第12歩 安息
欠けた脚をさすりながら、のんびりと湯舟に浸かる。とろけてしまいそうなほどの心地よさに、抱えていた悩みも何も、今だけは全部忘れてしまえそうだった。
「里長ぁ~。」
そうしてぼんやりとしていたら、脱衣所の方から声が響いた。どことなくエリカに似た、ゆったりとした口調の声。誰だろうと思って顔を向けると、頭に小さく透明な笠を生やした人外が、黒い瞳をまたたかせて、そこに居た。
「ん、暗听か?」
「およよ、お客様とご一緒でしたか。
出直そうかな。」
「あぁ、かまへんよ。
背中流して欲しいんやろ?」
狐雪さんが湯舟から出て、暗听さんの方へ歩いていく。暗听さんは、衣服を全て脱いでいるわけではなく、二の腕まで覆う長手袋をしていた。
「ん~、いつもありがとうございます~。」
「ほれ、気持ちええか?」
暗听さんの、毛先に向けて薄群青から緋色にグラデーションがかった長い三つ編みのローツインをほどきながら洗い、背中を泡を付けた布で擦る狐雪さん。親子のようなその姿に、表情が緩む。私も、エインセルにしてあげようかな。
「エインセル、洗ってあげようか?」
「え、いいの?」
羨ましそうな顔で二人を眺めていたエインセルに声をかけ、二人で湯舟から出る。
「お隣失礼しますね。」
「失礼します。」
「いえいえそんなご丁寧にぃ~。」
「ええのええの、自由にしや。」
暗听さんの横にエインセルを座らせ、狐雪さんに並ぶ形でエインセルの身体を洗い始める。泡が細かくて心地よさそう。ふと、カイコに目を向けると、熱かったのか湯舟のふちに腰かけて脚をぷらぷらと揺らしていた。
「カイコもどう?洗ってあげるけど。」
声をかけると、ゆっくりとこちらに顔を向け、そのままゆっくりと立ち上がってこちらへ向かってくる。ちょっと怖いんだよな、あの歩き方。まぁ、向かってくる以上洗ってもらいたいということなのだとは思うけど。
「……洗って。」
カイコは、エインセルの隣にちょこんと座って背中を差し出す。長い髪が背中を半分ほど隠してしまっているので、先ずは髪の毛から洗ってあげよう。それに、背中の羽も、せっかく綺麗なのだから傷つけないように慎重に洗わなければ。
「痒いとことか痛いとことかない?
エインセルも。」
我ながら器用に両手を使って二人同時に洗う。意識し始めたらガタガタになりそうだから気にしないようにしつつ、二人にどこか気になるところはないかを確認する。
「……首、後ろが痒い。」
「私は大丈夫!」
カイコの首の後ろを重点的に擦ってやる。
「この辺?」
「そう…そこ。いい。」
心地よさそうに目を細めるカイコを見て、間違っていないことを確信して安心する。にしても、思ったより可愛いなこの子。
「はい、流すよー。」
「わぷっ。」
「……ん。」
お湯をかけて、泡を流す。エインセルは顔にもかかってしまったようで、びっくりさせてしまった。カイコの方は、急な温度に身を縮めたが、直ぐにリラックスして伸びていた。
「…………お返し、洗ってあげる。」
「!そうだね、リャナ、洗ってあげる!」
「え、じゃあ、お願いしようかな。」
エインセルはともかく、カイコからの意外な提案に面食らってしまった。仲良くなってきた、ってことかな。ふと横を見ると、もう暗听さんと狐雪さんはいなかった。二人とも、いつの間にか湯舟に浸かってこちらを見ていた。その表情は微笑み。暖かな感情が伺えるそれは、いつも私がエインセルに向けているものと同質で、慣れない視線に目をそらしてしまう。
ほどなくして、二人に洗ってもらったあと、再び三人で湯舟に戻った。
「改めましてぇ、海月 暗听と申します~。よろしくお願いします。」
「ご丁寧にどうも、私はリャナです。よろしくお願いします。」
