第295話 魔界でのん気
俺たちはなんとか機械どもの追跡を振り切り、逃亡に成功した。
由利衣が見つけたのは、破壊し尽くされた都市の残骸。
その中で、最低限雨風をしのげるだけの原型を保った建物があった。
俺たちは、その三階建てのビルに駆け込んだ。
ここに逃げ込むにあたり、不自然な雨雲の発生はやつらの探索網にかかるだろうということで、途中からティナの光魔法による光学迷彩でステルス。
審判の能力の電磁波ノイズに加えて、梨々花の魔法で熱源反応の隠蔽まで駆使していた。
この二人がいなければ、開幕早々にして詰みだっただろう。
そしてこの都市を選んだ理由だが。
どうやら地下空間がありそうということ。
とりあえず探索は後回しの予定だ。
当然、ここに機械兵がいないかは気になるところだが。
ティナの索敵では今のところ大丈夫だろうと言う。
周囲を鬼蜘蛛の魔力糸と由利衣の結界で包み、簡易シェルターを形成。
ようやく落ち着くことができたのだった。
となると、さっそく作戦会議だが。
予想通りの儚げな圧。
さっきの戦闘では立っていただけとはいえ、これからはリズの能力もあてにしなければならないだろう。
補給は最優先だった。
炊飯の反応を感知されないよう、梨々花が熱と煙を散らす。
俺はここまで緊張感のある飯作りは初めてだが。
うちの冒険部メンバーと麗良とリズは厄災神の世界に放り込まれ、死の熱風の中でカルビを焼いていたような連中。
この程度はいまさらといった顔だ。
なんて頼もしいやつらなんだろうか。
そして、アドラメレク。
しれっと椅子に座って山本先生の淹れたハーブティーを啜っている。
バーボンをジョッキで一気飲みしそうな風貌なのだが、意外と健康志向な魔神なのだろうか。
来奈が遠慮のない声をかける。
「いろいろ助かっちゃったよー。
さすが大魔神じゃん。
そんで、ずっといてくれるの?」
アドラメレクは、「まーな」と返事。
「悪魔は一度交わした契約は遂行するもんだ。
暴食から『よろしく』と言われたら、よろしくするしかねえのよ。
……ま、俺にもメリットがないわけじゃねえから、
気にすんな」
暴食――。
どうやら、俺が思っていた以上の上位存在らしい。
しかし、アドラメレクは一言付け加えた。
「ただし、同じことは二度しなくてもいいってよ。
つまり、お前らがさっきの機械兵にぶち殺されても、俺は知らねえな。
それが案内人の仕事だ」
さっきは、チュートリアルとか言ったな。
何も知らない俺たちに手助けするのは一度だけ。
防げるのは、初手全滅エンドだけ……というわけか。
それでも、初回の手助けがなければ、俺たちはとっくに終わっていた。
ありがたいこと、この上ない。
アドラメレクのスタンスは分かった。
なら、いま俺が向き合うべきは――
目の前の“こいつ”だ。
「大将……」
リズの儚げな期待の眼差しが刺さる。
来奈もだった。
二人の魔眼は、太いうなぎに釘付けになっている。
さっきの俺の不用意な発言を、リズが忘れるはずもない。
うなぎを食うまでは収まりそうになかった。
イナンナの世界から帰還して、準備期間はわずか五日。
それでも、さえき亭のスタッフとフェリクスたちは、次の冒険に必要な食材三十年分と物資を揃えてくれていた。
……敵の強さよりも、リズにかかる食材のインフレの方が激しいかもしれない。
そんなことを考えながら、うなぎに目打ちする。
そのとき、リズがバッグを漁り始めた。
「滋養強壮に……」
そう言って差し出されたのは壺。
「魔女が四千年継ぎ足してきた、薬草と醤油にみりん……霊酒も」
いかにも、いかがわしい。
