第20歩 未知
エリオットたちについて行くと、一見何もなさそうな空間に連れてこられた。
「周りには何もいないな?」
「うん、何も感じないよ。」
「よし。」
そんな会話をしながら辺りをキョロキョロと見渡す三人。私もつられて見渡すが、何の気配も感じない。周囲には何もいないようだ。
エリオットの父親が草を引っ張ると、地面ごと円形に持ち上がる。どうやら蓋になっているようだ。
「さ、入りなさい。
貴女も、お入りください。」
「あ、お邪魔します。」
促されるまま、中へ入る。入口の蓋も、壁も床も、土ではなかった。丁寧に鉄板で舗装された内部は、快適な温度が保たれていた。
「すごい…」
「えへへ~、ようこそ、エインセルお姉ちゃん。
僕たちのお家へ!」
「ゆっくり、おくつろぎくださいね。」
「こら、エリオット。
お前は後で説教だからな。」
得意げなエリオットに、お母さんが続く。後ろからやってきたお父さんがエリオットを叱るが、その表情は、温かく、慈愛に満ちていた。
「家族仲が、よろしいのですね。」
つられて私も表情がほころぶ。その様子を見たエリオットの両親が息をのんだ気配を感じた。
「…本当に、私たちは人外という存在を勘違いしていたんですね。」
「いいえ、勘違いというと、少し大げさかもしれません。」
私の表情を見て、人外全てが人を襲い、喰らう怪物であると勘違いしていたことを悔いているようだった。だが、実際に人を襲う人外だっているだろう。過激派人外たちがいい例だ。彼らは、人類を強く憎んでいる。
「こういう人外もいる。それぐらいで、ご認識いただけたらと、思います。
実際に、人を襲う子も、きっといるので。」
失敗した。せっかく認識を改めて、受け入れてくれそうだったのに。こんなことを言えば、また、怯えられてしまう。
「でも、あなたは違う。
そうでしょう?」
「ね、エインセルお姉ちゃんはそうじゃないもんね!」
エリオットのお母さんが優しく私の肩に触れ、エリオットが私の脚に抱きつく。あぁ、温かい。人の温もりだ。人も人外も変わらない。体温があって、慈しむ心を持っている。ただ、少しだけズレてしまっただけ。立場が違っただけ。だからこそ、悲しい。だからこそ、この温かさが、嬉しい。
「もちろんです。
私は、人を襲いません。」
その日は、そのままエリオットの家で過ごした。夕飯をいただき、湯あみを済ませ、布団を借りて横になる。里での生活を思い出す、穏やかな時間だった。
「エインセルお姉ちゃん?寝ちゃった?」
ウトウトし始めたところ、エリオットが声をかけてくる。
「うん?どうしたの?エリオット。」
薄れかかった意識のまま、何とか返事を返した。
「ううん、あのね、今日、本当にありがとうって、それだけ。
楽しかった!おやすみ!」
「…うん。おやすみなさい。」
パタパタと足音が遠ざかっていくのを感じる。改めて告げられた感謝を噛みしめながら、私は意識を手放した。
──美味しそうな香りが鼻をくすぐり、目を覚ます。地下だから窓が無くてわからないが、たぶん朝だと思う。
「あら、エインセルさん、起きた?
