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8.報告と気付き

昼休みになると、急いでトマスは校舎裏へ向かった。

昨日までは誰にも会わないために来ていた場所なのに、今日は逆だった。

茂みを抜けると、すでにエマが待っていた。


——トマスの姿で。


「あ……」

「あ。」


二人とも、少しだけほっとした顔をする。


「お待たせしました。」

「いや、僕も今来たところ……って。」


トマスは首を傾げた。


「僕の声で僕に話しかけられるのってやっぱり変な感じするね。」

「私も…なんか変な感じです…。」

「遅れてしまってすみません」

「いえ、全然、そんな、謝らないでください!」


慌ててエマは両手を振る。


「それに…実は僕、昨日侍女さんに『何でもない……わ』とかって変な言い方しちゃったし。」

「……。」


エマが口元を押さえた。


「ふふ……」

「あ。」


また笑われた。

けれどなんだろう、胸が少しだけ暖かく感じた。

二人は木陰に腰を下ろし、それぞれ弁当を広げた。


「じゃあ…」


トマスが鞄から一冊のノートを取り出す。


「昨日の報告、するね。」

「はい。私も書いてきました。」


エマもノートを取り出した。

二人は一瞬、顔を見合わせる。


「…エマさんも、書いたんだ?」

「トマスさんも…」

「戻ったあと、自分がいなかった三日間のことが分からないと、不安かなと思って。」


エマは目を丸くした。


「私も、同じことを思いました。」

「……。」

「……。」


二人は少しだけ照れくさくなって、それぞれノートへ視線を落とした。


「じゃあ…その、僕から。」


トマスがページを開く。


「侍女さん。」

「はい。」

「すごく優しかった。」


エマは瞬きをした。


「…そうですか?」

「うん。それと、着替えとかお風呂とか手伝ってもらったんだけど。」


エマの肩が少し強張る。


「あっ、もちろん!なるべく見ないよう目も瞑ってたから!」


「は、はい。」

「それで…」


トマスはノートを見る。


「手伝えるのが嬉しいって言ってた。」

「…え?」


エマが顔を上げた。


「『久しぶりにお手伝い出来るので嬉しいです』って。」

「……。」


エマは何も言わなかった。


「僕が頼んだら、嬉しそうにしてたよ。」

「……そう、ですか。」

「うん。」


エマは少しだけ俯いた。

ずっと、嫌だった。

自分の身体を見られるのが恥ずかしくて、なるべく一人で何でも済ませていた。

侍女に頼めば、こんな醜い身体の世話をさせることになる。侍女だからわかるように馬鹿にしてきたりはしなくても、きっと嫌な気持ちになるだろう。そんなふうにも思っていた。


けれど。


「…嬉しかった、んですね」


小さく呟く。


「うん。少なくとも僕には、そう見えた。」


トマスはそれ以上何も言わなかったし、エマもそれ以上は何も言わなかった。

ただ、その言葉だけを心の中にとりあえず置いた。


「次は…その、私の…番ですね。」


エマは自分のノートを開いた。


「トマスさんのお兄様たちのことなんですが。」

「うん。」

「思っていたより…優しかったです。」

「…え?」


今度はトマスが顔を上げた。


「長兄さんは、私…トマスさんが疲れていると思ったみたいで、『無理するなよ』って。」


「兄さんが?」

「はい。」

「……そうなんだ。」

「次兄さんも。」


エマは少し笑う。


「本当によく喋りますね。」

「ああ…うん。」

「想像以上でした。」

「でしょ。」


トマスも苦笑する。


「それから豆を避けていたら、『俺にくれ』って。」

「ああ。」

「いつも、そうなんですか?」

「うん。昔から。」

「そうなんですね。」


エマはノートへ視線を落とした。


「お二人とも、トマスさんを馬鹿にしているようには見えませんでした。」

「……。」


トマスは黙った。


父からは、何度も兄たちと比べられてきた。


兄たちは出来る。

お前も見習え。


そんな言葉を何度も聞いているうちに、兄たちと一緒にいること自体が嫌になった。

二人が笑っているだけで、自分とは違う人間なのだと思った。


「……そっか。」


それだけ言った。

エマもそれ以上は何も言わない。

しばらく、二人は黙って弁当を食べた。昨日までなら気まずかった沈黙が、今日はそれほど嫌ではなかった。


やがてトマスがぽつりと言う。


「なんか…変な感じだね。」

「…そう、ですね。」

「自分の家のことなのに…」


少し考える。


「エマさんから聞くと、知らない家の話みたい。」


エマは少し驚いてから頷いた。


「……それは、私もです。」

「……。」

「侍女のこと、ずっと知ってるつもりだったのに。」


二人はそれぞれ、自分ではない自分の顔を見る。

自分が毎日暮らしてきた場所、自分が毎日会ってきた人、それなのに別の人の目を通すだけで、少し違った印象だった。


「……この本。」


トマスは鞄の中の『相互理解術』を見た。


「思ってたより、すごい魔法なのかもしれないね。」

「そう……かもしれません。」


もっとも、三日後に元へ戻れなかったら、そんな悠長なことは言っていられないけれど。

二人は同時に本を見つめたあと、同時に小さくため息をついた。


「……ちゃんと戻るよね。」

「……戻ると信じましょう。」

「うん……。」


やっぱり、そこだけは不安だった。


———


午後になりトマスはエマの席に座り、授業の準備をしながら昼休みの会話を思い出す。


侍女さんは優しい。

兄さんたちも優しい。


自分たちはもしかすると、思っていたより周りのことを見ていなかったのかもしれない。

そんなことをぼんやり考えていた時だった。


「ねえ、エマ。」


声を掛けられ、トマスは顔を上げた。

朝、教室で見かけた女子生徒の一人だった。


「……なに?」


少女は一瞬、妙な顔をした。


「あんた、今日なんか喋り方変じゃない?」

「えっ。」


(まずい。)


「そ、そうかな…。」

「まあいいけど。」


少女はそう言って、エマの机の上に置かれていた教科書を手に取ると、ぽとりと床へ落とした。


「……。」

「ごめーん。手が滑っちゃった。」


周囲から小さな笑い声が聞こえる。

トマスは床に落ちた教科書を見る。

それから、少女を再び見る。


(……え?)


少女は笑っていた。

どうやら、こういったことは初めてではないらしい。

そのことが、なぜか見てすぐわかった。


(エマさん……。)


いつも、どうしてたんだろう。

教科書を拾えば、それで終わる、きっとそれが一番目立たない…三日だけなのだから。


そう思って手を伸ばしかけてトマスは止まった。


——でも


これを、そのままにしていいんだろうか。


三日後ここへ戻ってくるのは、自分ではなくエマさんなのだ。


(………。)


トマスはゆっくり顔を上げた。

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