第14歩 露衆
今日も平和な一日が始まる。早く朝の見回りを済ませて、働きすぎな里長のところへ行かないと。
「行っきますか~。」
布団から出て背伸びをして、朝日を浴びる。いつもの流れ、ルーティーン。外に出れば、朝露の滴る涼しい風が頬を撫でる。この時間は特に空気が澄んでいて、呼吸が心地いい。
「ん~、今日も元気!」
軽く足に力を込めて跳びあがり、頭の笠を広げて、空気を受けてふわりと滑空する。俯瞰で全体を見るため、でもあるのだが、単純に移動が楽なのだ。
「海月さん、お疲れ様です。」
「ん~、お疲れ様で~す。
特に異常はないです?」
隠れ里を囲うように建てられた木造の防壁の上に到着すると、交代制で見張りをしている子が声をかけてくる。
「今のところは、変わらず穏やかなものです。
といっても、向こうもこちらも霧で見晴らしが悪く、足元ぐらいしか見えておりませんがね。」
「ま~、ずっとそうですしね~。
霧の杜、里長のおかげですね~。」
「…まったくです。」
霧の杜、外の人は迷い霧と呼ぶらしいこの分厚い霧は、里長のおかげでここにあるものだ。これのおかげで、外敵が寄り付かない。来客があるとすればそれは、はぐれ者か、この里に用がある者。いずれにしても人外だけ。
「他のとこも見てきて、問題なさそうだったら里長のところに伝えてきます~。」
「はい、お気をつけて。」
お気をつけて、だって。なにに対してだろう。落下したって私は大丈夫なのに。でも、気持ちは素直に嬉しい。
それから、八つある見張り台をすべて回って、里長のもとへ向かった。里長は、たいていいつも温泉館にいる。住居は別にあるはずだけれど、みんなと交流したいとか、温泉が気持ちいいとかで、ここの館長室に入り浸っている。
「里長ぁ~、暗听ちゃんが来ましたよぉ~。」
ノックもせずに館長室の扉を開けて中に入る。が、返事が無い。誰かがいる気配もない。酒場で飲み潰れているのだろうか。それとも自宅か。
「酒場だと厄介だなぁ……」
街の酒場すべてを周る必要がありそうで、憂鬱な気になる。とりあえず、温泉館の中にある酒場に行こう。
「たぁいしょ~、里長居ます~?」
「ん、あぁ暗听ちゃんか。里長は来てないよ。
昨晩は飲んでたけど、なぁんかひとりで難しそうな顔してたからさ、話聞いてあげてくれよ。」
「もっちろんでぇ~す。じゃまたきま~す。」
「あいよぉ、またサービスするからねー。」
居なかった。それよりも、また何か悩み事をしているらしい。まったく、暗听ちゃんというものがありながら、どうして相談してくれないのだろうか。とにかく本人を探さなくては。街の酒場をしらみつぶしに探すのは手間なので、先に里長の自宅に行こう。
「もしもぉ~し。里長ぁ~?」
「ん、暗听か。おはようさん。」
居た。起きてからずいぶん経っていたようで、既にいつも通りの凛とした表情だった。寝起きや温泉、酒場での砕けた表情も可愛いが、この表情は綺麗で、かっこよくて好きだ。
「んもぉ~、館の方じゃないなら、昨日のうちに言ってくださいよぉ~。」
「堪忍な、急用が入ってな。」
声のする方へ向かいながら愚痴を言う。別にこれっぽちも怒っているわけではない軽口だ。
「急用ですかぁ?」
「そ、ノヴァっちゅう、昔の知り合いから連絡があってな。
なんや魔獣の動きが活発らしいで。
強さも上がってるみたいで、けったいな動きするやつもいるらしい。」
ノヴァ様。里長の口から度々出る名前のひとつ。思想が里長と違うから決別した、みたいなことを言っていたけれど、なんだかんだお互いに連絡を取り合っているらしい。
「連絡なんていつ来たんですかぁ?
