(8)若犬丸、挙兵
至徳三年(一三八六)五月二十七日、若犬丸率いる小山軍は祇園城を急襲し、即日城を占拠した。
井野権兵衛が報じた通り、城兵はわずかしか居なかった。彼らはほとんど抵抗らしい抵抗をせずに城から退去した。
「小山義政様ご嫡男、若犬丸様が祇園城へご帰還遊ばされた」
そう喧伝すると、野に下っていた小山家旧臣たちが甲冑を身に付け、槍や刀剣を手に続々と祇園城へ入城してきた。若犬丸の軍勢は、たちまち八百人を超える規模となった。権兵衛の目論見通りである。
「今こそ、氏満の非道ぶりを糾弾する時である」
旧臣らは口々にそう叫び、意気軒昂であった。
若犬丸は五年前の暮れに元服して小山家当主となり、隆政と称していたが、その四ヶ月後に小山家は敗亡した。しかも当時、実質的には義政が隠居僧形のまま家政を取り仕切っていたため、若犬丸が当主であることも、また隆政という諱も世間にはあまり知られていなかった。
そのため、今般の挙兵に際しては、小山家当主であるという事実を強調せず、幼名の若犬丸を名乗り、家名再興が成った暁に改めて小山家当主の座に就き、隆政を名乗ると宣言した。元服の際、義政が剃った前髪も再び蓄えて、元の童形に戻した。そういう建て付けにした方がより求心力が増し、士気が高まるであろうという演出効果の狙いもあった。
「首尾上々」
若犬丸は、これほど事がうまく運ぶとは思っていなかった。つい先日まで、岩船山麓で肉体労働に従事していたことが遠い過去の出来事のように感じられた。
「鎌倉府軍が動き始めました」
斥候に出ていた夜風の衆の山田甚右衛門が、若犬丸へそう報告した。
下野守護の木戸法季は、氏満側近として鎌倉に居住しているため、足利の治所には、法季の一族で守護代の木戸元連が駐在し、実務を担当していた。小山若犬丸に祇園城を奪取されたとの報を受け、元連は動揺したらしい。義政の乱以降、行方をくらました若犬丸の捜索をずっと続けてきたが、発見できずにいたところに、突如としてその若犬丸が現れ、いとも簡単に祇園城を占拠した。下野守護代としての面目丸つぶれであった。
元連は手兵を集め、祇園城を奪い返すべく出陣した。足利から羽田、阿曽沼を経て、岩船山の西一里の場所にある古枝山に陣を構えた。
「奇襲をかける」
若犬丸はそう言った。
「きっと敵は、寡兵でもって祇園城を奪った我らには城から打って出る余力はなく、城を守るだけで手いっぱいだと思っていることであろう。その裏をかく」
そう判断した若犬丸は、みずから兵四百を率い、祇園城から出撃した。
六月十八日夜、若犬丸率いる小山軍は、古枝山の北側に回り込んで木戸元連の陣を襲撃した。突然の敵襲に驚いた元連の部隊は、算を乱して潰走した。
「鎌倉府軍など、恐るるに足りぬ」
快勝した若犬丸の軍勢は、意気揚々と祇園城へ凱旋した。
若犬丸は、氏満に不満を抱いていると思われる北関東の武家あてに、小山家と協同して鎌倉府軍に当たろうという主旨の文書を発信した。また、武蔵、上野に潜伏している南朝方の新田家残党にも蜂起を呼びかけた。
だが、鎌倉府軍の動きは速かった。
木戸元連が若犬丸に敗れたとの報が鎌倉に届くと、氏満はさっそく関東の各武家へ陣触れを発し、みずからも出陣した。
氏満は武蔵府中に各武家の軍勢を集結させると、七月初旬に下総古河に到着、ここに陣を構えた。さらに一部の軍勢を北上させ、最前線は赤塚、千太塚を経て、塔本に布陣させた。祇園城の南西わずか一里の場所である。
「夜襲をかける」
斥候からの報告により、敵が塔本に陣を構えたことを知った若犬丸はそう言った。先日の古枝山での奇襲成功をもう一度再現させようとの意気込みである。
「今回はさすがに敵も夜襲に備えていることでしょう。それに、先日の古枝山のときとは敵の兵力が違います。ここは慎重に事を運ぶべきかと思います」
水野谷左馬助、井野権兵衛らがそう進言したが、若犬丸は夜襲を主張して譲らなかった。
「ここで敵を叩いておかなければ、祇園城は包囲され、手も足も出せなくなる。だから、今のうちに敵に打撃を与えて時間を稼ぎ、その間に北関東の一部の武家の離反と、南朝方の新田家残党の蜂起を待つことにしたい。そうすれば勝機が生まれるであろう」
それも一理あると両人は納得し、夜襲を了承した。
七月十日未明、若犬丸は四百人の兵を率いて祇園城を出発した。
思川を渡河して塔本の西側へ回り込むと、再度思川を東側へ渡河した。物音を立てないように静かに進軍するよう部隊に命じ、遠方に篝火が見える地点まで来た。敵陣である。
「かかれ」
騎乗の若犬丸が号令をかけると、騎兵、歩兵ともに一気に駆け出した。
すると突然、背後から鬨の声が上がった。何事かと思ったが、敵襲であった。鎌倉府軍は兵を伏せていたのだ。
「しまった」
若犬丸は向きを変え、背後の敵に当たるよう指示を出した。ところが、敵陣からも兵が出撃してきたため、小山軍は挟み撃ちに遭ってしまった。
乱戦となったが、両側面からの攻撃にさらされた小山軍は劣勢に陥った。
「退却せよ」
若犬丸はそう号令した。周囲には敵が押し寄せてきており、若犬丸は槍で敵兵を払いつつ、祇園城がある北東方向へと進んた。
だが、どこに潜んでいたのか、前方からも敵兵が現れた。小山軍は三方からの攻撃にさらされる形となり、祇園城への退路も断たれた。若犬丸は、脇を固めていた旗本とも離れ離れになってしまった。
若犬丸は敵の追撃を振り払って単騎で戦場を離脱し、思川を西へ渡河した。そのまま西へと進んだが、途中で馬が動かなくなると徒歩になり、岩船山を目指して歩いた。虎造の家にたどり着いたときには、太陽の陽射しが身を焼くほどに暑くなっていた。
「夜襲に失敗した。まずい戦をしてしまった」
疲労困憊し、激しく息を継ぎながら、若犬丸は虎造にそう言った。水野谷左馬助や井野権兵衛の進言を聞かず、夜襲を強行したのが誤りだったと悔やんだ。
それから二日後の七月十二日、鎌倉府軍の猛攻によって祇園城は落城した。若犬丸の蜂起は、わずか二ヶ月弱で鎮圧されるに至った。
七月末、山田甚右衛門が岩船山へやってきて、若犬丸に顛末を知らせた。
「それがしも難を逃れて祇園城を退去しました。その後、若殿の行方をずっと捜していましたが、もしや岩船山ではないかと思い、訪ねてきたのが図に当たりました」
祇園城を守備していた水野谷左馬助が討死したほか、多くの旧臣が鎌倉府軍との戦闘で命を落とした。夜風の衆にも何人か死傷者が出たが、井野権兵衛は健在であった。
「もともと勝ち目の薄い挙兵だったはずです。でも、目的通り、氏満へ一矢報いることができたのは間違いありません。ですから、若殿はどうかお気に病まないで下さい」
虎造と甚右衛門がそう言って慰めてくれたものの、若犬丸の悔恨はしばらく続いた。




