾液ではない──────粘性と弾性を併せ持った、異常な粘液。
男の舌はその粘液の膜を纏っているのだ。
ト壱の刃は刺さらない。 突き刺したはずの力が、横へ逃がされる。
「HAHA!! ─────MEの唾液はヌルヌルのベトベトなんだZE!!」
刃が滑り、ト壱がもう一閃放とうとする──────その瞬間。
─────────────パシィィンッ!!!
それは横薙ぎに放たれた。
まるで『土嚢』のように、長い舌がト壱の肋骨へ重くのしかかる。
その威力──────まるで解体作業車の鉄球が衝突したような、強い衝撃。
『音速』とまではいかないが、勢いよく急に動いたその舌に、ト壱は防御ができなかった。
「グハァ───────!!」
ト壱の身体が宙を舞う。その視界は、景色が目まぐるしく入れ替わるようだった。
────────ドガァァンッ!!!
洋服が掛けられた壁へ、背中から叩きつけられる。
ハンガーが弾け、ト壱へ服が雪崩のように降り注ぐ。
「ガッ─────────!!!」
ぐわんぐわんと視界が揺れる。壁に叩きつけられたことによる、脳震盪が襲う。
コートにシャツにジーパン……色とりどりの布に埋もれながら、ト壱は歯を食いしばった。
(伸びる太い舌に、粘液の膜─────真正面から行けば負けるぞ……!!!)
舌は再び空中で蠢く。
ピシンピシンと床を叩き、蛇が獲物を狙うように揺れている。
「何やってんだ……白骨のオッサンッ!!」
垣真が小さく舌打ちした。
その手には拳銃が構えられている。 だが、その引き金はまだ引かない。
「弾丸は残り二発─────ここで無駄撃ちはしたくないな」
無駄な射撃は避けたい垣真。何か使えるものがないか、店内へ視線を走らせる。
倒れたハンガーラック。 金属製の支柱が、床に転がっているのが見える。
────────垣真は、それを掴んだ。
「よし……これで応戦だな」
垣真は支柱を足で抑え、力任せに引き抜き始めた。
ギィ──────と、金属が軋む音が手から伝わってくる。
手に取るとそれは細身で歪んでいるが、十分な長さと硬度がある。
「鉄パイプ───────頼りないが、無いよりマシだ」
両手で鉄パイプを野球バットのように握る。
刃も、銃床もない。ただの鉄棒。
それでも、垣真の構えに迷いはなかった。
「イチかバチか─────ウオルァァッ!!」
長打者のように、鉄パイプをフルスイングする。
斬撃が効かなければ打撃だと、そう思いつき攻撃を放つ。
その弧状軌道の先──────パシン!! と舌を叩く。
しかし……その命中と同時。
舌は畝り、鉄パイプを弾きその軌道を変えた。
「ま、まるでスライムを殴ってる気分だ……!!!」
垣真は構えを直すと、再びスイングし続ける。
──────パシン! ! パシンッ!!!
追撃で放つ連撃……だが、その全てがいなされていく。
スポンジやマットレスのように、衝撃やダメージは『粘液の膜』へ吸収される。
それに加え、変幻自在の舌は垣真のスイングを避けては防ぐ。
「舌の動きも速い─────打撃感が全く伝わらない!!!」
舌は防御にも、攻撃にもなる。 ムチのように叩きつけ、鉄パイプを弾き、絡め取ろうとする。
苦戦する二人を前に────────男は、未だ楽しそうに笑っていた。
「HAHAHA!! 能力、経験値共に俺の方が上って事だマヌケME!!!! ────────斬撃も打撃も通用しないZO!!!」
紫色の舌が床を跳ね、グオオ──────と持ち上がる。
粘液を纏ったそれは、照明を受けて鈍く光っていた。
ト壱は、散乱した服の中心で息を整える。
(正面が滑るンなら───────視界を奪ってやらァ)
ト壱はガシッと掴んだ。トレンチコートにシャツ……その場に散らかる、ありとあらゆる洋服を鷲掴む。
「コッチ向けよオシャレボーイ!!!」
バサァッ────────と、男の顔面に向け洋服を乱暴に投げつける。
次々と投擲……男の視界を覆う、『カラフルなカーテン』のような壁。
「悪あがきはよせYO!!!」
舌が大きく横薙ぎに振るわれる。布の壁は裂け、繊維が宙に舞う。
だが─────この一瞬、男を無防備な状態にすることに成功した。
ト壱はまたも床を蹴る。低い姿勢で、男の横から斬り込む。
「ウォリャァァァァァア──────────!!!」
『銘心鏤骨』の一閃は斜めに走るが、しかし───────
────────────ズルァアッ!!
