エピローグ 攻略しました。
今までの雰囲気をぶち壊します。ある人がすごく人として非道です。
ヤンデレなどが苦手な方は回避推奨です。
薄暗い階段を下った突き当たり。そこには鉄でできたドアが存在する。そのドアの鍵穴に、男がポケットから取り出した鍵を差込みぐるりと回すと、鍵穴の奥でガチャンと開錠された音が聞こえた。
男は鍵を引き抜きポケットの中に丁寧に仕舞うと、少し重いドアをギギギと音を発しながら押し開けた。
中は外よりも暗く、外側の光が中に吸い込まれていく。光が差したことで闇の中に何か盛り上がっている物体が見える。
「よう。元気か?」
その物体――手足を鉄の枷で拘束され、体には太いロープのようなもので全体を覆い隠すように巻かれ横たわる青年に、男は高揚のない声で話し掛けコツコツと音を立てながら暗闇の中に入る。ここから出ようと必死で暴れたのであろう荒んだ様子の青年は目をゆるゆると揺らしながら男に向けるが、その目から正気を感じられない。
「……元気、なわけないか。そんな状態だしな」
男が声をかけても青年からは返事が返ってこない。当たり前だ。青年は口に布の猿轡を噛まされ、声が出せないように塞がれているのだから。
男も声をかけた後はなにも言わず、その場をなんとも言えない奇妙な空気が満たしていく。
「あっれー? 先輩? ドアが開いてるけど何でかなーって不思議に思っていたんですけどー、先輩がいたからだったんですねー」
その空気の侵食を止めるかのように、その場に新な声が響き渡った。先程の妙に間延びした声では不釣り合いに感じる、どう見ても不良の格好をした青年がドアからひょっこりと顔を出していた。背格好から彼の年齢は男と倒れている青年と同じくらいだと思われるが、男のことを『先輩』と呼んでいるためいくらか年下なのだろう。
「お前が来るなんて珍しいな」
突如現れた後輩に男は特に動揺したようすもなく声を掛けた。声を掛けられた後輩も横たわっている青年を見ながら悠々と中に入り、男の特に知りたいわけでもない疑問に答える。
「もう少しで“あの子”の捕獲が完了するのでー、願掛けに来たんですよー」
「へぇー、お前の方はもう少しで終わるのか。最後の詰めまでしっかりやれよ」
後輩の言う“あの子”に身に覚えがあるのか、男は納得したように頷く。後輩が『分かってますよー』と笑うのを見て、男は穏やかに微笑んだ。しかし、何か思い当たることがあったのか、その顔に今度は苦笑を浮かべる。
「それにしても、お前に目をつけられるなんてな。“あの子”も可哀想に……」
「その言葉、先輩にだけは言われたくありませーん」
男はわざとらしく右手で口元を覆い目を伏せた。“あの子”に心底同情しているような表情を作られ、後輩は口を尖らせ言い返す。
「先輩の方が酷いじゃないですかー。彼女を手に入れるために自分がした悪行を、彼がしたかのように見せかけるなんてー。しかも、役目が終わればそのことがばれないように監禁するとか、人として最低だと思いまーす」
「人聞きが悪いな。俺はただ、彼がしたことにかさまししただけだ」
男が初めて彼女を見たのは、ゲームのヒロインが副会長を攻略している時だった。
生徒会のイベントで副会長とヒロインと一緒に屋上に来ていた時、男はふと視線を感じた。視線を感じるほうをそれとなく盗み見ると、彼らには死角になる柱の影に一人の女子生徒が隠れているのが見える。
女子生徒? ……モブキャラ、にしては顔立ちが……。
彼らは乙女ゲームの世界の人間で、モブキャラたちが主要人物たちの恋愛模様を監察しているのは知っている。だから、普段なら気にせず自分の役割をまっとうするのだが、今回はどうしても話に身が入らない。思考がすぐに女子生徒のことに飛んでしまうのだ。
モブキャラから観察されるのは日常だっただろ? 何で、気になっている? 彼女が屋上にいたからか?
