(5)更なる挑発
三月、朝晩の厳しい冷え込みが和らぎ、祇園城内の桜のつぼみがようやく膨らみ始めた。
家臣たちへの知行再配分が一段落した。知行が減り、小山家を去る者もいたが、多くの家臣は甘んじて減俸を受け入れた。義政の氏満に対する憎悪もようやく静まったのか、表情から険が消え、僧形と坊主頭も様になってきたと若犬丸は感じていた。
そんな折、氏満からの使者が祇園城に到来し、若犬丸と義政が応接した。
「小山領である中泉庄を、鎌倉府にて接収する。ついては、すみやかに明け渡すように」
使者はそう口上を述べたあと、氏満の花押が入った同内容の文書を若犬丸へ手渡した。
中泉庄は、小山家の本拠地である小山庄の西側に隣接する東西約一里半、南北約二里の領域であり、小山家にとっては小山庄に次いで重要な所領である。
義政の額に、最近ようやく消えた血筋が再び浮かび上がった。
「中泉庄を? それはなにゆえにござるか?」
「先般、二度にわたって小山様が起こした鎌倉府への叛乱につき、その償いとしての差配でございましょう」
「しかし、当家はすでに、小山庄と中泉庄以外の所領をすべて没収されてござる。今頃になって、さらに中泉庄まで差し出せとは、いったいどういうことでござるか?」
「と言われましても、それがしは鎌倉公方様からの御命令をお伝えに参った者ですので、詳細についてはお答え致しかねます」
義政の目は血走っていた。これ以上、使者を問い詰めたところで埒が明かないことは分かり切っていた。
若犬丸も、氏満からのあまりの仕打ちに怒りを覚えたが、同時に、氏満の小山家に対する憎悪の底深さを思い知らされた。氏満は、小山家を暴発させ、討伐の口実を見いだすまで挑発をやめないだろうと思い、絶望的な気分になった。
若犬丸と義政はすぐに異議申立状を作文し、それを持って若犬丸みずからが氏満陣所まで赴いた。だが、氏満は病で臥せっているとのことで面会は叶わず、書状のみを託して祇園城へ戻った。
翌日、氏満からの書状が届けられた。
「帰参後の小山家の行状宜しからずによって、更なる刑罰が妥当と判断するものなり」
若犬丸がまず読み、次いで義政が目を通した。義政は即座に書状を破り捨てた。
「降伏後、わしは隠居、出家し、氏満へ何ら不義理を働いた覚えはない。行状宜しからずとは、あの火事騒ぎのことを言っているのか? あれは我らとはいっさい関係ない。あの火事を我らの付け火の責に帰すと言うのであれば、まったく横暴の極みと言うしかない」
若犬丸も、義政と同じ思いだった。氏満の小山家、いや義政個人への憎悪の深さが想像以上であることに驚きを隠せなかった。
義政は憤激して禅堂へ籠り、そのまま出て来なくなった。若犬丸は家臣に命じて、食事だけは禅堂の戸口隙間から差し入れさせた。
「中泉庄を接収されたら、小山領は激減する。家臣への知行再配分が終わったばかりなのに、またやり直しだ」
それだけでは済まない。家臣へは更なる減俸を強いることになるが、それに不満を抱き、致仕する者が大幅に増えるであろう。もはや小山家が立ち行かなくなるのは必定であった。若犬丸は、どう対処したらよいか分からなかった。
ただ、家臣たちの中にも、氏満のあまりにもひどい仕打ちに憤っている者が多かった。
「氏満の傍若無人な振る舞い、断じて許すまじ」
「こうなったら、氏満の陣所へ忍び入り、彼奴の首を掻き切るしかない」
若犬丸の前で、そう口に出す者までいた。
禅堂へ籠って十日以上たち、義政はようやく戸を開けて出てきた。頭髪と髭が伸び、頬がこけていた。義政は、差し出された食事をあまり口にしなかった。
だが、目だけは強い光を放っており、威力に満ちていた。
「もはや、小山家存続は不可能である」
