死出の餞
「んー……。」
火曜日、朝六時にスマホが鳴る、普段はまだ寝てる時間だけど、仕事用のスマホの音だから、頭をシャキッとさせて目を覚ます。
「もしもし。」
「あ、看取り業の方ですね?私、茂原総合病院の秋元です。新井さんの事なのですが……。」
「はい、新井さんがどうかされましたか?」
「昨晩、急に体調を崩されまして、そのままご逝去されました。ご親族にもご連絡をしたのですが、看取り代行を頼んでいるから、というお言葉を頂戴しまして……。」
「はい、了解しました。それじゃあ、今日のうちにそちらに伺わせていただきます。」
そっか、新井さんは天寿を全うしたか。
悲しい、あの声がもう聴けないと思うと、あの、ちょっと気性が荒いけど、でも優しい人の声が聞けないと思うと、悲しい。
ただ、それが俺達の仕事、俺の役割、それをわかってて、俺はこの仕事を選んだんだ。
「荒井俊太さんですか?お父様の件で……。」
「あー、適当にやってくださいよ。葬式上げるのも面倒だし、焼き場にもってけば焼いてくれるでしょ?骨壺になったら取りに行くんで。」
「……。かしこまりました、火葬場の方の手続きに入らせていただきますね。」
仏になった荒井さんを見て、霊安室で手を合わせて、息子さんに連絡を入れる。
予想通りの答えって言うか、そう言う息子さんだ、って言うのは理解してたから、予想通りの答えが返ってくる。
俺は、委任状を持って火葬場に連絡を入れる、委任状があれば、看取り業の人間が火葬場に遺体を運んでも、問題はない。
手続きをして、委任状を出して、火葬場から霊柩車が来るのを待つ。
「……。」
こういうのも、何度目だろう、死を見る仕事なのはわかってる、それは理解してる、それを理解せずにこの仕事をするなんて、馬鹿のやる事だ、と思ってる。
ただ、どうやったって、大切な人の死は慣れない、それが例え一か月の付き合いだったとしても、二週間の付き合いだったとしても、俺の中では大切な人になる、大切な人だからこそ、看取りたいと願うんだ。
涙は流れない、涙は意味がない、ただ、心が疲弊する、それは避けられない。
浩介には、感情も仕事のうちだ、なんて言っておいて、俺自身、そこに決着をつけられてない、そこに関しては、決着をつけちゃいけないと思ってる、それこそ、決着をつけちゃったら、感情のないロボットみたいな仕事しか出来なくなるんだろう、って。
だから、この感情は持っておきたい、無くしたくない、ただ、辛い事に変わりはない。
「荒井さん、もう少しだけで良いから、お話聞きたかったよ。」
霊安室の前で、一人呟く。
いつもそうだ、看取りって言う仕事をし始めてからずっと、もう少しで良いから話を聞きたい、ずっとそう思ってた。
その人の人となりをもっと知りたかった、もっと早く関わりたかった、もっと沢山の時間を、一緒に過ごしたかった。
ただ、それは許されていない事、俺達は看取り業、臨終の人間を看取るのが仕事であって、仲良くするのが仕事なわけじゃ無い。
わかってる、わかってるんだ。
ただ、それでも、俺は、俺達は、その人と仲良くなりたい、その人の心を少しでも助けたい、少しでも心穏やかな臨終を迎えてほしい、そう願ってた。
だから、じゃないけど、苦しくならない訳じゃない、浩介に言わないだけ、それも仕事のうちだ、って考えてるだけで、苦しくない訳じゃない。
また一人、逝った。
また一人、次はだれが逝くのか、次は誰を看取るのか、次は誰の番か。
そんな事を考えてしまうと、悲しくなってくる、悲しい、苦しい、辛い、そう言う感情が湧いてくる。
「……。」
涙は流さない、涙は、俺達が流していいものじゃない。
それは、傷ついた人達が流すべき涙であって、俺達看取り業の人間が流すべきものじゃない。
わかってる、わかってるから、俺は泣かないんだ。
「それでは、葬儀はなさらないので?」
「はい、ご遺族の意向で、そのまま火葬を、という話でした。遺骨に関しては、ご遺族が後から受け取りに来られます。」
火葬場について、火葬は三日後って言う話になって、それまでは霊安室で保管してもらう事になる、それをご家族に連絡して、その分の料金がかかる事を伝える。
死んでからも金が掛かるなんて、って文句を言ってたけど、葬儀もしないで火葬をするのに最低限の金も出せない愚か者、と思われたくは無いんだろう、しぶしぶだけど、請求を飲むって言う話になった。
くだらない人間性だな、って感想しかわかない、あんなに良い人から、どうしてそれが生まれてくるのか、って言う位、荒井さんと息子さんは正反対な人間だ、って感じた。
荒井さんは責任感が強くて、なんでも自分でしよとするタイプ、なんでも自分でやらないと気が済まないタイプだ、それに対して、息子さんは他人任せな人間、多分だけど、奥さんに言われるがままなんだろう、それがきっかけで俺達の所に電話を掛けてきたわけだし、そう言う人間なんだろう。
自分の意思を持たず、自分の意見を持たず、誰かが何とかしてくれるから、って言う甘い認識で生きてる人間、っていうのはよく見かける、そう言う人間が多い、指示待ち人間って言うのかな、そう言う人間が多い、って言うのはよくわかってる。
ただ、それを身近な人間が、って言うのは悲しい、荒井さんはそう言う子に育ってほしくなかったと思ってただろう、自分の意思で動いてほしかっただろうに、それをしない人間になってしまった、それは悲しい事なんだろう。
「良太、書類の準備して貰って良いか?」
「はいよー、お疲れ様、社長。」
「ありがとう、俺もこの後戻るけど、それまでに書類が出来てくれてると助かる。」
「了解ー。」
良太に電話をして、荒井さんのご遺族に送る書類を準備して貰う。
