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第9話:日輪の双蕾・サラ ゾラ(三)

 前回のあらすじ。

 双子の幼女に大福を食わせたら、殺されかけた。

 うん。意味が分からない。


 やはり全ては夢ではなかった。何がどうしてこうなってしまったのか。

 俺はただ、この双子に美味しい料理を食べさせたかっただけなのに。

 所在なくサラを見つめると、まるでその視線を仇とばかりに睨み返してきて混乱はますます深まっていく。


 いつまでも無言の俺にしびれを切らしたのか、サラはついに立ち上がり、呪文の詠唱を始めていた。

 室内の異常な魔力が俺の現実逃避を許さじとばかりに高まっていく。


「滅びろ!」


 サラの怒声と共に飛び退くと、俺がいた場所をなぞるように火焔の弾が飛んでいく。

 骨身を震わす爆裂音。それから爆風が室内に吹き荒れる。

 一度撃ってからやや冷静になったのか、今度は壁に着弾すべく火力を抑えられていたようだった。

 

「おかしいと思っていたんです! 今日は兄様に誘われて食事をする会だったはず! なのに部屋はボロボロ! 兄様は血まみれ!」

「ちょっと落ち着け、サラ!」

「気付いていないと思ったら大間違いです! 私たちがこの家にやってきた時、まだ周囲にはオデット様の光気が飛んでいましたよ! そうでしょ、ゾラ!」

「……え、あ、うん。あれはオデットのだったよ。あのズババババアー、って凄いやつの」


 いきなり話の矛先を向けられて、サラの背後からゾラが返事をする。

 姿が見えないと思ったら、いつの間にか部屋の隅にうずくまっていたようだった。

 まぁ、サラのあの剣幕を見れば無理もない。俺だって隠れられるなら隠れたいくらいだ。


 ともあれ二人が言っているのは、ゾラが持つ特異能力の一つ・魔力探知の事だろう。


 ゾラはあらゆる生き物が放つ魔力の判別に長け、仲間のうちでもよく索敵の役目を担っていた。

 その性能は他の魔術師と比較しても抜きん出ており、言葉を持たない生物の感情まで読み取って対話することさえ可能だった。

 オデットが撒き散らした光気の残り香を見る事など造作もないはずである。


 そこで不意にゾラと目が合った。

 ゾラは困惑した顔色でサラに勘付かれぬよう気を使いながら、口をパクパク動かした。

 『ニ・イ・チャ・ン』


 「兄ちゃん」と、確かにそう動いている。

 そうか。あいつなら俺の魔力も見慣れてるから本人だと分かるんだな。


 再びゾラの口が無音のまま、言葉を紡ぎ出す。

 『ド・ロ・ダ・マ』


 ……? これの意味は流石にわからない。

 「泥玉」? そういえばさっきサラもそんな事を叫んでいたような。


 そこでふと新たな疑問が生まれた。

 俺と知り合ってからまだ日が浅かったゾンバッカーの時はともかく、俺の魔力に見慣れているはずの今、なぜその事実を姉のサラに知らせない?

 だがその答えはすぐに見つかった。

 …………怒っているサラが怖くて口答えできないんだな。


 その証拠とばかり、俺とゾラの無言の会話に何かを察したサラが凄まじい勢いで振り返ると、ゾラは素早く物陰に隠れてしまった。

 あいつ、普段は物怖じしないくせにここまでビビリだったのか。

 サラは再びこちらを睨むと、全てを見切ったと言わんばかりの迫力で俺を指差す。


「どういう手段を用いたかは知りませんが、お前は再び蘇った! そして私たちを欺いてこの地に呼びよせ、お前はおぞましくも兄様に化けてオデット様に襲いかかった! そして返り討ちに遭った! 違いますか、ゾンバッカー!?」

「違う! というか俺はゾンバッカーじゃない。本物だ!」

「嘘をおっしゃい! だいたい、あのオデット様が兄様に剣を向けるものですか!」


 うん。俺もそう思ってたよ。

 でもね、向けてきたんだよね。


「あいつが逆ギレして剣を抜いたんだよ」

「とうとう尻尾を出しましたね! あの剣技はオデット様が持つ最強の技。あの方は言ってました。『これは人に向けて使うべき技ではない』と! あの公明正大なオデット様が、己の誓いを曲げるものですか!」