しかし、山本先生は受け取ると、砂糖を加えて煮詰め出した。
うなぎの背に包丁を入れながら、ギャラリーへと声をかける。
「たくさん仕入れてるからな。
アドラメレク……さんも食べるか?」
「呼び捨てで構わねえよ。
そうだな、人間の飯ってやつをもらおうかな」
俺はうなぎを開き、串を打つ。
蒸しと焼きは山本先生。
肝吸いと飯炊きは麗良へ任せた。
一方、ティナ、梨々花、由利衣、橘の四人と狸ツインズは、今後の対機械戦を想定した打ち合わせを始めている。
政臣は、第四層店のダンさん率いるITチームとリモートで何やら会議中。
グレイスは手持ち無沙汰にガムを噛みながら、肩のフェレットにドライフードを与えている。
どうやら山本先生から禁煙を言い渡されているらしく、アミルはそのことをえらく感謝していた。
俺たちに大切なお嬢を預けたのも、ひとえに山本先生の“教育”に感服したから……らしい。
そんなグレイスが、アドラメレクの前へどかりと腰を下ろす。
「お前、変なこと口走るんじゃないですよ」
喋ったのは、グレイスに憑依した気狐だ。
「うるさいね。 いつ私が変なこと言ったよ」
……自覚はないのか。
思わず、俺まで緊張が走った。
グレイスはアドラメレクのサングラスをまっすぐ見据えた。
「で、ここのボスはどこのどいつだい。
いるんだろ?」
通常の階層にはボスモンスターが配置されている。
その質問は、特段おかしなものではない。
少し想像してみた。
あの機械どもの親玉……。
宇宙人?
マザーコンピューター?
怪しいマッドサイエンティスト?
アドラメレクは、ハーブティーを一口。
「そいつは難しい質問だな」
カップを静かに置く。
「やつらは群れみたいなもんだ。
何かをぶっ潰せばクリア……ってわけには行かねえと思うぜ」
グレイスは「ふーん」と鼻から息を吐いた。
「まあ、そういう知的な攻略も嫌いじゃないよ。
で、何でモンスターじゃない連中がダンジョンにいるんだい?」
いきなり核心に切り込んできた。
来奈は、「でもさー、あれ倒しても魔石ないし、おいしくなくね!?」と、まるで別のことを気にしていた。
アドラメレクは一言だけ。
「もう使わないものだって言っただろ。
精霊もいろいろ試行錯誤してんのよ」
そして、来奈へと顔を向けた。
「お宝ねぇ……どうだろうな。
あいつらのボディに使われてる希少金属や合金、半導体。
動く鉱山みたいなもんじゃねえの?」
来奈には、まだピンと来ていないようだった。
だが、俺には分かる。
あれだけのテクノロジーは、現代文明のさらに先を行っている。
未知の金属。
未知の加工技術。
……もし、その恩恵を持ち帰れるとしたら。
そして、さすが上位魔神は来奈のツボも分かっていた。
「魔法使い向けのお宝もあるはずだぜ。
せいぜい頑張んな」
ニヤリと笑うと、来奈の顔が輝いた。
俺はその様子を見ながら、うなぎに包丁と串を入れていく。
その横では、山本先生から焼き上がった蒲焼きを受け取った麗良が、十八号サイズの業務用すり鉢へ飯を盛りに盛る。
うなぎを乗せ、タレをかけ、山椒の粉を散らす。
リズの前にドンと置いた。
来奈の視線に気づいた麗良は、にこりと微笑む。
「次ね。
御重と丼ぶり、どっち?」
丼ぶりのリクエストを受けると、これで凌げと骨の唐揚げを来奈に与える。
ボリボリと小気味よい音が廃墟に響いた。
「姐さんとおじさんも、いっとく?」
唐揚げの皿をアドラメレクの前に置くと、三重奏になった。
グレイスはまだ納得していない顔だ。
「使わないものねぇ。
上位魔神が認めた者しか来れない世界だって言うじゃないか。
