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18.戻った

光が強くなる。


「……っ!」


トマスは思わず目を閉じた。

三日前と同じ感じだった。

身体がどこかへ引っ張られるような、不思議な感覚。

足元がなくなったような気がして、何かにつかまろうと手を伸ばすが、何にも触れない。


「エマさ……!」


名前を呼びかけた瞬間身体が大きく揺れた。


「……っ!」


次の瞬間、すべてが静かになった。


「…………。」


風の音。

木々の葉が揺れる音。

遠くから聞こえる、生徒たちの声。


「……。」


トマスは恐る恐る目を開けた。

最初に見えたのは、自分の手だった。


「……。」


大きな手…さっきまで見ていた手よりも、明らかに大きいし指も太い。


「これは……」


トマスはぎゅっと手を握る。


開いてみて、もう一度握る。


「……。」


それから腕や制服を見ると、間違いなく自分の身体だった。


「戻っ……。」


慌てて顔を上げる。

目の前に、エマがいた。


長い髪に華奢な身体。

そして三日間で見慣れた制服。

前髪には今朝侍女に留めてもらった小さな髪留めがついている。


「……エマさん?」


呼びかけるがエマは自分の手をじっと見ていた。


「……。」


握ったり開いたり、それから自分の腕や制服を確かめている。


「エマさん。」


もう一度呼ぶと、エマが顔を上げた。


「…トマスさん?」

「うん。」

「……。」

「……。」


二人はしばらく、互いの顔を見つめた。


「……戻った、よね」


トマスが尋ねるとエマはもう一度、自分の身体を確認してから。


「……はい。」


小さく頷いた。


「戻ってます。」

「……。」

「……。」


二人とも、しばらくその場から動かなかったが、トマスが息を吐いて言う。


「よかったぁ……。」


一気に身体から力が抜けた。


「本当に……。」


エマも胸元を押さえる。


「本当に、よかったです……。」


三日間と書いてあったし戻ると信じてもいた。

それでも、実際に戻るまでは怖かった。


「……よかった。」


トマスはもう一度呟いた。

エマもこくこくと何度も頷く。


二人はしばらく、そのまま自分の手や身体を確かめていたが、やがてトマスが立ち上がる。


「……あ。」


思わず声が出た。


「どうしました?」

「いや……。」


トマスは辺りを見ると視線が高い。

三日前まではこれが普通だったはずなのに、なんだか妙に高く感じる。


「……僕って、こんなに大きかったっけ。」

「え?」

「いや、エマさんの身体に慣れてたから……。」


トマスは自分の腕を見る。


「なんか、変な感じ。」

「……。」


エマも立ち上がった。


「……あ。」


今度はエマが声を出す。


「どうしたの?」

「低い……。」

「……。」

「……。」


二人は顔を見合わせた。エマは思わず笑った。


「ご、ごめんなさい。」

「いや、分かるなあって。」


トマスは思わず笑った。


「僕も逆だから。」

「三日しか経っていないのに……。」


エマは不思議そうに自分の手を見る。


「自分の身体なのに、少し変です。」

「うん。」


トマスも肩を回す。


「なんか……。」


一度、腕を上げる。


「動かし方も少し変な感じする。」

「私もです。」


エマも指を動かしている。


「こんなに手が小さかったかしら……。」

「……。」

「……。」


三日ぶりの自分の身体。

間違いなく自分なのに、少しだけ借り物のような感じがする。しばらくして


「……あれ?」


トマスが首を傾げた。


「どうしました?」

「いや……なんか。」


もう一度、肩を回す。


「自分の身体に戻ったのに、肩が楽。」

「……。」


エマも自分の肩へ手を置いた。


「私も……。」


二人とも黙る。


「……なんでだろう。」

「身体は戻りましたよね。」

「うん。」

「……。」

「……。」


トマスは自分の身体を見ると、心なしか背筋が伸びている。そして肩も、それほど内側へ入っていない。

そういえば、エマさんはこの三日間、鏡を見ながらよく分からないなりに普通に立っていたと言っていた。


「……。」


トマスは試しに肩を少し内側へ入れた。

背中を丸めて、顎を引くというより、少し俯く。


「……あ。」

「?」

「これだ。」

「何がですか?」

「僕、いつもこんな感じだった。」


エマがトマスを見る。


「……。」


確かに、三日前までのトマスは、今の姿勢に近かった。少し猫背で、肩を縮めるようにして立っていた。


「……。」


エマも試しに、いつもの自分を思い出す。

肩を少し内側に巻くようにして顔を俯ける。


「……あ。」


今度はエマが声を出した。