この屋上は一般生徒の立ち入りは禁止されており、いつもは鍵が掛かっている。現に彼らが屋上に入ってきた時も職員室に寄って鍵を借り施錠したので、彼らが来るまでは鍵が掛かっていたのは間違いない。男は屋上に入ってからドアが開くのを見ていないため、彼らよりも後から入ってきたという説は消える。つまり、女子生徒は既にこの屋上に来ており、鍵を閉めて待機していたことになるのだ。
しかし、深く考えようとしている間も、どうしても女子生徒から視線をはずせなかった。そこで固められたようにびくとも動かないのだ。あまりにも見続けていれば女子生徒にも気づかれてしまう。そう思うのに視線を逸らせない。
そこでようやく男は気が付いた。本当に気になっていたのは女子生徒がどうやって屋上に入ったのかという疑問ではなく女子生徒本人だ、と。
女子生徒はその顔に何の表情も浮かべていなかった。
今まで彼らを観察していたモブキャラたちはニヤニヤと憎たらしい笑みを顔に貼り付け、無遠慮にじろじろ嘗め回すように見つめてきた。曲がりなりにもここは乙女ゲームの世界だ。そのため比較的モブキャラにも美形が多いが攻略キャラクターは群を抜いている。男も漏れることなく飛びぬけて整った顔立ちをしており、そのような視線を向けられるのも仕方がない。それなのに、彼女は無表情でじっとヒロインの様子を窺っているだけ。むしろ、見る人によっては睨んでいるようにも見えるかもしれない。
男が女子生徒についての考察を繰り広げていたら、副会長を攻略するに当たって大切な『袖のすそを掴む』か『抱きつく』という選択肢の場面に来ていた。
副会長は『人に触られるのを嫌う』という設定を持っている。そのため、好意を寄せているがまだ完全に落とせてはいない今、抱きつくことは御法度だ。ここは『袖のすそを掴む』が正解。
この分岐点で間違ってしまうと、バッドエンドが確定し、それに向けてずんずん突き進む。しかもここの選択肢で間違えてしまうと、副会長のバットエンドの中で一番長いストーリーに行ってしまう。途中終了ができないこの世界で、バッドエンドに時間をかけてしまうのは勿体ない。
ここはヒロインには正しい選択肢を選んでもらいたい。
そう思いながらも、男には一抹の不安があった。『ヒロインは攻略が下手』という噂だ。
男は実際にヒロインが攻略をしているところを見たことはないが、副会長の前に攻略していた双子の兄の時は十三回もバッドエンドを向かえていたのは知っている。ノーマルエンドとハッピーエンドを合わせると、双子の兄だけで十五回もエンドを見ているのだ。これを噂だと片付けてしまってもいいのか、男には判断がつかなかった。
どちらの選択肢を選ぼうかと、考えるために動きを一時停止していたヒロインが動きだした。副会長の目をまっすぐに見つめながら、ゆっくりと足を踏み出し副会長に近づく。
歩きながら、副会長の左手を掴もうとしているのか右手を前に伸ばした。
今回は正解を選べたか、男がそう思った瞬間。
「きゃぁあ!?」
ヒロインは何かに足を取られ、副会長に盛大に抱きついた。副会長も急に倒れてきたヒロインに狼狽えたようだが、それでもしっかりと受け止める。
「え!? ちょっと! 何でバナナ!?」
「……さっさと離れてくれるかな。転ぶふりをして抱きついてくるような卑怯な知り合いを持った覚えはなかったんだけど。あなたがそんな人だなんて知らなかったな」
「……え?」
突然、副会長から冷たくあしらわれ、ヒロインは目を大きく開き固まる。数秒ほと訳がわからずきょとんとしていたが、徐々に顔が青くなっていく。自分が間違った選択肢を選んだことにやっと気が付いたようだ。
ヒロインはきちんと正解を選ぼうとしていた。しかし、結局間違った選択肢を選んだことになってしまったのだ。バナナの皮で滑ったせいで。
「いや、違うの! わざとじゃないの!! ねえ、信じて!?」
「浮気をしたのがばれたのような台詞だね。ますます信じられないな」
「そんなっ!?」
ヒロインが一生懸命弁明しているのを見て、男は滑稽だなとヒロインを嘲笑った。ふと視線を先程の女子生徒の方へとずらすと、男の視界に入ってきたものは先ほどから寸分の狂いもない完璧な無表情を貫いている女子生徒の姿だった。バナナの皮で滑って転びかけるというヒロインのアクシデントにたいし慌てるでもなく、最初から知っていたかのように反応を示さない女子生徒に、男は興味が膨れ上がっていくのを感じた。
彼女がバナナの皮を用意したのか。
そう確信した男は、まだ納得していない様子のヒロインのことなど無視するようにイベントが終了すると、ヒロインと副会長と一緒に屋上から立ち去るふりをして、女子生徒がいるところからも屋上のドアからも見えない隙間に体を滑り込ませた。