そこまでのものなのかねえ」
十分ヤバい世界だということは分かった。
だが、それだけでここまで冒険者を遠ざける理由になるのか。
もう使わないと言うが。
こういう世界観を好む冒険者だって、少なくないはずだ。
わざわざ閉ざしてしまう理由が、俺にはまだ分からなかった。
しかし、アドラメレクは、それには答える気がないようだった。
「どうだろうなあ。
俺は来たいなら入れてやればいいんじゃねえか、って思うけどな。
……まあ、俺のものじゃねえから」
そう言って、骨の唐揚げを一つ摘まむ。
「いけるな、これ」
そして、さりげなく話題を変える。
「お前、仙狐か。
魔法使いとくっついてるなんて、珍しいこともあるもんだな」
グレイスに憑依している気狐が口を開く。
「好きでいるわけじゃないですー。
まったく、九尾様も物好きですから」
アドラメレクは軽く笑う。
「まあ、俺と違って暇なんだろうな。
深層の店なんて、誰も来ねえしよ」
そう言って世間話を始める。
そのうちに、続々とうなぎが焼き上がり、全員での食事の時間となった。
***
俺と山本先生と麗良は、リズと来奈に給餌しながら話に加わる。
目の前には、うなぎに舌鼓を打つ魔法使いと魔神。
グレイスは初めての食体験だったようで、おかわりを求めてきた。
箸の使い方は、由利衣が教えていた。
橘は鰻重を少しつまむと、熱い茶を一口。
「ダンジョンでこないな美味しいものが食べられるなんて、ほんによろしおすなあ……」
食べ方にも品がある。
右隣ではリズが十八号サイズのすり鉢に盛られた五杯目の飯を儚げに流し込み、左隣の来奈も、大盛りの鰻丼をモリモリかき込んでいた。
ティナが肝吸いに口を付けながら、政臣を見た。
「それで、プロデューサーさん。
行けそうなの?」
その言葉に、小さく親指を立てる政臣。
事情が飲み込めない俺に、由利衣が説明してくれた。
「ティナさんとシンクロすることで、電磁波の索敵レーダーを女教皇の魔眼で扱えないかなって。
それはできたけど、アプリの対応が」
「ダンさんたちの回答は、“五時間待ってくれ”ですよ。
それまでにはベータ版まで持っていくからって」
政臣はさらりと言って、蒲焼きに箸を入れる。
由利衣の索敵レーダーの結果をスマホやスマートグラスで確認するための、アプリアップデート。
それがあれば、心強いどころではない。
それにしても、魔界で携帯通信網が使えるとは。
いまさらツッコミを入れる気にもなれなかったが、あっちの機械文明にも勝るチートがあるとすればこれだろう。
そして女教皇の能力も、もはや俺の理解が追いつかない領域まで尖ってきていた。
だが、電磁波のレーダーは地下に潜む機械の探知は難しいという。
そこで、その穴を塞ぐのが鬼蜘蛛。
範囲は一キロ四方と狭いが、地中も数メートル程度ならカバーできるらしい。
ティナと由利衣と橘の三人索敵チームが、今回の俺たちの生命線なのだ。
来奈は、理解しているのかどうか分からないが「はー」と感心した顔。
「橘さん、めっちゃ頼りにしてるからさー。
うなぎもっと食べなって」
橘は、はんなり微笑む。
「おおきに。
うちは戦闘はさっぱりやさかい。
星のSSR、頼りにしてますからに」
その言葉は謙遜だな。
今回、鬼蜘蛛以外にも橘家の式神を連れていると言った。
当主である父親は、門下不出の式神を持ち出すことに最後まで反対していたらしい。
それでも橘は、魔界の強力な式神を得るための投資と説き伏せたという。
さすが、歴代最強の呼び声は伊達ではない。
来奈は、ワクワク顔を隠さない。
「他にもいるんだよね?
