第8話:日輪の双蕾・サラ ゾラ(二)
▽クリル聖王国崩壊に関する調査報告書(一部抜粋)
かねてより長年の謎であったクリル聖王国の滅亡。
英雄の手によって世界に平和が戻った今、我々はついにその調査に乗り出す事にした。
方々を訪ねて歩き回り、数ヶ月。
わずかな生き残りの証言を基に、ようやくここに事件の真相が明らかとなった次第である。
今は亡きクリル聖王国。
強大な魔力を秘めた王族によって統治され、自然あふれる豊かで美しい国。
国民の性質も純朴であり、争いごとのない、まさしく絵に描いたような平和な国であった。
当初、この麗しい国は恐ろしき魔物の軍勢によってその国土を蹂躙され、滅んだものと思われていた。
だが、我々が調査を進めていくうち、通説とは全く異なる事実が浮かんできた。
あまりにも残酷な真実に我が耳を疑った。
それは国民同士による同士討ち。
つまりかの国は内部崩壊に近い形で、それも人間同士の凄惨な殺し合いによって滅んだと云うのだ。
その手引きをした首魁たる魔物の名は、ゾンバッカー。
嗚呼、なんと恐ろしいことか。
世に知られた、あの〈千変万化〉のゾンバッカーである。
その名で知られた通り、この魔物はどんな者にも変化する事ができる、恐るべき異能を秘めた魔物だった。
その特技を悪用し、国内に忍び込んだゾンバッカーはまずは国民の一人になりすましたのだと云う。
国内に潜伏したゾンバッカーは様々な場所に現れ、その場にいた人間の親しい者へと化けて出た。
そうして実にさりげなく、不和の種を蒔いて回ったのだと云う。
悪辣にも緩やかに、徐々に徐々にその魔手を国内全土へと伸ばしたゾンバッカーは、ある日、突如としてその牙を剥く。
恐るべき魔物の暗躍により疑心暗鬼に陥った人々は、親しい人、愛する人に向けて次々と刃を向け、殺し合いを始めてしまったのだ。
そうしてひとしきり人類の自滅を楽しんだゾンバッカーは、燃え盛る城街を後に最後の仕上げとばかり、王室へと向かったのだと云う。
そこにいたのは、幼き双子の王女。
悪魔の向かった先でいかなる悲劇が起きたのか。
しかしそれをあの二人の愛らしい王女に尋ねるのは酷というものだ。
幸いにもゾンバッカーは既に滅び、あの双子の王女は今も生きている。
全ては過去の出来事であり、もはやこれ以上の調査は不要と判断する。
彼女たちに信じる心を取り戻させた英雄。
そしてクリル聖王国再建を担う希望である双子の王女に幸多からんことを願って調査を終了する。
■ ■ ■
「なんだこれ! 柔らかい!」
「わぁ! わぁ!」
先ほどまでの暗さはどこへ行ったのか、双子は天真爛漫な笑顔を浮かべて、大福の感触に興味津々だった。
指先で突っつきながらモチ特有のふよふよ感を堪能し、すっかり上機嫌である。
「兄様、見てください! ほら、指の形がくっきり残って……」
「あはははは! すごい、すごい!」
上機嫌である。
楽しそうに笑う双子の姿はとても愛らしい。
たいへん愛らしいのだが。
「……食べ物で遊ぶなよ」
食品を玩具にするなど断じて許されるべきことではない。
ましてやこれは和菓子である。和食は食べるものであり、遊ぶものにあらず。
これまでの俺なら、ここで烈火のごとく怒りに身を任せて大暴れしたのだろう。
しかし、俺は我慢した。
彼女たちはもはや俺に残された最後の希望である。
ここでキレてしまえば、もう後には何も残らない。
言ってしまえば、それは打算だった。
……なんだか今日一日でとてつもなく汚れてしまった気がする。
だが俺には和食の普及という、崇高な使命がある。その為にはいかなる穢れも飲み込む度量が必要とされているのだ。
落ち着け。落ち着くんだ。
「…………」
「……で、ではいただきましょうか、ゾラ!」
そんな苦労の甲斐もなく、ゾラが再び怯えた目つきで俺を見ている。
汚れてしまった悲しみに思わず険しい顔つきになってしまっていたようだった。
サラはこちらの不機嫌を察してか、何かを誤魔化すようにぎこちなく大福を手に取った。
しかし。それにしても。
ふいに胸に引っかかるものを感じて、俺は思わず唾を飲んだ。
何かが足りない。
美味しい料理がある。しかし、この食卓には何かが致命的に欠けていた。
まるでぽっかりと穴が空いてしまったような……。
