(6)三度目の戦い
氏満は、祇園城から火の手が上がり、小山勢が城を退去したとの報に接すると、すぐに討伐軍を編成した。前回同様、大将には上杉朝宗と木戸法季が任命された。
鎌倉府軍は小山で集結後、吹上へ移動した。ここから山中へ入って永野川上流沿いに進軍し、約三里先の長野城を目指した。
四月五日、鎌倉府軍は長野城を総攻撃し、わずか半日足らずで攻略に成功した。城は焼き払われ、小山軍の城兵たちは、北へ約一里先にある寺窪城へ退去し、味方と合流した。
寺窪城にいた義政と若犬丸は、長野城があっけなく落城したことに衝撃を受けた。
もとより、城と言っても、その実は砦、要害といった規模のものであるため、守備力はさほどでもなく、過度の期待を抱いたこと自体、見通しが甘かったと言わざるを得なかった。それは長野城だけではなく、寺窪城、櫃沢城も防御力に大きな違いはなかった。
四月十一日の朝、鎌倉府軍が寺窪城へ現れた。
義政は弓隊を指揮して防戦したが、鎌倉府軍は盾を構えてじりじりと城へ迫った。
やがて小山勢の弓が尽きると、鎌倉府軍は城に総攻撃をかけ、ついに城門を突き破った。義政と若犬丸は混戦の中で寺窪城から離脱し、思川の上流約一里先にある櫃沢城へ入った。
「わしの見通しが甘かった」
肩で息をしながら、義政は若犬丸へそうつぶやいた。
「山中ならば、もう少し長く敵を翻弄できると思っていたのだが、敵の勢いすさまじく、鎧袖一触で長野城、寺窪城を落とされた。ここ櫃沢城も、長く持ちこたえるのは無理だ。いっそのこと、祇園城へ籠城していた方がまだしも戦えたであろう」
「詮ないことを言わないで下さい。勝敗は兵家の常だと言います。勝つも負けるも天命であり、過ぎたことを悔いても仕方ありません」
「おお、そうであったな」
義政は目を細めた。我が子ながら、若年の若犬丸がすでに武人としてしっかりした気概と覚悟を持っていることがまぶしく感じられ、同時に喜びが湧いた。
(この子をこのまま死なせるのは惜しい)
義政はそう思った。
「今から思うと、宇都宮氏綱は、本当に偉かった」
「はっ?」
「氏綱は、鎌倉府の先代、基氏公から、上野守護と越後守護を上杉氏に譲れと命じられて反抗したが、結局、鎌倉府軍の討伐を受けて敗れた。氏綱は、当時祇園城に駐屯していた基氏公のもとへやってきて謝罪した。そのおかげで、宇都宮家は所領を削減されたものの、存続することができた」
義政は、深呼吸した。
「わしはあのとき、氏綱が屈辱に耐えて基氏公へ平伏する姿を目の当たりにした。どれほどつらいことであろうかと、氏綱の心情を推し量って胸が苦しくなった。今回のことも、どんなに理不尽であろうとも、わしが氏満へ頭を下げてさえいれば、当家は存続できたであろうに」
「そんなこと、できる道理ではないと思います」
「そう、わしにはできなかった。そのような屈辱には耐えられなかった」
義政は、若犬丸の目を凝視した。
「若犬丸、そなたはここから脱出せよ」
「今、何と?」
「ここから脱出して、そなたは生き延びよ。生き延びて、いつの日か、あやつのしたり顔に泥を塗ってくれ」
「いいえ、私はここで、父上とともに最後まで戦います」
「駄目だ」
「なぜです?」
「このままわしとそなたが死んだら、氏満が高笑いするだけだ。自分の権威と支配力を強化するために、氏満はわざわざ当家を討伐する口実を見つけ出し、その後も難癖をつけてきた。このこと、わしは断じて許せぬ。そなたは生き延びて、氏満へ一矢報いるのだ。奴の思いのままにさせてはならぬ」
「であれば、父上もご一緒にここから脱出し、ともに再起を図りましょう」
「それも駄目だ。わしは初動を誤った。宇都宮領へ侵攻したことは、確かに幕府の私闘禁止に抵触するものであり、あのとき謝罪しておくべきだった。それをしなかったわしに対し、世間は同情も協力もしないだろう」
「……」
「ただ、氏満の小山家に対するひどい仕置に対しては、世間でも眉をひそめ、非難する者も多いと伝え聞く。だから、そなたが旗印になれば、氏満のやり口に非を鳴らし、そなたに協力する勢力が現れるかもしれない」
「……」
「そなたはここから脱出し、捲土重来を期すのだ。いや、必ずしも氏満への反撃など考えなくても良い。そなたが生きているというそのこと自体が、氏満への潜在的な批判勢力であり、奴に安寧を与えないことにもなるのだ」
「……」
「わしの最後の頼みだ。どうか生き延びてくれ」
義政は、若犬丸の手を強く握りしめた。
「分かりました。父上の御指図に従います」
若犬丸の目から涙があふれ出た。死ぬつもりで気を張っていたものが、急遽生き延びるための工夫に切り替える必要に迫られ、頭が混乱してもいた。
「敵はすぐにもここへ押し寄せて来るであろう。夜風の衆を護衛に付けるゆえ、そなたはただちにここを発て」
夜風の衆は、櫃沢城に詰めている者が十名、ほかにも各地に散っている者がほぼ同数いた。義政は、夜風の衆の頭である井野権兵衛を呼び、詳しく任務を指示した。
「父上、今生のお別れでございます」
「よいな、わしは先に逝くが、そなたは、うんとゆっくり参れ」
「心がけます」
別れ際、若犬丸が見た義政の表情からは険が消え、穏やかだった。少なくとも、若犬丸の記憶にはそんな印象が残った。
櫃沢城を出た若犬丸と夜風の衆は、たいまつを手にして夜の山道を北へ向けて進んだ。
翌日夕方、鎌倉府軍が櫃沢城へ現れた。
義政は、弓隊を並べて応戦した。矢が尽きると、今度は城内に蓄えてあった石礫を投擲させて防戦した。
だが、それも尽きてしまうと、敵は数を恃みに土塁へ取り付きはじめた。やがて木製の柵が引き倒され、敵が城内へ乱入してきた。
義政は全軍に出撃を命じた。すでに日は暮れ、闇が訪れていた。
「皆の者、山中へ散れ。無駄死するな」
義政は大声でそう叫んだ。
ついに櫃沢城も鎌倉府軍に制圧され、義政が拠点とした三つの山城はすべて敵の手に帰した。義政は、旗本らとともに山中へ紛れ込み、夜明けを待った。
夜が明けると、敵は山中に逃げた義政の捜索を開始した。
敵兵の声があちこちから聞こえてきた。義政らは、声がしない方へと進んだが、やがて敵兵に取り囲まれてしまった。
「もはや、これまで」
旗本が防戦している間に、義政は甲冑を脱いで跪座になり、切腹して果てた。時は永徳二年(一三八二)四月十三日巳の刻、享年三十三歳であった。




