第18歩 新転
私たちは、狐雪さんに続いて歩いていた。鬱葱とした森を抜け、広く、青々とした草原に出る。木々に囲まれた木陰の中を、照り付ける日の下を、何日も歩いていた。そんなある日、狐雪さんがふと立ち止まる。
「なんや、先客がおったか。」
狐雪さんが見つめる先を見ると、つい先ほどまで誰かがいたであろう痕跡があった。まだほんのりと温かい焚火に、テントを張っていたであろう地面の跡。何かに押しつぶされたかのようにへたる草が、何よりの証拠だった。
「こんなところに、人外?ですか?」
オラフォリオ以外に人はいない。外にいるとすれば、魔獣か人外だろう。
「…どうやろな。人外なら、焦って退散する必要は無いように思うけどな。
まるで、人外から逃げるみたいに。」
狐雪さんは、人である可能性を考慮していた。
「え。でも、だって人は。」
「あぁ、人は魔獣に対抗するにはひ弱で、外で生きていけるはずがない、って話やろ?
箱庭育ちのあんたは、そう教わってきてんねやろな。」
そう、魔獣や人外が跋扈する外の世界では、ただの人は生きていけない。だから、オラフォリオの中に人類は集まっているし、そこ以外には人はいない。そう教えられてきた。
「たまにおんねん。人も。
オラフォリオ、というよりは教皇か。その考えに賛同できないっちゅう奴とか、単純に自前で魔獣に対抗できるだけの力を持っとる奴とかな。」
衝撃の事実だった。目の前の残骸の主のように、外の世界で暮らす人がいる。箱庭で教わった内容とは異なる事実。もしかしたら、集落や村だって、あるのかもしれない。
「……会ってみたい。」
思いが口から零れていた。私の知らない世界。知らない生き方。触れてみたい、知りたい。
「ダメや。ウチらは人間とは関わらん。そういう生き方を選んでんねん。
どうしても行きたい言うなら、そうやな。」
狐雪さんたち隠れ里の人外は、外界、特に人を避けて暮らしている。それは聞いていたし、知っている。それでも、会いたいと、会いに行きたいと思ってしまった。
「…………一人で旅ができるぐらい、強くなってから、探しに行きや。」
振り返った狐雪さんは、一拍置いて、少し寂しそうな顔で言葉を紡いだ。
それからも旅は続いた。その間もトラブルは尽きない。昼夜問わず、常に危険がそこら中にある。魔獣が襲ってくることもあれば、教団の英雄部隊と遭遇しそうになったこともあった。その度に、仮設でテントを建て、長くて数日滞在する。変わったことと言えば、狐雪さん、暗听さん、カイコの三人が、私に修行を付けてくれるようになったこと。いちばん容赦がないのは狐雪さん。何回やっても手も足も出ない。いちばん甘いのはカイコ。カイコの修行は私のためにならないと、狐雪さんと暗听さんが口を揃えて言うぐらいには甘かった。
「……だって、エインセルに攻撃とか、できない。」
「なーに言ってんの、初めて会ったとき真っ先に攻撃してたでしょ。」
「……ぐぅ。」
リャナに指摘され、言い訳をしていたカイコが言葉に詰まる。私は、そういえばそんなこともあったなと苦笑するしかなかった。
修行だけではなく、魔獣の知識も日々学んでいる。これまで、本当にいろんな種類の魔獣が襲ってきた。中には、植物や、環境そのものに擬態している種類もいて、あの時は焦った。暗听さんが気づいて、カイコが糸で引き戻してくれなかったら、そのまま飲みこまれていたかもしれない。
「…にしても、エインセルちゃんは凄いですねぇ。」
「せやねぇ。教えたことを次々と身に着けてくから、ウチもついつい熱が入ってまうわぁ。」
狐雪さんには、武器を使った戦い方も教わった。門番さんたちが持っていたような鉈などの武器。それに、弓や槍、盾なんかも使って修行をつけてもらった。こっちが武器を持っていて相手が持っていないパターン。逆に、相手が持っていてこちらが持っていないパターン。お互いに持っているパターン。全然戦い方が違う。
「おぉ、飲み込みが早いなぁ。
そうや、手足のように扱えるようになるまでやろか。」
武器ごとにリーチがまるで違う。距離感の取り方が変わる。どんな武器を持っているかで対処も変わる。打ち合い、躱し、受け流し、時には掴み取る。
「武器にばっか意識向けちゃアカンよ。」
狐雪さんの槍を間一髪で躱したところに、蹴りの追撃が来る。
「んぐっ。」
モロに腹で受けてしまい、地面を転がる。
「ほれ、すぐ立つ。」
雨やあられのように、狐雪さんからの攻撃が降り注ぐ。息つく暇もない猛攻を、必死に避け、流している。死に物狂いだ。それなのに、楽しい。強くなれていることが、嬉しい。
「一撃入れてみぃ。今日はそれができたら終わりや。」
──けっきょく、私の攻撃は狐雪さんにかすりもしなかった。
「はぁっ、はぁっ…くそっ。」
「なはは、そう気ぃ落とさんとええんちゃう?