総務と事務を兼ねてる良太には、そう言う事務的な仕事を一任してる、最初は全部自分達でやってたから、やり方を知らない訳でもないけど、任せられる相手がいるのなら、任せるって言うのが俺達の考え方だった。
「ふー……。」
火葬場の外で、煙草を吸ってため息。
荒井さんも煙草を吸ってるって言ってたっけか、何の銘柄かを聴く前に逝ってしまったけど、そう言う談義もしたかったな。
あの気性の荒さの中にある優しさ、って言うのは、なかなか理解はされないんだろうけど、でも、そう言う人だっていうのは、よくわかってるつもりだった。
成仏してくれます様に、きっといつか、転生してきたら、また会えます様に。
そんな事を願いながら、煙草の煙を肺にいれる。
「ただいまー。」
「社長、書類出来てるよー。」
「ん、助かる。」
事務所に戻る、今日明日辺り台風が来るっていうんで、明日は待機日になるかな、なんて思いながら、今日はまだ雨が降ってなくて助かる。
「悠にぃ、もう雨降ってる?」
「ん、今日位は持ちそうな空気だな、明日からはわからないかな。」
「そっか、じゃあ明日は待機日になるのかな?」
「そうなるな、出先で台風にやられて動けなくなる、は怖いからな。」
天候不良の日は待機、って言うのは、俺達の中で明文化してるルールで、これは守らないといけない、って言うのが、そのルールの一つだった。
無理はしない、無理をしても、誰も喜んではくれない、それを正しく理解しよう、って言う話でもある。
「雨上がりはどうだかねぇ。」
「どうだろうな、暑くなるんじゃないか?まだ八月の終わりでもないんだし、蒸し暑い日が続く気がするよ。」
「そうかもね。」
現在時刻は午後四時、そろそろ浩介が帰ってきてもおかしくない時間だ、ただ、浩介は普段から帰ってくるのが遅い、事務所を締めるのを任せる程度には、浩介は普段から帰ってくるのが遅い。
だから、じゃないけど、今もまだ、浩介はお客さんと話をしてるんじゃないかな、とは思ってる、なんとなくだけど、そんな気がする。
それを悪い事だとは言わないけど、無理をしたって体に祟るだけなんだから、とは思ってる。
「まったく……。」
事務所で煙草を吸うのは俺だけ、だけど、吸っても良いよ、って言う言葉に甘えて、普段から事務所では煙草を吸ってる。
外は、喫煙禁止な所が多いし、健康促進の条例だかなんだかで、普段から吸える場所が少ない。
個人経営の店なんかはまだ吸える所はあるけど、ファミレスなんかは殆どが煙草を吸えない、受動喫煙防止条例だったか、そんな話だ。
そもそも分煙で良かったと思ってるのに、禁煙にシフトしちゃってるもんだから、煙草吸いとしては肩身が狭い、普段から禁煙の場所では吸わない様にしてるから、それ位放っておいてほしい、って願わなくもない。
ただ、世間の流れ的に仕方が無いんだろう、煙草が臭いのは事実、副流煙が害なのも事実、だから、仕方が無いんだろう。
「ふー……。」
ここにいるメンバーは、それを気にしない子達だから、俺は吸えてるけど、これがまた事業を拡大して、って言う話になってきたら、もしかしたら吸えなくなる日が来るのかもしれない。
今の所、事業の拡大は考えてない、今のキャパで出来る事を、って思ってるから、それは考えてない。
それは一応肩書社長としての判断だ、こればっかりは、おいそれと任せられるものでもいないし、経理も事務も総務も足りてる、だから、これ以上人を増やすのは悪手だ、と俺は考えてた。
「それじゃ、春樹君、また来るからね。きっと、生きていてね。約束だよ?」
「浩介さんとの約束だから、守らないとね。……。俺、生きていられるのかな。後どれ位、生きていられるのかな。わからないんだ、怖いんだ。こうやって、浩介さんと約束をして、浩介さんがここを去った瞬間に、俺が倒れるんじゃないか、死ぬんじゃないか、って。……。ごめんなさい、そんな事を言っても、浩介さんを困らせるだけなのに。」
「ううん、良いんだ。春樹君の不安は間違ってない、僕だって、また会えるか、笑えるか、意識を保っていてくれているか、そんな事を考えちゃうから。だから、当人である君達が、そう言う事を考えても、言葉にしても、おかしくはないと思うよ。」
春樹、という青年の元を訪ねていた浩介は、病院の個室にいて、ベッドから動けなくなってから少し経つ、そんな人物と話していた。
春樹は、入院してからが長い、もう持たないだろう、と言われたのが三週間前、その頃に、妻が看取り業である浩介達の所に電話を掛けてきた、子供がいて面倒を見れないから、代わりに見て欲しい、という依頼だったが、それ以降、妻は見舞いに一度も来ていないらしい。
だから、ではないが、春樹は浩介に愚痴をこぼす、生まれたばかりの娘にも会いたいが、会えていないと言っていた、パパは君を愛している、と伝えたいと言っていたが、それは叶っていない様子だ。
春樹は現在二十五歳、浩介達が二十七歳、今年で二十八になるのだが、浩介からしたら、春樹は後輩の様な存在だった。
子供を持っている立派な後輩、と春樹の事を認識していて、だからこそ、妻や子供が会いに来ない事、に関して心を痛めていた。
「春樹君、きっと。」
「わかってる。わかってるんだ、浩介さん。ただ、願わずにはいられない、願う位良いだろう?きっとまた顔を合わせて、今日も生きていられた事を喜びたい、それは、俺が生きてる限りは変わらない願い。ごめんなさい、重たい人間で。」
「良いんだよ、僕だって、同じ事をいうだろうから。……。またね、春樹君。きっと、また会おうね。」
「うん。」