もうすぐご飯ができるから、エリオットに起こしてもらおうと思ったのですけれどね。」
クスクスと笑いながらエリオットのお母さんが声をかけてくる。のそのそと、寝ぼけながら起き上がる。
「エインセルお姉ちゃん、おはよう!」
「エインセルさん、おはよう。」
「おはよう、エリオット。
おはようございます、エリオットのお父さん。
お母さんも、おはようございます。」
「はい、おはよう。
ほら座って。」
リビングに着くと、全員が席についていた。挨拶を交わして、私も椅子に座る。
「いただきます。」
揃って手を合わせ、食前の挨拶をする。朝食は、ベーコンエッグトーストだった。ひとくち齧ると、半熟の卵がトロリと溶け、ベーコンの脂と共に口に流れ込んでくる。少し甘いトーストと、ベーコンの塩味が見事に調和して舌に広がった。
「美味しい。」
「ふふ、良かった。」
「それで、エインセルさんはどうするんだ?これから。」
エリオットのお母さんが微笑み、お父さんが今後の予定について聞いてきた。私は、この世界の各地に暮らしているはずの人たちに会ってみたい。そしてできれば、こうして時間を分かち合いたい。だから、
「この後は、また外に出て世界を見て回ろうと思います。」
「えー!お姉ちゃんどっか行っちゃうの!?」
外に出る、と言ったとたん、エリオットが駄々をこねる。まぁ、こうなることは予想していたが。
「こら、エリオット。
エインセルさんを困らせないの。」
「そうだぞ、彼女にも彼女の生き方がある。
今回、たまたまこうして出会えただけだ。」
両親に諭されながらも、エリオットは不満そうに頬を膨らませる。
「ごめんね、エリオット。
私、行かなきゃいけないの。
知りたいと思ってしまったから。会いたいと思ってしまったから。」
「…誰に?」
「この世界で暮らす人。そして、その生き方。」
エリオットの問いかけに、はっきりと答える。隠れ里のみんなと暮らしながら、五年間ずっと抱えていた想い。私の旅の原点。
「……。」
「難しい話だよね、ごめん。」
「良いんですよ、エインセルさん。
この子には私たちから言って聞かせますから。」
「この度は、エリオットを救ってくださり、本当にありがとうございました。
またいつか、どこかで会えたら、その時はまた、一緒に食事でもしましょうね。」
「…はい。また、いつか。」
会話はそれきりだった。食事を続けて片づけを手伝い、そして荷物を背負った。
「じゃあまたね、エリオット。
お世話になりました。」
「…またね、お姉ちゃん。」
「はい、お気をつけて。」
「エインセルさん、またいつか。」
エリオットたちに見送られながら、地上に続く縦穴から外に戻る。穴から出た世界は、朝だった。朝露の滴る森。澄んだ空気が美味しい。
両手を広げ、深呼吸をする。
「よし、行くか。」
砂漠とは逆の方向へ歩き出す。目的地はない。誰がどこに住んでいるか、それはわからないから。気の向くままに、道なき道を行こう。
──数刻ほど歩いただろうか。周りの景色は変わり映えしないが、ふと、何かの気配を感じて立ち止まる。
「…足音、かな。」
落ち葉や枝を踏む音が微かに聞こえる。パキ、ガサ、という音。何かを探しているのか、だいぶゆったりとした歩き方をしているようだ。
「教団と、魔獣と、どっちかな…
それとも、人か人外?」
できれば、相手に見つかるより先に視認しておきたい。近くの木に慎重に登って、上から確認する。
見えたのは二足歩行の影。前傾でやや姿勢が悪いが、何かを探しているのだとすれば妥当な姿勢だろうか。まだ距離があって判断が難しい。
「もうちょっと近寄りたいけど、バレずに飛び移れるかな…」
その時、影がこちらを向いた。呟きが聞こえたのか、気取られたのか。冷や汗が流れ、息をのむ。バレていないことを祈りながら、樹上で身を縮めて潜む。
「違う、ここでもない。
……どこで落としたのかな。」
影はそう呟きながら、足元を見て回る。近づいてきてわかった。これは魔獣か人外だ。人ではない。
体中に謎のこぶを持ち、紫色の肌を晒すそれは、何かを探している様子で私のいる木の周りを歩き回る。まさか、私に気づいていて、油断を誘っているのだろうか。
「確かにこの辺だと思ったのに。」
発言の内容だけ受け取るならば、間違いなく何かを探している。いったい何を探しているのか。
声をかけるべきか否かを思案していると、謎の存在が突然ぶるぶると震え出した。
「あぁ、あぁあぁぁぁぁぁあああ。」
体を震わせながら悶えるそれがのけ反り、樹上の私と目が合う。が、その目は虚ろで、私を映していない様子だった。そして、各所のこぶが弾け、中から黄緑色の霧が噴出する。
「っ、なに?」
悪寒に従って、急いでさらに上へ登る。
噴出した霧は、先ほどまで私がいた枝の真下まで迫り、やがて重力に従って落ちていく。紫色の肌の人型は、霧を噴出させた直後に倒れ、ピクリとも動かなかった。
「……何だったんだろ。」
しばらく待っても何も起きなかったので、念のため別の木に飛び移ってから地面に降りる。黄緑色の霧は胞子か何かだったらしく、私がいた木の周辺を黄緑色に染めていた。
「宿主を転々とする植物か何かだったのかな。とすると、元は魔獣でも人外でもなくて、人だった?