「エインセルです!」
「……カイコ。」
「暗听はええこやさかい、仲良うしたってや~。
大体いつもこれぐらいの時間に温泉に来る子やねん。
いつもは、ウチを部屋に呼びに来てから来るんやけど、今日はウチがあんたはんらの案内しとったからね。
直接来たみたいやわ。」
交流しているのが心底嬉しいのだろう。ずっとにこやかな表情で狐雪さんが話を続ける。里の様子。みんなの過ごし方。生活の仕方から、世間話まで、話が止まらない。
「里長ぁ、おしゃべりしすぎです。」
「おっとと、すまんなぁ。
嬉しゅうて。」
「いえ。おかげさまでだいぶ、和みました。
重荷が少し、降りた気がします。」
エインセルの分は気負う。けれども、それもカイコと分担でいいし、そのすべてを、狐雪さんが背負ってくれる。誰かに肩の荷を預けるなんて、したことなかった……
「甘えるって、怖いのね……」
誰にも聞こえないように、ぽそりと呟いた。
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気持ちよかった、温泉、毎日でも入りたい。リャナとの距離も縮まった気がするし。いいことばかりだ。
「……エインセル、ありがとう。」
「うん?うん。」
よくわかっていなさそうではあったが、わからなくてもいいと判断したのか、エインセルはそのまま頷いて、リャナの方へ走っていく。
「カイコはん、どうやった?ウチの自慢の温泉は。」
狐雪、この隠れ里の里長である彼女が声をかけてくる。出会ったときは警戒していたが、招き入れられてからの言動の数々から、彼女が優しく、温かい人物であることを理解した。ちらと目を向ければ、先ほど、私たちの後に温泉に入ってきた暗听も居る。
「……気持ちよかった。とっても。
毎日でも入りたい。」
「そらよかったわ!
気に入ってくれておおきに!」
「毎日入りましょ~。」
ここ最近出会う人はみんな気のいい人ばかりだ。あぁ、門番たちはそうでもなかったが。彼女らもアレが仕事なのであれば仕方がないだろう。許すかは別だ。
「…………」
温泉のあった建物。その中をひととおり案内された私たちは、それぞれ思い思いの場所に散開していた。エインセルとリャナは食堂へ、狐雪と暗听は酒場へ行った。私は、椅子のたくさん並んだ休憩室で、目の前に座る少女と目を合わせていた。私と同じような白い髪の少女はまばたきひとつせず、声も発さず、ただ見つめ合う。勝ち負けではないことは理解しているが、目を逸らしたら負けだと思った。
「………………」
「………………」
私も大概だが、少女はひたすらに無口だった。これっぽっちも口を開かない。その真っ白な瞳の下にはクマが見え、全身に包帯を巻いている。酷く重い怪我を負っているのだろうか……それにしても、気まずい。
「お、こんなところにおった。
響歌、こっち来や。
あれ、カイコはんもおるやん。良かったら一緒にどうや?」
そろそろ限界に達しそうなタイミングで、狐雪がひょこっと顔を出した。響歌と呼ばれた、私と見つめ合っていた少女は、やはり何も言わずに、ただ頷いて狐雪の方へ移動する。
「…一緒に、なにするの?」
「お酒、飲もうや。飲めるやんな?」
お酒?飲むということから、何かしらの飲み物なのだろうが、私にはわからなかった。
「……わからない、飲んだことない。」
「うそぉ、もったいないやんか。ほんなら一回飲んでみよか~。」
狐雪に手を引かれて歩き出す。連れ込まれた先には暗听がいて、水のような透明な何かを飲んでいた。
「……それは?」
「これですかぁ?ひれ酒ですよぉ~。
飲みます?」
返事をする前に、小さなコップを渡された。コップの中には、半分ほどの透明な液体が入っている。これを、飲めばいいのか。
