第十一話【研究所を離れて】
────────2040年……7月15日。時刻は17時……木鼓研究所。
ト壱と垣真の二人……彼らは太寛との戦闘を終え、キッチンの床に腰を置いていた。
目の前には、自ら首を折った太寛の遺体と、血生臭い空間が広がっている。
ト壱自身、殺意こそあれど、最後に殺すつもりは無かった。
現在……二人は沈黙している。
「組織について知るヤツを仲間にできると思ったが……」
ト壱はそう呟いた。
木鼓所長以来の、初めて別の『BONE』との戦闘を経験し、自分たちを追う刺客がどれほど手強いのかを思い知らされた。
同時に、組織の行う『都合のいい記憶の改ざん』というモノの恐ろしさを感じていた。
「まぁ……だが、ここで立ち止まっても仕方ない、先を急ごう。他にも追手は来るかもしれない」
太寛の死体を眺めるト壱に、垣真はそう言うが、ト壱も言葉を返す。
「先を急ぐ……? どこにだよ」
「ふーむ……」と、顎の下に指を置き、垣真は考える。
──────少しばかり考えた後、答えを出した。
「まぁ……なら、服屋に行こう」
「は? ──────なんでだよ」
「おっさんを慰めるつもりじゃないが、太寛の事は一旦置いとくべきだ。気を取り直して『ZU』や『UNOQLI』とかの安いチェーン店に行こう」
ト壱は垣真の全身を下から上へ一瞥する。
いかにも『ヤバいやつ』な、オレンジ色の囚人服。これでは組織のヤツらに見つかりやすい。
何より───────確実に職質されるだろう。
ト壱にとって、警察のお世話になるなどもうゴメンなのだ。
ト壱は渋々「そうすッか」と賛成する。
幸い、10年の服役で得た『作業報奨金』が、あと『42万』は残っている。 服など余裕で買えるだろう。
二人はこれから、『外界』へ足を踏み入れようとしている。
────────ト壱は、キッチンの鉄扉へと足を向けた。
血の残り香が、まだ鼻の奥に残っているまま。
「この先─────外に繋がってるのか?」
誰に言うでもなく、そう呟く。
垣真は「さぁな」と、ト壱の背中に続く。
鉄扉は、思ったよりも軽かった。
ギギギィ────と、錆びた金属の擦れる音を立てて開く。
その先にあったのは、無機質で人の気配のない───────白い廊下。
足音だけが、コォーン──────とやけに大きく響く。
「……なんともまぁ───────静かだな」
垣真が小さく呟く。
この通路の天井には、6個ほどの監視カメラがある。
しかし、『録画中』を示す赤ランプは全て沈黙している。
既に機能を止められているのか、それとも──────────
ト壱と垣真は、沈黙したまま歩き続けた。
────────やがて、通路の突き当たり。
『関係者以外立入禁止』と書かれた、一つの白い扉が現れる。
ト壱は、取っ手に手をかけ──────一瞬、動きを止める。
「ここから出たら、多分外だ──────そんな気がする」
ドアの隙間から、微かに『すきま風』が吹いているのを感じる。
「開けて見なきゃ分からんよ」
垣真の声は、淡々としていた。
ト壱は鼻で笑い──────肩で扉を押し開ける。
───────────ガチャンッ
外気が肌を撫でる。夏場特有の、ムワッとした暑さ。
空を見上げれば、蒸されるような暑さはそのままに、赤く燃えていた。
ここは────────研究所の裏口。
出てすぐ左側には、非常階段、そして錆びたフェンス。
人の気配はいずれも無い。
「ただいま──────だな」
「あぁ……待ってろよ、来紗」
ト壱と垣真は、小さく呟く。
二人はフェンスの隙間から外を覗く。
遠くで聞こえるのは……車の走る音、生活音、鳥のさえずり。
二人は言葉を交わさず裏口を後にする。
研究所へ、もう振り返らなかった──────そして背後で、鉄扉が静かに閉じる音がした。
────────────二人は、フェンス沿いに伸びる細い舗道を歩いている。
アスファルトは昼間の熱を溜め込み、それは靴越しにじんわりと伝わってくる。
「外ってのは、こんなにうるさかったか」
ト壱がぽつりと呟く。
遠くで鳴るクラクション、交差点の歩行者信号の音、遊ぶ子供たちの笑い声と泣き声────────
