第304話 魔界の夜の始まり
由利衣のマップによると、ここ魔界の地下都市の広さはおよそ五キロ四方。
人口はおよそ一万五千人を維持しているらしい。
過密にならず、食料の奪い合いも起こさない、ゆとりある計画調整……だという。
試行錯誤の末の結論なのだろう。
鬼蜘蛛の魔力糸の範囲は半径一キロであるため、すべてを網羅することはできない。
だが、ここの住人である前澤さんが案内してくれる施設は今探る必要はない。
食事の雑談のついでに、山本先生は取材予定地の簡単な位置を聞き取りメモしていた。
そのメモとマップを照合する。
「……明日行く予定の施設は西側に固まっているな」
工場区画は西。
俺たちがいる行政・文教・商業区画は北。
ここは、公式に取材すればいい。
住宅が広がっているのが東。
ならば、調査はよく分からない南側の区画だろう。
俺に化けた式神・ぬっぺふほふは一体しかいない。
この部屋には身代わりを残す。
橘と山本先生は同部屋のため、橘が抜けて山本先生が居残り。
万が一誰か来ても、橘は疲れて寝ている。
そう言って誤魔化せばいい。
完璧な偽装だ。
しかし、そこに異を唱えたジャージネキ。
「今回は、私がレポーターなので。
佐伯さんと私が探索します」
頑として主張を譲らなかった。
そうはいえども、ここは広い。
橘の鬼蜘蛛が届かない範囲に踏み込むのは危険だった。
地獄の果てまで連れ添うのが夫婦道やで、と訳の分からないことを言い出したときだ。
「まあ、山本はんの言わはることも一理おますな」
……そうなのか?
そこで、創意工夫で乗り切ることにした。
まず、女性陣の部屋は家鳴に生活音や話し声を再現させる。
誰か訪ねてきたら、俺に化けたぬっぺふほふが対応。
これで三人で攻略することになった。
俺は式神へ、くれぐれも京言葉を使うんじゃないと、“はんなり禁止令”を出す。
そして、村正の残像を足場へと変え、橘と山本先生を伴って窓から宿舎を抜け出したのだった。
――魔法使いたちが潜入取材へと消えた直後。
俺……に化けた式神の部屋をノックする音。
「はい」
「あ、佐伯さんこんばんは。千石ですけど」
昼間出会った、この都市の一般人第一号。
設備課長の男だ。
ドアを開けると、そこには仕事終わりの千石。
俺は穏やかな愛想笑いを作る。
「ああ、こんばんは。千石さん。
いろいろお世話になっちゃって」
千石は軽く手を振る。
「いえ、どうってことないですよ。
それよりも、せっかくなので。一杯どうですか?
ご馳走させてくださいよ」
俺は即座に相槌を打った。
「いや、そんな……でも、せっかくなのでお言葉に甘えて」
そしてすかさず機先を制する。
頭をかきながら眉を下げた。
「あ、女性陣は疲れてその……休ませてもらえると」
隣の部屋から山本先生の声。
「申し訳ありません。
佐伯さん、私たちの分までお願いしますね」
千石は頷いた。
「ええ、ええ。ゆっくりされてください。
それじゃ、行きましょうか佐伯さん」
俺は千石の後に付いて部屋を出た。
「佐伯さん、どういったのがお好みですか?」
「そうど……んんっ。 そうですね。
ウイスキーのスモーキーなやつが。
といっても、もう希少品ですけどね」
千石は軽く笑う。
「トウモロコシの栽培は盛んですから。
バーボンはありますよ」
「そいつはよろしお……楽しみですね」
こうして連れだって夜の街に繰り出す。
――その頃。
橘の細い目尻がピクリと動いた。
「あらあら……まあ、まあ」
夜の道を気配を隠して歩く俺は、橘へと振り向く。
「どうしたんだ?」
「いえ、なんでもあらしまへん」
着物の袖で口元を隠す橘に首を捻りながら。
コンテンツハンターは夜の魔界に突撃するのだった。
***
同時刻。
