第25歩 恐れ
お姉さまと離れてから数分。森が切れた。
「あら、森を出られましたわ。
ループは抜け出せたみたいですわね。
お姉さまと合流していないということは、空間を歪める類の能力ではない、と。」
どうしましょう。引き返してお姉さまと合流するのが最善かしら。真っ直ぐ走ってきましたし、このまま真っ直ぐ引き返せばいいはず。
「お姉さまと離れたままなのも寂しいですし、戻りましょうか。」
振り返り、森に戻る。目印をつけた木、あれを見つければその先にお姉さまがいるはず。
「あぁお姉さま、一刻も早くお会いしたいですわ。」
お慕いする気持ちがはやり、無自覚に加速する。気が付けば、先ほど根こそぎ薙ぎ払った地点に戻ってきていた。
「あら?確かここは再生されたはずでは?
どうして薙ぎ払った後が残っているのでしょう……」
考えられる可能性はなんでしょう。ひとつ、幻覚や幻影の類だった。ふたつ、一時的な再生能力で時間経過で戻った。ぐらいでしょうか。
「どちらもあり得ますけれど、どちらにしても、お姉さまが心配ですわね。」
わたくしが森の外に出られたことから、森全体を覆えるほどの能力ではなく、わたくしかお姉さまのどちらかについていないといけない程度の影響範囲、ということでしょうか。であれば、お姉さまが戻ってきていないことから、今そいつはお姉さまと共にいる可能性が高い。
「わたくしを差し置いてお姉さまと二人きりなんて、そんなこと赦せるはずがありませんわ。
万死、必滅、うふふふふふ。」
お姉さま。今、チェシャが行きますからね。どうかご無事でいてくださいまし。
森を這うように駆ける。今なら、風をも置き去りにできそう。怒りで、焦燥で、嫉妬で、そして何より、愛で、力が漲る。
「あぁ、お姉さま。お姉さまぁ!」
────お姉さまは、そう遠くない位置で見つかった。黒い癖っ毛に、鋭く尖った三白眼。野蛮そうな見た目の癖に、変に小綺麗な女が一緒に居た。でも、様子がおかしい。お姉さまがそいつを見ていない。というより、別の位置を見ているような。
「まさか、幻覚を視て?
お前、お姉さまに何を……」
至近距離の対象に幻覚を魅せる能力と断定。本来なら距離を取っての戦闘が望ましいのでしょうが、そんなことはどうでもいい。お姉さまのあのお姿。全身を殴られ、蹴られたような打撲痕。あの女仕業だろう。あの女を、殺す。
「お姉さまぁあぁぁあああ!!!!!」
怒りのままに咆哮し、駆け出す。敵を殴り飛ばし、触脚で捕まえる。
「お前、お前ぇぇぇええ……」
お姉さまはボロボロだった。お姉さまが幻覚ごときでこんなにも一方的にやられるはずがない。なぜならお姉さまは最強なのだから。
「お姉さまに、なにをした。」
「ぐ、ははは、そんなにお姉さまが心配かい、チェシャちゃんよぉ。」
ヘラヘラとするそいつを三発殴る。質問に答えるまで、死ぬまで殴ってやる。
「聞かれたことに答えろ。」
「っぐ、催眠をかけただけだよ。
ちょ~っと、遊ばせてもらったけどなぁ、へへ。」
首が圧し折れそうな勢いでぶん殴った。触脚の締め付けが強くなり、ミシミシと嫌な音がそいつから鳴る。その時だった、お姉さまがわたくしの方に急接近してきて、わたくしの腕を掴む。
「お、お姉さま!?」
だが、やはり様子がおかしい。わたくしを見ているのに、その瞳にわたくしが映っていない。催眠がかかったまま。わたくしを敵と誤認しているのか、どんどんと握る力が強くなる。
「お姉さま!落ち着いてくださいまし!!
