第24歩 夢遊
「……これで何回目でしたっけ、お姉さま。」
私たちは今、遭難している。見覚えのある景色が増えてきたので、木に目印となる傷をつけて歩いていたのだが……
「十回目、かな…」
同じ目印の木を見るのもこれで十回目。どうやら、同じところをぐるぐると回っているらしい。
「この木を見るたびに、曲がる方向を変えているハズなんだけどね。」
「なにかが、誰かがわたくしたちをここに閉じ込めている、ということですわね?」
断定するには早い気がするけれど、その可能性がいちばん高いか。だとしたら誰が、なんのために。
「とりあえず、薙ぎ払いましょう。この辺。」
「物騒だけど、それが早いね。お願い、チェシャ。」
もはや手足同然に触脚を操るチェシャが、周囲の草木を薙ぎ払う。私たちの足元を残して、地面ごと根こそぎ引っぺがす。
「あら?」
「およ?」
確かに薙ぎ払ったはずの草木が、みるみるうちに再生していく。根こそぎ抉られたはずの土ですら盛り上がって元の状態に戻る。
「どうなっているんだろうね。」
「気ん持ち悪いですわぁ~。」
最初からずっと変だったけど、これはさすがにおかしい。再生というより、創造に近いような気がする。
「あ、目印消えてる。」
「復元じゃないんですのね。
じゃあ、薙ぎ払い続けたら息切れとかするのでしょうか?」
あまりにも脳筋が過ぎる発想ではあるが、これが何者かの能力によるものなのだとしたら、確かに続ければいつかは息切れを起こす可能性もある。
「可能性はあるけど、こっちも疲れちゃうからね、それは最終手段にしよっか。」
「かしこまりましたわ、お姉さま。」
さて、整理しよう。どれだけ歩いても同じ地点に帰ってくる。抜け出そうと周囲を薙ぎ払っても、再生する。ただし、木につけた目印がしばらく残っていたことから、小さな傷程度であれば再生されない。誰かの主観で再生、もとい、創造が発動されている可能性がある。といったところだろうか。
「前提から覆してみようか。」
「前提、ですの?」
「うん。
私たちが、同じところに戻ってきているという前提。
相手が再生じゃなくて創造の能力なら、同じ傷のついた木を生やす、ということもできるはずでしょ?」
「あ。」
同じ地点をぐるぐる回っているという思い込み。それ自体を疑ってみることにする。基準となる木に目印をつけて、クラウチングスタートの構えをとる。
「じゃあ、こっちの方向に真っ直ぐ走るんだ。
同じところに戻ってるわけじゃないってことを確認するために、チェシャは反対側ね。」
「はい!お姉さま!」
二人で駆けだした。絶対に曲がらない。そもそも曲がらなければ戻ってくるはずはないのだ。結果は、
「うーん。ダメか。」
「一度も曲がってないですよね、わたしたち。」
真っ直ぐ走った先に、同じ目印のついた木があった。端と端が繋がっている隔離された空間の可能性。その空間内を自由に操作できる能力、とかなら理屈は通るか。もうひとつ、なんらかの催眠に二人してかかっていて、真っ直ぐ走っているつもりが、ゆっくりと曲がって回ってきた可能性。この場合、認識を歪める類のものだろうから、そもそも気づけたこと自体がおかしい。逆に、気づかせることが条件だったりするのだろうか。
「さて、どうしたものかな。
判断しようにも、情報が少なすぎる。」
「やっぱり、根こそぎ剥がし続けます?」
どうしよう、それがいちばんな気がしてきたな。空間隔離なら、それほど広範囲を指定できるわけでもないだろう。催眠系なら、そもそも木々が生えてきたことがおかしい。能力が繋がらない。一つの個体に一つの能力、これは鉄則のはずだ。
「待てよ?敵は一体じゃない……?」
「あぁ、その可能性もありますね。
再生役と、閉じ込め、捕獲役、分担して獲物は山分け。
なくはない話です。」
あぁ、もうだめだ。択が無限になってしまった。
「これはもう考えても無駄だ。やっちゃおう。」
「わっかりましたぁ!」
破壊と再生の、根比べが始まった。時間は刻々と過ぎていき、体力も削られていく。まぁ、私は見ているだけなので、チェシャだけが疲弊しているのだが。
「はぁ、はぁ、お姉さま、おかしいです。」