巨大戦艦の中では、リズのリクエストによるモヤシ大会が行われていた。
麗良はざく切りキャベツとモヤシと豚肉を大量に鉄板に投下。
「先輩たち、ちゃんと食べてますかね……」
溶き卵を流し込み、具材を包む。
すかさず由利衣がマヨネーズとソースと唐辛子をぶちまけた。
リズと、並んで座るジャージ姿の美柑へと差し出す。
見る間に巨大なとん平焼きが消えていくリズとは対照的に、美柑は小鳥がついばむようなペース。
「……食べないんですか?」
開始から三十秒も経たずに皿が空になったリズの儚げな視線が、美柑の手元を射抜いた。
「え……」
二の句が継げない美柑。
そこに、麗良の声。
「リズさん、次はたっぷりナムルの鉄板ビビンバいきます?」
リズの期待の眼差しが麗良へと向く。
「お願いします……
それにしても、魔界飯もたいへん気になりますね。
私も同行したかったです」
由利衣は、ふわりと笑った。
「コーチたちなら大丈夫ですよ。
お薬渡してますから、どんなものを出されても解毒できます」
実際のところは、外の世界と比べても遜色ない水準なのだが。
地下世界とは連絡が取れない現在、それは知りようがなかった。
そして麗良の脳裏には、由利衣の薬――
蛍光ショッキングカラーの液体の映像が蘇る。
「…………心強いわね」
それ以上は言わずに、ステンレスのヘラの音だけが響いた。
そこに、能天気な笑い声が天井から響く。
ここは扉を認証なしで無理に突破できないため、橘の鉄鼠が開けた天井の通路を伝って行き来しているのだ。
天井からシュタッと降りてきたのは来奈。
続けてグレイスと梨々花。
来奈のテンションマックスの声が、部屋を震わせた。
「麗良さん、めっちゃお宝ザックザクだって、これがまた!!」
この戦艦に搭載されている機械兵。
いまは偽の待機命令で大人しくなっている。
それをいいことに、冒険の限りを尽くしてきたのだ。
梨々花はさらりと黒髪をかきあげる。
「とりあえず、基板は抜き取って無力化していますから。
ハーネスの銅も売れるわ……ボディに使われているダンジョン素材も、高真産業さんへ回します」
これには麗良もにっこり。
「あら、高真さん喜ぶわね。
先輩がお世話になったから」
おじさんが冒険者を引退してサラリーマンをやっていた時代の、ダンジョン素材流通会社。
いまは、冒険部ホールディングスとのビジネスパートナーだ。
ノートパソコンの画面から目を離さず、ティナが声を飛ばしてきた。
「そこ、来月IPOなんでしょ。ちょっとは回しなさいよ」
一方のグレイスは退屈そう。
動かない機械を倒したところで、面白くもなんともないのだ。
「こんなんなら、私も地下に行けば良かったよ」
そして、麗良へと声をかけた。
「で、連絡は?」
麗良は軽くかぶりを振る。
「地下だから……いつになるか」
ふん、と鼻を鳴らすグレイス。
「あのおじさんとミレーヌ・ジーが簡単にくたばるとは思えないけどさ。
つまらないねえ」
グレイスは、インド流の敬称を付けて山本先生を「ミレーヌ・ジー」と呼んでいた。
椅子にドカッと座って、ペットボトル飲料のキャップを開ける。
そして、ティナと政臣のハッキングチームへと視線をやる。
……こっちも、いつになるやら。
しかし、この戦艦の乗っ取りに成功すれば、本格的な機械とのバトル。
その先のリスクに愚者の魔眼が淡く輝き、グレイスの頬が思わず緩んだ。
すると、グレイスの口が勝手に動いた。
憑依している気狐だ。
「まったく、ブレないやつですー。
お前、あの映像見てよくやる気になれますね」
あの映像とは、梨々花が撮影した式神と機械の大戦争のこと。
どちらもヤバいなんて言葉じゃ生ぬるい連中だった。
グレイスは楽しげに笑う。
「だからいいんじゃないか。
