閑話休題 里長補佐の日記
今日から、エインセルちゃんの修行が始まった。指導するのは、私と里長とカイコさん。それと、将来ひとり旅をしたいとのことなので、その時に必要な知識も教えていく。こちらは、私とカイコさんとリャナさんで教えることになった。
『一日目
里長とエインセルちゃんの試合。
エインセルちゃんの現時点での実力を測るテスト。
結果は当然エインセルちゃんの惨敗。でも、正直想像以上だった。
傍から見ていて、エインセルちゃんは予想していたよりはるかに里長の手が見えていた。避ける、逸らす、弾く、幼い体からは想像できないほどの力を発揮して、必死に戦っていた。
これからが楽しみだ。』
私は、日記をつけることにした。さしずめ、エインセルちゃんの成長記録、だろうか。明日は、私がエインセルちゃんと試合をすることになっている。上手く加減できるだろうか。
『二日目
凄い。躱される。
小さい体が功を奏してか、避けるし、当たっても掠った程度。
隙を見て反撃をする気もあるみたいだし、上々ですね。』
期待以上の手ごたえに、ついつい熱が入ってしまいそうでしたが、何とか耐えられました。これは将来、抜かされる日もそう遠くないかもしれませんね。
「まだまだ、負ける気はないですけどねぇ~。」
「……暗听、それなに?」
日記を書いていたら、カイコさんが寄ってきた。
「日記ですよぉ~。エインセルちゃんの成長記録、みたいな?」
「…なるほど。」
言いながら、カイコさんが手を伸ばして書き足す。
『エインセルの強みは、心。』
それだけ書いて、満足げに去っていった。
確かに、何事にも興味を持ち、挑む精神は、代えがたい強みですねぇ。
──今日。私たちはエインセルちゃんの成長を目の当たりにした。以前は気づかずにまんまとハマっていた擬態型の魔獣に対して、いち早く気づき、回避して見せたのだ。しかし、詰めが甘い。一匹見つけて慢心し、次の瞬間、隣にいたもう一匹に捕らえられていた。
それでも、一匹に気づけたということは、注意深く周囲を観察していたということで、着実に、学んだことや経験を活かしている証拠だ。
『九日目
今日はカイコさんが修行を担当した。
甘すぎる。
わざと抜け道を作った網での捕縛。
簡単に振りほどける糸での攻撃。
決して太い糸は使わない徹底ぶり。
エインセルちゃんのためにならないと、里長と私で叱りつけたほどだ。』
困ったものですね。カイコさんの過保護にも。エインセルちゃんが可愛いのは同意しますが、だからこそ、厳しくしなければいけないのです。
『二十三日目
今日は手袋をつけた状態でのそれなりの全力戦闘を行った。
能力は不使用。
エインセルちゃんは、徐々に自分の能力について理解してきたようだ。』
『二十五日目
里長の指導は相変わらず厳しい。
あの手この手で、エインセルちゃんを追い詰める。
今日から、武器の訓練も始めたらしい。
普通に武器を手渡すものだから、慌てて止めた。
まずは刃を潰したものからにしましょう、と。』
そこまで書いて、クスリと笑う。里長の修行は、厳しいというか極端というか、過激でした。ご自身がどうやって鍛えてきたかをそのまま教えているのだろうけれど、流石に危険すぎる。心配や愛情の裏返しと思えば、許容できてしまいそうな私も、実は厳しいのだろうか。
「ん、暗听、何書いてるん?」
「あ、里長。
修行をつけ始めた日からの日記です。
かれこれもう二十五日目ですよぉ。」
「もうそんなに経つかぁ。」
ふと、里長が声をかけてきた。エインセルちゃんとの、今日の反省会が終わったらしい。
「…にしても、エインセルちゃんは凄いですねぇ。」
「せやねぇ。教えたことを次々と身に着けてくから、ウチもついつい熱が入ってまうわぁ。」
楽しそうに表情を緩める里長。子供の成長が好きな人だから、嬉しくてたまらないのだろう。それと同時に、何のための修行なのかを思い出して、一瞬だけ、表情が曇る。
「強くなってしもうたら、出て行ってしまうんやな。」
「ですねぇ。
そういうお話で、始めましたもんねぇ。」
そう、この修行が終われば、エインセルちゃんは、たったひとりで旅に出る。まだ、次の里の場所も決まっていないのに、彼女の成長は著しい。このままでは、定住地を見つける前に行ってしまいそうなほどに。