「そうだね、再生速度が全然落ちない。」
肩で息をしながらチェシャは触脚を振るい続ける。しかし、破壊された草木の再生速度が一向に落ちないのだ。よほどの手練れが相手なのかもしれない。
「ちが、違うんです。
お姉さま。」
「え、違う?」
チェシャは、私とは違う感想を抱いている様子だった。
「感触が、一定です。
毎回、何度振るっても同じ感覚なんです。」
「ずっと一定の感触…」
再生にしろ、創造にしろ、完璧に同じ形で触脚を振るっていなければ、まったく同じ感覚にはならないはずだ。それが、常に一定に感じる、ということは。
「チェシャ、もう大丈夫。
たぶん、ここにはもう何もない。」
「はぁ、はぁ、ど、どういうことですか…」
息も絶え絶えといった表情で、チェシャが私を見上げる。
「相手の能力がわかった。
たぶん、確定でいいと思う。」
「さすが、はぁ、お姉さま、です。」
「敵の能力は、催眠。
ループしているのも、再生してるのも、私たちにそう見えているだけで実際はそんなことは起きていない。」
まさか、感覚までいじれるほどの催眠だとは思わなかったが、おおかた間違ってはいないだろう。逆方向に走ったはずの私たちが、同じ目印の木で合流したのは、気づかないうちにゆっくりと曲がっていて、そこで合流しただけ。目印も実際にはついておらず、破壊した地面も、再生していない。
「となると問題なのは、どう抜け出すかなんだよね。
そもそもここがどこかもわからないわけで。」
「ですね。
敵の術中、ということですから、わたしたちが能力に気づいた以上、もう何が起きてもおかしくありません。」
催眠を抜け出すには、真実を感知する必要がある。だが、どうやってそれを感じる。相手は感覚すら弄れる催眠能力者だ。今この瞬間にも、攻撃されているかもしれない。視覚だけでなく、五感すべてが信用できず、機能していない。正直、詰みだ。
「困ったね、どうしようか、チェシャ。」
「まぁ、わたしとしてはお姉さまと一緒なら何でもいいのですけれど。」
チェシャは相変わらずの様子で、焦っているようには見られない。上がっていた息も、もう落ち着いたみたいだ。
「少し、頑張ってみようかな。
能力の有効範囲があるはずなんだ。だから、ちょっと走ってみるよ。」
「有効範囲、ですか?
先ほど暴れ散らかしたわたしが言うのもなんですが、この状況で体力を消耗するのは悪手では?」
確かにチェシャの言う通りなのだが、試せることは試した方がいいだろう。試さずに諦めるようなことは、あまりしたくない。
「まぁまぁ、やるだけやってみるよ。」
少しだけチェシャは不満そうな顔を浮かべたが、なにも言ってこなかった。その様子に少しだけ引っかかるが、この状況なら無理もない。
脚に力を込める。催眠。気づかないうちにまた曲げられてしまうかもしれないけれど、全力疾走だったら追いつかなくて違うかもしれない。
「ふぅ。じゃ、行ってくるね。」
「行ってらっしゃいませ。どうかお気を付けて。」
全力で駆け出す。さっきチェシャと二人で走った時とは違う。地面を蹴って走るだけではなく、周囲の木も足場にして、全部を使って加速する。
「もっと、風よりも早く。」
景色が凄い速さで後ろに流れる。空気の抵抗が強くなる。押し戻されるような感覚。この感覚も、催眠なのだろうか。
「おかえりなさい、お姉さま。」
「……ただいま、チェシャ。」
けっきょく、チェシャのいる場所に戻ってきていた。真っ直ぐ走ってきたはずだが、やはりどこかで曲げられてしまったのだろう。
「ダメかぁ……
そもそも効果範囲外に出られないとはなぁ…」
「ですね。
打つ手なしですし、もうここで暮らしませんか?お姉さま。」
荷物の中にはまだ食料が入っている。数日であれば余裕で持つだろう。だが、そう暮らしていけるほどの環境が果たしてこの催眠下にあるのだろうか。
「数日は持つかもだけど、その先がなぁ……」
「なんとかなりますよ。わたしとお姉さまなら。」
随分と楽観的なことだ。できることがなにもなくて、絶望しているのもあるのだろうか。というか、さっきからなんか違和感があるな。
「ねぇ、チェシャ。」
「なんですか、お姉さま。」
