第298話 虜囚の魔法使い
“そいつ”は確かに「助けて」と言った。
拡声器から聞こえる悲鳴は女のもの。
だが、目の前の"そいつ"が男か女かは分からない。
頭髪も皮もないのだから。
口元には、酸素供給用と集音用を兼ねてのマスクが装着され、管で繋がっている。
剥き出しの筋繊維が絶叫の表情の形を作り、目が俺を見据えていた。
後方のティナたちも固まっている気配を感じたが。
「おい……政臣。これは流すなよ」
今は通信妨害中。
リアルタイム配信ではなかった。
こんなときでもコンテンツに配慮する自分をひどく滑稽に思うが。
さすがに、これはお茶の間には見せられないだろう。
しかし。
まず浮かんだ疑問だが。
こんな状態で生きているのか?
もしかすると、巧妙な作り物……?
だが、そんなものを機械が用意する意味が分からない。
それに、微弱ながら魔力を感じる。
思考が白くなりかける。
ただ、目の前の"そいつ"を見つめるしかなかった。
やがて、ある変化に気づき意識が引き戻された。
――再生している。
皮膚が張り、髪が生え、首から下が……。
これは、科学なのか?
特殊培養液の中で肉体が復元。
そんな物語を見た記憶はある。
だが。
いくらなんでも再生速度が速すぎるだろう。
それに、この現象には心当たりがあった。
――完凸特典の、復活能力。
俺はここまで損傷したことはないため、復活能力でまるっと再生するのかは正直分からない。
ただ、可能性としてはそれだった。
やがて、俺の目の前に裸の女が現れる。
あらためて、そいつと目が合う。
俺の左頬は、いつの間にか痙攣が止まらなかった。
完凸魔法使いが、機械に囚われて、何をされているんだ?
そのときだ。
「ちょーと、教官!!」
来奈が割り込んできた。
「そんなジロジロ見てんじゃないっての。
山本先生と梨々花にしばかれるよ?」
何を言ってるんだこいつは。
来奈へと視線を向ける。
「入江……お前これをどう見る?」
すると、来奈は「うーん」と唸る。
そして政臣へ向かって一言。
「委員長ー。
山本センセーのジャージあったよね?」
それも気になるだろうが、そうじゃないだろう。
グレイスがぴくりと反応した。
「おい、なんか来るぞ」
水槽の中の女の表情が、恐怖で染まる。
「助けて!! 助けてえぇぇぇっ!!」
何か来ると言われても、魔力反応はない。
だが、愚者の魔眼のリスク可視化で感じたのだ。
咄嗟に村正を抜いて構える。
水槽の中から現れたのは、機械仕掛けのアーム。
回転ノコギリやペンチを備えたそいつが女に迫り――
その前に。
村正が水槽の強化ガラスを真っ二つに斬る。
液体を浴びながら来奈は跳び、アームに拳を叩き込む。
グレイスは迷わず駆け寄り、女を抱きかかえて後方へ跳ぶ。
あの機械が何をするつもりだったのか。
黙って見物するまでもなく、想像はついていた。
それにしても。
水槽から飛び散った大量の液体にずぶ濡れだ。
気にしている場合ではないが。
政臣へと目をやると、咄嗟にノートパソコンはアイテム袋に収納したようだ。
そして、取り出しのはタオルとジャージ。
顔を背けながら、グレイスに差し出した。
グレイスはそれを受け取ると、顔を拭いてやりながら「おい、立てるか?」と呼びかける。
「あ……あの……」
女は呂律が回らない。
俺は視線を横に向けて言葉をかけた。
「無理にしゃべらなくていい。
まずは落ち着いてくれ。
……着替えは頼むぞ」
それだけ言うと、ティナの方へと向かう。
女も気にはなるが。
作戦行動の時間がないのだ。
「橘、桐生院に繋いでくれ。
そっちはまだ持ちそうか?」
鬼蜘蛛のネットワークを介して、地上班へと連絡を取る。
「先生、そろそろ……ですが。
そちらは?」
ちらりとティナを見る。
軽く頭を横に振った。
「もう少しかかりそうだが、無理はするな」
すると、梨々花はぐっと声に力を込めてきた。
「まだ少しは大丈夫です。
それよりも……」
