第23歩 グルメ
※本話には、やや残酷な描写が含まれます
「っしゃぁ!お姉さま!そっちに行きましたわ!!」
「あいよぉ!任せて!」
森の中で見つけた大きな湖。そこで、巨大魚を捕まえていた。釣り竿や網などは使わずに、肉体での捕獲。チェシャが追い込み、私が仕留める連携プレイ。
チェシャは、腰から生やした触脚を器用にくねらせて遊泳する。その速度は凄まじく、泳ぐ魚をそのまま捕まえることさえ出来るだろう。私はそこまでの速度は出せないので、チェシャが追い込むのを待って仕留める役だ。
「ん~、美味しいですわぁ~!」
仕留めた魚を捌いて食べる。チェシャが頬に手を添えて満面の笑みを浮かべているのを見て、微笑みながら、私も刺身を一切れ口に運ぶ。
「ん!美味しい~。」
口に入れた瞬間、舌に触れた瞬間、とろけるような脂が口内を満たす。新鮮な身の弾力が心地よく、噛むごとに内包されたうま味が染みる。絶品だ。
「こっちのたれに浸けてみるか。」
カバンから取り出したのは、里でもらった秘伝のたれ。甘じょっぱくて、大体なににでも合う。
「お姉さま、なんですの?それ。」
「これ?秘伝のたれ。
隠れ里を出るときにもらったんだ。
作り方は教えてもらえなかったから、これ一本だけなんだけどね。」
小皿に少量注いで、カバンに仕舞う。刺身を一切れ取り、ちょんちょんと少しだけつけて、口に放り込む。
「ん~~~~~~!!!」
「美味しいんですのね!?わたくしも失礼しますわ!!」
あぁ、凄い。刺身の持っていた微かな甘さが、秘伝のたれの甘じょっぱさで引き立てられている。脂とたれが口内で溶け合って、さらに旨さを増していく。これは正解だ。
「ん~~~~!!!!!!」
私に続いて、刺身をたれに浸けて食べたチェシャの顔がほころぶ。とろけるようなその表情は、口の中にある物が美味であることを、惜しげもなく伝えてくる。
「ほっぺたが落ちそうですわ……
ありますわよね?わたくしの頬。」
「あるある、大丈夫だよ。」
真面目な顔でおどけたことを言うチェシャに微笑みかけながら、一切れ、また一切れと刺身を食べ進めた。
「ふわ~、あっという間になくなってしまいましたわ……」
「ほんとだね………美味しかったぁ……」
気が付けば、巨大魚の刺身はきれいさっぱりなくなっていた。代わりに、私たちのお腹ははちきれんばかりに膨れている。
「ぐ~…食後の運動、しますかぁ。」
「ですわね。このままでいると、太ってしまいますわ。」
のそのそと立ち上がり、背伸びをする。食後の運動、と言いつつ旅を再開するだけだ。
「ところでチェシャはさ、どこか行ってみたい場所とかあるの?」
「行ってみたい場所、ですの?
そうですわねぇ…
あ、美味しいご飯のある所に行ってみたいですわ!」
さっきの食事が頭に残っているのだろうか。でも、美味しいご飯か。確かにそれはいい。道すがら、食べられそうなものを探して回ろう。
「いいね、それ。
見つかるといいねぇ…」
「はい!」
そのまま、並んで歩き続けた。
数刻ほど歩いただろうか。日が傾き、オレンジの明かりが木陰に差し込んだ頃。何かの気配が漂い始めた。
「お姉さま。」
「うん。
なにかいるね。」
近くの茂みに身を潜める。それは、悠然と歩を進めていた。茶色の毛皮に包まれた大きな体躯。その風貌からは、確かな筋肉量が感じられた。
「ヒュージベアー。
この辺が生息域なんだ。」
周りをよく見れば、ぽつぽつと縄張りを示すひっかき傷が木々に付いていた。迂闊だった。
「どうしますか、お姉さま。」
「いったんこのままやり過ごしてみよう。
見つかったら、戦うんじゃなくて全力で逃げる方向で。」
隣に隠れているチェシャがこそこそと確認してくる。むやみに倒す必要もない。縄張りに入ってしまったのはこちらだ。見つからなければそれでよし。見つかっても、極力戦闘を避けて縄張りの外へ離脱する。
枯葉や枝を踏みしめて、四つ足で練り歩くヒュージベアー。幸いなことに、見つかってはいないらしい。茂みに隠れたときに何かの果実が少し潰れたらしく、運のいいことに、私たちの匂いを隠してくれているのも大きいだろう。
「グルルルルル…」
ふすふすと鼻を鳴らしてしばらく辺りを練り歩いた後、ヒュージベアーは来た道を引き返していった。
「ふぅ、なんとかなったね。」
「良かったですわね、お姉さ、マ!?」
やり過ごせたと安堵してチェシャに声をかけるが、様子がおかしい。私を、というよりは私の背後を見て、固まっている。まさか、
「おおおおおおねおねおねえねねねお姉さま。
うし、後ろ。」
壊れたように言葉を紡ぐチェシャの様子に、ゆっくりと、振り返る。
「フシュー…」
「…あー。」
そこに居たのは、ヒュージベアーの別個体。
「逃げるよ!!!チェシャ!!」
「はっ、ひゃい!!!」
脱兎のごとく駆け出す。振り返らない。振り返れない。重厚感のある音が、凄い速さで追いかけてきているから。あの距離まで近づかれて離脱できたのは運が良かった。まだ追いかけられているけれど、縄張りを出れば追いかけてこないはずだ。
「グルルルァアア!!!」
「お姉さま!あれなんて言ってますの!?