そんな俺の懸念を露知らず、双子は恐る恐る、程よいサイズに整えられた大福をつまみあげる。
高貴な生まれではあるが城を焼け出されてからの放浪生活が長かった為か、手づかみで物を食べることにはさほど抵抗がないらしい。
双子はともに小さな両の手で大福を支えると、大きく口を開けた。
「それでは、大地と精霊の恵みに感謝しまして」
「いっただっきまーす!」
無論、この世界に「いただきます」の習慣はない。
これは俺の教育の賜物である。
それにしても美しい光景だ。
俺がこの双子と共にクリル聖王国再建に乗り出した暁には、政策の一環として「いただきます」を義務付けるべきだと強く思った。
そうなれば今のように原始的な食器による食事も止めさせ、おはしの使用も義務付けるべきだろう。
うーむ。考えてみれば一から国を立て直すという状況は悪くない気がしてきたぞ。
国で生産する穀物もエネルギー効率のいいお米に切り替え、大豆の生産にも乗り出さねば。
もちろんこれらは類似食品に過ぎない。さらなる品種改良を重ね、かつて母国で味わった本物に近づけるための研究もせねばならない。
思いついてみればこれは急務である。国家予算の半分は投じてでも推し進める価値はある。
その間、国民に大きな負担を強いることにもなりかねないが、なぁに、美味しい和食が食べられるならどんな苦労も苦労ではないだろう。
おお、見えてきたぞ。素晴らしい国の形が……。
わずか数秒にも満たない時間でそこまで熟考して、俺は現実へと舞い戻った。
とうとう二人の口に大福が飛び込んでいく。それはこの瞬間だけは見逃すわけにはいかないという本能のなせる技だった。
大福。――――改めてその和菓子に着目すれば、なんと優しい料理なのだろう。
まず手触りが優しい。ふわふわとして力強く握れば破れてしまうほどに繊細な触り心地がたまらない。
そして一度、口に放り込めば餅が持つ本来の優しい風味に加え、中に詰まった餡の甘味に全身が包まれるような錯覚を覚える。
酒とは違う、心地よく落ち着いた酩酊すら伴う甘み。それが大福の本質である。
まさに神の抱擁と呼ぶほかにない、奇跡の和菓子を頬張った瞬間、双子は唸った。
「美味しい!」
「美味っ!」
…………。
もう一度。
「甘くて美味しいです! 兄様!」
「こんなの初めて食べた!」
…………。
双子の声が、確かな福音となって俺の鼓膜を揺らした。
「――――そうか。それは良かった」
かろうじて平静を保ちつつ、返事をする事には成功した。
だが、その次の言葉を紡ぐことは不可能だ。
なぜなら、全身の筋肉を引き締め続けなければ、俺はその場で失禁していた事だろう。
喜びとは、歓喜とは、これほどまでに。
総身に稲妻が駆け抜けたかの如く、体中に張り巡らされた筋肉が解きほぐされていくのが分かる。
次に押し寄せてくるのは洪水だ。涙腺と膀胱から同時に吹き上がる水気の予感をぐっと押しとどめねばならない。
この双子が美味しい料理を楽しむ時間の邪魔をしてはならないのだ。
サラとゾラ。
かつて、彼女たちは過去に経験した悲劇によって、その笑顔を失っていた。
俺と出会ったばかりの頃はいつも子供らしからぬ陰鬱な面持ちで、常に張り詰めているような空気を漂わせていた。
声をかければ返事もするし、礼儀もしっかりしているのだが、どこかぎこちない。
言ってしまえば俺を全く信用していない。
どころか周囲の全ての人に決して心を開かず、一定の距離を保っているように見えた。
大きな変化が訪れたのは、この双子の仇敵・ゾンバッカーとの戦いを終えてからだ。
それから双子はいつも笑顔を絶やすことのない、明るく無邪気な子供へと変わった。
いや、元に戻ったというべきなのだろう。
それは本来、双子が持っていたはずの愛嬌に違いないのだから。
それから共に旅をするうち双子の愛らしさは諸国でも有名になり、「日輪の双蕾」と呼ばれ、その笑顔は広く愛されてきた。
上手い呼び名をつけるものだ。
確かにこれは、いずれ大きく花開く大輪の華を思わせる、可憐で健気な蕾のような笑顔である。
「……ううっ」
「……うぐ!」
その笑顔が、消滅した。
――――まただよ。
双子は口元を押さえ、まるで得体の知れないものでも口にしたようにうつむいてしまっていた。
またか。またなのか。怖い。もはや何も聞きたくない。またこのパターンなのか。もういやだ。