 

 うん。俺もそれは聞いてたよ。

 でもね、俺に向かってぶっ放してきたんだよね、あのクソ女。


 しかし、なぜサラは俺をかつて倒した魔物と勘違いしているのか。

 そこに誤解を解く鍵がある。というかそれが問題そのものだ。

 泥玉がどうしたとか。本当になんで勘違いしてるんだよ、こいつ。


「ちょっと待て、ちょっと待て。確かにオデットのやつと喧嘩して殺されかけた。だが、なんでそれでゾンバッカー扱いを受けるんだ」

「…………何を、白々しい! こんな手の込んだ嫌がらせを仕込んでおきながら……よくも、よくもぬけぬけと!」

 

 今度はサラの手から火弾が二つ、急いで飛び退いた俺の軌道を追うように放たれる。

 しかしそれらは俺とは全く別方向へと着地し、家のあちこちで爆裂音を鳴り響かせた。

 その破壊力より、あのサラが魔法のコントロールを忘れる怒りにこそ、俺は戦慄した。

 

 そしてサラは堪りかねた怒りを吐き出すように、俺も知らぬ秘められた過去の記憶を語り出した。

 

「忘れたとは言わせませんよ! お前はあの日、お母様の姿に化けて私たちにお菓子と称して振る舞った。私は一生忘れません!

 ――――お前に食わされた、あの泥で作られた玉の味だけは!」

「…………泥の、玉?」


 …………んー。

 つまりこういう事か?


 ゾラが周囲に飛散しているオデットの光気を見てしまい、サラに怪しまれていたところにピンポイントでトラウマになっていた食感を想起するアンコを食わされて発狂したと。


「はぁ…………」


 ――――だから、どうしてこうなる。

 それはもう深い深いため息が俺の口から漏れた。


 たまたま過去に起きた出来事に、たまたまピッタリと当てはまる料理を提供してしまう。

 タチの悪い偶然が積み重なり、奇跡とも呼ぶべき最悪の状況が展開されていた。

 改めて周囲に目を向ければ、ひどい有様だった。

 

 サラが放った火弾の爆風で室内の家具はことごとくひっくり返され、バリケードのようにテーブルを盾にしたゾラは隠れ震えている。

 幸い、延焼こそはしていないが家の中はもうボロボロ。

 料理には真心を込め、味には細心の注意を払ったのにこの状況だ。


 とうとう諦観の念が重くのしかかり、目をつむると俺のまぶたに一人の女性の顔が浮かんだ。

 いつも優しい笑顔を浮かべていた、母の顔だ。


 ――――母さん。どうやら俺はもうここまでのようです。

 貴方に教わった和食の数々。その全てをこの世界に広めるという夢は潰えてしまいました。

 いっそこのままサラの手にかかり、貴方の元へと旅立つのもいいかもしれません。

 

 この五体に刻まれた和食の味はすべて、定食屋を営んでいた今は亡き母から授かったものだった。

 母は今際の際まで料理のことを考え、遺言もまた料理に深く関わる金言だった。

 俺はその言葉を決して忘れず、今も座右の銘として深く心に刻み込んで……。

 刻み、込んで……?


 あ!

 