わたくしです!チェシャです!!」
「ははは、無駄だよチェシャちゃぁん。
お姉さまは今、幻覚を見ているんだ。
あんたを俺と誤認する幻覚をなぁ!!」
締め付けられながら敵が吠える。煩わしい。いっそ殺してしまおうか。だが待て、こいつを殺しても催眠が解除されなかったらどうする。殺せない……
「ちぃっ!!」
「焦れ焦れ!ほらお姉さまが襲ってくるぞ!!」
襲われるのはいい、むしろもっと…違う!考えろ、お姉さまはなぜ近づいてくる。なぜわたくしの腕を掴んで離さない。敵と認識しながら、わたくしから離れない理由はなんだ。考えろ、お姉さまをお救いするために今、わたくしにできることはなんだ。
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埒が明かない。感覚は信じられず、目も耳も、その役割を果たせていない。みっともなくとも、なりふり構わず手を振り脚を振り、どうにかして触れなければ。
「くそ、当たったかどうかも…」
そうして、視界が晴れる。再び、敵の姿を視認することができた。この機を逃すまいと、即座に敵に肉薄する。
「捕まえた!」
「ぐ、離せ!!」
腕を掴まれ動揺した敵がたじろぐ。振りほどこうともがき、殴りかかってくるが、これまで催眠に頼っていたからだろう、動きが鈍い。
「はっ、掴まれたまま戦うのは不慣れかな?」
「うるさい!早く離れろ!」
拳を避け、反撃の拳を腹に叩き込む。どうやったのか、ガードが間に合っており、腕で受けられた。まさか、掴まれた状態でも一瞬なら催眠をかけられるのか。
「しぶとい、大人しくしろ!」
「いやだね!いいから手を離せってんだ!!」
敵はもがく。蹴りで、殴りで、頭突きで、必死な様子で抵抗する。だが、掴んだこの腕は決して離さない。痛む身体に鞭打って、万力のような力を込めて握る。敵が指を一本ずつ引き剝がそうとするが、離してなるものか。
「離したらまた催眠をかけるつもりだろう!手は離さないよ!」
その時だった。視界が変わる。催眠が解ける。私が腕を掴んでいたのは、私が殴りかかっていたのは、チェシャだった。
「お姉さま?お気づきになられましたか?」
「あれ?チェシャ?なんで、私、催眠が……」
「良かった。
手を離さない、とお姉さまが叫ばれましたので、もしかしたらと思ってこいつをお姉さまに触れさせてみましたの。」
チェシャが触脚で締め上げたままの敵を見せてくれる。あれ、私は、催眠が解けたから敵の腕を掴んで、でも今、催眠が解けて。あれ。
「まさか、催眠が解けた幻覚を見せられていた…?」
自分で言って背筋が凍る。催眠が解ける催眠、視界が戻ったことすら幻覚で創り出せるということは、私が頼りにしていたものが、本当に催眠が解けたのかどうかも、自分一人では定かではなかったということ。
「く、はは、ご明察。
気分はどうかな?お姉さま。」
「お前がお姉さまと呼ぶな。」
「ぐぁああ。」
飄々と嘯く敵を、鬼のような形相のチェシャが締め上げる。私の傷を見て今にも殺してしまいそうな勢いだ。
「それで?
あんたの名前は?」
「は?」
「えちょ、お姉さま?こいつと対話を?」
「うん。
あ、でもそのまま捕まえててね。
そいつに触れていないと催眠をかけられちゃうから。」
どんな相手でも、とりあえずは話を聞いておきたい。あと、できれば殺したくはないし。
「死ぬ前に懺悔でもさせようってのかい?
残念だが、俺はそんなこと、ぁぐ。」
「お姉さまの質問に答えろ、ぐず。」
あくまでも余裕そうな態度を崩さない敵を、チェシャは容赦なく締めあげる。相当怒り心頭といった様子だ。
「ぁ゛あ゛!わかったよ!!
