(7)あれから四年
山での暮らしにも、すっかりなじんでいた。
斧で木を切り倒して薪をつくり、弓矢で鳥獣を射る。田畑を耕し、炭焼きも習得した。
若犬丸は、祇園城から西へ約三里半の場所にある岩船山麓で暮らしていた。夜風の衆の一人である山田甚右衛門の生家がここにあり、若犬丸は、甚右衛門の従弟という名目でこの家に起居し、山野の仕事を手伝っていた。
糟尾山中での籠城戦で鎌倉府軍に敗れた若犬丸は、夜風の衆に導かれて櫃沢城を退去し、北へ向けて山道を進んだ。途中で休憩しながら、若犬丸は獣道に近いのべ十三里もの山道を難なく歩き抜いた。
「我らでさえ悲鳴を上げるほどの難行軍であるのに、若殿は涼しい顔をされておるわい」
さしもの夜風の衆も、若犬丸の身軽さと健脚ぶりに舌を巻いた。
足尾山地を抜けて日光に至ると、夜風の衆が管理している中禅寺湖畔の茅屋にしばらく潜伏した。
中禅寺湖畔に約三ヶ月間留まったのち、岩船山麓へ移った。
義政の自刃から四年が経過し、若犬丸は十八歳になっていた。あれからのちの出来事については、山田甚右衛門ら夜風の衆からの諜報で聞き知った。
義政の首級は氏満が実検し、その後、京都の将軍義満のもとへ送られた。
義政の旗本たちも、義政を追って次々と自決し、思川上流にある河原の石が鮮血で染まった。そのことから、その周辺は赤石河原と呼ばれるようになったという。
若犬丸の母、芳も、悲劇に見舞われた。
芳は、義政に離縁されて実家に戻ったが、義政が祇園城を捨てて糟尾山方面へ向かったとの報を聞き、侍女とともにその後を追って山へ入った。義政と運命を共にする覚悟だったらしい。
だが、長野城の東、星野集落付近まで来たとき、芳は疲労のために動けなくなってしまった。そこへ地元の猟師が通りかかり、幸いにも一晩の宿にあずかることになった。
猟師には妻がいたが、病で臥せっていて苦し気な様子だった。それを見た芳は、携えていた妙薬を妻に飲ませた。すると妻の病状はすぐに快復し、猟師から感謝された。
翌朝、二人は猟師の案内で寺窪城へ向かったが、猟師は突如、妙薬と所持金をすべて差し出せと強要した。それを拒んだ芳は、侍女とともに猟師に殺されたという。
父だけでなく、母までもが非業の死を遂げた。若犬丸は、両親の死の顛末を知ったとき、潜伏していた中禅寺湖畔の樹林へ分け入って号泣した。
(なぜこんなことになってしまったのか。人間とは、生きるとは、死ぬとは何なのか。これから自分はどうすればいいのか)
さまざまな思いが一気にあふれ出てきて、一時は受け止めきれなかった。
義政が祇園城に放火して退去し、若犬丸とともに糟尾山へ籠ったとの報に接した氏満は、
「まこと、めでたきことなり」
と言って欣喜雀躍したという。これで義政を、小山家を完全に取り潰す口実が得られたと思ったからであろう。
ただ、糟尾山に籠った義政父子討伐軍の大将を命じられた上杉朝宗と木戸法季は、それを強硬に固辞したという。結局、氏満の再三の説得で最終的に大将を引き受けたものの、両名ともに氏満の義政、小山家に対する処置の苛烈さに不満を抱いていた形跡がある。
大将を務めた二人のみならず、小山家へ同情的な武家はほかにもかなりいるらしい。野心家の氏満の矛先が、今後自家に及ぶこともあり得ると危機感を抱く者が少なくないとも伝え聞く。反氏満の機運は、若犬丸にとって雲間に射すいくばくかの光明に思えた。
鎌倉府は、行方をくらました若犬丸の捜索を続けているが、鋭意取り組んではいないらしい。氏満は、闕所となった義政の小倅など恐るるに足りぬと豪語しているという。
義政が解任された下野守護職は、一時的に関東管領の上杉憲方が兼務していたが、現在は木戸法季がその職に就いており、治所は小山から足利へ移された。小山家の本拠地であった祇園城には、木戸家の家士が詰めて管理しているという。
小山家の旧臣たちは、氏満や木戸家、下総結城家などへ仕えたり、野に下ったりとさまざまな身の振り方をした。夜風の衆は、百姓や猟師になったり、商店を営んだりして生計を立てながら今でも諜報活動を続けており、下野した元家老で、彼らの上役だった水野谷左馬助ほか、小山家旧臣たちとのつなぎも行っていた。