義政は、若犬丸へそう言った。
「ここに至っては、傲岸不遜たる氏満へ最後の一矢を報い、小山家の武門を天下に知らしめるのみ」。
「御意」
若犬丸も、それ以外の選択肢はないと考えていた。勝ち目のない戦いだが、武門の一分として、氏満のやりように非を鳴らすことが唯一の打ち手であると思い定めていた。
「家督を継いだばかりのそなたには大変申し訳ない仕儀となった。許せ」
「父上が詫びることではありません。氏満の度を超えた横暴の数々、私とて許すわけには参りません。最後に小山家の武勇と意地とを氏満に見せつけて、花と散りましょうぞ」
「よくぞ申した」
義政は、若犬丸の母でもある正室の芳を離縁し、実家へ下がらせた。芳は、義政と行動を共にすると泣いて訴えたが、義政はそれを許さなかった。やむなく芳は、若犬丸にも別れを告げて祇園城を去った。
三月二十二日、義政と若犬丸は、小隊長以上の家臣を広間に集めた。二人はすでに甲冑に身を固めていた。
「我らはこれより祇園城を退去し、糟尾山へと向かう。ここへ鎌倉府軍を引き入れて、奴らへ一泡吹かす所存である。これが我らにとって最後の戦いとなるであろう」
義政はそう言って、傍らにいる若犬丸を見た。若犬丸は大きくうなずいた。
「すでに知っての通り、当家はどうにも立ち行かなくなってしまった。こうなったのは、すべてわしの責任であり、皆にはただただ詫びるしかない。だが、氏満の卑劣なやり口は断じて許すことができない。こたびの当家最後の戦いに賛同する者は、わしの指図に従え。そうでない者はここから立ち去れ。咎めはせぬ」
広間から去る者はごくわずかであり、ほとんどの家臣が居残った。
「氏満へ目にものを見せてやろうぞ!」
「応!」
糟尾山は、祇園城から北西約十二里の場所にある。山頂に至るまでの周辺の低山や丘には、小山家の山城がいくつか点在している。最後の戦いを挑むにあたり、兵力の少ない小山軍では平城の祇園城に籠城するのは得策とは言えず、包囲されたら手も足も出なくなる。
そのため、祇園城を捨てて、糟尾山周辺のいくつかの山城に分散して籠城し、山岳戦に持ち込もうと義政は考えた。
義政は、兵を三手に分けることにした。一手は永野川上流域にある長野城、もう一手は思川上流域にある寺窪城、最後の一手は、思川をさらに上流にさかのぼった場所にある櫃沢城である。
恐らく敵は、祇園城から糟尾山方面へ向かって最初に出くわす長野城をまず攻めるであろう。そこが陥落したら、次は寺窪城、そして最後に、一番山奥にある櫃沢城を攻撃してくるものと考えられた。もし敵が前方の城を攻めあぐねていれば、後方の城から遊撃部隊を繰り出して敵を攪乱する。うまく行けば、相当に敵を手こずらせることができる。
ただし、義政が指揮できる総兵力は五百人程度でしかない。そのため、三手に分けた各城にはそれぞれ百三十人ぐらいずつしか籠められない。鎌倉府軍の大軍に対しどれほど持ちこたえられるものか、はなはだおぼつかなかったが、義政は、やるしかないと思った。
「若犬丸にとっての初陣ではあるが、これが最後の戦いでもあるぞ」
「心得ています」
内心、若犬丸は怖かった。死ぬのは嫌だとさえも思った。だが、そのような感情は匹夫が抱くものであって、武門の当主たる者には恥ずべき怯懦であると幼少期から教わってきた。戦うことが武門の務めであり、勝敗生死を恐れてはならない。今回の戦いは、兵力面だけ見ても圧倒的に不利であり、僥倖による勝ちすら望むべくもない。敗死すること必定だが、それも天命である以上、恨み事は言うまい。そう自分に何度も言い聞かせていた。
義政と若犬丸は、各部隊への部署割を指示し終えると、祇園城の各所に放火させて城を退去、寺窪城へと向かった。