きっとまた会おう、それは浩介が口にする言葉だった、浩介にとって、それは大切な言葉だと言う認識だった、そして、これ以上に合言葉として相応しい言葉はないだろう、と信じていた、信じていたから、その言葉を掛け続けていた。
春樹を背にして、不安げな視線を感じながら、病室を後にする浩介、また会えるから、と信じて、その場を去っていった。
「ふー……。」
「あれ、悠介。この時間に帰ってないって、珍しいね。」
「新井さんが亡くなったから、その書類関係をな。今日中にやっておかないと、忘れて明日台風に直撃されても嫌だからな。」
「……。そっか、新井さん、亡くなったんだね。」
「そうだな、これでもう何人目だろうな、何十人、何百人と看取り続けて、俺達は何処に向かっているのやらだ。」
夜七時、珍しく残業してた俺は、事務所に浩介が帰ってくると、話をする。
新井さんが亡くなった事、今までにかかった費用の請求と、諸々の手続きを終えるって言う書面、そればっかりは、雛型を良太に造ってもらってたとしても、俺が完成させなきゃならない書類だ。
悠治が掛かった費用を計算して、俺がサインして、書面を整えて、それを良太に言って、郵便として発送してもらう、それが俺達のルーティーンで、良太と悠治が加わって以降、ずっとそうしてきた。
浩介も書類は書ける、浩介が担当した人が亡くなった時には、浩介が書類を整えて、って言う事をする、それが俺達のやり方だった、それが、最後のけじめだと思ってたから。
悠治と良太は先に帰した、俺達の我儘と言うか、俺達の儀式めいた行動につき合わせるのは申し訳ないし、無駄な残業はしたくない、させたくない、が俺のモットーであって、それは俺自身にとってもそうだし、悠治や良太に対してもそうだからだ。
「何処に向かってるか……。僕達は、何処に向かってるんだろう?確かに、考えた事が無かったかもしれないね、何処に向かってて、どっちを向いてて、何がしたいのか、どうして必要なのか、どうしてこうなっちゃうのか、考えない事はない、かな。僕は……。僕は、わからない。僕達がこうしているのには意味がある、って悠介は言ってた、それは間違いじゃないんだと思う、看取られない人を看取る、それは必要な事なんだと思う。でも……。でも、じゃあ僕達の感情は何処に持っていけば良いんだろう、僕達の想いは、何処に向ければ良いんだろう、って。」
「……。難しい問いだな。俺達にとって、その感情は持っていなければならない感情ではある、ただ、それを持ち続ける事は、とても苦しい現実でもある。捨て去ってしまいたい思考であり、持っていなければならない思考、捨て去りたい感情であり、持ち合わせてなきゃならない感情、それを持って俺達は何処に向かっていくのか。……、俺達の感情は、俺達の想いは、何処に向けて、何処に持っていけば良いのか。答えは出ないな、難しい話だ。ただ、俺はそれでも、やり続ける事に意味はあると思う、やり続ける事、この仕事には、意味がある。俺達が終わりを観測し続ける事、終わりを視続けて、何の答えを出すのか、それはわからない、俺達が看取られる立場になって、初めてわかる事なのかも知れない。ただ、それでも意味はあると思ってるよ。」
「……。悠介の言葉って、時々難しいや。辛いなら辛いって言っていいのに、悠介は言わないんだね。知ってた、良く知ってる事だったけど、毎回驚くんだよね。」
新井さんと俺が仲が良かった事は浩介も知ってる、というより、俺達が基本的にお客さん達と仲良くしたい、って言う願いの元にやってるのは、浩介もよくわかってる事だろう。
だから、仲良くなったと思ったら、そのまま次には別れが来る、別れの時が近い内に訪れる、それが辛い、浩介はそう言ってるんだと思う。
それは俺も変わらない、なんて、煙草に火を点けながら思う、俺だって辛い事は辛い、悲しい事は悲しい、ただ、それを仕事にしている以上、感情だって仕事の一部だ、って認識する他ない、そうしないと、俺達はとっくのとうに潰れてる、そう考えるしかない、そう考えないと、やっていけない、それは良くわかってるつもりだ。
だから、じゃないけど、悲しいって言う現実を受け入れる事は大切だ、寂しい、苦しいって言う感情を受け入れてあげるのはとても大切だ、ただ、それ以上に、仕事として考えないといけない、そう思ってた。
「俺達がいつの日か看取られる日が来たら。そしたら、この問いに答えは出るのかもしれないな。俺達がこうしてやって来た意味、あると信じて来たけど、詳しい事をわかってない、そんなやってきた意味を、俺達自身が看取られる立場になって、やっとわかるのかもしれない。……。それが悲しい事だったとしても、それが苦しい事だったとしても、俺達はそれを続けるんだろう、そんな予感はしてる、今更他の仕事って言うのを考えられないって言うのもあるけどさ、そもそも、俺達はやりたくてやってるんだから、そうだな……。もしかしたら、多くの人と関わっている内に気づける事があるのかもしれない、もしかしたら、俺達が知らないだけで、気づいていないだけで、それはすぐ近くにあるのかもしれないな。」
「その先で、答えが見つからなかったらどうするの?悠介は、答えを知りたいでしょう?そう言う人だ、って言うイメージがあるけど、答えが見つからない事、嫌じゃないの?」
「嫌かどうかで聞かれると、そうだな……。不思議と、見つけてはいけない答えな気もしてる、それが正解かも知れないな。」
見つけてはいけない答え、って言う言葉に、浩介は首を傾げる。
そもそも、俺は探求心が強い方、疑問に思った事は答えを知らないと気が済まない性質、って言うのは、浩介も良く知ってる事だ、そんな俺が、見つけてはいけない答え、なんて事を言うのが、不思議なんだろう。