言いかけて、数秒思案するような沈黙が流れた。
「どうした?」
「いえ、報告はありますが。
まずは作戦遂行を優先しましょう。
あと五分か十分は大丈夫なので、そちらもよろしくお願いします」
通信を終えると、ティナの声。
「まずは地上へ投下した部隊を帰還させるわよ。
作戦終了の指示を送るから」
「できてるんじゃないか」
ティナは渋い顔。
「この戦艦の送信系を乗っ取ってるだけで、こいつに言うことを聞かせてるわけじゃないの。
だから、兵隊どもが異常に気づいたら終わり。
……わかる?」
つまり、あれか。
本人の意思とは無関係に、嘘しか喋れない状態ってことだな。
そう言うと、「まあ、そんなとこよ」とティナの返事。
「あとは待機命令を信じ込ませれば、少なくとも追加攻撃は止まる……はず」
言葉の最後に若干の不安があるが。
言っていることは何となく理解できた。
「まず、攻撃部隊を下がらせる。
その間、入力系の侵入を行うから。
そこまで持っていければ、嵐は解除できるわ」
橘へ声をかける。
「だそうだが。
状況を教えてくれないか」
「霧が濃くて視認は難儀しますなあ。
けど、鬼蜘蛛の探知では敵さん引き上げてはります」
スマホで確認できる敵反応も、確かに。
「そうか。
じゃあ、鉄鼠を引き上げさせてくれ。
餓鬼王たちも」
ティナは「そうね」とスマホを操作。
政臣がノートパソコンを手に、こちらへとやってきた。
「ティナさん、たぶんこれで待機命令も……」
ティナは差し出されたノートパソコンを手に取る。
審判の魔眼が輝いた。
「いま、審判の解析結果とも照合するから。
あと五分……三分待ちなさい」
じりじりと時間が過ぎる。
鬼蜘蛛の通信に乗って「ユリィさん、これ美味しいですね」というリズの声と、儚げな咀嚼の音が混じった。
こんなときに、何を食ってるんだ。
そして、山本先生の声。
「佐伯さん。
桐生院さんは、もう限界です」
……そうか。
梨々花の慌てた声が聞こえた。
「山本先生、まだ私……」
それを制する。
「いや、解除だ桐生院。ティナもいいよな?」
ノートパソコンの画面から目を上げたティナと視線が合う。
小さく頷き返してきた。
「こちらは準備できた。
解除だ。よくやってくれた」
そう言うと、ほっとした梨々花のため息が聞こえてきた。
***
梨々花はセトのウアスへの魔力供給を停止した。
――身体負荷率、81%。
山本先生へ、黙って頭を下げた。
その頭に、そっと手が置かれる。
「頑張りましたね、桐生院さん」
そして、アイアンクローがギリギリと頭頂部を締め上げる。
「でも、無茶してまた魔法が使えなくなったら、どうするつもりですか?」
「……すいません」
言葉を絞り出すと、解放された。
森は変わらず濃霧に包まれているが、嵐は徐々に収まっていく。
頭をさする梨々花に、橘の切迫した声が響く。
「囲まれとります。
総員、大至急身ぃ隠しなはれ」
急いでスマホを確認。
周囲ぐるりと戦艦や飛行ドローンに囲まれている。
索敵レーダーの反応が、マップ上を塗りつぶしていた。
梨々花の顔が青ざめる。
「やっぱり、時間をかけすぎた……」
いや、青ざめたのは梨々花だけではない。
戦力差は一目瞭然。
誰がどう見ても、これは……。
そのとき。
「まだです」
リズの魔眼が輝き、既に出現させていた森林の密度を上げる。
草花が成長し、全員を覆い隠していく。
「リリカさん、この辺りだけでも鉄片をお願いします。
……いけますか?」
梨々花は頷き、由利衣へと合図を送る。
森は厚い防御結界に包まれた。
リズはさらに蒸散で霧を濃くしていく。
結界内が白く染まる。
梨々花は薄い鉄片混じりの風を森の上空に巻き起こす。
即席の隠蔽フィールドだ。
続けて、リズは橘へ呼びかけた。
「……状況は、どうですか?」
通信班には多重ステルスを付与している。
じっとしていれば、見つからないはずだ。
「あのでかいのは、動きがありまへんな。
