第308話 魔法使いと普通の人
俺たちは夜中のうちに宿舎に戻っていた。
部屋に入ると、俺に化けた式神・ぬっぺふほふは変化を解除し、小さな肉の塊のような姿に戻った。
そして部屋は酒くさい。
小声で鬼蜘蛛の糸で通話。
「なあ橘、大丈夫だったのかな」
「きちんとお役目果たしてくれましたえ。
問題あらしまへん」
即答が返ってきた。
なぜ留守番をしていただけなのに酒の臭いにまみれているのか。
だが、そいつを考えるには疲れていた。
まだ魔界一日目だというのに、初っ端から機械に追い立てられ、巨大戦艦と戦い、地下都市の取材。
盛りだくさん過ぎるだろう。
窓を開けて換気。
部屋のシャワーを浴び、ベッドに潜り込む。
ここには敵はいないことは分かっているが。
万が一に備えて鬼蜘蛛の警戒網があるということで、そいつを信用していた。
枕に後頭部を沈めると同時に眠りに落ちた。
***
翌朝。
五時間ほど眠り、重い頭を起こす。
時間は八時を回ったあたり。
着替えて伸びをする。
そこに、山本先生の声。
「おはようございます、佐伯さん」
元気そうだ。
さすがの若さだな。
しかし、俺のこの疲労感はどうだ。
すると悪魔の提案がかかる。
「黒澤さんが持たせてくれた、気分がすっきりするお薬、よく効きますよ。
私もさっきひとついただきましたから」
…………。
「そうですか。
でも、充分寝たので大丈夫ですよ」
そこに橘が口を挟んだ。
「そんなテンションで取材されたらかなわんわあ。
魔王にしばかれますえ」
そうかもしれないが、そうは言ってもだ。
アイテム袋から薬の入った瓶を取り出す。
銀色に発光する液体。
軽く振ると、カラフルなビーズのようなものが瓶の中を舞う。
色は綺麗だ。
しかし、こいつを人体に入れるとなると、話は変わる。
――カプセル薬にしてくれないか。
幾度となくリクエストは出しているのだが、由利衣は薬液派だった。
蓋を開けてみる。
匂いは……特濃のヨード臭。
そっと蓋を閉めようとしたそのとき。
俺の右手が勝手に動く。
瓶の飲み口が口元へと運ばれた。
「暴れたらこぼしまっせ」
橘の声。
鬼蜘蛛の糸か。
ゆっくりと銀色の薬液が喉を通る。
ビーズのような粒も、ぬるりとした感触を残して胃へと滑り落ちていった。
そして、脳内物質がフルドライブし多幸感と爽快感に満たされた。
「……こいつは、すごいな」
魔力が湧き出るようだ。
「さすがは日本のSSRやね。
けど、うちは普通の栄養ドリンクにしときますさかい」
――おい。
抗議を入れようとしたところに、ドアをノックする音。
「おはようございます。
前澤ですけど、準備はいかがですか?」
ドアを開けると、そこにはきっちりスーツを着こなした前澤さん。
「おはようございます。
おかげさまでよく休めました」
取材に行っていたなどと言えるわけもない。
由利衣の薬のおかげで気分は爽快だ。
「よく休めました」という言葉にも、違和感はないはずだ。
だが、前澤さんは俺の顔をじっと見つめた。
「……すごいですね。
千石課長、ゾンビみたいになってるのに、そんなにお元気で」
思わぬ方向の話に、頭が混乱した。
「え? 千石さん?」
何の話だ。
そう問いかけたところに、橘がドアを開けて出てきた。
「お早うおす。本日もよろしゅうに」
前澤さんに歩み寄ると、袖で口元を隠し、小声で耳打ちした。
「うちの大将、酔うと記憶が飛ぶんよう。
ご迷惑おかけして堪忍え」
前澤さんは、含み笑いを漏らした。
「そうなんですか……
もう話題になってますよ。佐伯さんって、楽しい方なんですね」
小声でクスクスとやり取り。
よく分からないが、いつの間に仲良くなったのだろうか。
首をひねりながらも、この都市の公式の取材が始まるのだった。
***
みんな大好き、工場見学。
市長の許可を得ているため、魔界の都市を支えるインフラ施設を惜しげもなく見せてくれる。
なるほど、現代日本と比較しても遜色がないどころか、ここが地下百メートル地点にあることを考えると、とんでもない技術だ。