俺自身不思議だ、答えを見つけたい人、探求者な俺が、見つけてはいけない答えがある、って言う認識をしてる、それに関しては、俺自身よくわかってない。
ただ、五年間この仕事を続けてきて、幾百人の人間の死を看取ってきた身として言える事、それはエラーコードと言っても良いかもしれない、答えを見つけてはいけない、って言う答えっていうのかな、答えが無いのが答え、って言う回答が怖くて、真実を見たくないのかもしれない。
「悠介でも、知らない方が良いと思う事があるんだね、意外だなぁ。」
「俺だって人間だからな、そう言う事の一つや二つはあるさ。さ、帰ろう、浩介。腹が減った、今日の夕飯は何が良い?」
「……。うん。唐揚げが良いな、明日は台風が来るから、待機の日でしょう?なら、ニンニクを使った料理が食べたいかな、普段はお口の匂いを気にして食べれないから。」
「じゃ、ニンニクだけは買って帰ら無いとな、チューブのやつも賞味期限が切れちゃってると思うから。」
「うん。」
明日は台風が直撃するだろう、朝出勤時間とかには雨脚が強くなってるだろうし、昼頃が一番激しい雨が降る予報だ。
文字通り待機日になるだろうから、普段は口臭とかを気にして食べない食事、避けてる飯を食べても問題はないだろうな。
というより、浩介の好物が唐揚げなのはずっと変わらない、ただ、ニンニクを使わない唐揚げって少し虚しいよね、って言う話をされて以降、あんまり作らなくなった。
たまには食べても良いだろうに、浩介はストイックだから、そう言う所は頑固だ。
「頂きます。」
「召し上がれ。」
夜八時半、浩介には先に風呂に入ってもらって、その間に唐揚げを仕込んでからりと揚げる、うちの唐揚げは醤油にんにくの味が少し濃いめ、って言うのが定番で、浩介の家は確か麹を使ってた、って言ってたけど、残念な事に俺が麹って言うのが駄目で、基本的にはそこだけ俺に合わせてもらってる。
「うん、悠介の唐揚げって、やっぱり美味しいね。」
「って言っても、麹を使ってないから、浩介の実家の味にはならないだろう?」
「うん、それでも美味しい。悠介の作る味が、美味しい。僕、悠介に胃袋掴まされてるから。」
こういう時、浩介は素直すぎる位素直で、有難い話だ。
恥かしいって言う感情は何処かに置いてきた、惚気てる、って言われたらそうなんだろうけど、別段それを嫌と言う人もいない、今は二人なわけだし、誰かに見られてるとか、そう言う話でもない。
だから、思う存分惚気られる、思う存分浩介を好きだと言える。
「浩介の実家の味も覚えなきゃな、とは思うんだよ。ただ、浩介のお母さんの料理見てると、あれは真似出来ない、ってなっちゃうんだよなぁ。」
「そうなの?母ちゃんが料理してるのと、悠介が料理してるのって、あんまり違わないと思うよ?」
「いや、段違いだな。伊達に何十年も主婦をやってきてる訳じゃない、あの手際の良さって言うのは、習おうと思って習えるもんでもない、天性の素質って言うか、そう言う類だろうな。」
浩介からしたら、俺と浩介のお母さんの家事の器用さって言うのは変わらないのかもしれないけど、実際に家事を引き受けてる身としては、あの手際の良さは真似出来ない、あんなに順序良く物事を進められない、あんなに手際よく色んな事を出来ない、それが俺の感じた感想だった。
ああ言う風に動ける、それは長年主婦をやってきた経験からくる、経験則がでかいんだろう、俺が真似をしようとした所で、何処かで躓いてお終い、が関の山だ。
「母ちゃんって凄いんだね、僕から見たら、ずっとそう言う人だったから、わかんないや。」
「良いお母さんんを持ったと思うよ、浩介と悠治は。俺の母親なんか、碌に飯は作らなかったし、家事全般は中学から自分でやってたし、小遣いも貰えないし必要経費も貰えなかったから、全部じいちゃん達からのお年玉でやりくりしてたよ。」
「そう言えば悠介はそう言う所苦労したって言ってたもんね。大学も本当は行くなって言われてたんだっけ?」
「そうだな、親戚の叔父ちゃんが奨学金の保証人になってくれたから、大学には通えたけど、それが無かったら、俺は大学には通ってなかっただろうな。」
その叔父ちゃん、って言うのは、じいちゃんの弟さんで、今はもう鬼籍に入られてる人だ。
じいちゃんが早くに結婚したのとは正反対で、最後まで独り暮らしをしてて、俺が大学卒業した直後に病気で亡くなった、恩返しもさせてもらえないんだな、ってちょっとだけ思った記憶がある。
「叔父ちゃんも、じいちゃんによく似た人だったからな、親父達からしたら、煙たい人間だっただろうな。って言って、俺自身煙たい人間なんだろうしな。」
「そうかなぁ?なんやかんや、親って子供の事考えてるものじゃない?」
「それは平和な考え方だな。世の中には、本気で子供をどうでも良いと思ってる親はいる、俺だって、三人兄弟の真ん中、長男次男長女の家系で、長男の兄貴と長女の妹は可愛がられたけど、俺は放っておかれたんだから。それでじいちゃんに懐いて、じいちゃんに似たから煙たがる、なんて事をする身勝手な連中だよ、あいつらは。」
そう言えば、兄貴と妹とも連絡は取ってない、仲が悪かったというよりは、一方的に嫌われてた、親の影響を受けて俺を見下してた妹と、俺がじいちゃんに似て言葉が達者になってきたからって、言葉で勝てないから暴力に訴えてきた兄貴、そんな二人だから、関わるつもりにもならなかった、現在進行形でどうしてるのか、についても、大学卒業以降の事は何も知らない、結婚はした、らしいけど、結婚式にも呼ばれなかった、それだけの関係値なんだろうな、で俺も終わった。
「……。」
「悠介、怖い顔してるよ?」
「お、ごめんな。」
「ううん、大丈夫。」