あと、ここに封印されてるとかいうやつ!!」
再び箸を取る橘は、ぽつりと一言だけ。
「そうやね。それを確かめたいんよう。
……うちの御先祖さまが、来たらしいんやわ。ここに」
皆の箸が、ぴたりと止まった。
アドラメレクが、サングラスを上げた。
悪魔の瞳が橘を捉える。
「お前……あいつの。似てねえな」
それだけ言って、サングラスをかけなおした。
うなぎを頬張る。
食いついたのはティナだ。
「何それ、じゃあ機械とか知ってたんじゃないの?」
すると、その質問に橘は軽く頭を横に振る。
「詳しいことは、残っておまへん。
魔界には、多数の式神がおるとか……うちが探しとる“前鬼”と“後鬼”も伝わっているのは名前くらいですからに。
けど、わざわざ御先祖さまが書き残してはるくらいやさかい。
えろう強力なんやろなあ」
アドラメレクは何も言わず、飯をかき込んでいた。
結局のところ、魔界が何かは橘家の人間も知らないのか。
情報は失われたか、またはそのご先祖があえて核心に触れるのを避けたか。
それは分からないが。
すると、グレイスの口から盛大なため息が漏れた。
気狐だ。
「お前ら、式神が目当てだったですか。
物好きな連中ですー。
なんであんなものをわざわざ……」
そこまで言ったところで。
「……まあ、イカれ連中はいまさらですかー」
と、急に言葉を切った。
「なんだい、お前。意味深な含みを持たせるんじゃないよ」
グレイスが文句を飛ばす。
だが、気狐は口を開かなかった。
その様子に、しばしシン……となる。
その沈黙を破ったのは梨々花だ。
箸を置き、由利衣を見た。
「それで、ここに何かがいるのよね。式神だと思う?」
由利衣は「どうかな……」と小さく呟く。
そして、俺へと顔を向けた。
「地下に魔力反応があります。
モンスターか、式神かはわかりませんが……その数は五百ほど」
多数の魔力反応を探ってここにきたのだ。
機械の次はモンスターか。
こっちは魔法使いが十一人。
相手は五百。
だからこその、リズの補給だ。
ちらりと、十三杯目の飯を流し込む儚げな姿を見る。
……まあ、ここまで来て何も冒険しないわけには行かないだろうな。
「そうだな、その地下を確認するか。
その前によく休んでおけよ」
すると、肝吸いを啜るアドラメレクがグレイスに話しかけた。
「狐、お前どう思うよ。
イカレてるくせに呑気な連中だよな、おい」
口を開かない気狐の代わりに、グレイスが問いただした。
「どういう意味だい?」
「もう始まってるのに、気づいてねえからだよ」
そのとき。
ティナが席を立ちあがる。
「敵襲!! 十キロ地点に飛行体!!」
大急ぎで炊飯の火を止める。
政臣は鷹のゴーレム人形を窓から飛ばす。
明かりを落とし、ゴーレム人形の撮影する映像を手元のスマホで注視する。
……何が起こるというのか。
俺たちの痕跡は消してきたはずだが。
息を殺す俺たち。
やがてスマホの画面に、それが移った。
巨大戦艦。
空飛ぶ鉄塊という表現が適切だろうか。
飛行ドローンを多数引き連れて、空を覆う巨体が飛ぶ。
ティナが小さく声をかける。
「大丈夫よ。哨戒でしょ。
やり過ごせば、どうってこと……」
その言葉は、大音量の絶叫にかき消された。
俺たちの声ではない。
あの巨大戦艦からだ。
「いっ!! いだぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!
たすけて!! たすけてええっ!!」
全員の表情が固まる。
予想外の異常状況に、思考が痺れた。
だが、それもほんの一瞬。
視線がアドラメレクに集まる。
魔神は小さく肩をすくめた。
「まっ、命が惜しいならこのまま大人しくしてることだな。
分かるだろ? あのアピールがただごとじゃねえってことくらい」
アピール……だと?
何が、どうなっているんだ。
由利衣が声を潜めて、けれども緊張を含んだ声を放った。
「地下の魔力反応が、動きます」
あいかわらず、何一つわからない。
だが、この世界の異常性が薄皮を剥がすように、俺たちの前に姿を現そうとしていた。