模擬戦でも、ウチとまともにやり合えるのなんて、ここじゃ、暗听とカイコはんぐらいやろ。」
狐雪さんの慰めが、逆に刺さる。私はその二人にもまだ勝てていない。強くなっている実感はあるけれど、強くなればなるほどに、遠さを痛感する。
「伸びしろはまだまだある。焦らずゆっくり、成長して行こな。」
「ッ……はい。」
悔しい。いつか絶対に、その余裕を崩してみせる。
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ほんに、恐ろしいわ。めきめきと力をつけよる。当面の課題は、能力の調査と制御やな。おおかたの予想はついとるけれど、判断材料が足りんくて確定できへん。目に見えて現れないタイプの能力は、ここが辛い。
「ほれ、終わりにして、食事でもしよか。」
「ご飯!わかりました~。」
わっかりやすいわぁ。
エインセルはずいぶんと腹が空いとったようで、ウチが食事と言った途端、食い気味に返事を被せてきた。修行を始めてからのエインセルは、以前にもましてよく食べるようになった。修行や戦闘で身体を動かし、魔獣についての勉強で頭を働かせているから、消耗が激しいのだろう。まだまだ成長期、育ち盛りや。もりもり食べて、頼もしくなって欲しいわ。いずれひとりで旅する時に、ウチらが心配せんぐらいに……
食事も終わり、皆が寝静まったころ、ウチと暗听とカイコはん、それにリャナはんの四人でエインセルについての会議を行っていた。
「ウチとしては、今のペースやったら、来年ぐらいには旅させてもええと思うで。」
「……私は、三年欲しい。」
「そうね、三年。魔獣だけじゃなくて、オラフォリオの外の世界の知識も、ある程度つけておかないとだから。」
「確かにぃ、強さ的には来年でもよさそうですが、知識面が不足するかもですねぇ…」
「…外の知識なんていうんは、実地で学んでいくもんとちゃうんか?」
自身の経験から生じた疑問を口に出したところ、絶句されてしまった。仕方ないやんか、ウチの時は他に誰もおらんかったし、自分で学ぶしかなかったんや。
「…狐雪、厳しすぎ。」
「里長ぁ、流石にそれは可哀想ですよぉ…」
「狐雪さん、私もそれはちょっと…」
口を揃えて非難してきよった。
「んなこと言うても、ウチらだって今の世界のことなんか知らんで?」
隠れ里には、外の情報が入ってこない。そういう生き方を選んだ者たちが集まってできた場所だ。当然である。
「それでも、知ってることは教えるべき。」
「そうね、あの子が心配だからこそ、知ってることは全部教えたい。」
「いいですねぇ~。
お二人とも、親って感じです。」
「…そういうの、過保護って言うんとちゃうんか……」
どうやら、カイコはんもリャナはんも、エインセルが心配で仕方がないらしい。気持ちはわからんでもない。成長しているとはいえ、まだまだ子供。ウチらに一度も勝てないようでは、ひとり旅など許せるはずもない。とはいえ、いずれ成長すれば、引き留めることもできないと理解しているようで、それならば、せめて知識だけでも与えようということらしい。
知識面は他三人に任せよう。言うても、ウチと同程度の知識しかない暗听と箱庭育ちのリャナはん、同じく箱庭育ちで、廃墟化した箱庭に引きこもってたカイコはんじゃ、大したことは教えられんかもしれんが。
「ほな、そっちの方は任せんで。
ウチは心を鬼にして鍛えたる。」
ま、せいぜいウチは、なにがあっても逃げられる程度には、エインセルを鍛えたろ。
そうして、エインセルの教育方針が決まった。