応援部隊も……そちらには気づいた様子はあらしまへん」
機械どもの間では、目に見えず聞こえもしないやり取りが行なわれているはずだ。
――あの戦艦が、ミサイルの一発でも撃ち出せば、異常を感づかれて終わり。
梨々花のこめかみに汗が流れた。
身体負荷率は82……83%。
しかし、魔力の供給を止める訳にはいかなかった。
モンスターたちはざわめき、今にも飛び出そうと武器を握りしめる。
山本先生が、それを静かに諌めた。
「私たちの仲間がなんとかするから、信じて。
……ダメだったときは、最後まで一緒に戦うから。
とにかく、今はじっとしてください」
その言葉を、モンスターたちは仲間へと伝達。
みな、上を向いたまま黙った。
誰も息すらしない時間が、数秒。
やがて――
「ティナはん、やってくれましたわ」
橘の目に映るのは、周囲を取り囲む飛行ドローンたち。
そのうちの一機が、ゆっくりと離脱していく。
それを皮切りに、次々と持ち場へと帰っていく機械たち。
橘の隣で息を潜めていた麗良は、緊張を緩めた。
「どうなるかと思いましたけど……
さすがは審判ですね」
巨大戦艦だけを残し、周囲を埋め尽くしていた敵影は消えていった。
ここでようやく、鬼蜘蛛の通信網を通じて危機が過ぎたことを伝える。
その合図で嵐を解除した梨々花は、思わず心臓を押さえた。
――痛みは、ない。
安堵の息と汗が止まらない。
その背を山本先生がそっと包んだ。
「ありがとう……
さすがは大魔法使いね」
梨々花は、何度も小さく頷く。
それから、森は歓声に包まれたのだった。
***
俺は索敵レーダーの反応を確認して、止めていた息を吐き出した。
そして、ティナへと声をかける。
「助かったようだな」
「ようだな、じゃないわよ。
……まあ、ぶっつけ本番でうまく行って良かったけど」
そして、ティナはスマホの画面を確認。
「携帯通信網も回復してるわね。
至急、ダンさんに連絡とるわよ」
政臣にバンバン指示を飛ばす。
政臣は、濡れていない床にノートパソコンを広げ、忙しそうにキーボードを叩いている。
どうやら、次は乗っ取りのフェーズに入るようだった。
そっちは二人に任せ、グレイスと来奈の方へと足を向けた。
女は山本先生のジャージ上下を着せられていた。
「……おい、インナーを着せないか」
グレイスは、面倒くさそうな顔。
「とりあえず、そんなの後だろう。
おじさんは細かいねえ」
お前が雑なんだろうと言いかけたが、言い争っても仕方ない。
できるだけ胸元から視線を外して、あらためて見る。
まだ十代か、行っても二十代前半。
来奈たちと同世代に見える。
小柄で線が細く、グレイスと並ぶといかにも頼りなさげな印象だ。
そして、日本人っぽい顔立ち。
ダンジョンの、魔界に、こんな若い魔法使いが?
しかも完凸……と思われる。
女は、まだ目が泳いでいた。
それはそうだろうな。
肩までの髪を落ち着かない様子でいじっている。
だが、来奈がしきりに一方的に話しかけていた。
「もう安心だからさー。
名前は?
お腹空いてね?
なんで機械に捕まってたの?」
「入江、そんなに一度に質問するんじゃない。
……俺は佐伯修司という者だ。
こっちのうるさいのは入江来奈。
でかい……もとい、高身長はグレイス・クマール」
来奈とグレイスの視線が刺さる。
間違ったことは言っていないだろう。
女は「天ヶ崎 美柑」と一言。
やはり日本人?
しかも現代っぽい。
何年も誰も来ていないはずなのだが。
そして、さっきまでクレイジーサイコな機械に拷問されていたとは思えない、可愛らしい名前だ。
「そうか、天ヶ崎さん。
入江も言ったが、安心してくれ。
事情はさっぱりわからんが、危害を加える気はない。
家まで送ろう」
「家……」
美柑はその言葉に反応を見せた。
言ってから、気づいたが。
完凸まで到達する魔法使いが行方不明で、噂すら聞いたことがない。
いくら俺が長年現役から離れていたとはいえ。
そんなことがあるのか?