…とにかくアレには触れない方がよさそう。気をつけなくっちゃ。」
あんなのがいるなんて聞いたことがなかった。リャナ達に教えてもらった情報に似たような生物はいたけれど、聞いていた話とアレは、姿形が、何もかもが違う。里のみんなと新天地を探している時にも、あんな生物はいなかった。たまたま遭遇しなかっただけか、新天地を見つけて二年とちょっとの間に誕生した新種なのか。謎は残る。
「そもそも、アレが魔獣なのか植物なのかもわからないし、なんなんだろう……」
立ち止まって思考を巡らせるが、当然答えは出ない。ここがアレの生息域なのだとしたら、早いうちに抜けなければならないが、
「……遅かったか。」
気がつけば、四方から足音が聞こえる。まだ姿は見えないが、恐らくは先程のコブ付きの生物だろう。
再び木に登ろうとして、異変に気づく。木が紫色なのだ。ポコポコとコブが出現し、先程の黄緑色のナニカに感染していることが見て取れた。
「動物だけじゃなくて、生物ならなんでもいいの!?」
だとするなら、森の中は非常にまずい。あらゆる全てが生物だ。魔獣、人、人外、樹木のような植物でさえも。
急速に膨らみ続けるコブが、やがて限界を迎えて弾けた。慌てて飛び退き、なんとか回避したものの、風に乗って更に周囲の木へ感染していく。
「ダメ、逃げなきゃ。」
推定ではあるが、このコブは別の生物を感知すると弾ける。であれば、私がいる限り、感染した先から弾けて、さらに感染が広がってしまうだろう。どれぐらい離れれば感知されないのかは不明だ。しかし、最初に出会った個体と、今、木に感染した個体の反応を見るに、かなり正確に感知している。おそらく認識範囲はそこまで広くないはずだ。
「どうやって対処すればいいんだろう……」
感染した生き物を避けるように森を駆けながら思考する。あの黄緑色の胞子、私ではアレを一掃することはできない。私の能力ではアレに対処できないのだ。狐雪さんのような周囲に影響を与える能力ならあるいは、というところだろうか。だがそもそもアレはなんだ。宿主が生物であれば無差別に侵入し感染する生物、あるいは植物。感染した生物の見た目から、迂闊に近づくことはないだろうけれど、こんな森の中では、不意に遭遇することも考えられる。
「だめ、全然分からない。
今はとにかく、ここを離れなきゃ。」
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──エインセルの立ち去ったあとの森。蠢く紫の生き物たちが、ある一点に集合していた。
それは、エインセルが最初に遭遇した個体の死骸。数体が屈んで死骸に触れると、胞子を撒き散らして死んだはずの個体が息を吹き返す。胞子を放出してペラペラになった身体が、空気が入っていくかのごとく、みるみるうちに膨らんでいき、やがて元の姿に戻る。
恐るべきことに、この生物は、元の宿主が爆散しても、そこから派生して生まれた宿主によって蘇生されるらしい。こうして、この森に立ち入った生物を介して、ウイルスのようなこの生物は増殖し続ける。
やがていつかはこの緑が、森の緑か、この生物の緑か分からなくなるほどに増殖する可能性を秘めていることを、今はまだ、誰も知らない。