もしも二人が子供なんて産んだら、間違いなく差別して育てるんだろうな。
そう言う親に育てられて生きてきたんだから、それを断ち切る覚悟が無ければ、同じ事をするだけ。
言葉で勝てないから暴力に出た父親と、それを真似して俺に暴力を振るってきた兄貴、そもそもが二人目は女の子が良かった、って言う理由で俺を放置して、論ってきた母親と、それを真似して俺を馬鹿にしてた妹。
くだらない家族だ、家族とも思いたくない、俺にとって家族は、今の会社の三人だ、重たい感情かも知れないけど、俺は会社の三人、浩介と悠治、良太を家族だと思ってる。
血じゃなくて、心で繋がった家族、想いあって、好き合って、そう言った関係値を構築して、それを俺は家族だって認識してた。
「さ、ささっと食べちゃおう。」
「うん、そうだね。」
浩介がどう思ってるのか、については知らない、聞く勇気がない。
浩介が俺との関係性をどう思ってるのか、そもそも俺についてきてくれて、今の仕事を一緒にしてる、その事についてどう思ってるのか、それを聞けずにいた。
聞いてしまったが最期、関係性が崩れてしまう気がして、浩介達と俺って言う関係は、深い様で脆い、と思ってる、浩介達を信頼してないわけじゃない、むしろ全幅の信頼を向けているから、一緒に仕事をしているわけで、浩介にも看取り業の現場を任せてるわけで、そうじゃなかったら、俺はそもそも一緒に仕事をしようとは思ってないだろう。
でもだって、って言う言葉は嫌いだ、うじうじと悩む事も嫌いだ、ただ、その事だけに関しては、どうしたって聞けなかった。
本当に、聞いてしまったら最期、その関係性が終わってしまう様な気がして、浩介との関係、二十年以上の関係値が、ゼロになってしまう気がして。
「美味しいね。」
「それは良かった。」
それを言えない俺は、でもでもだって、って言う事になるんだろう。
それが嫌で今の性格になった、って言ってもおかしくは無いんだけど、それだけは聞けなかった。
「あ、もしもし悠介さん?」
「浩希君、どうかしたかい?」
「……。えっとね、えっとね。」
夜ご飯を食べ終わって、風呂に入って湯船に浸かってたら、浩希君から電話がかかってきた。
こういう仕事だって言う関係上、スマホは手放せない、風呂にもトイレにも、仕事用のスマホは持ち込む、映画や飛行機って言う、スマホが許されてない空間なんて、この仕事を始めて以来ずっと行ってない位だ。
「えっとね……。……。ありがとう、それを伝えたくて。」
「また突然だね、明後日にでも顔を出そうと思っていたけれど、その時じゃ駄目だったのかい?」
「えっと……。駄目じゃないんだけど、なんだろう、今伝えておきたくて。話せるうちに、意識があるうちに、悠介さんにお礼を言わなきゃ、って思ったんだ。父ちゃも母ちゃも、僕の事なんて見向きもしてくれなかった、出も悠介さんは違ったから……。だから、ありがとうございます。」
「君は律儀な子だね、辛いだろうに、苦しいだろうに。そんな事、お礼を言う必要はないんだよ?俺は仕事ついでに友達を作っただけ、君は依頼ついでに友達になっただけ、軽い関係だ、とも思ってはいないけど、こうかしこまって言われる様な事をした覚えはないよ。」
浩希君は弱気な声音をしてる、大体わかってる、こういう電話をされると、数日以内にその人は亡くなる、本人がそれを理解しているかどうか、についてはわからないけど,今際の際の言葉、って言う感じなのかな、こういう弱気な電話を受けると、数日以内にその人は鬼籍に入る、それは俺の経験上、間違いない事だった。
「……。わかってるんです、もう死ぬ事も、救いなんて、何処にもない事も……。でも、でも……。悠介さんは、そんな僕を友達だって言ってくれた、輪廻があって、また出会えるよって、きっと、きっとって。だから……。お別れの言葉、ちゃんと言いたくて。ありがとう、悠介さん。今際の際に、嬉しかった、入院してからずっと、友達もいなかった、家族にも見放された僕を、救ってくれて、ありがとう。だから……。悠介さんに、一つだけ聞きたい事があって……。」
「……。なんだい?」
「悠介さんは、幸せですか?色んな人の最期を看取って、ずっとそれを繰り返してきて、心が折れても仕方がないだろう、って看護師さん達は言ってて。それでも、悠介さんは幸せ?」
「幸せかどうか、と来たか。それが、最期の質問だったとしても、後悔はないのかな?君の言葉の通り受け取るのであれば、浩希君と俺はもう話をする事は出来ない、って言う事になる。そんな最期に、その質問で良かったのかな?」
「……。僕が、後悔をせずに逝く為にも、聞きたい。悠介さんの想い、それを来世に持っていく為にも。」
やっぱり、この子は聡明な子だった。
中学生だって言うのに、自分が死ぬって言う現実を、冷静に見てて、それを理解してるからこそ、最期にその質問をしよう、って言う答えにたどり着いたんだろう。
それは、俺が聞いてる事、看取ってきた人達の中で、話が出来る状態立った人達に、ずっと聞いてきた事、俺が聞き返された時、その答えは決まってる、ってずっと繰り返してきた言葉。
「俺は幸せだよ、浩希君。君と出会えて、色んな人達と出会えて、そして別れが待っていて。それはわかってる、看取り業って言うのは、死を見続ける仕事、人の死に立ち会って、その最後を看取る仕事。……。人からしたら、それは不幸な仕事なのかもしれないね。誰かからしたら、必要悪な仕事で、悪事の様に見えなくもないんだろうね。ただ、それでも俺は、この仕事を誇りに思ってる、俺は、俺の意思でこの仕事をしてきた、それが間違ってないって言えるのは、俺達だけだから。誰でもない、皆を看取ってきた俺達だから、俺達は間違ってなかった、って言える。それだけでも、俺は幸せだよ。間違った道だったのかもしれない、間違った選択だったのかもしれない、それでも、俺は俺にとって正しい道を歩いて、そしていつか死んでいく。それを、皆が教えてくれた。人が生きるという事は、人はいつか死んでいくという事、そんな当たり前の事を、俺は皆から教わったんだ。それが終わりだったとしても、それは不幸じゃない、終わりは必ずしも、悲しみではない、ってね。」