あ、今日の見回りも、異常なしです。」
「まぁ、ちょっとな。
ん、おおきに。
霧の杜は問題なし、と。
そっちに異常をきたすほどの変化ではないんやな、今のところは。」
「ですねぇ。
でもとりあえず、警戒を強めるよう伝えときますねぇ。」
できる女の暗听ちゃんは、この辺の判断もサクッとできるのです。それはさておき、昨日の温泉で里長は私とのんびりすることを約束した。にもかかわらず眉間にしわを寄せて何か作業をしている。
「里長ぁ、約束と違いますよぉ……」
「んぐ、堪忍、してくれんよなぁ。
わかった、今日は止め。
暗听と一緒に、だらりと過ごそか。」
里長の作業する机の上に顎を乗せ、上目遣いで責めると、里長はすぐに折れてくれた。こうも簡単に折れるということは、急ぎじゃないか、本人もやりたくないかだ。だいたい後者。
「やったぁ~。なにしますぅ?」
「のんびりやろ?
なにがあるかなぁ……
街でも見に行くか。」
「それ、見回りじゃないですか?」
まぁ、ここにいたってできる事は少ない。移動するのも仕方がない。街も、最近は里長と飲み歩くことしかしていなくて、なにがあるか見ていなかった。ちょうどいい、何か気になるものがあれば買ってもらおう。
───街に着いて里長と並んで歩く。ここは住宅地。なんてことない日常の場。そこに里長が現れてもその日常は崩れない。なぜなら、毎日来ているから。
「里長、おはようございます。」
「今日は早いですね、里長。」
「暗听ちゃん、里長をお願いね。」
「里長おはよー!」
すれ違う住人のことごとくが、里長に声をかける。中には、暗听ちゃんに向けての声もあったが、ほとんどは里長に向けてだ。里長がみんなに好かれていると実感できるこの空気は好きだ。
「人気者ですねぇ、里長?」
「ありがたいことやね。
まぁ中には暗听に向けての言葉もあったみたいやけど。」
「ちゃんと休みなさいってことですよぉ。
目を離すとすぐ仕事するんですから。」
頬を膨らませて、わざとらしく怒ったふりをする。里長は優しいから、みんなのために自分を後回しにする。人外は丈夫だからこの程度ではどうということはない、ないが、こちらの気が気ではないため、こうして休んでもらわなければならない。
そのまま少し歩いてたどり着いたのは、商店街。家畜の肉や、収穫した野菜、服などを売っている店が建ち並ぶ通り。お店が開いている時間は、いつ来ても人がいて賑やかだ。
「なんか買ったるから、欲しいもん見っけたら言いな。」
「わぁ~い、里長大好きでぇ~す。」
「……現金な子やね。」
ご飯もいいけれど、服も欲しいし、なにを買ってもらおうか。できるだけ悩んで振り回して、里長を仕事から離してやるんだ。
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暗听に連れられて街に来ていた。いつも見回りをしている時間とは違う時間での来訪。にもかかわらず住民は笑顔で、活気にあふれていた。ウチがいつも同じ時間に来るから取り繕っているものと思い込んでいたが、そんなはずなどない。そうわかってはいるものの、不安は過るものだ。完璧な統治などない。だから不満が溜まっているものと考えていた。だから、発散できるようにいろいろと施策はしたのだが。
「どうやら、うまくいってるみたいやね。」
安心から出る苦笑を浮かべ、暗听の背中を見守るのだった。
暗听が持ってきたのは、背中に大きなリボンのついた、フリルとリボンでいっぱいの可愛らしい服だった。
「これ買ってくださーい。」
「……下は?」
暗听は普段ウチを真似て着物を着ているので、上を羽織る習慣しかないのだろう。下を履くという概念が存在していないため、上に着るものしか持ってきていない。
「下?」
「それだけ着ると、下すっぽんぽんやで?