代替肉の加工工場では、機械から繊維状のタンパク質が押し出される。
冷却、成形、乾燥の工程を経て、本物の肉の風合いに近づける二次加工が行われていく。
パウチされ、箱詰めされていくまでをカメラに収めていく。
山本先生は、工場長の説明を熱心にメモしながら、原材料の配合比率から食感と味の工夫についてまで、矢継ぎ早に質問を飛ばしていた。
一つ一つ丁寧に答えてくれたどころか、工場見学用のビデオ視聴から技術資料の閲覧まで。
この世界では、もはや人類の生存が最優先。
技術特許もなにもない。
他の都市でも役に立つのならと、快く教えてくれたのだ。
資料を片っ端からビデオカメラで撮影していく。
あとで政臣が製本してくれるだろう。
こいつは、そんじょそこらのお宝を凌ぐお宝だった。
しかし、気になったのは人が多いことだ。
この手の工場は無人のフルオートメーションだと思っていたが、コンピュータ管理されているようには見えない。
バイオ技術は最先端。
その一方で、自動化されている箇所はわずかだ。
あえて自律機械を導入していないのだろう。
防衛反応だろうか。
いつか機械が牙を剥いてくるかもしれない。
それを恐れているのかもしれない。
それはそれとして、撮れ高はばっちりだった。
これでコンテンツハンターとしての面目も立つ。
俺は安堵の息を吐いた。
しかし、だ。
次に訪れた陸上養殖の施設で、水質を測定していた作業服の男性が、にこやかに声をかけてきた。
「おー、大将。
ごきげんよろしおすなあ!!」
誰だこいつは。
そして、なぜ京言葉?
曖昧な表情で「こんにちはー」と頭を下げると、前澤さんが男に何か耳打ち。
すると、
「なんだよ、じゃあ今日もいきますかー!!
“スナックこより”のママ、大将のこと気に入っちゃってさー」
何一つ意味がわからない。
そこに。
「佐伯さん、いつの間に……」
背中にジャージネキの猛烈な圧がかかった。
額に汗を浮かべ、必死に身に覚えのない釈明を行う。
「いや、いつの間にって……
ずっと一緒にいたじゃないですか」
「帰ってきてから五時間ほど、何やってたんですか?」
寝ていたに決まってるだろう。
山本先生は、俺の空白の五時間を疑っていた。
その間も別の作業服の男が次々とやってきては、「アツアツでしたねー」と半笑いで声をかけてきた。
俺が、誰と?
俺の混乱ぶりを見て、橘が楽しそうに目元を細めた。
「佐伯はん、もうこんなに溶け込んで。
さすがはコンテンツハンターやわあ……」
その一言だけを残して、前澤さんと連れ立ってスタスタと歩いていく。
「佐伯さん、妻の目を盗んで魔界で羽根を伸ばすなんて。
あかん、あかんでぇ……」
光を失った瞳で見つめてくる山本先生。
何なんだ一体。
寝ている間に魔法で操られていたか、記憶を消去されたか。
思いつく限りの可能性を並べ、山本先生を説得するが、疑惑の眼差しが晴れることはなかった。
***
都市の重要施設の見学の後は、資料室に案内された。
受付のおじさんが、「おっ、大将!! “男グリフォンひとり旅”、いいコブシが回ってたねぇ!!」と声をかけてきた。
山本先生の髪が、魔力の奔流でゆらりと上がる。
そちらを見ないふりをして、資料室へと入る。
前澤さんはひとまず仕事に戻るということで、自由に閲覧して構わないと言ってくれた。
さっそく、歴史に関する資料を漁る。
ビデオカメラで撮影しながら、目を走らせていく。
こいつは学生向けの教科書だ。
「えっと。科学による平等な世界を目指して……?」
科学の時代の前には魔法の時代があったという。
人々の暮らしは魔法とダンジョン素材で成り立っていた。
そして、それは魔法使いの一族によって独占されていたという。
医療や食べ物の生産、エネルギーや物流、果ては情報や金融まで――
直接的には書いていないが、人類はほんの一握りの魔法使いによって支配されていた。
そう言いたげな内容だった。
俺は「ふーん」と鼻から息を吐いた。
世界の支配ね。
ダンジョンの外だって似たようなもんだ。