「……。そっか。悠介さんらしい、暖かい言葉だね。まるで、僕達が悠介さんに何かを出来たみたいだ、何か、きっかけを教えてあげられたみたいだ、そんな事無いって、わかってるはずなのに、わかってるのに、それでもそう思える、それって、嬉しい。とっても、嬉しい。」
後悔無く逝く為に、浩希君は準備をしてるんだろう。
後悔なく、悔恨なく逝く為に、俺の言葉を聞いた、それが現実なんだろう、大体がそうだ、お客さんから電話がかかってくるのは、決まってお客さんが亡くなる直前だ。
皆、死ぬ事を理解していて、死ぬ事を怖がっていて、だから俺は、安心して逝ける様に、悲しみを残さない様に、言葉を掛けるんだ。
「……。ありがとう、悠介さん。本当に、短い間だったけれど、僕は嬉しかった。幸せかどうか、って聞かれるとわからないけど、でも……。でも、嬉しかった、悠介さんと出会えた事、それだけでも嬉しかった。僕の人生にも、意味があったんだなって、思わせてくれたから。だから、ありがとう。……。終わりなんだ、それはわかってる、引き際はわきまえてるつもりなんだ、誰がどう言っても、悠介さんがどう言っても、僕の命はもう終わる。だから……。だから、きっとまた会えるよね、きっと、また。」
「……。輪廻の先で、また会える。俺はそう信じてる、輪廻転生があって、また人間として生まれてくるんだとしたら、俺達はまた会える。それが、認識出来る形かどうかはわからない、お互いの事を、お互いとして認識出来るかどうかはわからない。ただ、会えるよ、きっとね。」
「……。うん。」
浩希君は、嗚咽を零しながら、俺の言葉を聞いてくれる。
こんな良い子なのに、どうしてご両親は構わないんだろう、どうして放っておけるんだろう、それを思わない訳じゃない、憤らない訳じゃない、ただ、それは悲しいけど、現実なんだろう。
浩希君にとっての現実、看取り業なんていう辛気臭い職業の男に電話を掛けて、今際の言葉を伝える、それが現実なんだろう。
ただ、それにはきっと意味がある、この子達が生きた意味は、あの人達が逝きた意味は、きっとある。
必ず、何処かにある、それが何処にあるのか、は俺にもわからない、俺にだってわからない事の一つや二つはある、ただ、それでも意味はある。
こうなってしまった事、それにだって意味はある、きっと、きっと意味がない事なんて無い。
だから、この子がこうして電話をして、今際の言葉を話す事にも、意味はあるんだろう。
「家族のみんなに遺す言葉はあるかい?」
「……。僕を家族だと想ってくれていたのなら、遺す言葉が会ったのかもしれない。……。綾に、すくすくと育ってほしい、お兄ちゃんと一緒の所に来るまで、沢山の幸せを貰って、沢山の幸せをあげて、そうしていつか、お兄ちゃんが幸せだった様に、幸せになってほしい。それだけ、伝えてもらっても良い?」
「必ず伝えよう。妹さんに、伝える事が最期のお願いだね?」
「うん、最期のお願い、僕が出来る、お兄ちゃんとして唯一出来る事、綾に、あの子に、伝えたい事。」
最期のお願い、それはお互いわかってる事だ。
浩希君は自分の死期が近づいているのを理解してる、俺は経験則上こういう電話の後には亡くなる事を知ってる、だから、暗黙の了解、じゃないけど、最期だって理解してる、それはお互いに、だ。
「本当に、最期の最期まで我儘を言ってごめんなさい。でも、悠介さんには不思議とお願いしても良いと思えたんだ。」
「……。我儘だなんて、思ってもいないよ。俺はね、こういう仕事をしている以上、それは背負わなきゃならない事だと思ってるから。お客さんの今際の言葉を聞いて、それを遺族に伝えて、それを繰り返してきて、嫌な事をを言われたりした事だってある。遺言を、伝えたいと願った人に伝えた時、お前に何がわかるんだ、って怒られた事だってあるさ。でもね、浩希君。俺はそれでもこの仕事をやめない理由、俺がそれでも、伝え続ける理由、それはね、単純な話なんだよ。俺は、看取る事で、看取れなかった自分を赦したい、それだけなんだ。」
「赦すって……?」
浩希君には話した事はない、俺がじいちゃんを看取れなかっ事、じいちゃんの死に際に傍にいれなかった事を後悔してる事、そこまでは話した覚えがない、だから、浩希君の疑問は尤もだろうな。
俺の後悔、俺の悔恨、俺の懺悔、それは、残された人間として、痛い程に気持ちがわかるから、だ。
最期の言葉を聞けずに、じいちゃんは逝った、その言葉一つがあれば、俺の人生は変わってたのかもしれない、俺の人生は、こういう動き方をしてなかったんだろう、その分岐点、その分岐点の話だ。
「……。俺はね、じいちゃんを看取れなかったんだ。親父が兎にも角にもじいちゃんと仲が悪くてね。俺はじいちゃんが大好きだったけど、病院に会いに行ったら勘当だ、家に入れない、なんて言われたんだ。当時は高校生だったから、それに従うしかなかった、親父の言葉に反発したとしても、高校生のおこちゃまが家を追い出されて、生きていける根拠は何処にもなかったから。だから、俺は看取り業って言う仕事を始めたんだ、看取れなかった代わりに、看取れなかった俺が、誰かを看取る事、誰かを見送る事、それをし続ける事で、じいちゃんが最期に言いたかった事が、見つかるんじゃないか、ってね。」
