第3歩 揺らぎ
あれから2日、未だにリャナには一度も追いつけない。伸ばす手がかすりもしないどころか、届きそうな距離にすら迫れない。
「だいぶ動けるようになってきたけど、まだまだだねー。
頑張れ頑張れ~。」
「ずるいよ、リャナは大人だから、手も足も私より長いもん。
不公平だー!」
からかってくるリャナに、私は不満をぶつける。そうだ、そもそも長さが違うんだ。ということは力も違うし、単純に走っていたとしても追いつけるわけがない。
「んー、それならグレムと追いかけっこしてみる?」
「え。」
グレム、あれからずっと話せていない。訓練に夢中だったのもあるけれど、あの顔が、頭から離れなくて、なんとなく声をかけられなかった。
あんなことがあって、あんな話を聞いた後だ。仕方ないのかもしれないけれど、もう、たった1人の友達になってしまったあの子と話せていないことが、苦しい。
「グレムー!
今日はエインセルと追いかけっこしてみてー!」
そんな私の様子を知ってか知らずか、リャナはグレムを呼ぶ。
呼ばれてきたグレムは、いつも通りの表情で私とリャナを見て笑った。この前の形相が嘘のような明るさに、少し拍子抜けした私は呆けてしまう。
「いいの?
ぼく、エインセルとの追いかけっこで負けたことないけど、追いつけなくて泣きださない?」
「っな!?
グレムに勝てなかったぐらいで泣いたことなんてないでしょ!!」
グレムに煽られ、反論する。久しぶりの会話がコレかとも思ったが、前と変わらない調子に安心する。
というか、一緒に遊んでいて勝てないことに泣いたことなんてないはずだけれど、そんなに自信があるのだろうか。
「初めてあたしに負けて、泣きださないでよね。」
「勝ってからいいなよ。今まで一回も勝ったことないんだから。」
むっかー、失礼しちゃう。ぜーったい捕まえてやるんだから。
「バチバチだねー。じゃ、準備してー。
...よーい、どん!」
リャナの掛け声に合わせて一斉に駆け出す。最初は私が追いかける側。逃げるグレムに触れれば私の勝ち。
今まで一度も勝ったことはないけれど、リャナと訓練していたのだ、同じぐらいの身長のグレムに負けるわけにはいかない。
「...あれ?」
と、いつのまにかグレムが居なくなっていることに気が付く。おかしい、目を離さないようにしていたのに、まばたきの間にいなくなってしまった。
「へへーん、こっちだよ~。」
真後ろから声がして振り向くと、木の後ろから顔を出したグレムが舌を出してからかってきた。沸々と湧き上がる怒りで身体に力が漲る。
「ぜっっっっったい泣かす!!」
怒号と共に再開された追いかけっこは、結局捕まえられずに攻守交替となってしまった。
「いぇーい。逃げ切ったー。」
「おかしいおかしい!絶対おかしい!」
今までも勝てなかったが、こんなに差はなかったはずだ。目の前で見失うほどの差なんてどこにもなかったはず。なのにこうして何度も見失っては煽られ、結局一度も触れずに負けてしまった。
「むー...絶対逃げ切る。」
ともかく次は私が逃げる番だ。ここで私が逃げ切れば互角、追いかける方が不利なだけのゲームとなる。絶対に逃げ切ってリャナに文句を言うんだ。
「ふふふ、じゃあ次はエインセルが逃げる番だね。
...よーい、どん!」
めいっぱいに駆け出す。木の幹を、枝を蹴り、上下左右縦横無尽に飛び回る。人外は普通の人よりもずっと強い。身体能力が高く、子供であろうと、1対1だと人は太刀打ちできないのだとか。その肉体で持ってこのフィールドを駆け回る。追いかけるのと違って、逃げる側は自由だ。捕まる気がしない。
「ふふん、グレムは───」
「タッチ!」
だいぶ逃げれただろうと判断し、グレムの位置を確認しようと振り返った瞬間、いつの間にか背後にいたグレムに背中に触れられ、捕まってしまう。完敗だった。
「あちゃー、捕まっちゃったね、エインセル。
惜しい惜しい。
グレムはね、地面だろうと木の上だろうと、どこだろうと滑るように動く。