「エマさんも?」

「……はい。」


しっくりくる。

…これが、三日前までの自分だ。

これが普通…なんだけれど。


「……なんだか。」


エマは肩を動かす。


「少し……窮屈です。」

「僕も。」


トマスも肩を回した。


「さっきの方が楽だった。」

「……。」

「……。」


二人はもう一度、背筋を伸ばした。

顎を軽く引いて肩の力を抜く。


「……。」

「……。」


やっぱり、こっちの方が少し楽だ。

エマが困ったように笑った。


「私たち……。」

「うん?」

「意外と、姿勢が悪かったんですね。」

「……。」


トマスは一瞬黙ったあと、自分の肩を見る。


「……みたいだね。」

「……。」

「……。」


なんとも言えない顔で見つめ合う。

三日間、相手の身体でどう立てばいいのか分からなかった。だから二人とも、とりあえず背筋を伸ばして立っていただけだった。


それだけなのに。


「……まさか、戻って最初に気付くのがこれだとは思わなかった。」


トマスが言うとエマは少し笑った。


「私もです。」


そこでエマは、額に何かが触れていることに気付いた。


「……あ。」


手を伸ばす。

それは髪留めだった。

今朝、トマスが侍女に留めてもらったものだ。


「それ。」


トマスも気付いた。


「あ、ごめん。」

「え?」

「勝手に留めたまま返しちゃった。」


トマスが慌てる。


「すぐ外せるから。」

「……。」


エマは髪留めへ指を掛けた。

外そうと思えば、すぐ外せる。

外せばいつもの自分に戻る。

長い前髪が顔へ落ちて、目元が隠れる。


「……。」


けれど、トマスさんが言っていた。


——僕は、楽でした。


その言葉がなんとなく心に残っていたエマは指を掛けたまま、少し考えた。


「……このままにしてみます。」

「え?」

「せっかくなので……。」


少しだけ恥ずかしくなって、髪留めから手を離す。


「このまま、午後の授業を受けてみます。」


トマスが目を瞬いた。


「……いいの?」

「はい。」


エマは小さく頷く。


「実際に自分でも、どんな感じなのか試してみたいので。」

「……そっか。」

「でも。」


エマは髪留めにもう一度触れる。


「落ち着かなかったら、外します。」

「うん。」


トマスはすぐに頷いた。


「それがいいと思う。」

「はい。」

「……。」

「……。」


今度はトマスが、自分の腕を見る。

そこにはまだ、わずかな筋肉痛が残っていた。

エマが試合に出た身体だ。


「……僕も。」

「はい?」

「一度くらい……。」


少し迷う。


「試合、やってみようかな。」


エマが目を丸くした。


「トマスさんが?」

「うん。」


言ってから、急に不安になってきた。


「いや……でも。」


昨日までの自分なら、絶対に断っていた。


痛そうだし怖いし、何より、失敗して笑われるのが嫌だった。


「……一回だけ。」


トマスは言い直す。


「一度くらいなら、やってみてもいいかなって。」

「……。」


エマは少しだけ笑った。


「はい。」

「でも。」


トマスは念を押すように続けた。


「やってみて、やっぱり無理だったら……。」

「はい。」

「やめてもいいよね。」


エマは少し考えてから頷いた。


「そうですね。」


それから自分の髪留めへ触れる。


「私も、嫌だったら外します。」

「うん。」

「トマスさんも、嫌だったら試合をやめて。」

「……うん。」


二人は顔を見合わせた。


「それで……いいよね。」

「はい。」


エマが頷く。


「それでいいと思います。」

「……。」

「……。」


なんだか少しだけおかしくなって、二人とも笑った。


三日前、二人は相手の人生の方が簡単だと思っていた。


男だったら、女だったら。

…自分ではない方だったら、もっと簡単に生きられるのだと思っていた。

けれど実際に三日間過ごしてみれば、どちらにも自分の知らないことが山ほどあった。


そして、相手の身体だから出来たこともあった。

自分の身体に戻った今、それを全部やらなければならないわけではない。

ただ、一度くらいなら。


「……そろそろ戻ろうか。」


トマスが言う。


「はい。」


二人は弁当と『相互理解術』を片付ける。

それぞれ、自分の三日間が書かれたノートを持って立ち上がった。


「……。」


エマは背筋を伸ばす。

髪留めは、そのまま。


トマスも肩の力を抜いて立つ。

少しだけ落ち着かない。


けれど、さっきまでより身体は楽だった。


二人は並んで茂みを抜ける。

三日前、ここへ来た時と同じ身体だけれど、ほんの少しだけ違う姿勢で。

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