布の弾幕の向こうから、圧縮された舌が射出。
真正面ではない。横から『薙ぎ払う』ように叩きつけられる。
ンドゴォッ!!! ───────ト壱の胴体に直撃。
洋服の弾幕を浴びせ、計算し横から仕掛けたこの攻撃も……男にとってただの『余興』に過ぎない。
「グガッ──────────ッ!!!」
ト壱はそのまま床を滑り、商品の入ったワゴンに頭から激突する。
ガシャン!! ──────とワゴンが崩れ、小箱が雪崩のように落ちる。
垣真の視線が、地面のそれを捉える。
「これは『シッケスウーダ』……服の乾燥剤か?」
小箱の中にあるもの──────紙製の小袋の『乾燥剤』が入っている。
タンスやクローゼットに入れれば、余計な湿気を吸ってくれるあの商品。
その成分は、水分を吸って発熱する物質───────それは『酸化カルシウム』である。
そんな垣真を他所に、舌は再び蠢く。床へ粘液が滴る。
「次でトドメを刺させて貰うZE……白骨ェェ!!」
ト壱はヨロヨロと立ち上がる。その額からは、ツーッと鮮血が滴り落ちている。
「ラストマッチだ─────テン・カウントは俺が聞くぞクソ野郎……」
満身創痍の身体で、『外骨格の刀』を構えるト壱。
最後の一撃を放ち合うという、この瞬間──────────垣真は地面の乾燥剤を、3つほど掴む。
「なら─────おっさんに賭けるぜ、俺は!!!」
ヒュンッ!! ───────垣真は手に持つその乾燥剤を、全力で投擲。
「ト壱への物資支援か」と男は読んだのか、舌で迎撃し阻止しようとする。
弾き返された乾燥剤の小袋は、宙で叩き割られ『白い粒』が飛散する。
そして、その『白い粒』は、舌の粘膜へ……べっとりと貼り付く。
男は一瞬、動きが静止する──────何か、イヤな感覚を舌に覚えた。
───────グジュジュゥゥゥゥ〜……!!
粒の付いた舌の表面から、白煙が上がり始める。
「これは……なんDA?」
粘液が急速に、『白い粒』へ吸収される。
そして、酸化カルシウムが水分と反応し───────発熱。
────────ジュウ……パチパチ……
粘膜の一部が乾燥し、白く変色する。
ヌラリと光っていた『唾液の膜』─────『白い粒』が付着した、その一点部分だけ消える。
「熱ィッ……!! な、何しやがっTAA!?」
舌がドタドタと暴れ狂う。
その乾いた部分は、明らさまに動きが鈍い……そしてもう、滑らない。
その一点へ───────ト壱が踏み込む。
「……そこだッ!!! 『所祓い』!!!」
右手の『外骨格の刀』──────ト壱はもう、迷わない。
化学反応により乾燥し、露出した『舌の表面』へ向け……一目散に駆け、そして────────一閃する。
……ザシュンッ─────!!!