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霧の杜が晴れた事件から五年が経った。魔獣の襲撃を受けて里が半壊した私たちは、狐雪さんについて、次なる安住の地を探していた。途中からエインセルの修行が始まったり、いろいろあったけれど、今は二年前に辿り着いた渓谷で、新しく里を築いて暮らしている。
「…………」
今日は、エインセルの旅立ちの日。ここを出て、ひとりで旅をしたいらしい。そのための修行だったとか。
この五年で、エインセルは見違えるほどに成長した。いつの間にか背丈も追い越されてしまって、今のエインセルのことを心配するのは、過保護なカイコぐらいだ。
「本当は三年の予定だったらしいんだけどね、この場所を見つけるのが遅くなったりとか、いろいろあって五年になったんだってさ。」
椅子に座って、脚をぶらぶらさせながら、他人事のようにエインセルが告げる。当初の予定では、三年間みっちり修行と勉強をして旅に出るつもりだったらしい。でも、旅の途中で負傷したり、喧嘩もあって延びちゃったみたい。
「たぶんだけど、私が帰りたくなった時に帰る場所を作るためだと思うんだ。
だって狐雪さんは、とっても厳しいけど、それ以上に優しいもん。」
笑顔で、まるで独り言のようにエインセルは話し続ける。私はそれを聞いているだけ。いつものこと。だけど今日は、それがなんだか悲しく思え、そっと、手を握った。
「……大丈夫だよ、響歌ちゃん。
今はお別れかもしれないけれど、私みんなが大好きだもん。
絶対、また会いに来るよ。約束。」
心配じゃないと言えば嘘になる。けれど、いちばんはやっぱり、寂しい。カイコや暗听と比べても遜色ないぐらい強くなったのは見てきた。それでも、初めて会ったときの、私より背の小さい、賑やかな女の子という印象は、褪せることなく私の中に残っていた。
無意識に、エインセルを握る手に力が入る。
「…もう。」
エインセルが私の肩に手をまわして、私を抱き寄せる。すっかりお姉さんみたいになってしまって、悔しいような、ほっとするような。いや、やっぱり悔しい。
「ほんとはね、私も寂しい。だけど、我慢できないんだ。
知りたいと思ったあの日から、会ってみたいと思ったあの日から、外の世界に興味が湧いて溢れてくるの。
だから、行くね。私。」
そう言ってエインセルは、私を抱きしめていた手を緩めて立ち上がる。そのまま私の部屋から出て、隠れ里の門へ向かった。
私は、ちょっとだけ間を置いて追いかける。門の前には、エインセルを見送る人たちがいた。
「みんな、五年間ありがとうございました。」
振り向いたその眼には、薄っすらと涙が見えて、思わず駆け寄ってしまう。
「寂しなるなぁ、響歌。
エインセル、いつでも帰って来や。」
「……やっぱり、私もついていく。」
「ダメですよぉ、カイコさん。
エインセルちゃんがいなくなった後、誰がここを護るんですかぁ~。」
「ほんっと、あっという間だったわね。
エインセル、元気でね。
たまには顔を見せに来るのよ?」
狐雪さん、カイコ、暗听、リャナさんがエインセルに声をかけていく。
「エインセルちゃ~ん、気を付けるんだよ~。」
「食べもん足りるかぁ~!?もうちょっと持っていけるぞ~!」
里のみんなも、口々に声をかける。私は何も言えない。だから、紙を渡した。
『行ってらっしゃい。』
それだけを書いた、それだけを伝えるための紙。
「……っ!
うん、行ってきます!」
私の渡した紙を見てさらに潤んだエインセルは、腕で目元を拭って、笑顔で答えた。
門が開かれ、エインセルが歩き出す。ちょっとのお別れ、また帰ってきたときは、いっぱい話してもらおう。何もかもが新鮮で、全部が楽しいみたいに話すあの子の話が、私は大好きになってしまった。
(またね、エインセル。)
心の中で呟いた。




