第310話 機械の殴り方
カルコ――
地下都市の魔法使いたちの村で聞いた言葉だ。
ここ魔界の記録に残る限り、過去唯一のSSR。
完凸まで育て上げられたという。
式神となっても自我を保ち、機械を一時期圧倒したらしいが、突如姿を消した謎の存在。
橘いわく、そのカルコこそが日本の式神術の開祖である、橘 香流子その人だという。
もっとも、確証はないと橘は付け加えた。
しかし、それならいろいろと合点がいくのも確かだった。
橘家が数世代に渡って魔法使いを排出してきたこと。
これは魔界人である香流子の血統の影響なのでないかと思えた。
そして、橘家には家訓があると言う。
決して政治には関わるな。そして、式神術を使って身に余る富を築いてはならない。
これは、魔界で持てる者と持たざる者の対立を体験した香流子の遺訓なのだろう。
実際、蓄財にはさほど熱心ではなく、古くから続く魔法使いの一族にしては、驚くほどその暮らしは慎ましいという。
橘は俺たちを見渡した。
「そういうわけで、ここの魔法使いのことは他人事とは思えまへんな。それに……」
言葉を切って、目尻を細めた。
いたずらっぽく笑う。
「香流子はんでもできへんかった機械の殲滅。
それを成し遂げるのは痛快やわあ」
偉大な先祖ですら救えなかった世界。
そこに挑む。
橘の冒険心に火をつける理由としては充分だった。
俺は軽く口元を上げた。
「なるほどね。そいつは確かに大仕事だ。
……なあ、セロ。俺からも頼む。
お前の持っている術具を貸してくれないか」
セロは俺たちの話を半分も理解していない様子だったが。
ズボンのポケットに手を入れ、術具を取り出した。
「いいよ、これが役に立つんなら」
そして、リズを見た。
その目に映るのは、儚げな咀嚼に消えていく肉と飯。
思わず固まる。
「すっげー……」
見た目は綺麗な大人の女性。
しかし、このわんぱくな食欲。
少年の心は魅了されていた。
そこに、なぜか来奈の得意気な声。
「うちの最終兵器だからさー。
リズさんがいれば、式神もなんとかしてくれるって。
呪いを解く方法探してるんだってさ」
その言葉にセロは反応し、素朴な疑問を口にした。
「本当?じゃあ、元に戻せたりするの?」
そうきたか。
どうなんだろうな。
実際、どこまでできるのかも分からないのだから。
リズは差し出された術具を、じっと見つめた。
「では、お借りしますね」
女帝の魔眼が黄金に輝くと、リズの右手から植物の芽が生まれ、やがて大きな花となった。
花弁がゆっくり開いていく。
「この花に乗せてください」
セロは術具を花に乗せる。
ゆっくり花弁が閉じ……花は煙のように消えた。
リズは小さく頷いた。
「ありがとうございます。
それで……元に戻せるのか、でしたね。
ユリィさんはどう思います?」
いきなり振られた由利衣の目が泳ぐ。
「え……えーと、どうなんですかね。
あの姿が戻るって、その……」
しどろもどろ。
リズは愛弟子に小さなヒントを出した。
「N魔法使いのみなさんには、普通の武器が効きましたね。
肉体のベースは元の人間なのでしょう。
あの変身のような姿、どこかで見たことありませんか?」
うーん、と考え込む由利衣。
そこに、来奈の声が上がった。
「身体強化系魔法!! 肉体変質!!