恥ずかしないん?」
「まぁ、別に大丈夫ですよぉ?」
アカン、感覚がおかしいらしい。せめて下着ぐらいは絶対に履かせんと。本人がよくても響歌やエインセルの教育に悪すぎる。
「とりあえず買ってきや。」
「わぁ~い、着替えてきま~す。」
「ちょ!?」
行ってしもうた。止める暇もない。
「里長ー!これ持ってってください!」
「お、こっちも美味いっすよ!」
「おおきに、持ち切れんからこの辺でええか?」
暗听を待っている間にずいぶんと荷物が増えてしまった。いつの間にか代車も増えて、食材が大量に放り込まれている。好意の表れと思えば嬉しいし、無下にもできない。
「里長~、お待たせしましたぁ。」
「……阿呆。」
着替えてきた暗听は、先ほどのフリルの可愛らしい服を着て出てきた。下は、レースショーツにガーターストッキングという、なんとも、破廉恥な……
「?頭を抱えてどうしたんですか?」
「いや、もうええわ……」
住民も苦笑している。笑っている場合ではないと思うのだが、言っても聞かない、わからないのであれば仕方がないだろう。
「わっ、わっ!えっ?」
「……暗听、流石にその恰好は変。」
「えっとぉ……」
「…………」
あぁ、来てしまった。エインセル達だ。両手で顔を隠しつつ、指の隙間から暗听を見ているエインセル。呆れた顔のカイコ。苦笑しつつ頬を掻くリャナ。珍しく赤面している響歌。そして、その反応を見た当の本人はというと。
「みなさんお揃いで~。
私が何か?」
まるで分かっていない。アカン、あたま痛なってきた。
「まぁ、こんななのは暗听だけやから、気にせんで……」
こんなフォローしかできない自分を、少しだけ情けなく思う。違う、暗听がおかしいのだ。なぜこの状況でその恰好で平然としていられるのか。
「話変えよか。
エインセル達はここで何してたん?」
咳ばらいを一つして、話題を変える。暗听はもう諦めよう。
「私が響歌ちゃんを誘ってきたの。
その、みんなでお料理作ってみようって。それで、食材を買いに。」
「私とカイコは付き添いです。」
「…二人じゃ危ない。現に痴女もいた。」
ええい、カイコ。掘り返すな。にしても料理か。響歌がみんなに触発されて、いろんなことに興味を示すのは良いことだ。
「それはええねぇ。
ちなみに、なんで料理を作ろうと思ったん?」
「それは、その、みんなに、いつもありがとうって。」
あぁもう、エインセルはずっとええ子や。あの痴女っ子にも見習ってほしいわ。いや、暗听も暗听で充分ええ子なんやけど、そうやなくて。エインセルはみんなに好かれる、人たらしの才能があるのだろう。ともに旅をしてきたリャナとカイコは当然として、響歌すら、愛しい我が子を見るような目を向けている。確かに、響歌の方が背も歳も上だが、その目をするのはまだ早いのではないだろうか。
と、その時、里を覆う霧が微かに揺らいだ気配を感じた。
「っ!?」
「里長?」
ウチの動揺をいち早く察知したのは、暗听だった。霧の杜は、ウチの能力で維持している結界のようなもの、ちょっとやそっとでは崩れない。それが揺らいだ。それだけの風が起きたということだ。
「いや、ちょっと待てや。嘘やろ?」
「……?」
響歌が不安そうな顔でウチの服を掴む。そうこうしているうちにも霧の揺らぎは大きく、強くなっていく。この規模で風を発生させられる可能性はそう多くない。
「待て待て待て待て、こっち来んなや。待て、待て!」
「ど、どうされたんですか?狐雪さん?」
「狐雪さん?」
「狐雪、大丈夫?」
頭を抱えて叫ぶウチを、みんなが心配そうに囲むが、それにかまうことができない。やがて、霧が徐々に晴らされていく。
「っ……!!どっちや!?」
周りを置き去りに思考が加速する。最悪の場合は……そこまで思考して、空を睨む。
隠れ里が、巨大な影に覆われた。それは里の上空を、ウチらの頭上を通過し、オラフォリオの方へ飛んで行く。その正体はドラゴン。観測された魔獣の中で最大にして最強の種。移動するだけで生態系を変えかねないほどの脅威。その羽ばたきで、霧の杜が、里を護る結界が、晴れた。
「え?」
「なに、あれ。」
「おっっきすぎぃ……」
「っ……あんなの。」
「…………」
静寂と困惑、それと恐怖が訪れる。あまりにも強大な存在感。文字通り規格外の存在、災害そのもののような魔獣。あんなものが存在するなど、知らなかったであろう皆の顔が、恐怖に歪む。ウチは、ウチでさえ震えていた。ただし、恐怖ではない。
「……んんの、クソボケ害獣がぁ!!!!!!
ウチが、ウチらが何のためにこないな、敵の近くに住んどると思ってっ!!
だぁぁああぁぁああ!!!!!!」
吐きどころのない怒りをありったけ込めた叫びが、雲一つない空に木霊した。
最強種、ドラゴンのお披露目でした
狐雪、怒ってますね




