第289話 世界樹の禁忌
八重歯を見せて呑気に昼寝するマルグリットを起こす。
「おー、準備完了か?」
すっかり出来上がっている。
こんなので大丈夫なんだろうか。
すると。
「なあ、ユリィあれ頼む」
マルグリットは由利衣へと声をかける。
差し出されたのは透明な瓶。
中には、えも言われぬ色の液体。
……なんだ、この毒殺用のアイテムは。
俺の懸念には構わずにマルグリットはそいつを嬉しそうに受け取ると、蓋を外す。
鼻を突く硫黄のような刺激臭と、ケミカル臭が立ち昇った。
瓶に口をつけようとした酔っ払いを、思わず制す。
「なあ……
ヤバいんじゃないか、それ」
「何がヤバいんですか、コーチ?」
由利衣の視線を感じる。
次の言葉を探していると、淀みなく浴びせかけてきた。
「解毒と気付け効果のお薬。
お酒を飲んだ後も安心して冒険できるように、さえき亭で販売しようかなって。
マルグリットさんには、モニターをお願いしていたんです」
すかさず梨々花の「服用は自己責任で」の声。
「なあ、黒澤……」
「コーチもひとついかがですか?」
そう言って、俺の目の前にもう一瓶突き出してきた。
「……俺は飲酒していないからな」
ささやかな抵抗に、由利衣はふわりと笑う。
「気分がスッキリしますから。
大事な一戦の前に、キレを良くして行きたいですね」
マルグリットは目を離した隙に一気飲み。
「お、いいじゃん。
パッションフルーツか?」
味にこだわるなら、見た目と香りもなんとかして欲しいところだ。
「さ、どうぞコーチ」
俺の手には、禍々しい色の液体が入った瓶。
由利衣から目線を離し、妹弟子へと声を向けた。
「なあ、麗良はどうだ?
最近、疲れ気味だったからな」
しかし、麗良はスマホに目を向けたまま、こちらをちらりとも見ない。
「私は大丈夫ですから。
それ飲んで、ちゃっちゃと行きますよ」
……くそ。
俺は蓋を外し、一気にあおる。
中身だけアイテム袋に転送。
大きく息を吐き、笑顔を作った。
「いいな、黒澤。
パッションフルーツの甘酸っぱい味わい」
「そっちは、バナナ味なんですけど」
疑惑に揺れる由利衣の瞳が眼前に迫る。
「…………ちょっと風邪気味なのかな」
すると由利衣は、蛍光ライムグリーンの液体が入った二リットルペットボトルを取り出す。
「風邪に効きますから」と、そっと握らせてきた。
結局、飲み干すまで喉の動きをガン見されて解放されることはなかった。
***
スマホのアプリ画面を開き、キスキル=リラのチャレンジを選択。
すると、玉座の前の広間に転移陣が現れた。
全員でその上に立つと、転送が始まる。
転移した先は暗闇。
ダークゾーン……ではない。
空には小さな星の明かり。ここは夜の世界のようだ。
すかさずティナが光弾を打ち上げた。
上から照らす光に浮かび上がるのは世界樹の巨大なシルエット。
そして、さっそくやってきた配下のモンスターの群れ。
地中からは続々と蛇が湧き出し、空には梟が飛来している。
蛇は体長十メートルほど。
梟にいたっては、羽根を広げると十五メートルはあるかもしれない。
それが次々と出現。
即座に、事前に決めた編成を組む。
対魔法防御を持つ蛇には、以下のメンバーが対処。
山本先生がリーダーだ。
山本先生
来奈
由利衣
アリサ
宵烏
一方の、対物理防御を持つ梟には以下のメンバーが向き合う。
麗良
梨々花
グレイス
ティナ
マルグリット
暁鶴
麗良は魔法剣士で飛翔魔法も使える。
まだ星上げ後のレベル上げは充分ではないが、リーダーを任せられるのはベテランの彼女しかいない。
なお。
俺とクラリス、リュシアン、リズ、政臣は世界樹に突撃。
聖王のパーティもだ。
キスキル=リラは世界樹の中腹に居を構えているという。