尻尾も器用に使って、ただでさえ姿勢が低くて見失っちゃいそうなのに、急に軌道を変えて予想と違う方へ行くから、余計に追いかけづらいんだよね~。」
意気消沈している私に、リャナが助言をくれる。でも多分、それだけじゃない。
グレムの走る姿勢は変わらない。あの子は今までもずっとそうだった。ここに来て変わったのは、尻尾も使うようになったことだけ。でも、それだけでこんなに変わるわけがない。なにか、私の気付いていない何かがある。
「っへへー。どーだエインセル、参ったかー!」
勝ち誇るグレムが嬉しそうに言う。それが私の対抗心を一層燃え上がらせる。
「もう一回。次は、こうは行かないから!」
負けられない、負けるのはいいとして、こんな負け方は認められない。私の知らないなにかを、絶対に暴いてやる。
「いいよ、何回でもやってあげる。次も勝つもんね。」
「ほんとに仲良しねぇ...じゃあ、グレムが逃げる側でもう一回ね。
よーい、どん!」
追いかけながら気づく、グレムを追いかけていると、木が、枝が、足場が間に入ってくる。逃げるグレムを捕まえようとすると、必ずなにかが邪魔をして、それで少しずつ遅れる。
グレムはずっと、私の目を見ているんだ。そうして、私から逃げられる一瞬を探している。木を周るように登ったり、枝に尻尾を引っかけて曲がったり、どうにかして私の目から逃れようとしている。仮に逃げられなくても、邪魔があることで、捕まえようとする動作に、余計なワンテンポが挟まる。払いのけるにしても、回り込むにしても。たぶんそれが、私との差で、見失う理由。
...理由は分かったけど、どうやって捕まえよう。
「とにかく力いっぱい追いかける、とか。」
口に出していることも気づかずに実行する。とにかく全力で蹴って、追いかける速度を上げる。絶対に逃がさない。それだけを意識して。
「あ。」
──ゴンッ!!
グレムを追いかけることに集中しすぎて、頭を木に強くぶつけてしまった。そうとうな勢いだったらしく、木の幹が凹んでいる。
「いったた…」
「ずいぶん勢いよく突っ込んだね~、大丈夫?」
「だ、大丈夫!?エインセル!」
頭をぶつけた私を心配して、リャナとグレムが駆けつける。リャナは大したことなさそうに、グレムはあわあわしている。
「痛かったけど、大丈夫!なんともないよ!」
「そ、ならいいけ───」「よくない!」
「...よくないよ、凄い音だったし、それに、血も、血が出てて、エインセル、死んじゃう...」
私の様子を見て安心したリャナとは真逆に、グレムが声を荒げる。言われて気付いたが、おでこから血が出ていた。
確かにすごい音だったし、すごく痛いけど、死んじゃうだなんて大げさな...
「グレム、大丈夫よ。
エインセルは死なない、ほら見て、元気でしょう。」
「...ほんと?エインセル、何ともないの?」
リャナに宥められ、グレムは少しずつ落ち着きを取り戻したものの、私が安静にしていないとぐずるのでその日はそのまま解散した。
あとでリャナから聞いた話だと、昨日も、トロイが料理中に指を切っただけで、グレムがひどく取り乱して大変だったらしい。どうやらグレムは、見知った誰かが傷つくと、過剰に反応するようになってしまったらしい。
───箱庭が壊れたあの日のことを、引きずっているのかもしれない。私もまだ、心の整理がつかないでいる。自分たちで何かができるように、って鍛えてもらうことにしたけれど、戦う覚悟、みたいなのはまだないし...
「……どうしたら、いいのかなぁ。」
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神聖国オラフォリオ、その僻地に存在する人類保護施設『箱庭』。その人外共存圏ともいえる施設が襲撃されたとの報告を受け、王城内の会議室では、教皇に次ぐ三名による会談が行われていた。
「だから言ったでしょう、人外との共存は不可能!
奴らは力に呑まれた獣、人々に害をなす害獣にすぎないのです。」
「...保護をうたっておきながら、人体実験まがいのことをしていたのだろう?