富の偏在、持てる者と持たざる者。
ただ。
俺たちの世界と違うのは、魔法使いの話に限っては血統ではなくランダム抽選。
チャンスはある日突然訪れ、そしてその力は世襲ではない。
いや、唯一の例外は……
ちらりと橘を見る。
資料へと目を通すその横顔は真剣そのものだ。
橘家だけは、魔法使いの一族。
各世代で一族の中から、誰かが魔法使いに当選する。
そうやって、秘儀である式神術を受け継いできたのだ。
橘の先祖は、魔界に行って帰ってきたという。
ならば、現在の橘家と魔界の魔法使いの一族は、何か関係があるのだろうか。
関係ないとは、いまさら思えなかった。
そんなことを思いながら、続きを読む。
「その不平等を正すため、人々は魔法ではなく、誰にでも扱える技術で社会を変えようとした……」
魔法使いなしで病気を治す。
魔法使いなしで農業生産を安定させる。
魔法使いなしで輸送する。
魔法使いなしで身を守る。
要するに、一握りの特権階級である魔法使いに頭を下げなくても済む社会。
――人類の解放。
最初は、試行錯誤の連続だった。
できることも、ほんの些細なことだけ。
魔法に頼らなければ生きてはいけない。
そんな時代が長く続いた。
それでも、人類は自由と平等を得るために科学技術を磨き続ける。
そして、シンギュラリティ――技術的特異点が訪れた。
それは人類の福音であった。
完全な脱却というわけではない。
ダンジョン素材は、相変わらず生産活動のためには必要だった。
しかし、もはや完全依存ではない。
魔法使いたち自身も、科学技術の恩恵を受けるようになった。
ここでようやく人類の格差が是正されたのだ。
……ということだが。
ここまで読んだ俺には、なんとなく次の展開の予想はついた。
どこの世界でも、既得権益を侵されて黙っているやつはいないだろう。
魔法使いも、最初は舐めていたのだ。
科学だと?
あんなのはオモチャだ、魔法の力に敵うはずがない……と。
だが、普通の人々は何世代にもわたって地道な研究と技術研鑽に努めてきたのだろう。
そして、魔力を持たない人間でも扱える“プロメテウスの火”を手に入れたのだ。
ページをめくる。
「魔法使いの一族による軍事的エスカレーション……」
ここで式神が出てきた。
魔法使いはしばしば政治的、軍事的な圧力を普通の人々へかけてきたという。
それは人類の発展の時計の針を逆回転させるものであり、到底受け入れられるものではなかった。
しかし、魔法使いの尋常ならざる力の前には劣勢だった。
均衡を保つために兵器開発を進めていく。
普通の人々は防衛のために近代兵器を備えた。
ここまでやって、ようやく魔法使いと対等に立てたのだ。
しかし、魔法使いもさらなる軍拡に動く。
モンスターとの融合という禁忌。
悪魔との取引が行われたのだ。
……。
俺は思わず呟く。
「いや、どっちもどっちにしか読めないんだけどな」
第三者の観点からするとそうなのだが。
これは普通の人たちの視点から書かれているもの。
巧妙に「強大な抑圧者である魔法使いに対抗するためには、自分たちにも武器が必要だった」という方向に誘導していた。
それは一面では真実だろうが。
他の面から見たら、どうなんだろうな。
もっとも、モンスター融合の術も上手くいったわけではない。
しかし魔法使いたちは、このまま研究を続ければいつか完成するだろうと考えていた。
それを恐れた普通の人たちは、高度な防衛策に打って出る。
……それが、あの人工知能で動く機械どもというわけか。
普通の人たちは、真の平和を夢見て強固かつ強大なシステムを作り上げた。
そうして、両者の静かな拮抗は維持されていくはずだったのだが。
あるとき、魔法使い一族の強力な式神が暴走。
そこで、想定していなかった事態が起きたのだという。
人工知能への最上位命令は、「この世界から対立と不平等を無くし、平和を維持せよ」であった。
魔法使いも普通の人も関係ない、人類全体の幸福と恒久的な平和の追求だ。
均衡が保たれているうちは問題がなかった。