配下モンスターの殲滅チームと、対ボスチームに分かれて戦うのだ。
アリサの力の魔眼と、由利衣の女教皇の魔眼が輝く。
全員のステータスが跳ね上がり、強固な防御結界に包まれた。
俺たちボス攻略チームは、配下には一切構わずに世界樹へ向かって駆ける。
さっそく蛇が迫ってくる。
だが、村正を抜くまでもなく目の前の蛇の頭が破裂。
たちまち光の粒へと消えた。
右拳を輝かせた来奈と、一瞬だけ目が合う。
小生意気な顔に、俺は「さすがだな」と一言だけ。
来奈はニヤリと口元を上げると、次の獲物を求めて消えた。
まったく。
まあ、あいつは調子に乗っているくらいがちょうどいいだろう。
そして、上空の梟。
梨々花がセトのウアスを振るい風刃嵐を巻き起こすと、次々と切り刻まれていく。
グレイスが「おい、こっちに来ないじゃないか」とクレームを飛ばす。
梨々花は、やれやれと言った顔。
「先生たちが世界樹へと辿り着くまでですよ……
こんな大規模な嵐は続けていられませんから。
その後は、存分にどうぞ」
グレイスは鼻を鳴らすと、「それじゃあ、それまでこっちで遊ぶよ」と蛇に飛び掛かる。
アリサは山本先生の側で、朗らかな声を上げた。
「ヴァジュラ、カッコイイですよねー。
でも、私も良いの手に入れちゃったので」
そう言って、手にしたブリューナクに魔力を込める。
これは、〇国から獲得したお宝。
アリサは元々、イタリア政府からロンギヌスを貸与されていたが、好き勝手にデコれないからという理由で自分の槍を求めていたのだ。
そのブリューナクが輝きを帯びると、アリサの右手から離れる。
一筋の光と化し、蛇をまとめて貫くと手元に戻ってきた。
手元へ舞い戻るや否や、再び光となって飛ぶ。
その隙を突いて蛇が襲い来るが、アリサの左腕には、いつの間にか魔力の小盾が形成されていた。
その盾に蛇が激突すると、攻撃の威力をそのまま反射。
蛇は吹き飛び、光の粒となった。
山本先生が見つめる中、アリサは得意顔。
「騎士に変身しなくても、イージス出せるようになったんです。小さいけど」
フッと微笑む山本先生。
「悪魔の国チャレンジのときは、自分の能力は地味だなんて言ってたのに。
映えてますよ」
戦場に、笑顔が交差した。
***
俺は後方をちらりと振り返り、クラリスへと声をかけた。
「アリサ、なかなかやるじゃないか。
攻撃も防御も隙がなくなってきたな」
クラリスは「まあな」と頷いた。
「最近は魔力制御も悪くない。
アレをグッと入れてバッとできるようにもなってきたぞ」
何を言っているのかは分からないが、こいつなりに褒めているようだ。
そうこうしているうちに、俺たちは世界樹フルップの幹へと辿り着いた。
「中腹って言っても、どうやって……」
目の前には壁のような大樹。
まさかクライミングしろというわけでもあるまい。
そっと幹に触れようとした。
そのとき。
「やめとけ」
後ろからかかった声に振り向く。
「入江……じゃなかった、隠神刑部。
お前、紛らわしいな。
せめて色違いとかにしてくれよ」
思わず文句をつける。
だが、狸来奈は俺の言葉を無視して「世界樹に触れるんじゃない」と言葉を続けた。
「どういうことだ?
……そもそも、キスキル=リラがいる中腹ってのにはどうやって行くんだ」
狸来奈は、遥か上空を見上げる。
「それはわからん。
が、世界樹に共通していることは、守護者の許可なく触れることはまかりならんということ。
親切で教えてやってるんだ、ちっとは感謝せい」
第四層のイシェドは、リズが“樹の竜”を新たな守護者に据えているから触れることができるのか。
そして、その言葉はクラリスの好奇心を刺激したようだ。
「なあ、触れるとどうなるんだ?