「ま、どれだけ強くなっても、次の定住先が見つかるまでは絶対許さんけどな。」
「えぇ?それ、納得しますかねぇ……」
「納得しなくてもや。
どこに帰ったらええかわからん状態で行かすかいな。」
それもそうだ。このまま離れてしまえば、エインセルちゃんが帰りたくなった時に帰る場所がない。
「そう、ですねぇ。
私たちは、帰りたくなった時に帰れる場所で、エインセルちゃんを見送りましょう。」
日記を閉じ、里長と一緒にみんなの元へ戻った。
──しんどい。もう半年近く歩いている。温泉が恋しいです。
『百七十九日目
今日から、手袋の縛りを解禁した。
両腕をそれぞれ五本の触腕に割いた、十腕での戦闘。
対応しなければならない手数の多さに、エインセルちゃんは悪戦苦闘していた。』
それでも、すぐには決着がつかない。多方面から迫りくる触腕を、躱す躱す。曲芸じみた動きでギリギリ躱してみせる。あんまり避けられるものだから、途中少しだけ腹が立って、一瞬だけ本気を出したのは内緒です。
どうやらエインセルちゃんは、弓を武器に選んだらしい。矢をつがえて撃つ。その一連の動作を何度も何度も反復して体に覚え込ませる。最近はそうした訓練ばかりを行っていた。
それとは別に、外の世界に対しての知識も教えていく。私、カイコさん、リャナさん、それぞれの視点からの知識。
『百八十日目
今日から、本格的に知識を教えていく。
魔獣の知識に始まり、隠れ里に辿り着くまでに得た、どこに何があったかの知識。
数年前の知識なので、役に立たないかもしれないが、なにも教えないよりはましだ。』
カイコさんもリャナさんも、持っている知識は古いものばかりだった。それもそのはず、聞けば、カイコさんは、廃墟と化した箱庭に閉じこもっており、リャナさんは、エインセルちゃんと同じ箱庭で過ごしていたらしい。教えられることなど、あるようでなかった。
『三百四十一日目
早いもので、もう一年が経とうとしています。
エインセルちゃんの成長は目覚ましく、今ではけっこう本気で戦っています。
手袋だけでなく三つ編みも解いて、十六本の触腕全部を使っての戦い。
もう教えるとかではなく、純粋に模擬戦をしています。
負けられない。』
一年近くみっちりと鍛えられたエインセルちゃんはすさまじかった。修行をつけるどころの話ではない。ちゃんとやらないと負けそうなぐらいまで成長していた。まだ、魔獣戦の時に使った麻痺毒は使っていないとはいえ、あれは模擬戦では使えないぐらい強力だ。実質、全力で戦っている。正直悔しい。
「むむむ、私も修行しないとですかねぇ…」
「なんや、暗听。
エインセルに負けそうなんか?」
ニヤニヤした里長が声をかけてきた。ギギギと音が出そうなほどぎこちない動きで振り向く。
「さ・と・お・さ~?」
「おわ、なになに、怖い怖い。」
この際だ、私も里長に修行をつけてもらおう。そうしよう。
「一戦、お願いしますね。」
にっこりと笑って告げると、里長はニヤリと笑った。
「ウチに挑むとはええ度胸やね。
ええで、胸貸したるわ。」
──勝てなかったけれど、収穫はあった。十六本の触腕、その操作に意識を割きすぎていると指摘された。要は、脚を全く使っていなかった。自在に動く十六本に加えて、二本の脚を加えた十八本での攻撃をしろと、そう言われたのだ。
『三百五十六日目
脚による攻撃を織り交ぜることにも慣れてきた。
もはや、エインセルちゃんに対しての修行ではなく、私自身の修行も兼ねている。
末恐ろしい子だ。
でも、まだ負けてあげられない。』
久しぶりに、強くなることが楽しい感覚を味わっていた。あの子は、周りの空気を良くするのが上手い。本人にそんな気はないのだろうが、そこにいるだけで明るい雰囲気になる。
『四百八十八日目
ついに負けた。
能力の扱い方を覚え始めたエインセルちゃんに、想定外の押され方をした。
悔しい、次は勝つ。』
一年と数か月で、ついに負けが発生した。カイコさんは、甘すぎて相当早い段階で負け越しているが、里長はまだ負けなし。このままでは私まで負け越してしまう。それは我慢ならない。意地でも勝つ。
新天地はまだ見つからない。みんなも旅に慣れ、むしろ定住する感覚を忘れてしまっていそうだ。私も、記憶の中にある温泉、あれに入りたいと思うことも無くなってきた。