「あ。」
グイっと、一思いに飲んだら、暗听が驚いたような声を出した。
「……なにこれ、熱い。」
「お酒飲んだことないって本当なんやなぁ。
そんなぐいーっと飲むもんちゃいますえ。
こうやってちびちび飲むもんや。」
まぁ、中にはグイっと行く人もいるけれど、と言いながら狐雪が小さなコップを少しだけ傾けて、中身を飲む。もう引いたけれど、喉が焼けてるみたいに熱かった。でも、美味しい。それと、少しだけ、ほんの少しだけ身体が熱くなってきたかもしれない。
「あぁ、忘れとった。
この子、奏吹 響歌って言うんよ。
諸事情でちょっと声が出されへんのやけど、意思疎通はできるからね、よろしくしたって。」
「…………」
そう言って紹介された、先ほど休憩室で見つめ合っていた少女、響歌はぺこりと頭を下げる。
「…ん、よろしく。私、カイコ。」
「ほな、酒盛り再開しよか。大将、じゃんじゃん持ってきて~。」
「あいよぉ!里長ぁ、今日は暴れんでくださいねぇー!」
「暴れたことなんかないやろぃ!」
そのやり取りに、酒場全体が笑いに包まれる。無口な私と響歌は、二人して微笑みを浮かべただけだったが、お互いに、こういう空気は嫌いではないらしい。
「…………響歌も、お酒を飲む、の?」
ふるふると首を横に振る。否定だろう。では何を飲んでいるのだろうかと考えていたら、持っていたコップを差し出してきた。
「ん、一口、もらうね。
美味しい、これは、ジュース?」
今度は縦に首を振った。何のジュースかまではわからないが、甘くて美味しい飲み物だった。
「なんやの~、ウチも混ぜてやぁ~。」
「里長、ダルがらみですよぉそれ。」
「暗听はウチに絡まれるの嫌なんかぁ?」
ニコニコしながら響歌にもたれかかったかと思えば、暗听の方を見てめそめそしている。先ほどまでの狐雪との変貌ぶりに目を疑う。が、その百面相は面白く、そして、愛らしかった。
「……狐雪、おかわり。」
空になったコップを狐雪に差し出すと、狐雪は目を丸くしてピタリと止まった。暗听を見ると、やらかしたような顔をしていて、響歌を見れば、わたわたしながら狐雪の服を引っ張っていた。
「カイコはぁ~~ん!
んも~、ええこやなぁ!大好きやでぇ~!!」
「ぅえ?」
動き出した狐雪に抱きしめられる。おかわりが欲しかったのだが……私を撫でる手が止まらない。心地よいとかではなく、もう揉みくちゃだ。でも、不思議と悪い気はしない。
「たぁんとお飲みや?
こうやってな、器に注いだら、こう、軽く器をぶつけるんや。
乾杯、言うんやで。一緒に楽しく飲みましょういう挨拶や。」
「……乾杯。こう?」
チン、と子気味良い音が鳴る。一緒に楽しく飲む挨拶。今度、エインセルとリャナともしよう。
「……暗听、響歌。乾杯。」
この時の私は多分、今日一番の笑顔だったんじゃないかと思う。エインセルに連れられたことから始まり、温泉でほぐれたところに、このお酒という飲み物と場の空気で、長年忘れていた笑顔を、思い出せたような気がする。それにしても、お酒、美味しいな。
───どれぐらい飲んでいただろうか、もうだいぶ全身がポカポカで、頭もぽわぽわしている。
「カイコはん、ええ飲みっぷりやなぁ。惚れ惚れしてまうわ。」
「ねー、態度も全然変わらないしぃ、すごぉく強いんですねぇ。」
「……」
三人から褒められるが、よくわからない。美味しいから飲んでいるだけなのだが、どうやらお酒とは飲んだら普段と大きく変わってしまう人もいるらしい。狐雪がいい例だろうか。そういう意味では暗听もあまり変わらないように見えるが。聞けば、暗听はちょこちょこお酒以外の物も挟んでいるだけらしい。ぶっ続けでお酒を飲み続けて暴れているのは狐雪だけという話だ。これも、愛される理由なのだろう。