人間同士でも同じ結果になっただろう。つまり、自業自得だ。」
「保護の見返りに『協力』してもらっていただけだ。
本人たちの嫌がることはしないよう指示していたさ。だが、この惨状を見るに、その言いつけは守られていなかったようだがね...」
人外は力に呑まれた獣で、教団員こそが神話の英雄であると主張する、過激派
人外こそ神話の英雄であり、共存することが必要だと主張する、穏健派
人外は神秘の証明であり神話の体現者、人類繁栄のために保護すべきと主張する、管理派
教団内に存在する三つの派閥、その長が集うこの場では、今回の事件に対しての対応方法についての議論が行われていた。
「なんにせよ、です。
今回の騒動に関わった人外は全て駆除しなければ民は安心できない。」
「それは早計だ。
動機は理解できるとは言え、襲撃者を討伐するということには同意するが、元々箱庭にいた連中は別だ。
彼女たちは被害者だろう。」
「そうだね。ただ、箱庭出身でも、実験を受けていた子たちは危険だ。
あの場所が危険だという認識しかないから、再び保護を受け入れることは無いだろう。
生き残りの子供が居たとしても、大人が手放さないだろうな。」
議論は続く。過激派は駆除一辺倒、穏健派も襲撃者については同意、管理派としても、保護を受け入れないのであれば危険分子として判断するようで、このままいけば討伐の方向でまとまるだろう。
議論という形式を取ってはいるものの、これはいつもの流れ、言わば、予定調和。それもそのはず、危険分子は排除しなければならないという理念は同じなのだ。加えて、穏健派と管理派の間でも、共存の意味合いが違う。
管理派は『箱庭』による管理と保護を、穏健派はそれぞれの生活圏で暮らす共存を、掲げている。そこでも対立が起き、結果として、討伐に寄ってしまうのだ。
「決まりですね。奴らは駆除する。
民の危険を根こそぎ排除する。」
「違う、討伐だ。逃げるなら深追いはしない。
彼らには彼らの生活がある、そこを犯したのはこちら側だ。」
「彼らは貴重な資源だ。
できれば数人ぐらい、受け入れてくるといいんだけど...」
結論に異を唱える者はいない。唱えたところで揺るがないのだ。結局のところ人外とは、人知を超えた存在であり、民のためを思うのならば、この結論に至ることは自明の理であった。
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静かな通路、形だけの会議を終えた私は、結果を派閥内へ報告するべく歩く。頭の中では先ほどの議論で出た結論が重く響いている。
また、討伐になってしまった。わかっている、彼らは危険だ。赤子の手をひねるがごとく、容易く人を殺せてしまう。
俯くと自身の長い金色の髪が視界に入り込む。今鏡を見たら、凄い顔をしているのだろうな……
「しかし、彼らの中にはそれを望まないものも確かにいるんだ。
だからこそ保護を受け入れる。人と同じ立場で生活することを望んでいる彼らを無下にすることはできない。」
議論の結果を理解はしているものの、自身の掲げる理念との違いに納得できない私は、思わず愚痴をこぼしてしまう。
「会議へのご出席、お疲れ様でした。ブルコワーズ様。
そのご様子だと、今回も、なのですね...」
いつの間にか近くに来ていた私の側近に呼ばれてハッとする。穏健派の次席である彼に聞かれるのは問題ないが、他の派閥の人間に聞かれるのはまずい。迂闊だった。
「あぁ、残念だが、また討伐だ。
今回はことがことだけに過激派が動くだろう。彼らは容赦がない。また救える命が失われてしまう。
いつもみたいに、私たちが討伐に赴く時とは違って、わざと逃がすようなことはしないはずだ。
彼らにとって、討伐とは駆除だ。本気で1人残らず蹂躙するのだろう。」
これまでは、日々民を守ることと魔獣の殲滅に勤しんでいる過激派の代わりに、穏健派の私たちが出向くことで、特に危険な個体を除いて彼らを逃がすことができていた。
だが、今回はそうはいかない。僻地とはいえ、人類の生存圏であるオラフォリオ内に存在する箱庭が襲撃されたとあっては、過激派の彼らとしては腸が煮えくり返る思いだろう。
箱庭から同胞を救い出さんと立ち向かった人外と、彼らを決して許さない過激派の避けられない衝突を前に、私は憂鬱で深いため息をつくのだった。