山田甚右衛門の父、虎造も、かつては夜風の衆の一員だった。すでに引退し、妻とともに山暮らしをしているが、息子の甚右衛門が後を継いだ形であった。甚右衛門はふだんは岩船山の実家に居ないが、ときどき帰ってきて、さまざまな情報を若犬丸に伝えていた。
夜風の衆の頭である井野権兵衛も、虎造の親戚という名目で岩船山に出入りしていた。
身分を隠すために、家の外での若犬丸は、虎造から甥っ子として追い使われる体であったが、家の中では、若犬丸は虎造、甚右衛門から主君として立てられていた。
「小山家再興」
彼らはしきりにそう言い、それに向けて水面下で準備を進めているとも言う。若犬丸は、櫃沢城から退去する際、義政から、そなたは生きて、氏満へ一矢報いよと命じられた。だから若犬丸も、それが自分に課せられた使命だと思ってはいる。
だが、それは雲をつかむような話であり、夢物語だと感じてもいた。何しろ、小山家はすでに取り潰されており、若犬丸が行動を起こそうにも、夜風の衆のほかに軍事力と呼べるものが存在せず、その実現に至るまでの具体的な筋立てをまったく描くことができない。
それに、山間で身体を酷使して労働し、空腹を覚えて摂る食事の美味さと、肉体疲労を快眠で癒す今の生活にすっかり満足していた。仕事の筋が良い、と虎造に褒められてもいる。
「このまま山男として生涯を送るのも悪くない」
以前、生きるとは、死ぬとは何かについて悩んだことも、「小山家再興」という気宇壮大な文言も、今ではかすんで見えさえする。両親の非業の死は生涯背負うことになるであろう精神的苦痛だが、愚直な山暮らしの中で、その傷もだいぶ癒えた気がしていた。
そんな折、井野権兵衛と山田甚右衛門が、二人揃って岩船山の虎造の家へやって来た。
「近頃、祇園城の守備が手薄です」
祇園城は下野守護の木戸家が管理しているが、守備兵がかなり減っているという。小山家滅亡からすでに四年が経ち、防衛上、特に重要ではないこの城に多くの兵を配置する必要はないと判断されたらしい。
「奇襲すれば、難なく城を落とせます」
権兵衛の真剣な眼差しに、若犬丸は一瞬ひるみそうになった。
「いくら手薄とは言っても、夜風の衆の二十人だけではさすがに攻城は難しかろう?」
「いいえ、我らだけではありません」
野に下った水野谷左馬助ほか小山家旧臣約二百人が、すでに出陣の準備を整え、若犬丸の挙兵を待っていると権兵衛は言う。
「そこまで話が進んでいるのか?」
「大殿(義政)の御言いつけなれば」
若犬丸を保護し、後日の反攻を段取りせよと、権兵衛は義政から命じられていた。
「だが、祇園城を奪ったとしても、その人数だけで城を守るのは難しいのではないか? 敵はすぐに大軍で城を取り囲むだろうから、とても持ちこたえられまい?」
「若殿が祇園城を落としたとの報が伝われば、旧臣らがさらに我らに呼応し、人数が膨らむことになりましょう。五百人、千人の軍勢を得ることは十分可能です」
小山家旧臣だけでなく、攻防が長引けば長引くほど、氏満に反感を抱く武家の造反が生じ、さらに上野、武蔵に潜伏している南朝方の新田家残党の再蜂起も期待できるため、鎌倉府軍と互角に渡り合えるであろうと権兵衛は言った。
「少なくとも、氏満に一泡吹かすことはできます」
久しく岩船山で杣人、農夫として暮らす中で、本来の目的を忘却しかけていた若犬丸は、身体内に血がたぎるのを覚えた。自分は四年前、櫃沢城で父とともに討死するはずであった。だが、図らずも父の言いつけによって生き延びることとなった。自分が今生きている所以は、父の無念を晴らすという一点の悲願達成のためだけであって、山で安穏と暮らすことが主意ではない。それに、旧臣たちの多くが若犬丸の蜂起を待ち望んでいる。
「祇園城を取り返す」
すでにこの世にはないはずの自分の命、惜しむべきではない。事の成否を細かく云々せず、今こそ氏満へ一矢報いる好機である。そう考えた若犬丸は、山を下りる決断をした。