程なくしてヒロインと副会長の足跡が遠ざかり聞こえなくなると、女子生徒はキョロキョロと辺りを窺いながら柱の影からこそこそと姿を現し、そのまま屋上のフェンスの近くまで歩くと、次第に肩が揺れだし、女子生徒は壮大に吹き出した。
「ぶはっ!! ヒロイン! ヒロインがっ!! バナナの皮で転けるとか! バナナの皮のせいで選択肢を間違えるとかっ!! もっと足元も見ようよ! 美形にばかり目がいってるから、バナナの皮が見えないんだよ!! あはははは! あー、お腹痛い」
目じりいっぱいに涙をため腹を抱えて笑う女子生徒の姿を男はただ呆然と見つめる。女子生徒のその笑い方に男は衝撃を受けていた。数分後、気が済むまで笑いようやく笑いを引っ込めた女子生徒はフェンスに手をかけ遠くを見据え、何かに耐えるように言葉を吐き出した。
「ここは乙女ゲームの世界? だから攻略キャラはヒロインに攻略されるしかない? ――――はっ! そんなの知るか! 私にとってはここが現実なんだよ! 攻略キャラだから攻略されないといけないとかそんな運命ぶっ壊してやる!!」
あぁ、あの時のミケみたいだ……。
身を乗り出して思いのたけを叫ぶ女子生徒の姿が男の記憶の中に存在する、従兄弟の家で飼われていた猫の姿と重なる。ゲームの世界であるため同じ一年間をループし続けているだけで、実際にはこの記憶もゲームの攻略に関係があったために創られた、偽りの記憶なのだろう。それでも男にとっては根強く染み付いて離れない記憶だった。
その猫は寄ってくる人間にたいし脅えているのを隠すように拒絶する。猫の飼い主である伯父や伯母、それから従姉にも懐かなかった。男も餌を与えて懐かせようとしたがいつも毛を逆立てて威嚇された。たまに引っ掻かれた経験もある。そんなミケだけど、従弟には擦り寄りお腹を見せて甘え、別の猫のように懐いていた。それがなんだか男にとっては面白くなく威嚇されても引っかかれても餌を与え続けた理由だった。全てを拒絶するのに一つの“特別”な存在だけは許容する。男もその猫の特別になりたかったのだ。
あぁ、彼女もミケのように何かに脅えているのだろうか。精一杯の虚勢を張り威嚇して、自分の心を守っているのだろうか。
女子生徒が叫んでいるのを見て男はそのように思っていた。
そして、ミケの特別にはなれなかったけど今度こそ自分が彼女の“特別”になりたい、そう思った。
そう思ってからの男の行動は早かった。身を隠していた隙間から出て女子生徒と会話をし、彼女が『モブキャラだけど攻略できちゃうよ!』のメンバーであり、自分が攻略されたくないためにヒロインのゲーム攻略を妨害していたことを知った。また、男もヒロインを良くは思っていない、と女子生徒と協力関係を結んだ。別にヒロインのことをなんとも思っていなかったから嘘ではない。いや、むしろ、女子生徒を攻略する上で、ヒロインに攻略されるのは枷でしかないので正解だろう。
彼女から搾り出せるだけの彼女の情報を男は巧みな話術で貰い、彼女を家まで送って別れると自分の家の力を最大限に遣って拾えなかった彼女の情報を手に入れた。このときほど男は自分がこの家に生まれてよかったと感謝したことはなかったし、これからもきっとないだろう。
このときはまだ、彼女と徐々に仲良くなっていけばいいと思っていた。少しずつ彼女と仲良くなって、ゆっくりと彼女の“特別”になればいいのだと。
そんな穏やかな日常を満喫していたとき、光の周りを飛び回るだけのうざい羽蟲が彼女に近づいてきた。彼女の顔から日に日に笑顔が消えていく。今まで以上に怖いのを隠して強がりばかりを言うようになった彼女に、男は自分を頼って欲しいと思った。そして、彼女をそんなうにした羽蟲が憎かった。
しかし、その羽蟲は男にとって嬉しいことに彼女によってくる害虫どもを排除してくれたのだ。彼女に告白した男子生徒に限っては一突きで殺していた。
男はそれを見て、気づいてしまった。彼女の“特別”になるとっても簡単な方法を。
――彼女の“特別”になるには周りがいなくなればいい……。
そうなると、彼女は俺を頼ってくれる。あぁ、どうして、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。簡単で、一番確実な方法なのに。
それにしても、羽蟲もまだ甘いな。排除するのは男だけなんて。それに、彼女に告白した男子生徒もあんなにあっさりと殺すなんて。もっと、じっくりいたぶりながら殺すべきだ。いや、生きているのを止めたくなるくらい追い詰めて、死にたくても死ねない状態を作るべきだったんだ。そうしたら、繰り返される次からの一年間でもう一度告白しようなんて考えは浮かんでこないだろ?