俺の名前はルインだ。」
「ルインね、よろしく。
あなたはずっとここにいるの?」
諦めたように、しぶしぶといった感じで話始める。
「そうだよ、生まれてこのかた、ずっとこの森で生きてる。
森に入ってきた面白そうなやつをいたぶって遊んで暮らしてきたんだよ。」
「きさま……」
「どーどー、チェシャ。落ち着いて。
いたぶるって、例えばどんな?」
「くそ、なんだってそんなことを…」
なんでこんな質問をしたのか、自分でもよくわからない。わかり合いたいわけじゃないと思う。ただ、知りたいのかもしれない。自分の知らない感覚を、嗜好を。
「ちっ。
催眠をかけて惑わせて、より深みに嵌っていく姿を見るのが好きなんだよ。
俺の能力を看破したと、希望に満ちた表情が、どうにもならない現実を知って絶望に染まっていくその変遷が、その色の変貌が、最っ高にそそるんだ。」
ルインの語りは、途中から熱がこもっていた。話しながら思い出していたのだろう。表情が恍惚としだし、蕩けるようだった。
「そう、よくわかった。
そういう人もいて、私にはどうしても理解できないことがわかったよ。」
「はっ、そうだろうなぁ。
お育ちの良さそうなお前らには、いつ死ぬともしれないこの森で生きてきた俺の気持ちなんて、わかるわけがないだろうさ!」
「……」
チェシャも私も、別に育ちが良かったわけじゃない。チェシャなんて、制御できない自分の身体のせいで街を追い出された。私は箱庭で生きてきたから、この二人に比べたらマシなのかもしれない。
「チェシャ、そいつ遠くにぶん投げて。」
「…いいんですの?お姉さま。
ここで殺しておかなくて。」
「そうだぜ、お姉さま。
俺はすぐにでもお前たちを追いかけて殺す。
次は遊ばない。絶対に殺してみせる。」
脅威として、チェシャはルインを殺そうと言う。ルインはルインで、プライドでもあるのか、私たちを殺すと宣言した。
「……仕方がない。コレ、気分良くないからあんまりやりたくないんだけど。」
「あぁ?」
「お姉さま?」
私は、能力を発動した。私の目が熱くなり、赤く淡く輝く。
「な、なにを。」
ルインに警戒の色が滲む。私は、それを増幅してやった。
「っ!?
なん、だ?これ。」
警戒心が増幅されたルインの額に、脂汗が滲む。必要以上に私を警戒し、怯えに似た表情が顔を出す。
「不安でしょう、怖いでしょう。
何をされているか、なにをされるのか、わからないでしょう?」
「ぐ、やめろ。
視るな、私をその目で視るな!!」
チェシャに締め上げられた状態で、ルインが首を振って暴れる。追い打ちをかけるようにルインに芽生えた怯えを、恐怖心を増幅させる。
「ぁ、ぁああぁああああぁぁぁああ!!!
やめて!!やめてぇ!!!」
「お、お姉さま?
なにをしているんですの?」
「ちょっとね、お仕置き。」
増幅を解除してやった。ルインの中で増幅されていた感覚が霧散する。だが、私に強い恐怖を感じた記憶だけは鮮明に残る。
「私はね、あらゆるものを増幅する能力を持っているの。
今は、貴女の警戒心を増やして、それで芽生えた不安を、怯えを、恐怖を増やしたんだ。
これに懲りたら、もう悪いことしないで。いい?」
拘束されたままのルインに近づき、なにをしたかを説明し、釘を刺す。当の本人は、未だに怯えながらもこくこくと力なく頷く。
「さすがお姉さまですわ……
いつかわたくしもお仕置きして、いえ、なんでもございませんの。」
「…よし。
じゃあチェシャ、ルインを適当に放り投げといて。」
チェシャの発言を聞き流し、ルインを適当なところに投げておくよう指示する。そうして、痛む身体を抑えながら、自分の自然治癒力を増幅させて回復を促す。
「いててて、けっこうやられたなぁ…」
「でしたら、このチェシャがお姉さまをお運びいたしますわ!」
言うが早いか、チェシャの触脚が私を優しく包んで持ち上げた。大きな触脚は安心感を与えてくれる。
「ありがとう、チェシャ。
よろしくね。」
「~~ッ……はい!!
お任せください、ですわ!」
少しだけ、私を包む触脚がきつくなるが、それがむしろ心地よかった。殺さないための最終手段。増幅によって自分への恐怖心を植え付け、それを担保に逆らえなくさせる。わかっていたけれど、やっぱり気分のいいものではなかったな…
「ねぇ、チェシャ。」
「どうされましたか?お姉さま。」
「ありがとうね。私と一緒に居てくれて…」
「うふふ、もちろんですわ。わたくしは、どこまでもお姉さまについて行きますの。
嫌と言っても聞かないですからね!」
頼もしい限りだ。はぁ、慣れないことをした後だから気が重い。このままチェシャに身を預けよう。
「あ、でもでも、お姉さまに嫌われるぐらいならわたくしは寂しさを飲み込んで離れますわ……」
「ふふふ、大丈夫だよ、チェシャ。」
そっと、触脚を撫でる。私を慕ってくれているこの子を、理由もなく突き放すものか。
そうして私は、これからの旅路に思いを馳せながら、チェシャに運ばれるのだった。