研究所の静寂とは、あまりにも対照的だった。
慣れないト壱の耳にとって、ほとんど騒音に近い。
「確かに─────俺もおっさんも、お互いにやっと掴んだ『束の間の自由』ってやつだな」
垣真はそう言いながら、目を光らせて辺りを見回す。
幹線道路沿いに並ぶ看板、コンビニ、ファミレス、カフェ。
そして──────少し先に目をやると、赤地に白文字、正方形の看板。
「お、アレだ……『UNOQLI』───────低所得層お墨付きの、安くてイマドキのブティック」
夜でもないのに、店内の照明はやけに明るく見えた。
ト壱は、自分の服装を今一度見下ろす────────血生臭く、血塗れで、血みどろな外見。
誰がどう見ても、この街に溶け込む格好じゃない。
「この格好で入るのは……人として何かダメな気がするんだが」
「そう言っていられる状況じゃないんでね」
垣真は、無愛想なト壱の横顔を見る。
「その格好のままいるよりかはマシだぜおっさん」
「服なんてタダの布だ。公然わいせつ罪にならない為に着ているようなモンだ」
二人は信号を渡る。横断歩道の白線を踏むたび、ト壱の胸の奥がざわついた。
刑務所でも、研究所でもない。 やっと手に入れた『誰にも縛られていない一歩』を踏むのだ。
そして──────とうとう到着した目的の服屋。
自動ドアの前で、ト壱は立ち止まる。
「─────なぁ、眼褄」
「なんだよ、さっさと入れよ。ドアノブはねぇぞ」
「服……どれ選べばいいか分かんねぇ。流行も10年前に止まってるんだぞ」
垣真は一瞬だけ目を見開き、「ハハッ」と歯を見せて笑った。
「そんなの好きに選べよ──────よく見るとおっさん、老けてはいるが顔は悪くないしな」
「余計なお世話だ気持ち悪ィ」
──────────「ティロンティロン〜」という、客が入ることを知らせる電子音。
同時に自動ドアが開き、冷房の風が二人を包み込む。
白い光と、整然と並んだ衣類。
ト壱と垣真は、無言のまま──────服屋へと足を踏み入れた。
──────────格安ブティック……ファッションセンター『UNOQLI』……その店内は実に静かだ。
白い床に白い壁、等間隔に並ぶハンガーラック。
店内に香る、石鹸のような匂い。
所々に、旬のファッションに身を包むマネキンが、ポーズを取って設置してある。
平日の夕方という時間帯のせいか、客はほとんどいない。
「いらっしゃいませ〜─────どうぞご覧くださいませ〜」
レジカウンターの奥から、若い女性店員の声がする。
カチャカチャとレジスターに何かを打ち込んでいる様子だった。
どうやら入店音に反応しただけで、コチラには気が付いていないようだった。
────────そして、辺りを見回せばもう一人。
店内左側、試着室の前あたりに立つ男の姿が目に映る。
──────上は赤いチェック柄、下はハワイアンな短パンと、上下でチグハグな柄の服を着ている。
真夏だと言うのに、サイズの合っていない毛皮付きのコート、サングラス、黒い革手袋。
まるでマネキンのような、細い腕と脚が見える。
「なんだアイツ……アレが今の流行りなのか?」
ト壱が小さく呟く。
「さぁ? ファッション上級者って奴か」
垣真は軽く返しつつ、その男から『目線』が離せなかった。
その男が、服を見ている『フリ』をしているように見えた。
そして男の目──────それはずっと、ト壱の方を追っているように感じた。
見た目も含めて……全体的に怪しいのだ。
「まぁいいか───あいにく『映え』ってヤツには興味が無いんでね」
ト壱は気を取り直すように、近くのラックへ手を伸ばす。
そのラックには『サマーセール開催中!』の札が貼られている。
手に取るのは『赤いレザージャケット』……まるで1980年代のパンクロッカーのような、殺伐としたジャケット。
「とりあえず、これと────ズボンも適当なジーパンでいいか」
「あの────服、変わってないんですけど」
「いいだろ別に……革ジャンがいいんだ。昔観た喧嘩の映画に憧れてずっとこれなんだ」
二人は淡々と服を選んでいく。
─────────ト壱の背中に、視線が刺さっているとも知らずに。