あたし、バリバリ目指してるからー!!」
そう言って、カツをモリモリ頬張る。
セロの視線は、見た目通りの元気な食欲に釘付けになった。
リズは、「そうですね」と軽く頷く。
「肉体変質魔法なら、解ければ元の姿に戻ることができる……
断言はできませんが、可能性は高いでしょう」
「本当!?」
セロの表情がぱっと明るくなった。
「村のみんな、元に戻るのかな!!」
嬉しそうだ。
あの村にいたN魔法使いたちのことは、当たり前だが気がかりなのだろう。
リズは慎重に言葉を選ぶ。
「可能性、ですよ……
セロさん、これから冒険者になるのなら、安易に奇跡に飛びつかないこと。
可能性は、一つずつ検証していく姿勢でいてくださいね」
いかにも研究者らしい言葉だ。
由利衣も、ゆっくり頷いていた。
元の肉体が残っていれば、人間の姿に戻れるかもしれない。
その可能性に、梨々花の脳のビジネス領域がスパークした。
「リズさん……
毎度のこととは言え、今回もとんでもないことをしてくれますね」
注目が集まる中、梨々花は目に力を込めた。
「だって、そうでしょう。
これまではN魔法使いはダンジョンで戦う力がなかった。それが常識。
変身して元に戻れないんじゃ、誰もなり手がありませんけど、呪いに打ち勝つ方法があるのなら……」
ダンジョンの常識が変わる。
異形と化したN魔法使いは、第四層あたりでも充分通用する魔力だった。
いや、強力な武装と加護が揃えば、さらにその先にも挑めるだろう。
だからダンジョンで無双の戦いができるかといえば、それはまた別の話だが。
しかし、最大人口のN魔法使いにも別の可能性が示されたのだ。
確実に、世界を変えるだろう。
梨々花はカツに箸を突き刺し、新たな商機に興奮していた。
「これは、ワクワクが止まらないわ……
さっそく術具開発はイクシオン・アンド・ハント商会と合同で」
カレーを頬張るグレイスを見る。
いや、正確には憑依している気狐に話しかけた。
「ねえ、九尾さんにも協力していただきたいわ。
術具のスペシャリストとして」
グレイスの口が勝手に開く。
「お前、九尾様を便利に使うんじゃないです」
しかし、これはダンジョンの新たなる熱だと力説すると、気狐は話だけならと渋々折れた。
梨々花は満足気に目を細めると、由利衣へと振り向く。
「そういうわけで頼んだわよ。
奇跡は待つんじゃない。掴むのよ。
由利衣とリズさんならできるから」
由利衣は苦笑いしながら、話を戻した。
「それじゃあ、お師さま。R魔法使い以上はどうなるんですか?」
リズは大量のチキン南蛮を流し込んでいた。
もう貰った代替肉はとっくに尽きていた。
「……見たところ、R魔法使い以上は強力な呪術で肉体がモンスターの魔力に置き換わっているようですね。
R魔法使いはまだ分かりませんが、あの巨大式神は確実に」
アドラメレクの案内で見た、機械と式神の大戦争を思い出した。
N魔法使いはかろうじて人型だが、あのエイリアンのようなR魔法使いの式神が戻るとは、俺には想像できなかった。
ましてや、あの影のような巨大な式神など。
リズは由利衣へ再び質問を投げた。
「呪いの侵食による、肉体の置換。
これも心あたりがありますよね?」
今度は即答だった。
「厄災神の眷属化、ですね」
リズは静かに頷いた。
「元の肉体が無くなってしまっては、戻すことは極めて困難です。
例外があるとすればカレンさんでしょう」
厄災神の眷属として長い時を過ごした彼女が解放されたとき、完凸SSRの亜精霊となり厄災神の魔力による肉体を捨てて、新たな肉体を構築した。
あれは確かに、例外中の例外だろう。
リズは、深くため息をついた。
「できることには限界がありそうです。
元に戻せない彼らにできることは、せめて正気に戻してあげること。
魔力で構成された肉体なら、ダンジョンに還ろうと思えば還ることができると思います。
……せめて、魂に救いを」
しん――と、静まりかえる。
しばしの間しんみりしたところで、ティナの声が飛んだ。
「いや、還られちゃ困るんだけど。何のために来たと思ってるのよ」
橘も、「そうどす」 と同調した。
「式神が正気に戻って、もういやや言わはるんなら無理強いはしまへん。
けど、パートナーシップもええですなぁ言うてくれたら、契約成立ですわ」
そして、懐から水晶球を取り出した。
「式神の依代。魔力で構成された式神に、新しいお家もおます。
3LDKに大型クローゼット、バスルームにはサウナも付いて、リビングは南向き。
日当たり良好でおます」
言っていることの、どこまでが本当なのか分からない。
俺は呆れながら鶏肉を揚げる。
そして、こいつらはブレない。
魔界の式神を手に入れるための共同戦線なのだ。
頼もしい援軍を得たティナは、由利衣へと発破をかけた。
「ねえ、女帝は強くなることにはあまり興味なさそうだけど、あなたなら分かるわよね。
ここまできて式神の一体もゲットできないなんて冗談じゃないわよ。
……協力してくれるよね?」
由利衣は「うーん」と、少しだけ思案顔。
そして、ふわりと笑いかけた。
「ティナさんの気持ち、すっごくよく分かりますから!!