怒ってますの!!??」
「わっかんない!わかんないよ!!」
ぎゃーぎゃーと叫びながら疾走する。木の幹を蹴って加速し、立体的に逃げる私。触脚に生えた脚も総動員して地を滑るように逃げるチェシャ。ヒュージベアーからしたら、どちらを狙うべきか悩ましい状況だろう。おかげで逃げられている。これがもし、二人揃って素直に走って逃げていたら、いまごろ力任せの、勢い任せの突進を喰らっていたことだろう。
「ど、どこまで逃げたらいいんですの~!!」
「とにかく走って!追いかけてこなくなるまで!!」
時間にしたら二分にも満たないだろう全力逃走。気づけば、ヒュージベアーは追ってきていなかった。
「あれ!?お姉さま!もう、もう大丈夫ですわ!」
「え!?あぁ、ほんと?良かった。
はぁ…はぁ…」
二人して振り返り立ち止まる。
「はぁ…なんとか、逃げ切れましたわね。」
「うん、次からは気をつけないと、だね。」
肩で息をしながら、反省する。少しずつ息を整え、周りを見渡す。ただでさえどこだかわからない森の中。当然目印など無いし、どれほど移動したかもわからない。地図があるわけでもないので大した問題ではないのだが、水の不足は死活問題なので、川までの距離感が測れなくなるのは困る。
「わたくし、嫌な予感がしますの。」
「え、なに?」
チェシャが、未だに肩で息をしながら絞り出すように告げる。まだ、窮地を脱していないかのような口調。
「縄張りを出たから追いかけてこなくなった。それはいいとして、なぜ縄張りがあそこまでだったのか。
ひとつ、単純に十分な広さを確保したから。
これも理由としては何ら不思議なことはないことですわ。
でももうひとつ、縄張り争いをしている敵がこちら側にいるから。
これだった場合、わたくしたちは別の脅威に晒されることになりますわ。
縄張りから本当に一歩も出てこなかったことが、気がかりですの。
あとは勘ですわ。直感的な、悪寒。」
「ここもヤバい。そういうことだね?」
こくこくと頷くチェシャを見て、私は目を閉じた。探れ。ここにいるかもしれない脅威。ヒュージベアーと縄張り争いができるほどの脅威。その気配を。
それが、ダメだった。気配を感じるために目を閉じた行為、それは悪手だった。
「っ!お姉さまっ!!」
「ギシャーー!!」
ツタが頭上、いや、樹上から襲い掛かってきて、あっという間に絡めとられてしまった。硬い。靭い。簡単には千切れそうにない。手足、腰、胴、がツタに締め上げられている。
「ぐぅ…」
「お姉さま!今、いま助けますわ!」
チェシャが戦闘態勢に入る。甲羅に覆われた多節の触脚が腰から生え、フリルがふんだんにあしらわれた洋服をはためかせ、低く身構える。
「ふぅ…」
「ギギギギ」
敵は樹ではなく、その上。枝分かれの根本に立つ子どもぐらいの大きさの人型。グロウポックルだ。ツタで縛り上げた獲物から養分を吸い取って成長する魔獣。木の皮のように見える肌は、岩石のように硬く、並の攻撃では通らないが、果たして……
「シっ!」
低姿勢のままチェシャが駆け出す。真っ直ぐにグロウポックルを目指すのではなく、木を回るように登り、狙いを定めさせない。ツタが殺到するが、複雑な動きをするチェシャを捕らえきれずにツタ同士で絡まっている。
速い、もうグロウポックルの眼前まで迫っている。
「やぁあ!!」
「グぎッ!?」
振り抜かれた拳がグロウポックルにクリーンヒットする。が、やはり外皮が硬く、大したダメージになっていない。それでも、グロウポックルにとっては想定外だったようで、チェシャへの警戒が一段上がっているのを感じる。
「ちっ、通らないか…」
「……」
睨み合い。お互いに次の相手の出方を探っている。先に動いたのは、チェシャだった。
「ふっ!」