ちょっとだけやってみてくれ」
そう言いながら、モヒカンのウサ耳の腕を引っ張る。
「なんやねん。
イカレたやつしかおらんのか!?」
世紀末的ビジュアルにイカレ認定されるとはな。
しかし、ここで立ち往生もできない。
配下のモンスターは引きつけてくれているが、梨々花の嵐も長時間の使用は負荷がかかりすぎて危険だ。
俺はリズを見る。
女帝の魔眼。
その瞳に宿る精霊は、世界樹の護り手だというが。
リズは俺の視線に気がついたようだ。
「そうですね。
呼びかけてみましょうか」
そう言うと、魔眼が輝いた。
黄金の光が、夜を照らす。
まるで脈動するように瞳の光が揺らめくと、世界樹がそれに呼応するように淡く光った。
リズは何かに導かれたかのように、ゆっくりと世界樹へと近づく。
そっと右手を伸ばした。
「おい……」
触れるのはダメなんじゃないのか?
リズの指先が幹に近づいていく。
俺は止めるべきなのかどうか逡巡していた。
振り返ると、狸来奈は腕を組んで悠然とした顔。
女帝の魔眼なら、ありということだろうか。
そして、クラリスはワクワクした雰囲気を隠そうともしない。
リズの指先はあと数センチまで迫る。
魔眼の光は眩しいくらいに強くなっていた。
そして、軽く触れた。
そのとき。
俺たちの眼前いっぱいに、巨大な円形の魔法陣が出現。
それは次第に鮮やかな輝きを放ち出す。
そして、魔力のオーラが時計回りに渦を巻き始めた。
リズが吹き飛ばされないように、肩を強く引いて下がらせた。
クラリスの顔が急に引き締まる。
「おい。まずいな、この魔力……
やはり相当な禁忌のようだ」
そこに、狸来奈の声。
「だから言ったじゃないか」
だったら、思わせぶりな雰囲気を出さずに止めてくれ。
クラリスが言うように、これは尋常じゃない。
魔法陣は妖しく光り、魔力の奔流が不吉に回転する。
――退くべきか?
だが、リズは動じない。
右手を世界樹の魔法陣に向ける。
その左手はマジックバックを漁る。
「大将、お願いします」
取り出したのは、業務用ホイップクリームの紙パック。
あれだけ餃子を喰って、もうカロリーを必要としているとは。
俺は紙パックを受け取り、ストローを突き立てた。
リズは儚げに吸引しながら魔眼を光らせる。
「……このまま解析します。
もっとカロリーを」
さっそくクラリスは自身のバッグから謎の干し肉を大量に取り出し、リズの口元に次々と投下。
「さすがは女帝。
なかなかの咬合力だな……たんと喰え」
妙なところに感心しながら、干し肉を咥えさせる。
俺はリュシアンと聖王たちを見る。
「ここは、やるしかないな。
リズ、オーダーをくれ」
「そうですね、とにかく燃えるものを」
そう言いながら、リズは解析と同時に食に思案を巡らせる。
クラリスは、その口元にそっとハンカチをあててやる。
「……ナッシュビル風ホットチキンで行きましょう」
鶏肉を揚げた後、スパイスを混ぜた熱いラードに漬け込む。
カロリーの暴力。
クラリスが切羽詰まったような声を上げた。
「代謝を上げることで、差し引きカロリーゼロではないのか!?」
それは大丈夫だろう。
というか、なんだこのやり取りは。
とにかく時間がない。
アイテム袋からキッチンセットを展開。
「ウサ耳のお前ら、鶏肉の捌きだ。
リザードマンは下味、偽の入江は衣。
リウ、しっかり指導してくれよ。
俺はフライでリュシアンはラード漬けだ」
さっそく各自の持ち場につく。
その間も、クラリスは干し肉を投下。
ホイップクリームとともに、ガンガン消費されていく。
「……大将、抑えるので精一杯です。早く」
分かっている。
世界樹の前で油に点火。
政臣はカメラを固定し、バンズを焼き始めた。
サンドか……この男も、なかなかできるようになってきたな。
ボス攻略チーム一丸となって、破滅へのカウントダウンに立ち向かうのだ。
政臣は軽快な声を飛ばす。
「リズさん、マヨだくいっちゃいます?」
「バターとチーズも……」
三重奏とは、恐れ入った。
そして、干し肉が尽きる寸前にホットカロリーの供給が開始された。
女帝の魔眼の輝きと、巨大魔法陣の輝きが夜の世界を煌々と照らす。
――いろいろ気になることはあるが。
あの魔法陣。
外縁に、俺にはよく分からない文字がびっしりと並んでいる。
それが時計回りに、一つずつゆっくりと輝きを増していく。
現在はおよそ九時のあたりまで光が来ている。
十二時に到達して一周したら?