「……ああああああああああああああああッ!」

「な、なんですか急に! 大声で叫んで威嚇すれば誤魔化せると思ったら大間違いですよ!」


 ああああああ。なんてこった。

 俺はなんでこんな大事な事を見落としてた。


 俺は、母が遺した、肝心要の、もっとも重要な言葉を失念していたのだ。 

 母はその命の最後に言った。


『ヤマト。料理はな、腕前だけじゃダメなんよ。

 お客さんが美味しいと思ってくれる味をとことん信じる。

 そして、それと同じくらいお客さんを信じんと、ダメなんよ。

 信用できん相手から出された料理なんぞ、どんな味でも不味う感じるもん。

 だから、まずはあんたがお客さんを信用して、あんたもお客さんに信用してもらう。

 そうして初めて美味しい料理が出来上がる。そうして初めてあんたは料理人になれるんや。

 ヤマト。私のヤマト。私の代わりに、たくさんの人に、美味しい料理を食べさせてあげてな……』


 母は常々言っていた。

 優れた料理。心が通じ合った客。その二つが揃った時こそ、本当に美味しい料理が生まれるのだと。


 母の営む定食屋には、いつも光と笑顔が満ち溢れていた。

 母が出す料理に間違いはなく、気心の知れた常連たちは舌鼓を打ちながら皆一様に笑い合っていた。

 その光景こそが俺の原風景。あの美しい情景を、この世界に蘇らせる事こそが俺の悲願だったはずだ。


 先刻から、いや今日一日を通して感じていた違和感の正体。

 それは俺自身が客を一切信用せず、どころか客を和食普及の道具と見なしていた事への後ろめたさに違いなかった。


 そこで場面が繋がるように、クレディルの森での出来事が頭をよぎった。

 あの時、決死の覚悟で双子を説得した時の記憶が湧き上がるように蘇ってくる。


 人を信じれなくなっていた双子に無我夢中で必死に語って聞かせた話とは、やはり料理の話だった。

 俺は母から教わったあの料理の極意を、そのまま双子に教えたのだ。

 

 人と人が信じ合わねば、何も生まれない。


 そんな当たり前のことを、俺はたった今まで失念していたのだ。

 何が偶然、何が奇跡だ。

 この状況は元から猜疑心の強かった双子が俺の本性を見抜いていた事に起因していたのだ。

 あるいは、今日起きたすべての悲劇すらも、原因は俺自身にあったのか。


「…………すまなかった」


 気づけば俺は、自らの非礼、そして己の過ちを双子に詫びていた。

 あるいはこの場にいない、誰かに告げるように深々とお辞儀する。

 己の首を切り落とされても構わない。そんな覚悟をこの謝罪に込めたつもりだった。

 

 その変貌にサラも驚いたのか、とっさに更なる火の弾を形づくり始めるが上手く形成できていない。


「……いきなり、何を……」

「俺はお前たちを、みんなを利用するつもりでいた。その事でク……オデットとも喧嘩した。他の奴らとも喧嘩した。当たり前だ。そんな邪な考えで接して信用される訳がない」


 俺はあの時と同じように。

 その身を晒すように、サラの目を見据えたまま続けた。


「一体、何を言っているんです……?」

「俺がお前らを信用して、お前らに俺を信用してもらう。そうじゃないとせっかくの料理が不味くなる。――――そうだろ、サラ?」

「なんで……その言葉……」


 サラは一歩後ずさると、大きくかぶりを振った。


「でも、あの森にはゾンバッカーもいた! ……だからあの時の話を聞いてたのかも……」


 もはや何を聞いても疑わしく響いてしまうのだろう。

 しかしその言葉とは裏腹に、サラの手元で燃え盛っていた火の弾が徐々に霧散していくのを俺は見逃さなかった。

 サラは迷っている。その苛立ちをぶつけるように爪を噛む姿が何よりの証拠だ。


 だが、それから先の一手を思い浮かばないのも事実だった。

 膠着(こうちゃく)状態から、さらに一歩。

 俺を信じてもらい、サラを正気に戻す一手はどこにある。

 考えろ、考えろ……。


 サラが爪を噛む音と空いた壁穴から吹き抜ける隙間風以外、全てが静止した緊張が辺りを支配した。

 ――――ヤマト。

 そして、その合間を縫うようにして、風が今は亡き父の思い出を運んできた。


『ヤマト。女性にはな、ただ謝るだけじゃダメだぞ。

 誠心誠意、真心を込めて拝み倒して、拝み倒して、拝み倒す。

 恥とかプライドとか、そんなしょうもないもんはさっさと捨ててしまえ。

 どんなヤンチャをしたって、最後には許してくれるのが女ってもんだ。

 ヤマト。お前も父さんのように、大勢の女性を幸せにするんだぞ』


 いっさい定職につかず、事あるごとに浮気を繰り返しては母に土下座するの流れを繰り返してきた、父の言葉である。

 無言で包丁を握る母の前で、プライドや恥どころか終いには服まで脱ぎ捨て、自分の子供の目の前で全裸土下座という完成形を披露した、あのどこに出しても恥ずかしい父親が遺した一家言。

 最後は浮気相手の女性に刺されておっ死んだ、今は亡き父の言葉がなぜかこの瞬間に再生された。


「…………」

 