「それで、自分を赦せるかもしれない、って言う事?悠介さんの言葉って、時々難しいや。……。おじいちゃんは、きっと満足して逝ったんだろうね、これからそっちに向かう僕だからわかる事かもしれないけど、そうだ……。悠介さんのおじいちゃんは、きっと満足をして死んでいったんだと思うよ。悠介さんが、死んだあとまでこうして想ってくれてる、だから、きっとね。」
「使者の言葉はわからないからな。もしかしたら恨まれてるかもしれない、憐れまれてるかもしれない、でもそうだな、浩希君がそう言うのであれば、そうなのかもしれないな。……。ありがとう、そんな言葉を掛けてくれて。さて、そろそろ寝ないと、看護師さんに怒られないか?個室って言っても、巡回は来るだろう?」
「うん。……、……。本当に、ありがとう。ずっとずっと、ありがとう。」
「お礼を言われる様な事はしてないけど、そこまで言ってくれるのであれば、その言葉は受け取るべきなんだろうね。こちらこそ、俺を受け入れてくれてありがとう、友達に慣れて良かったよ。それじゃあ、お休み。」
「うん、おやすみなさい。」
電話が切れる、そろそろのぼせてきたから、風呂を出る前にシャワーを浴びて、浴室を出て体を拭いて、そろそろ年齢的に、と思って買い始めた化粧水なんかを塗って、って言う事をしながら考える。
死んでいく事、生きていく事、生きていく意味、死んでいく意味、そう言う事を考える、そう言う事って答えが無いって言うか、答えが無いのが答え、みたいなところがあるけど、俺は考えずにはいられなかった、死の間際に立ち会う人間として、死ぬ直前を見る人間として、看取る人間として、考えずにはいられなかった。
きっとそれが医者だったり、看護師だったり、介護士だったりしたら、それが当たり前だから、って言う理由で考える事をしなかっただろう、って言うより、俺達看取り業の人間より、よっぽど死を間近に見てるんだから、考えてたらきりが無いんだろう、だから、それを考えるのは俺達の役割だ、と思ってる。
新井さんが亡くなって、浩希君がもうすぐ死んでしまう、他にも寝たきりの人だったり、会話が出来る人だったり、毎日だれかしらと会って話をして、時々不安定に言葉を投げかけられて、でもそれも仕事のうちだから、って考えて。
死の商人、って言われた事もある、人の死を金に換えてる職業だ、侮蔑するべき職業だ、って言われた事もある、ただ、俺達はそうは思わない、結局、誰かが看取らなきゃならない、それを家族や親類が拒否しているんだから、俺達看取り業がやる、そこに意味はある、と思ってる。
やりがいがあるのか、って言われたら、虚しい仕事ではあると思う、それは間違いない、やってて思う、やりがいじゃ、この仕事流行っていけない。
「ふー……。」
化粧水の後はパックをして、夏の紫外線に当てられて傷んでる肌を休ませる、大体パックが十五分からに十分位つけてなきゃだから、この時間に俺はいつも洗い物をしてる。
「悠介、今日はお風呂長かったね。」
「ん、浩希君から電話が掛かってきててな。」
「そっか、じゃあ、そろそろなんだね。」
リビングにパンツ一丁にパックって言う間の抜けた格好で戻ると、浩介はアイスココアを飲みながら、テレビを見てた。
炊事は俺の担当、洗濯掃除は浩介の担当、それを決めてたから、浩介が洗い物をする事はないし、逆に俺が洗濯物とかに手を付ける事もない。
浩介が言った、そろそろなんだね、っていうセリフに関しては、浩介もこういう電話を受ける事がある、今際の言葉を口にした言って言う願望は、誰しも持っている事柄だって言う認識で、浩希君からの電話はそれだ、っていう風に気づいたんだろう。
あと一回会えるかどうか、後一回だけでも、会って言葉を交わせたら、それは僥倖と言えんだろう、僥倖って言うか、奇跡に近いと思う、それ位、そう言う電話をしてきた人、の後は終わりだ。
どうしたって避けられない、どうしたって理解してしまう終わり、それが電話を掛けて来る、って言う行為だった、それをした人達は、須らく数日以内に亡くなる。
なら電話に出なければ良いのか、生きてくれるのか、そんな都合の良い話は無いだろう、電話にでなかったら、その人は最期の想いを言えずに死んでいくだけで、死ぬ事に変わりはないんだろう。
「浩介、パックしたか?」
「あ、忘れてたかも。」
先に風呂に入ってた浩介が、パックをしてる姿を見てなかった、と思ってその話を振ると、浩介はパックを忘れてたみたいだ。
って言っても、最近始めた事だから、忘れてても仕方がないんだろうけど、浩介は浩介で将来的な肌のシミとかを気にしてる、健康的に焼けてる肌って言えば今は聞こえが良いけど、将来的にはシミになる、って言う言葉を聞いて、浩介もスキンケアをするようになってた。
そんなこんな、疑問も考え事もしながら洗い物をして、良い次官になったからパックを外して、残った液を肌に浸透させて、美容液を塗って、これで寝る前のスキンケアは終わりだ。
人間は死んだらお終い、とは思ってない、想いは、心は、受け継がれていくものがきっとある、俺達は、そう言う事を受け継ぐ為にも、沢山の人の想いを背負って、生きていかないと。
「浩介、先に寝るなー。」
「はーい!」
寝室に戻って、パソコンを開いて備忘録をワードに書いて、寝る時間だ。
明日は台風が直撃するだろう、明日は人と会わない珍しい日になるだろう、そんな予感がする、って考えながら、俺はベッドに入って寝る準備をした。
「悠介、寝ちゃった?」
「……。」
「寝ちゃってるね。」
浩介がスキンケアを終えて悠介の寝室に行くと、すやすやと寝息を立てて寝ている悠介の姿があった。