「……狐雪、弱いね。」
「なにおぅ、ウチは先に飲んでたし、ノーカンやノーカン。」
「ふふ、じゃあ、今度最初から誘って。」
柄にもなく、次の約束を取り付けてしまう。いや、元々私は人懐っこいのだ。極度の寂しがり屋、常に誰かにくっついていたかった。でも、それができない状況だった。だから無理して、強がって。その結果、エインセル達に出会った。そうして、ここにいる。ここで、私はまた、誰かにくっついて回るのだろう。エインセルか、狐雪か、誰について回るかはわからないけれど、寂しがりな私に戻っても大丈夫、今はそんな気がする。
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「……寝てもうたな。」
意気揚々と酒を飲み続けて見事に潰れたカイコはんを尻目に、残りの酒をあおる。今日来た三人、その内のエインセルとリャナは、事前に連絡があったため問題なかったが、カイコだけは違った。エインセルが道中で拾ってきた怪しいと言えば怪しい存在。霧の杜ではいち早くウチの感覚に気づき、門でも、出てくる前に誰かが来たことに気づくほどに警戒心の強い子。その中身は、エインセルはんを護ろうという意思が大きすぎる不器用な子やった。打ち解けられればと、響歌を探しに来たついでに誘ったが、まさかここまで愉快な子やとは思わんかったわ。
「響歌もお疲れみたいやし、お開きにしよか。
暗听、カイコはんを頼める?」
「わかりましたぁ~。
里長、今日は意外とちゃんとしてるんですね?」
失礼してまうわ、いつもちゃんとしとるやろうに。とは言わない。何度やらかしたことか。だが、今日は別の理由がある。事前通達があったとはいえ余所者が来たのだ。里のみんなも不安だろう。特に、通達に無かった人物には、警戒心が向くのもわかる。だからこそ、普段なら人目を避ける響歌が、カイコはんの前から動かんかったんやろうし。
「たまにはそういう日があってもええやろ?」
「いつも頼もしいので、お酒を飲んだ時ぐらいは情けなくてもいいんですよぉ。」
「嬉しいこと言うてくれるなぁ……
大将!ご馳走様、今日も美味しかったで!」
「まいどぉ!また来てくださいよぉ!」
響歌を背負い、客間へ向かう。暗听も、カイコはんを抱えてついて来ている。エインセルはんとリャナはんはもう客間に居てるんやろうか。客間の襖をガラリと開けると、二人は居た。特に何をするでもなく、ぼんやりとしていたようだ。
「まいど、カイコはんを潰してもうたから連れてきたわ。」
「カイコ!?」
「ど、えぇ、なにが……」
入ってきたウチらを見て驚き、抱えられたカイコはんを見てさらに驚く。ちょっとおもろいな。ノヴァの話では、この子らは箱庭から出てきて集落に参入、襲撃にあった後にここへ送られたらしいから、酒とか知らんのやろな…災難な子ら……
「お酒っちゅう飲みもんを飲ませたらな、気に入ってくれたみたいでこんななるまで飲んどったんよ。」
「里長と競い合うように飲んでたのでぇ、里長が悪いですぅ。」
「なんてこと言うんや、ウチはただ嬉しくて……」
ウチを悪者にするなんて悪い子や、後で厳しくせんとな。ともかく、カイコはんを二人に預けて部屋から出る。また明日、おやすみと声をかけて。今日からあの子らもウチの子や。いろいろあったんやろうけど、ここでは何も心配いらんからな。せやから、今はいっぱい寝とき。
「響歌を帰したら、二軒目行こか。」
「まだ飲むんですかぁ~?いいですけど、介抱しませんからね。」
そうして、暗听と共に日課の酒場巡りを続けるのだった。