任せてください!!」
ドンと胸を叩いた。
その勢いに、ティナの頬が上がる。
「そう。じゃあ頼りにしてるから――」
「わたしもティナさんにお願いがあるんですけど!!」
食い気味に大声で被せる。
思わず仰け反るティナへ、由利衣はぐっと顔を寄せた。
「わたしも、強くなりたいんですよね……」
笑顔の圧をかけながら、交渉を始めるのだった。
***
俺は虚ろな目で天井を見つめる美柑の側にいた。
元々どことなく危うげな雰囲気があったが。
それでも長年機械の拷問に耐えてきたのは、残してきた家族のために戦う目的があったからこそ。
その目的が無くなった今――
リズは術具の解析に集中するということで、カロリー補充は山本先生に任せていた。
美柑の世話を焼くのは、由利衣と麗良だ。
由利衣は透明な薬液を水飲みに注ぎ、ゆっくりと飲ませていく。
栄養剤と、鎮静成分を含んだ薬だという。
――普通の見た目の薬もあるんじゃないか。
そんな場違いなツッコミを心の中で入れる。
飲ませ終えると、麗良が背中をマッサージして寝かしつけてやる。
「先輩……完凸SRの超再生能力も、本人の生きる意思があってこそ。
アドラメレクさんはそんなことを言っていました。
このままじゃ……」
なんとも難しいな。
家族を失った美柑に、なんて言葉をかければいい?
いっそ楽に……。
俺ならそう思ってしまうだろうな。
十年前、帰らずの森で妹弟子の理沙を失ったとき、すべてがどうでも良かった。
あの時の俺に何を言っても無駄だっただろう。
薬を調合する由利衣を見て思う。
俺が立ち直れたのは、教え子がいたからだ。
俺はこいつらに戦い方を教えたが、こいつらは俺に生きる意味をくれたのだ。
帰らずの森では、イナンナの眷属となった理沙とも再会できた。
麗良とのわだかまりも消えた。
生きていれば――
先は分からないのだと知った。
しかし、美柑の場合はどうなのだろうか。
大きなため息が漏れる。
由利衣がぽつりと呟いた。
「コーチ、こんなのってあんまりです。
ずっと耐えて頑張ってたのに、酔っ払いの無神経な話で、家族がいなくなったことを知らされるなんて」
そして、俺を責めるような目。
あれは俺の偽物で、お前らは勝手に盗撮していたんだろうが。
と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「まあ、それはそれとして。
しばらくは様子見しかないのかな」
そうは言ったものの。
機械どもとの戦いや式神の解放など、魔界の冒険はここからが本番と言っていい。
こんな状態の美柑を抱えて大丈夫なんだろうか。
かと言って、放ってはおけないしな……。
困った顔を見せていると、橘がセロを伴ってやってきた。
「佐伯はん。
病気の人がいるなら、手伝いたい言わはるんよ。
ようお気張りはる子ぉどすなあ」
一方のセロは、少し得意気だ。
「さっき粘着ヘイトってやつ三人ティナに教えてやったら、地獄確定だってさ。
梨々花、すっげー人気者だな」
思わず口元が引きつる。
初仕事で三人を地獄送りとは。
由利衣も思わず苦笑い。
「すごいね、梨々花はいろいろ過激だから……」
「由利衣のもあったぞ。あの白マントの――」
俺は大きく咳払い。
由利衣が「ねえ、どこのどいつが何言ってたの?」と身を乗り出すのを、再び咳払いで遮った。
セロは美柑をじっと見る。
「で、この姉ちゃんケガでもしてるの?」
どうしたものかな。
麗良がそっと耳打ちしてきた。
「先輩。仲間になったからには、隠し事は逆効果じゃないですか?」
……まあ、そうだな。
少し離れた場所で話をしたいと、セロと橘を促し、反対側の隅で説明することに。