「慣れるものですねぇ。」
「…………」
隣にいた響歌ちゃんが、私の指をちょいちょいと引く。
「ん?どうしましたぁ?」
「…………」
響歌ちゃんは首を振るだけだった。なにか伝えたいことがあるわけじゃないのか。ではなんだろう。
「あ、もしかして、寂しかったです?」
「……!」
驚いたような顔をして、激しく首を振る。図星だったようだ。可愛いですねぇ。
「ん~、可愛いですねぇ。
里長もカイコさんも、エインセルちゃんに付きっきりですからね。
じゃあちょっと二人に相談してみましょうか。」
「……」
今度は、首を縦に振った。素直がいちばん。確かに、エインセルちゃんの修行が始まってから、みんなかかりっきりでしたからね、ずいぶんと我慢をさせてきたかもしれません。
「………」
「んにゅ。」
響歌ちゃんは、私の頬を指でつついてから、みんなの方へ駆けて行ってしまった。
「わたしも、難しい顔してましたかねぇ。」
『千八十六日目
旅を始めて実に三年近く。
ついに新天地を見つけた。
砂漠を抜けた先にある渓谷。その谷底に、温泉が湧いていた。
立地としても、里長がいたく気に入ったため、ここが次の定住地となった。
砂漠の中を歩き続けるのも限界だったので、本当に助かる。』
ようやく見つけた新天地。大至急、定住の準備をしていく。まずは里を囲む壁を建てなければならない。里長の霧で包むとはいえ、周りの壁と遜色ない見た目にしなければ、隠れたとは言えない。
「ん~、砂漠の中でも、涼しいですねぇここは。」
「……ん。
日陰で、湧き水も温泉もあって、まさに理想郷。」
「せやな。ここに辿り着けるような奴は、そうそうおらんやろ。」
過酷な暑さが襲う砂漠、その中に位置する渓谷。特に理由が無ければ、ここに立ち寄ろうとする方がおかしいほどだ。
壁を作る作業では、カイコさんの糸が大活躍した。岩を積み上げるための接着に加え、補強にも使える糸は、壁材として完璧だった。
「大活躍ですねぇ、カイコさん。」
「…役に立てて、嬉しい。」
「こんなもんでええかな。
ほな、霧を広げるで。」
周囲に霧が満ちていく。渓谷の底が霧に包まれたのは、三日後のことだった。
『千三百五十五日目
新天地で暮らし始めておよそ一年が経過した。
子供の成長は早いもので、エインセルちゃんはあっという間に響歌ちゃんの身長を越していた。
伸びた背丈に備わった筋力はすさまじく、日々の鍛錬の成果もあって、実力は私やカイコさんと互角にまで達していた。
もはや、引き留める理由もないだろうに、里長は、まだエインセルちゃんのひとり旅を許していない。』
新天地も見つかって、実力もついて、なにが足りないんだろうか。エインセルちゃんも、なぜか旅に出たいと言わないし。
「うーーーん。二人とも、なにを考えているんでしょうねぇ……」
「あ、暗听さん。どうしたの?」
日記をつけて、唸っていたら、エインセルちゃんが声をかけてきた。
「んーー、いや、うーーん。」
本人に言ってもいいものだろうか。これで思い出してしまって、じゃあ行って来ます。なんてなったらたまったもんじゃない。
「もう、なに?」
「いやぁ、そのですねぇ。
あのぉ、まだ、旅には出ないんですかぁ?」
言ってしまった。聞くべきではなかったかもしれないが、聞かずにはいられなかった。
「あー。
まだ、約束を果たしてないからね。」
「約束、ですか?」
誰とのどんな約束だろうか。
「そう、約束。
狐雪さんから一本取るっていう約束。」
「なんと、それはぁ…」
無謀だ。里長から一本取る。たった一回とはいえ、あの里長に勝たなければならない。無理難題にもほどがある約束だが、エインセルちゃんは本気だった。
「それは、楽しみですねぇ。」
「でしょ、だからまだ行けない。絶対に狐雪さんから一本取ってやるんだ。」
そう言ってはにかむエインセルちゃんは、とても眩しかった。
『千八百二十日目
ついに、里長が一本取られた。
ほんの一瞬だけ逸れた意識を、能力を完全に制御したエインセルちゃんに利用されたらしい。
その後すぐにボコボコにしていて、大人げなさすぎたが、これで、約束が果たされた。
エインセルちゃんは、数日後、旅に出る。』