 信用を得るためには。

 衣服もプライドもかなぐり捨てた、全裸土下座。


 いやこれは違うだろう、と押し留める理性の声がする。

 しかしもう一方で、これしか手がないのではないかという悪魔的閃きに似た謎の確信がまとわりついてくる。

 お辞儀でダメなら土下座。筋は通っているような気が。いやしかし。

 不思議とあれで女の人から好かれていたし、母も怒り尽くした最後には折れて必ず父を信用していた。

 ――――もちろんその信用は毎度毎度、裏切られ続けてきた訳だが。


 まさか、かつて反面教師にしかなりえなかった父を参考にする日が来るとは思いもしなかった。

 しかし、今さら面子にこだわっている場合ではない。

 他に何の手立てが思い浮かばないというならば、この手に賭けてみるしかないだろう。

 俺は直ちに服を脱ぎ捨てようとした。

 その時だった。


「姉ちゃん! その人、たぶん兄ちゃん、だよ……」


 叫んだのは、それまで隅っこで隠れていたゾラだった。

 今まで見たこともない引きつった表情で、言葉の最後はみじめに窄んでしまっていたが。

 それは確かにゾラの声だった。


 どんだけ姉のサラが恐ろしいんだよ。

 呆れもしたが、しかし思いがけぬ救援に胸が熱くなる。

 あるいはそれは姉に対する救援であったのかもしれない。


「え……」


 先ほど妹の魔力探知能力について言及しておきながら、今この場においてはすっかり失念していたサラである。

 思いがけぬ方向から明かされた真相に、ようやくサラの時が動き出したようだった。


「……ほ、本当に?…………」


 突如差し出された救いの手に、サラは戸惑いながらも確認する。

 サラの視線を一身に受けたゾラは、無言のまま頭を何度も縦に振った。


「ああっ……なんて……」


 サラはその一言を最後に、崩れ落ちるようにその場にへたり込んでしまった。

 羞恥も後悔も物の数ではない。無数の感情の荒波がひしめくサラのすすり泣きだけが部屋に残った。


 呻きながら顔を覆うサラに、なんと言葉をかけるべきなのか。

 俺は言葉もなく天を仰ぐ。

 そうすることでこみ上げる涙を、何とか抑えることが出来た。


 勘違いとはいえ、実の兄のように慕ってくれていた俺を信じきれずに襲いかかってしまった。

 その自責の念は、無垢な少女には余りにも重すぎる。


 俺がオデットにやられかけた後、サラは俺の悲しみを理解してくれた。

 それと同じように、俺もまたサラの悲しみを深く理解することが出来たのだ。


 そんな彼女の悲しみを癒すにはどうしたらいいのか。

 共に泣き、共に嘆くことでその思いを共有する。それも決して悪くはない。

 しかし俺はサラと違い、もう一つ、彼女の悲しみを癒す手段を持っている。

 

 言うまでもない。

 和食だ。


 美味しい料理には気分を高揚させる効果がある。

 和食で損なわれた絆は、やはり和食で修復するしかないのだ。

 涙に暮れるサラを救うことが出来るのは、もはや和食以外にありえない。

  

 そうと決まれば早速、準備に取り掛からねばならない。

 俺は泣きじゃくるサラと、それを見守りながらどうすることも出来ないまま固まってしまったゾラに背を向ける。

 にじんだ涙を拭い去ると、颯爽と厨房に足を向けた。

 向けた。

 向け、た……?


 ――――それはこうなる前に気づくべき事だった。


 サラが放ったうち、コントロールを失った弾の行方。

 その一つが、俺の聖域とも呼ぶべき厨房に着弾していた。


 俺がこの世界で和食を再現するにあたって、どれだけ苦労を重ねたのかはもはや語るまい。

 その労苦の結晶が、見るも無残な姿に成り果てていた。


 全てが類似品とはいえ、必死の思いでかき集めた食材たちが哀れな姿で床の上に散らばっている。

 被害にあったのは食材だけに留まらない。

 あの逸れた火弾は相当な威力であったらしく、この世界に二つとない調理器具たちさえも、歪み、焦げ果て、惨めな姿を晒していた。

 

 大粒の涙が、無情にも床にこぼれ落ちた。

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