いちおう、外堀を埋めるところから入ることにした。
「なあセロ。お前、式神になるのは嫌だって言ったよな。
それは俺にも分かる。
じゃあ、お前たちが探してた高ランク魔法使い……そいつが式神になるのは賛成か?」
セロは腕を組んで唸った。
「なりたいなら別にいいけど。無理やりはダメだよな?」
そしてセロは橘の目を見る。
大きな頷きが返ってきた。
まともな感性で良かった。
「そうか。あそこで寝ている人がその高ランク魔法使いだ。
俺たちがここで保護してな」
目を見開いて絶句するセロに言葉を続けた。
「でも、地下の人たちに引き渡したらどうなるか。
彼女が式神になりたいか、なりたくないかなんて関係なく、なってくれと期待がかかるだろうな。
だから、黙ってた……俺の言ってること、分かるか?」
「父さんは、あの人のために……」
セロは俯き、小さく呟いた。
彼の父親は囚われた美柑を救い出すため、巨大戦艦との戦いで散った。
そして、セロは天涯孤独の身の上になったのだ。
美柑のせいではないが、原因ではある。
なんとも複雑だろう。
口をギュッと閉じ、考え込むセロ。
やがて、小さな問いを発した。
「なあ、俺が小さい頃から機械にひどいことされてたって本当か?」
俺は顎に手を置いて答える。
「それは俺も話でしか知らないけどな。
けど、それが本当なら、ああ見えてもう七十近い年になるだろうな。
式神になって、魔法使いとしての責任を取る。
それが子供と孫にできることだってな」
再び驚くセロ。
恐る恐る、言葉をかけてきた。
「じゃあ、式神になる気あるんじゃ……」
「その家族がいる都市が、もう機械に滅ぼされていたとしたら。
お前ならどうする?」
答えはない。
俺だって持っていないのだ。
「まあ、そういうわけだから。今はそっとしといてやるんだな」
そう言葉をかけると、セロは何も言わずに踵を返した。
スタスタと美柑の側へと寄っていく。
「おい……」
止めようとした俺に橘の声。
「賢い子ですからに……責任は、うちが取ります」
そして、セロを追いかけていく。
俺も黙って見守ることにした。
セロはベッドの脇で、じっと美柑を見つめる。
「なあ、ばあちゃん。
俺、父さんのことは好きだったけど。
化け物になるのは嫌なんだ……父さんも、なりたくなかったって……」
ぽつりぽつりと、語りかける。
「ばあちゃんだって、嫌なんだろ?
……なんか、勝手に期待してごめんな」
美柑の反応はない。
構わずに、セロは話しかけた。
「でも、俺、式神は嫌だけど戦いたいんだ。
あの機械にやられっぱなしも、悔しいからさ。
ばあちゃんは……どうなんだ?」
やはり反応はないか。
と、思ったそのとき――
美柑の口元が僅かに動いた。
「……しい」
目に光る雫をため、掠れた声が漏れる。
「……私も……くやしい。私の……家族を……」
雫が一筋頬を伝った。
セロは、そっと指先でぬぐってやる。
「じゃあ、俺と一緒だな。俺も家族をやられて悔しいんだ」
そして、俺を見て言った。
「このおじさんが、機械の殴り方知ってるって言うからさ。
俺、高柳先生に弟子入りしてなんでもやるし。
……ばあちゃんも、あの世にいっちまう前に、一発殴ってスッキリしたほうが良くね?」
美柑の目が揺れ、セロと視線が合った。
「殴る……?」
少年は力強く頷いた。
「そう。俺、今日は粘着ヘイトってやつ、三人始末したからさ。
これ続けたら機械も倒せるってティナが言ってたし。
ばあちゃんも、やるか?」
――それは違うだろう。
とも言えず。
俺は、小さく微笑む美柑と、拳をぐっと握りしめて得意気なセロを見て、思わず頬を緩めるのだった。