しかしそれでも聞かねばならない。
俺は一度、深呼吸をしてから、二人に話しかけた。
「…………どうした、二人とも。ひょっとしたら、もしかして口に合わなかったか?」
口調こそ普通を装っているが、すでに足腰が震えていた。
これから双子の口からどのようなおぞましい呪言が飛び出してくるのか。
想像するだけで身が凍る。
「甘い、けど……なにか、中に?」
「……これ…………泥?」
…………泥、と来たか。
双子が言っているのはおそらく大福の中に詰まったアンコの事だろう。
泥か。確かにアンコはザラザラしっとりとした独特の食感がある。
しかし、泥か。
……本当に口の中に泥団子でも突っ込んでやろうか。この糞ガキども。
危うく暴言が口から出かかったが、俺はその言葉を飲み込んで注釈を加えた。
「それはアンコと言って、和菓子では代表的な……」
「――ウッ!?」
「ウン……!?」
「違う! 何と勘違いしてんだ! アンコだ! ア、ン、コ!」
子供は思考が下ネタと直結しやすいという話を聞いたことがある。
それにしたってあんまりだとは思うが、おかげで怒りを通り越した呆れと脱力が襲ってきた。
落ち着こう。落ち着いて説明すればこいつらにだって理解できるはずだ。
心を落ち着ける為に瞳を閉じ、何度か深呼吸をする。
吸う、吐く。静まり返った室内に俺の呼吸音だけが響いていた。
――――その呼吸音から遅れて、さらに上回る爆発音が俺の遥か後ろで炸裂した。
「なっ!?」
この爆発音には聞き覚えがある。
サラが得意とする火弾魔法。それも上位に位置する高火力の魔法だった。
俺の見間違いでなければ、火の弾は俺の頬をかすめてはるか遠方へと飛び去っていった。
高火力が仇となって室内では着弾せず、壁ごと溶かして飛んで行ったのはまさに僥倖といったところか。
溶けた壁穴の向こうには、遠く小高い丘の上に群生していたはずの木々が一部根こそぎ消滅しているのが見えた。
しかし先ほどオデットの一撃をかわす為にかけていた回避魔法の効力がまだ残っていたのは運が良かったな。
おかげで俺は無意識のうちに弾を回避し、わずかに頬を焦がすだけで済んだ。
……冷静に解説している場合ではない。
なんでサラが俺に向かってそんな危険な魔法を放つ?
「お、おい! サラ!」
「…………よくも……」
サラは席に腰掛けたまま、こちらに血走った視線を向けていた。
目尻にこそ小さく涙を浮かばせているが、それは殺気に満ち満ちた瞳だった。
「よくも……よくも、また、私たちに泥玉を食わせたな! ゾンバッカーーーッ!!」
……うん。さすがにこのパターンは初めてだわ。
鬼気迫る様子で泣き叫ぶサラを前に、俺の意識はさながら大福を頭からかぶったように真っ白になった。
ふいに殺気に満ちたサラの瞳を鍵として、俺の真っ白な意識のスクリーンに過去の映像が投影された。
それはこの双子とも因縁の深い魔物・ゾンバッカーとの戦いの記憶だ。
あの陰湿な魔物と刃を交わしたのは、西方に向けて進む道中に通りがかったクレディルの森だった。
狡猾なゾンバッカーは俺やその仲間たちの姿に化け、撹乱を狙った奇襲攻撃を仕掛けてきたのだ。
暗い森の闇に阻まれ、奴の術中にハマった俺たちは徐々に隊列を分断されていく。
敵も味方も分からない、一寸先は暗い闇の森の中、気づけば俺は一人になってしまっていた。
そんな俺が同じく孤立してしまっていた双子と再会した時、双子は俺を変身したゾンバッカーだと見誤り、攻撃を仕掛けてきた。
俺は誠実に身の潔白を証明しようとした。双子から攻撃を受けても反撃すらせずに受け切った。
それから必死に説得した。俺は仲間を、ましてや子供を攻撃する事なんてできない。無我夢中だった。
実際、あの時に俺が何を言ったのかなんて、もう覚えてもいない。
しかし、その終わりに泣きながら言った、サラの言葉は今も深く記憶に刻み込まれている。
「もう一度、人を信じてみます」
力強く帰ってきたその言葉を、俺も信じようと。
そう思っていたはずなのに。
「……許せない……絶対にお前だけは……!!」
あの時と同じように、殺意あふれるサラの言動。
俺はサラに睨みつけられたまま、瞳を閉じた。
目を開けた瞬間、全てが夢であったというオチを信じて。