しかし、それを破って侵攻してきた式神と戦う機械は、この先に待ち受ける未来を予測したのだ。
魔法使いだけが残れば、個体能力の差による政変と格差が続く。
普通の人たちが残れば、兵器を際限なく開発する。
両者が共存すれば、軍拡競争が最速で進む。
人類の自由意思を残したままでは、平和を維持することが不可能。
かくして、機械は人類全体の排除に動く。
感情は一切介入しない。導き出した答えを淡々と実行するだけ。
そして、それに対抗するため、魔法使いと普通の人たちは和解する。
普通の人たちは科学技術を持ち寄って地下都市を築き、魔法使いは人類の防衛のために立ち上がるという役割分担が生まれたのだ。
人類は手を結び、一丸となって機械と戦う……らしい。
ざっと読み終えた俺は、ぽつりと呟いた。
「どうしてそうなるんだろうな」
その感想しかなかった。
そして、魔法使いたちへの差別意識だが。
先制攻撃して人類を破滅に追いやったのは魔法使い側だから、責任をとって機械を黙らせろということか。
魔法使い側にも言い分がありそうなものだが。
ただ、この地下都市に生きる多数派は普通の人たちで、彼らの技術無くしてインフラの維持は不可能。
だとすれば、そういう空気感の中で育った魔法使いはそうなるのか。
俺は資料をそっと閉じ、大きなため息をつく。
「終わりのない終わりの世界……か」
アドラメレクの言葉だ。
一切の感情もなく人類を排除する機械と、それに対抗するために狂った式神と化した魔法使いが、延々と終わりの見えない戦いを繰り広げる。
なるほど、これが魔界。
資料を棚に戻し、別のものを手に取ろうとした俺の背中に橘の声がかかった。
「佐伯はん。やっぱり、誰かが悪いわけでもない思うんやけど」
そうだな。
最初に暴走した式神とやらも、実際のところの事情はよくわからないのだ。
橘へと向き直る。
「機械も別に善悪で動いているわけじゃない。
だけど、こいつに退場してもらわないことには、終わりの世界が本当に終わっちまうな」
ゆっくりと頷く橘。
あらためて、俺たちの心は決まった。
そうと決まれば、いつまでもここにいるわけにもいかない。
早く地上の仲間と合流しなくては。
しかし。
資料室を出た俺たちに、声がかかる。
「佐伯さーん!!」
駆け寄ってくる中年。千石だ。
橘が、はんなりと会釈した。
「千石はん。もう体調はよろしいん?」
千石は後頭部に手をやると、「いやはや、お恥ずかしい」と苦笑い。
そして、俺を見た。
「どうです? 今夜も。
佐伯さんとご一緒したいって人も増えてますし。
いやー、大将人気者だから」
何の話なのか、未だに分からない。
俺は口元を引きつらせながら、声を絞りだした。
「えっと……
俺たち、そろそろ次の都市に……」
「ええ!?
もう一泊くらいいいでしょう。
東京の遊び教えてくださいよ。
昨日は野球で盛り上がったじゃないですか。
ミサキちゃんもカンナちゃんも大喜びで」
そう言って、満面の笑みで「アウト、セーフ、よよいのよい」とチョキを出す。
橘はクスクス笑うと、「どうぞ、面倒見てやっておくれやす」と軽く返す。
千石は片手を上げて軽快に言った。
「それじゃ、十八時に迎えに行きますから。
王様ゲームってやつ、期待してますよ!!」
そして、職場に戻っていった。
何もできず見送る俺に、山本先生の低い声がかかる。
「佐伯さん……」
ずっと背中に呪殺の魔力を飛ばしていたのだ。
俺は救いを求めるように橘を見た。
「まあ、あんじょううちに任せておくれやす」
目尻を細め、にこりと笑うのだった。
――かくして。
俺の身代わりとして、変化した式神を送り出す。
橘と山本先生は、前澤さんに誘われて女子会。
俺は……。
山本先生の命で自室待機。
念のため鬼蜘蛛の魔力糸で拘束されていた。
巨大戦艦では、二夜連続の“ぶらり魔界放浪記”の配信。
すっかり視聴者さんの人気を獲得した偽大将は、高い再生数を叩き出す。
一切が俺の知らないところで、コンテンツは作られていくのであった。




