番外編
アーニャ回
アーニャとクラウスの距離は、少しずつ近くなった。
――とはいえ。
劇的に何か変わったわけではない。
相変わらずクラウスは距離が近いし。
アーニャはそのたびに振り回されていた。
「アーニャさん」
「なんですか」
「疲れてます?」
「誰のせいでしょうね」
「俺?」
「自覚あるんですね」
そんなやり取りが増えた。
休日が合えば街へ出ることもあったし、邸宅で顔を合わせれば自然と会話するようにもなった。
そして。
周囲はとっくに気付いていた。
「マーサ」
「なんでしょう」
「アーニャ、最近楽しそうね」
午後のティータイム。
セレスティーヌがふふっと笑う。
その視線の先。
庭では、アーニャとクラウスがリュークと遊んでいた。
「クラウスー!こっち!」
「はいはい」
「エレナも遊ぶー!」
「お、エレナ様も来ます?」
クラウスが軽々エレナを抱き上げる。
エレナがきゃっきゃ笑った。
「たかーい!」
「危ないことしないでください!」
アーニャが慌てている。
だがクラウスは楽しそうだ。
リュークなど完全に懐いている。
「クラウス?」
「ん?」
「父様と戦ったらどっちが強い?」
「団長です!オレなんか10秒耐えれれば良い方ですね」
「即答かよ」
「団長は化け物ですから」
騎士団全員一致の意見である。
その様子を見て、セレスティーヌがくすくす笑った。
「仲良いわねぇ」
「ええ」
マーサも穏やかに頷く。
「クラウスは良い方ですから」
「アーニャも安心してるのかしら」
「でしょうね」
マーサは静かに目を細めた。
アーニャはずっと張り詰めていた。
セレスティーヌを守るために。
支えるために。
侍女として完璧であろうとして。
でも今は違う。
笑う時間が増えた。
年相応の顔をするようになった。
それが嬉しかった。
一方その頃。
「にいさまにいさま」
「ん?」
エレナがこそこそ声を潜めた。
「クラウス兄さまとアーニャ、つきあってるの?」
「ちょ、え、何言ってるんだ!?」
エレナが頷く。
「だって、クラウスと会うまえアーニャいつも鏡見てる!」
「えっ」
リュークが固まる。
「いつ!?」
「このまえ!ふたりとっても仲良し!」
子供はよく見ている。
「とうさまとかあさまみたい!」
その瞬間。
背後から低い声がした。
「……誰がだ?」
「父様」
いつの間にかアデルが立っていた。
怖い。
「父様、仕事は?」
「終わった」
アデルは無表情で庭を見る。
そこではクラウスがエレナを肩車していた。
「え、エレナ……もうあんな所に……」
「きゃー!」
「落ちないでくださいねー」
「たかーい!」
完全に懐かれてる。
アデルの眉間に皺が寄った。
「…………」
「父様?」
「……クラウス」
「はい?」
「娘を抱き上げる時間が長い」
「えっ、そこ気にするの!?」
リュークは思わず叫んだ。
なおアデルは本気である。
そして。
事件は、その日の夕方に起きた。
「アーニャさん」
「なんですか」
「少し付き合ってください」
「嫌な予感しかしません」
「ひどい」
クラウスに連れられ、アーニャは街へ出ていた。
夕暮れの北の街。
石畳がオレンジ色に染まっている。
「どこへ行くんですか」
「秘密です」
「帰りますよ」
「まあまあ」
強引だ。
でも。
不思議と嫌じゃない。
やがて辿り着いたのは、小高い丘だった。
街を見下ろせる場所。
夕陽が綺麗に見える。
「……綺麗」
「でしょう」
風が吹く。
遠くから鐘の音が聞こえた。
しばらく二人で並んで景色を見つめる。
静かな時間。
けれど気まずくはない。
「アーニャさん」
「はい」
「あなた、最近よく笑ってくれますね」
「……そうですか?」
「はい」
クラウスが笑う。
「前より、ずっと」
アーニャは少し黙った。
北へ来たばかりの頃。
自分は余裕なんてなかった。
セレスティーヌを支えることしか考えられなくて。
不安で。
後悔ばかりで。
でも今は。
セレスティーヌは幸せそうで。
リュークも元気で。
アデルも不器用ながら優しくて。
そして他にも……
この邸宅は、ちゃんと“家”になっていた。
「……ここ、好きなんです」
ぽつりと零す。
「北の街も、邸宅も」
「ええ」
「皆さん優しいから」
クラウスは静かに聞いていた。
「最初は、不安だったんです」
「でしょうね」
「でも今は」
アーニャは小さく笑う。
「帰ってきた、って思えるんです」
その言葉に。
クラウスの目が少し柔らかくなった。
「なら良かった」
優しい声だった。
不意に。
胸が少し苦しくなる。
近い。
この人が近い。
距離が。
空気が。
心が。
「……クラウスさん」
「はい」
「あなたは」
言葉が詰まる。
なんて言えばいいのか分からない。
でも。
聞きたかった。
「どうして、そんなに私に構うんですか」
クラウスは少し驚いた顔をした。
それから。
困ったように笑う。
「分かりません?」
「分かりません」
「本当に?」
「本当にです」
するとクラウスは小さく息を吐いた。
「俺」
真っ直ぐアーニャを見る。
「あなたのこと好きなんですよ」
「――――」
「かなり前から」
夕陽が眩しい。
なのに。
それ以上に顔が熱かった。
「な……」
声が出ない。
クラウスは苦笑した。
「そんな驚きます?」
「驚きます!」
「割と分かりやすくしてたつもりなんですけど」
「知りません!」
「鈍いなぁ」
「うるさいです!」
アーニャは完全に混乱していた。
心臓がうるさい。
近い。
無理。
「……返事、急がなくていいです」
クラウスが静かに言う。
「でも」
その目が優しい。
「俺は本気です」
アーニャはぎゅっとスカートを握った。
どうしよう。
困る。
こんなの。
でも。
嫌じゃない。
全然嫌じゃない。
むしろ。
会えないと少し寂しくて。
話すと安心して。
隣にいると落ち着く。
そんな自分に、ずっと気付かないふりをしていた。
「……ずるいです」
「え?」
「そういう言い方」
アーニャは視線を逸らしたまま、小さく言った。
「断りづらいでしょう」
数秒。
静寂。
それから。
クラウスが吹き出した。
「それ、期待していいんですか」
「…………」
「アーニャさん?」
「……知りません」
「かわいい」
「う、うるさいです!」
けれど。
その声は少し笑っていた。
クラウスはそんなアーニャを見つめて。
それからそっと手を差し出した。
「じゃあ」
夕陽の中。
優しく笑う。
「これから、よろしくお願いします?」
アーニャは少しだけ迷って。
でも最後には、小さく笑った。
「……なによそれ。……こちらこそ、よろしくね?」
そっと重ねた手は、春の空気よりずっと温かかった。
なお。
翌日。
「アーニャ」
「は、はい!」
セレスティーヌがにこにこしていた。
「昨日、楽しかった?」
「……っ!?」
「顔赤いわよ?」
「奥様!!」
後ろではマーサが優雅に紅茶を飲んでいた。
「若いですねぇ」
全部バレていた。
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