回し蹴り。に、見せかけた触脚による鞭打。硬い外皮に対してチェシャが出した答えは、自身の持つ触脚が纏う甲殻の硬度を利用した攻撃だった。自由に動く触脚の中身はほとんどが筋肉であり、そこから繰り出される破壊力は計り知れない。
「グギャ!!」
グロウポックルが弾き飛ばされ、地に落ちる。それを当然目で追った。チェシャも私も。その瞬間、チェシャの背後からツタが殺到した。
「なっ!?ぅぐ!?」
次の瞬間には、チェシャがいくつものツタに全身を締め上げられていた。
「ゲーゲッゲゲゲゲ。」
うまくいった、とでも言いたげにグロウポックルが笑っている。
「この程度…!」
ミシッ、と、チェシャを縛るツタが音を上げた。内側から力で拘束を破ろうとしている音だ。チェシャの持つ触脚の中身はほとんどが筋肉。ツタで縛られた程度では、拘束のうちに入らない。
「ゲギャ!?」
「ふんっ!!!」
バキィ、という嫌な音を立ててツタが千切れる。擦れた痕はあるものの、チェシャにはダメージが無かった。
「潰れてくださいまし。」
樹上からチェシャが跳ぶ。そのまま前方向に宙返りし、フロントフリップキックをグロウポックルに放つ。ただし、当てるのは脚ではなく触脚。しかもそのいちばん外側。遠心力のいちばん乗った、破壊力重視の一撃。
「ガギャァ!!」
凄まじい衝撃音だった。硬いもの同士が豪速でぶつかり、砕けた音。砕けたのは、グロウポックルの方だったようだ。
「ギ…ギガ…ギャ……」
外皮が砕け、中身が露出した状態でぴくぴくと痙攣するグロウポックル。虫の息だ。もう死を待つのみだろう。私を縛るツタも緩んできて、抜け出せるようになった。
「よい、しょっと。
ありがとうね、チェシャ。」
「いえ!はい!
お姉さまのためとあらばわたくし、ドラゴンだって屠って見せますわぁ!!!」
尻尾の代わりに触脚をブンブンと振り回すチェシャ。風がすごい。
「はは、頼もしいね。
…そういえば、グロウポックルの身って、美味しいらしいんだよね。
確か、高級デザートだって、聞いた記憶が…」
「でっっっっざーと!!!
是非、是非食べましょう!
砕きます!捌きますわ!!」
砕けた部分を掴んで、メキメキとグロウポックルの外皮を剥がしていくチェシャ。躊躇とかはないのだろうか。一応、人型なんだけどな。
もはや悲鳴を上げることすらできないグロウポックルは、絶命までの幾ばくかの時間を、自身の外皮を無理やり剥がされる感覚に費やすのだろう。もう考えるのはやめよう。食べるときに思い出しそうだ。
その後、チェシャがニコニコで解体したグロウポックルを食べた。味の感想としては、涙の味がしたよ。シャクシャクと瑞々しい身が、悲しいほどに美味しかった。
「はー、散々な目にあった。」
「でも、最後に美味しいデザートをいただけて、わたくしは嬉しかったですわぁ~。
うふふふふふ。」
全く意に介さないチェシャが隣でにこにこと笑う。笑顔で頬を揉んでおり、味を思い出しては、頬が落ちそうな思いをしているらしい。確かに美味しかった。美味しかったよ…
「よし、今日はこの辺で寝よっか。
テントを建てよう。」
「はーい、手伝いますわ!」
日はすっかり沈んでいた。焚火を囲んでテントを建てる。この火を消せば、後は眠るだけだ。
「明日はなにがあるんでしょうね、お姉さま。」
「どうだろうねぇ、楽しみ?」
「はい。お姉さまと一緒なら、たとえ地の底でもピクニックができますわぁ…
ふわぁ、あぅ。」
テントの中で並んで寝転がりながら明日に思いを馳せていたら、チェシャが大きくあくびをした。
「そろそろ寝ようか。
おやすみ、チェシャ。」
「はい。
おやすみなさいませ、お姉さま。」
焚火が消えた野営地。燃えカスの香りを感じながら、私たちは意識を手放した。