リズが抑えているおかげで点滅はゆっくりだ。
しかし、確実に灯っていく。
……とにかく、手を動かすしかない。
鶏肉がぶつ切りになり、下味と衣が付けられ、熱々に揚がってラードに浸かる。
最後にダメ押しのマヨバターチーズサンド。
それをクラリスが口元に運ぶ。
光は十時を回った。
リズは小さく呟く。
「世界樹は何のために……
精霊は冒険者に何を求めているの……
魔法使いとは……」
儚げな咀嚼は続く。
彼女の問いかけに、魔法陣の光は何も答えない。
鶏肉に衣をつける狸来奈がボソリと言う。
「おい、ここで全滅はシャレにならんぞ」
途端に聖王の配下がざわつき出す。
和尚と呼ばれている巌のような筋肉のウサ耳が、ダンっと鶏肉を叩き切った。
「ボス……あんただけでも」
しかし、リウは小さく首を横に振って鶏肉に小麦粉をまぶす。
「あのな。腹減ってるやつに飯を作ってる最中だろ。
魔王軍は三食腹いっぱい、週休二日、給料は毎月二十五日だ」
その言葉に、俺の口元は緩む。
狸来奈の言う通り、この魔力はただごとではない。
向こうで戦っているやつらも巻き込まれるだろうな。
――だが。
あいつらなら、俺たちに命を預けてくれる。
それが戦闘魔法使いのパーティ戦だ。
そして、ここに王の器がいる。
そいつが逃げないなら、退けるわけがなかった。
光は十一時を示す。
……おおよそ、あと五分か。
俺は狸来奈へと声をかける。
「別に付き合う義理はないんだぜ。
深層には眷属も大勢待ってるんだろ?」
「義理ならあるだろう。
お前らに死んでもらったら、ワシのビジネスはどうなる」
衣をつける手を緩めずに言う。
「それに、だ……」
少しだけ妙な沈黙が流れた。
狸来奈の口が再び開く。
俺の目を真っすぐに見るその瞳が、魔法陣の妖しい輝きを照り返す。
思わず背筋が粟立った。
「もっと“熱”を見せてみろ。
ダンジョンを、世界を回せ。
こんなところで終わることは許されないのだ」
……いまのは、隠神刑部か?
意識を奪われかけた俺に、リュシアンの声が飛んできた。
「料理長、最後まで追い込みですよ!!」
我に返った俺の目の前に、衣のついた鶏肉のバットが差し出された。
「ぼやぼやするな。
さっさと、こいつのカロリーを育てろ」
狸来奈が言い終わらないうちに、ひったくるように手に取る。
一切の無駄のない動きで油に投入。
ジリジリと時間が過ぎる。
リズの解析はどこまで進んでいるのか。
「なあ……」
と、言いかけて口を閉じた。
確認に意味があるのか。
それよりも、目の前でカロリーを膨らませていくこいつに全力で向き合うのだ。
そして、リュシアンへとパス。
ラードをたっぷりと沁み込ませ、さらに凶悪に。
「いきますよ!!」
リュシアンは政臣に声をかける。
既にバンズは準備完了だった。
マヨバターチーズでコーティングされたそれが、リズの口元に運ばれる。
彼女は流れるように胃に収める。
カロリーの燃焼と同時に、魔法陣が消失した。
……助かった、のか?
さきほどまで夜を染めていた魔力の奔流は、跡形もなく消えている。
俺の目の前でリズは大きく息をついた。
そして、世界樹に歩み寄って幹に触れた。
今度は何も起きない。
「そう、案内してくれるのね」
リズはその一言の後、俺たちへと振り返る。
右手は世界樹に触れたまま、左手を差し出してきた。
「大将、私の手を。
そして、皆さんで手をつないでください」
俺たちは、全員で手をつなぐ。
ちらりと遠くに目をやると、まだ戦いは続いていた。
「頼むぞ……」
そう呟いた瞬間、俺は――いや俺たち全員は転移。
かくして、カロリーを得た女帝の力は禁忌に打ち勝つ。
隣り合わせの破滅を乗り越え、俺たちは次へと進むのだった。