仕方がないから、あの男子生徒には見せしめになってもらうか。他に彼女に告白しようなんてバカが出ないように。
男は羽蟲には好きにさせ、裏で彼女の周りを排除する活動に加担した。彼女に近づくと不幸になる、と噂を流し彼女とそんなに深くかかわっていない大半の生徒に敬遠させた。既に羽蟲が彼女の周りで害虫の排除をしていたのも相まって、噂の信憑性も増す。彼女とそこそこ仲の良いものには、彼女について誤解するような話をさりげなさを装って呪詛のように繰り返し、彼女に対する不信感を少しずつ蓄積させた。それでも離れなかった彼女と親友だという生徒は、男の後輩が喜々として引き受け、家から一歩も出れなくなるようなトラウマを植えつけられたようだった。
男は舞台を着々と整え羽蟲に素性を明かさず近づいた。
彼女の心を手に入れた自信はあった。それでも、過信しすぎてはいけないと、最後の詰めに入ったのだ。
羽蟲の執着心を煽り今まで以上に彼女に執着させ、彼女の中の羽蟲に対する恐怖心を増幅させる。たとえ、男のことを好きではなかったしても、そんな恐怖状態の中で手が差し伸べられたらその手にすがりつくだろう。上手くいけばつり橋効果も期待できる。
結果、彼女は迷わず男の手を取った。こうして男は彼女を手に入れたのだ。
ちゃりん、と何かコインのようなものが落ちた音で男は我に返った。続いて、ぱんぱんと手を叩く音が部屋に響く。
音を発することができるのは男以外に後輩しかいない。後輩のほうに男が視線を向けると、ちょうど横たわっている青年に向かって後輩が手を合わせ目を閉じているところだった。その後、礼をして男のほうを振り返る。
願掛けに来た、というのはこういうことか。
「さて、僕の用は済んだので帰りますけど、先輩はどうしますー?」
男が納得していると、後輩はにっこりと笑って男に問いかける。男は視線を上げ考えるそぶりを見せると、考えがまとまったのか頷いた。
「そうだな、オレも帰るか」
「そういえば先輩は? どうしてここにきたんですかー?」
「彼女を手にいれたから、一応報告しとこうと思ってな」
「!?」
自分が来た理由は話したのに先輩には聞いていなかったことを思い出して、後輩はドアに向かいながら尋ねた。後輩の質問に答えてから、そういえばまだ伝えていなかったな、と思い返す。男の言葉を聞いて暴れだした青年を一瞥し、男も後輩のあとを追ってドアに向かう。
「うっわぁー。自分が貶めたライバルに勝利宣言ですか。えげつなーい」
「んんー! ん! んんんっ!!」
完全に部屋の外に出てから後輩はケラケラと笑い出した。えげつないといいつつも、後輩の目に同情の色は感じられない。後輩も同じ立場なら似たようなことをしていた。類は友を呼ぶとはこういうことだろう。
男は青年の抗議の声をBGMとして聞き流しながら、彼女のことを考えていた。
何があっても離してやれないと、彼女は苦しそうに言っていたけど、離してやれないのはオレの方だ。そもそも、オレのほうから彼女を手放す時は来ないだろう。オレと一緒にいたら彼女が不幸になる、と言われても離してやるつもりなど毛頭ないのだから。
男も部屋の外に出る。視界に広がった光に目を細め、無性に彼女を抱きしめたくなった。
彼女にはオレ以外に周りに人がいなくなった。これで、彼女は何かに脅えることはなくなるだろうか?
脅えているのを隠すための虚勢を張らずに、ありのままの彼女の笑顔を見れるだろうか。
男はこれまでの闇を、蓋をして断ち切るようにドアを閉めた。部屋には、ばたんという無機質な音だけが外に出れずにこだましていた。
主人公は開けて、男は閉める。共同作業です。
最初はもっと男のやったことを詳細に書いていたのですが、文字数がびっくりするほど多くなってしまったことと、男があまりにも冷酷無情になったため自粛しました。この文字数でも減らした結果なんです。
後輩と“あの子”の話を時間が取れれば書きたいと思います。その話を見つけたときに気が向けば読んでくださると嬉しいです。※続編書きました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。