式神も、あれほどのものとは思わなかったねぇ」
気狐の盛大なため息。
来奈から、「そんじゃ、姐さんなってみる?」と声が飛んでくる。
それを無視して、グレイスはグイッと飲料を飲み干す。
「待つしかないか……映えないねぇ」
そこに、
「それじゃ、見てみます?」
声をかけてきたのは、狸ツインズ。
隠神刑部の眷属で、修行のためにグレイスに付けている二体だ。
一体が大きな鏡に変化した。
梨々花の切れ長の瞳が細められた。
「なるほど、占術。
先生たちの様子を探れますね」
もう一体は、スタイラスペンに変化。
梨々花はタブレットを取り出し、由利衣のマップを表示した。
ペンが画面上を走り、狸の声が聞こえる。
「大将の魔力が二つありますね……
どういうことかな」
鏡に映像が現れた。
ひとつは、夜の街を歩く三人の魔法使い。
数秒後に、切り替わる。
もうひとつは、連れ立って歩く二人のおじさん。
全員の視線が鏡に集中する。
梨々花の訝しげな声。
「先生……と、誰でしょうか、この人は」
鏡に変化した狸は、「うーん」と唸って言葉を続けた。
「こっちの大将は、おそらく変化ですね。
魔力は似ていますけど、少し違うものが混じっていますから。
一緒にいるのは、魔法使いじゃありませんよ」
ざわつく一同。
普通の人間が魔界にいたことも驚きだが、変化したおじさんがにこやかな笑顔で応対しているのも謎でしかない。
鏡が問いかけてきた。
「どうします?
どっちを追いましょうか」
梨々花は即答。
「本物の方は後で撮影映像を確認できますけど、偽物の方は一期一会のコンテンツじゃないですか。
こっちでお願いします」
そして、鏡の前にカメラをセット。
鏡の映像がズームしていく。
すると、偽物のおじさんの肩がぴくりと動いた。
鏡から声。
「偽大将に気づかれたかもしれません。
あまり近づくと……」
そのとき、偽物が小さく親指を立てた。
「どうやら、オッケーのようです。
相手は普通の人間なので、気づかれることはないと思いますよ」
梨々花は大きく頷く。
「おそらく、橘さんの式神でしょうね。
なかなか心得ているじゃないですか」
連れ立って歩く中年男性二人を、遠隔から観察する魔法使いたち。
鉄板ビビンバの香りが室内を満たす。
来奈は、さっそく麗良から一皿もらうと嬉しそうにモリモリ食べ始めた。
「それにしてもさー、普通じゃね?
言われなかったら、地下だって絶対わかんないって」
道には街灯が灯り、建物からは柔らかな光が漏れる。
空には星空と月が瞬いていた。
リズは街並みに感心しきり。
「地下だから暗い……ではなく、夜を演出していますね。
あの星空は照明でしょうし、凄い科学技術ですよ。
一体、どんな食生活なんでしょうね」
そう言って美柑を見る。
その視線が、手元の皿に落ちた。
まだ一皿目のとん平焼きの半分も食べていない。
「…………食べないんですか?」
美柑は、一見優しげなリズから放たれる食欲の圧にすっかり萎縮していた。
「えっと、良かったら……」
そう言ったところに、麗良は大皿に盛りに盛ったビビンバをリズの前にドンと置く。
儚げな圧が消え、興味はビビンバへと向けられた。
麗良は手際よく全員分を盛りつけ、由利衣が配膳する。
魔法使いたちがビビンバを食べながら視聴する中、鏡の映像は一軒の居酒屋へ。
店の表には大きな活魚水槽が置かれている。
泡の中でカニが悠然と舞い、魚が回遊していた。
麗良は卵の黄身を突きながら「はー」と声を漏らした。
「これが魔界って……」
そして、背筋に猛烈な寒気を感じた。
「……リズさん、後で作りますから」
圧を放つ方向には目を向けずに鏡を注視する。
二人のおじさんは向かい合って席につく。
「佐伯さん、一杯目は生でいいですよね?