今度こそ聞こえる、確かな切断音。今度の一太刀は滑らない。
刃が筋肉の深層まで食い込み、突き進む度そのまま引き裂いて行く。
舌の筋肉─────紫色の肉塊が裂けて弾ける。
「ンギャAAAAAAAAA──────!!!!」
舌の中心辺り、そこが斜めに切断される。
ドバッッ!! ───────と、火山のように血が噴き出す。
床へ落ちた切断片が、ピクピクと痙攣している。
男は喉を押さえて後退し、その表情にはもう、楽しさなど微塵もない。
「ンがッ……フゴッ……ヒリヤハッハNA……!!!」
切断の痛みと、乾燥剤の炎症──────その刺激は、男の大脳皮質を鋭く叩く。
さらには、喉奥が腫れ上がり気道を圧迫。
カヒュー……カヒュー……と呼吸が入らない。
血と唾液が混じり、口元でブクブクと泡立つ。
ドサリと膝から、男は床に倒れ込む。
「酸素が欲しい」……男はガリガリと喉を掻きむしっている。
苦痛の表情を浮かべる男───────やがて、白目を剥き……動きが止まる。
店内に残るのは、焦げたような薬品火傷の匂いと、鉄臭い血の匂い。
ト壱は獣のような荒い息を吐き、『外骨格』を解除する。
その視線は、海老反りになった男へと向けられている。
「フフッ──────オシャレな赤い服の完成だぞ」
そう垣真が呟く。
「理科の授業も、捨てたもんじゃないな────おっさん」
ふと、二人は周囲を見渡す。店内は壊滅的である。
割れた照明の破片。散乱した衣類。白く溶けた乾燥剤。
───────そして、紫と赤が混じった血の海。
よく聞けば、遠くでパトカーのサイレンがかすかに近づいている。
ト壱は、倒れ伏した男を一瞥する。
「コレで倒したって事でいいんだよな?」
垣真が足先で軽く小突いてみる。しかし男は白目を剥いたまま、動かない。
喉は異様に腫れ上がり、舌の断面からはまだ血が出続けている。
「死んでんな……コレは。それに見ろ、コイツ『ドッグタグ』付けてるぜ─────『舌切 雀』……コイツの名前か?」
垣真がそう言うと、ト壱は男の近くへしゃがみこみ、そのドッグタグを確認する。
「あんな言葉遣いで日本人か。よかったな、名前通り舌が切れて」
ト壱は肩の荷が降りたかのように、フフッと鼻で笑う。
そしてふと、ある事を思い出した。
「あッ──────そういや」
床に散乱している服の山……その中。
自分達が選んだ、赤いレザージャケットが血とホコリにまみれながら転がっている。
ト壱の視線を追った垣真も気づいた。
「あ、それ……会計まだだったよな」
ト壱は黙々とそれを拾い上げる。
タグはまだ付いたまま。値札がぶら下がっている。
赤い革。少し重い──────だが、妙にしっくりくる。
「俺の革ジャン、買うつもりだったが……」
「今からレジ通すの? この状況で?」
「つってもレジ、粉々だろ……この場合はこうするのさ」
そう言うとト壱はおもむろに、血の付いた上着を脱ぎ捨てる。
そして───────新品の赤いレザージャケットに腕を通した。
ギュ……と肩が鳴る。革が身体に沿う。新車のような匂いと、鉄臭い血の匂いが混ざる。
ヒビ割れたショーウィンドウのガラス……それに映るト壱の姿。
それを見て垣真が小さく笑う。
「似合ってんじゃんオッサン」
ト壱は襟を直し、パッパとホコリを払う。
「知ってる。会計はこの舌野郎持ちだ」
「あくまで盗んでないと……物は言いようだな」
垣真も、床に脱ぎ捨てられたオレンジ色の囚人服。番号入りのコレは、もう誰のものでもない。
手頃な『青いロゴ入りのパーカー』を羽織る。
二人はもう、『囚人』でも『被検体』でもなくなった。
現在時刻は17時45分……だんだんとサイレンは近づいて来る。
洋服屋を早く去らなくては────────そう二人は、壊れかけの自動ドアへ向け歩き出すのだった。