「…もう一回だけさ、辺りを薙ぎ払ってもらえないかな。」
「一回だけですよ。」
……チェシャが触脚を生やす。これまで見た中で一番大きく、長く。そして振るった。地面が抉れ、そして再生する。
「見ての通りです。破壊してもすぐ再生するので、無駄です。」
「そうだね。でも、分かったことが一つあるよ。」
私は、確信をもってチェシャに攻撃した。蹄を生やした拳で、全力の右ストレート。想定していた感触とはまた違った感触が手に帰ってくる。
「がっ、なぁ!?」
「やっぱりね。」
喋り方。触脚のディテール。振るったときの衝撃。再現が疎かすぎた。そこまで観察できたわけではなかったのだろう。いつから入れ替わったのかはわからないが、私がこうして囚われているということは、今頃チェシャの方は鬼のような形相で私を探している頃だろう。
「……よくわかったじゃないか。」
「まぁね。あんた、チェシャの真似下手すぎ。」
私が殴ったチェシャの姿が歪み、それが姿を現した。長く、癖のある黒髪。鋭く尖った三白眼。尖った八重歯は、牙にも見える。野生を体現したかのようなその姿は、それでいて妙に小綺麗だった。
「あんた、誰?」
「さぁね、誰だっていいだろう?お姉さま。」
瞬間、姿がブレる。再びチェシャの姿に。
「もう通用しないよ!」
「はっ、それはどうかな!お姉さま!!」
再び拳を叩きこむ。当たったはずだが、催眠が解除されない。触れることが催眠解除の条件というわけではなかったのか……
「はははっ、当たってないよぉ?お姉さまぁ!!
チェシャはそこにはいませんよ~!」
「は?」
当たっていない。では今の感触は催眠による感覚支配か。いつの間に。まさか、無条件で完全催眠ができるとでもいうのか。
「あ~、ははっ。
気分がいいから教えてあげるよ、お姉さま。」
「なにを……」
偽物のチェシャが気味の悪い笑みを浮かべる。この状態で何を教えるというのか。
「俺の催眠はなぁ、相手が催眠にかかっていると認識するほどに、深度が増すのさぁ!!
今のお前は、もう完全に俺の催眠の支配下なんだよぉ!!」
「なっ!?」
自覚が逆に催眠を深める条件、だと。今、そう言ったのか。視覚はもとより、触覚すら信用できず、下手をすれば聴覚すら。五感があてにならない状態が再び展開された。
「くそっ。」
「ははははは、お姉さま!
今殴られてるのわかってるぅ?」
身体の動きが鈍い、殴られているというのは本当なのかもしれない。いや、刺されている可能性も。身体が動いていないという感覚すら、催眠によるものかもしれない。だめだ、解決策が浮かばない。
「ちなみにぃ、俺に触れることが催眠の解除条件だよ!!」
今度は殴られた衝撃があった。勢いのままに身体が倒れる。手をつこうとするが、手が動かない。来たる衝撃に備えて目を瞑るが、予想された衝撃が来ない。今、私はどうなっている。触れることが条件なら、殴られたら解除されるのでは。解除されていないということは、殴られていないのか。それとも、触れた瞬間に再び催眠をかけられたのか。考えれば考えるほど策がなくなる。
「絶望した?お姉さま。」
「ッ!!」
絶望、しかけていた。クソ。こいつの思い通りになってたまるか。でも、この状況。どうやって打開すればいい。どうにか、どうにか触れなければ始まらない。
「おぉっと、今のは惜しかったぜ、お姉さま!」
「ふんッ!!」
視界が晴れる。なんとか、掠ったらしい。触れれば解除、というのはどうやら本当のようだ。
「お~、おめでとうお姉さま。」
「はぁ、はぁ、くっそ。」
全身が痛い、催眠を受けている間、随分と痛めつけられたようだ。刺し傷はない。打撲痕ぐらいか。感覚が支配されていて、ダメージにも気づけていなかったらしい。
「じゃあもう一回、頑張ってみよ~。」
「ぐっ。」
催眠をかけられる前に接近しようとして、目の前で敵の姿が消える。くそ、間に合わなかった。ただ触れるだけではだめだ。捕まえて、離さないようにしなければ。また、イチかバチかの攻撃を仕掛けなければならない。
「ひひひ、頼むから、もう少し粘ってくれよ?お姉さま。
俺は、相手が絶望する様を見るのが大好きなんだからよ。」
「…悪趣味な。」