「……ちょっと待っててくれ。
入江、何か暖かい飲み物でも出してやってくれ」
来奈は「りょーかい」の声とともにアイテム袋からテーブルセットを出す。
「コーヒーでいい?」
にこやかに話しかける来奈。
そこに。
「ローズティーだな」
いつの間にか、アドラメレクがドカッと腰を下ろしていた。
美柑の顔が一気に引きつる。
厳つい自由業風の魔神の出現に、明らかに思考がフリーズしている様子だ。
一方の来奈は平気な顔。
「ローズティーよろこんで!!」
と言いながら、カップに緑茶のティーバッグを放り込んだ。
「おい……」
アドラメレクの抗議には構わず、テーブルに緑茶のカップを二つ置く。
後ろから美柑の肩を掴み、ぐいぐい押してアドラメレクの正面へ座らせた。
「大丈夫だって、この大魔神のおじさん、堅気には手を出さないって、あたしの中で絶賛大好評だから」
美柑は、来奈の手を握って離さない。
俺はその光景を横目に、少し離れてスマホを取り出した。
通話ボタンをタップする。
相手は――
「ああ、フレッド。
観てくれてたのか……まだ配信はしてないけど、作戦は成功だ。
それで、ちょっと頼みがあるんだけどな」
魔法使い監督省庁に勤めるフレッドなら、照会できるはずだ。
用件を伝えると、しばらく保留音。
ちらりテーブルの方を見る。
グレイスとアドラメレクは、茶を啜りながら菓子を食っている。
能天気な顔の来奈に、縋るような目を向ける美柑。
地獄へ垂らされた一本の蜘蛛の糸。
彼女には、そんなふうに見えているのかもしれなかった。
そこに、
「佐伯さん、お待たせしました」
フレッドの声。
「どうだ?」
「天ヶ崎 美柑さん……という名前の魔法使いの登録はありませんね。
確かに日系の名前だとは思いますが。
国外移住者かもしれませんから、問い合わせに時間をもらえますか?」
日本に戸籍がないとすれば、その線もあるか。
フレッドに頼むと、通話を切った。
そして、テーブルへと戻ると、床にノートパソコンを広げている政臣たちへと声をかけた。
「なあ、こっち来てやったらどうだ。
お前らはコーヒーでいいか?」
そう言うと、二人はこちらにやってきて静かに並んで着席。
「どうだ? いけそうか?」
テーブルにコーヒーを置くと、ティナは「はぁー」とため息。
「そんな簡単に行くわけないでしょ。
でも、ダンさんのとこのリソースが使えるようになったから……」
そして、俺を見た。
「ねえ、ユリィ呼んでくれない?
審判の能力を肩代わりできるのは女教皇だけだから。
とりあえず、こいつを黙らせておくのと、他の機械を遠ざけるのを手伝って欲しいのよ」
ティナの説明では、魔力弾をアンテナ代わりにして偽情報を流し続けてほしいそうだ。
他の機械を欺き、この戦艦には待機命令を受け取らせる……らしい。
ますます由利衣の立ち位置がよく分からないが。
まあ、できるのなら頼もしい限りだ。
再度スマホを取り出して、麗良へ電話。
「麗良、ご苦労だったな。
それで、また使って悪いんだけどさ。
黒澤だけ先にこちらに寄越してくれないか。
みんなは俺が一旦戻ってから……」
「先輩、モンスターなんですが」
モンスター?
あの機械と戦っていたやつらか。
「ああ、モンスターたちか。
大丈夫なのか?」
麗良は「はい」と答える。
「敵対の意思はなさそうです。
ただ、魔法使いを探してるとかで。
ちょっと来てもらえませんか?」
モンスターが、魔法使いを?
美柑のことか?
俺は振り返ってテーブルの方を見る。
アドラメレクと視線を合わせようとせず、必死で気配を殺している小柄な女性。
彼女に、一体何が。
魔界は、まだ分からないことだらけだった。