浩介は、普段は別の部屋で寝ている、付き合っている、と言っても、もう十何年かの付き合い、付き合いたてのカップルでもない、一軒家に二人で暮らしているのだから、寝室が別だったとしても、不思議ではないだろう。
そんな中、浩介が悠介の寝室に顔を出した理由、それは至極単純な事で、たまには一緒に寝たい、と思って顔を出しただけだ。
「悠介……。」
悠介と浩介が大学を卒業して早五年、看取り業という仕事を初めて早五年強、浩介は、二人揃って遠くに来たな、と感じていた。
あの頃、学生時代、野球選手になりたいと言っていた浩介と、料理人になりたいと言っていた悠介、そんな二人で、看取り業という仕事を始めた頃、不安だらけだった、今でも不安は残っているが、五年前はもっとずっと不安だった、と浩介は認識していた。
「悠介、隣ごめんね。」
悠介の隣に寝転がりながら、浩介は悠介の寝顔を眺める。
悠介の方が浩介より身長は高い、恰幅も良い、だから、腕枕をするのは何時だって悠介で、浩介はそれを甘受して腕枕で寝るのが好きだった、学生時代はあまり金銭的な余裕も無かった、というよりは、浩介は野球部が忙しく、月々の小遣いと親戚から貰っていたお年玉をやりくりしていた、悠介はバイトをしていたが、あまり金を使いたがるタイプでもなかった、学生時代は、高校を出たら即家を出る為に、と言って貯めていた記憶があった、そんな二人が良くしていた事、それは昼寝だった。
浩介が野球部が休みの日、浩介の実家の浩介の部屋で、一緒に昼寝をする、悠介の腕枕に包まれて昼寝をするのが、浩介は好きだった。
それをしなくなったのは何時頃だっただろうか、月に何日かは一緒に寝る事があるが、基本的に家を買ってからは寝室が別になってしまった、浩介はそれを寂しがっていたが、悠介は一人の時間がないとしんどいタイプだ、という事は良く知っていたから、それに従っていた。
ただ、寂しい事に変わりはない、普段から我慢している分、週に一度程度の一緒に寝る時間、というのを、浩介は大切にしていた。
「……。」
悠介に体を寄せながら、何時からか悠介が変わってしまった、と浩介は感じていた。
元々は小難しい事を考える方ではなかった、単純明快で大胆な性格、と言うのが悠介の生来の気質で、現在の思慮が有り物事を難しく捉える性格、というのは、浩介からしたら元来の悠介ではない。
そうなってしまった理由もわかっている、それは仕方のない事、どうしようもなかった事ではある、ただ、浩介は寂しいと感じていた、この仕事をしていて心が病むという事はなかった、それは無いと断言出来るだろう、そもそもの気質としては、浩介の方が看取り業には適性があった、と浩介は感じていた。
しかし、悠介は変わった、変わってしまった、高校時代、祖父を亡くして以降、祖父の死に際に立ち会えなかった、という後悔を抱えて以降、悠介は変わってしまった、浩介の中では、そういった認識だった。
「……。」
時折、昔の悠介に戻ってくれたら、そう願ってしまう、それは悠介にとっては酷な話だろう、祖父の真似をしている現在の悠介からしたら、それは酷な話だろう。
そう言った気配はあったにせよ、小難しい事をこねくり回して、と言う変化をしてしまった悠介、そんな攸介でも好きだ、どんな悠介だって好きだ、と浩介は考えていた、それは間違いではないだろう、浩介にとって、悠介は悠介だ、どんな人間になったとしても、そもそもの悠介が好きなのだから、どんな外套を纏ったとしても、悠介の事を好きである事、に関しては変わらないだろう。
「悠介……。」
ただ、寂しい。
置いて行かれている様な感覚、悠介が独りで先を歩いて行ってしまって、浩介達が置いて行かれている様な感覚、それが浩介は嫌いだった。
悠介は独りで歩いている、高校生の頃に祖父を失ってからずっと、独りきりで歩いている、その孤独が浩介は嫌いだった、嫌だった、悠介の隣を歩いているつもりだったのに、ずっと一緒に歩けると思っていたのに、気が付いたら悠介は独り、前を歩いて行ってしまっていた、浩介達を置いて、一緒に歩こうと決めていた、約束していたのに、ずっと一緒だと、死が二人を分つまで、ずっと一緒に歩こう、と言っていたのに、気が付いたら悠介は、独りで歩いて行ってしまった。
それに追いつきたい、急いで追いかけてきた、はずだった、しかし、何処まで行ってもその溝は埋まらない、浩介と悠介の絆に溝があるわけではない、それは違うと浩介は理解していた、ただ、歩みを共にする、という事に関してその溝は埋まらない。
「……。」
こうして隣で横になっていると、あの頃を思い出す。
中学高校時代、デートと称して浩介の家で昼寝をしていた事、浩介の部屋のシングルベッドで、二人で狭いねと言いながら、しかしくっつけるのが嬉しかった、あの頃を。
何もかもが変わって、何かが変わっていなくて、浩介は時折わからなくなる、あの頃、何を言えば正解だったのか、どうすれば隣を歩き続ける事が出来たのか、どうすれば、どうすれば、どうすれば。
圧し潰されそうになる想い、それは悠介を愛しているからこそ、だ。
愛している、ずっと愛していると確信しているからこそ、その想いが強くなってしまう。
「……。」
まどろみの中で、浩介は思い出す。
あの頃、快活だった悠介が、九に代わってしまった頃の事を。
祖父が亡くなった、と言った一週間程度後、悠介は急激な変化を遂げた、そもそもが祖父に似ていると言われていた悠介は、その祖父をなぞる様にその生き様を変えていった。
眠い、明日になったら、また考えよう。
浩介はそう考え、眠りという海の中へと思考を投げ出した。