何か食べたいものあります?」
クイっと手でグラスを持つ所作。
「いいですね、冷えたやつ。
食事は済ませていますので、千石さんにお任せします」
千石は手を上げて店員を呼ぶ。
「とりあえず、先に生中ふたつ。
五種のお造り、ホタテの浜焼き、牛筋煮込みと鶏の唐揚げと枝豆で」
なぜか梨々花が「よろこんで!!」と声を張り上げた。
そして、ビビンバを一口頬張る。
「めちゃくちゃ普通の居酒屋じゃないですか。
こういう世界に出てくるのは、どろどろのプロテインとサプリを配合するスタンドバーか何かだと思っていましたけど」
美柑へと尋ねた。
「天ヶ崎さんのいたところも、こういう感じだったんですか?」
美柑はこくりと頷く。
「そうですね。
キイも……魔法使いじゃない人の暮らしはこんな感じでした」
梨々花の眉が動く。
だが、今は深掘りせずに鏡の映像へと視線を戻した。
やがてジョッキが運ばれ、軽快な乾杯の音を立てた。
口元の泡をペーパーナプキンで拭いて、偽大将が大きく息をつく。
「いやあ、お酒なんて何日ぶりか。
移動中は緊張の連続で、夜も満足に眠れなかったですから」
千石は深く頷く。
「それはそうですよね。
前澤さんには明日は遅めに迎えに行くように言っていますから。
ゆっくり休んでください」
聞きなれない名前に由利衣は感心の声。
「もう溶け込んでるなんて、さすがー。
私も行きたかったなあ」
「あなたはこっちの手伝いだから」
すかさずティナが割り込んでくる。
由利衣は少しだけ口元を尖らせて「はーい」と一言。
鏡に映る千石は、軽い調子で問いかける。
「市長に聞きましたよ。
かなり強力な式神だと。SRランクでしょうか」
「……ですかね。
あれだけの戦力はそうとしか。まだいたとは驚きですよ」
千石は嬉しそうな顔で同意。
運ばれてきた刺身を勧め、小皿に醤油を垂らす。
ここで来奈の大声が響く。
「おかしくね? なんで地下に魚がいるのさー」
美柑が「陸上養殖はどこの都市でもやっていますから」と言うと、何だそれはという顔になる。
途端に梨々花の瞳に計算の光が差した。
「厄災神の世界に、さえき亭直営の養殖場。
冒険者に地産地消の鮮魚をお届け。
……いえ、それだけじゃないわね」
さっそくスマホを取り出し、フェリクスへ指示を飛ばす。
回転寿司チェーンとの共同事業。
昨日の商売敵は今日のコラボ相手なのだ。
魔法使いたちの思惑が交差する。
おじさん達はアルコールが進む。
千石も砕けてきた。
「で、佐伯さん。
あんな美人二人と旅なんて、羨ましいじゃないですか。
……どっちなんですか?」
グレイスが「いかにもな、おじさんトークだねえ」とぽつり。
偽大将は「ははっ」と軽く笑う。
「彼女たちとは仕事仲間ですから」
「またまたー。
お酒足りてませんね、おーい、芋焼酎とバーボン。
どっちもロックで!!」
運ばれてきたバーボンに口をつける偽大将。
クイっと飲み干す。
うっすらと頬を染めて一言。
「こいつは……よろしおすなあ」
――?
仲間の魔法使いたちが見守る中、魔界の夜は更けていくのだった。




