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14/21

14.周りがすこし違う

教室へ入ると、トマスはいつものエマの席へ向かった。


鞄を置き、椅子へ座る。


「……。」


なんとなく落ち着かない。


前髪を留めているだけで、制服もいつも通りだし、髪型だって大きく変えたわけではない。

それなのに、顔の前に何もないだけで妙に周囲がよく見える。


(…やっぱり快適だな。)


教科書を取り出していると、


「エマ。」

「えっ。」


突然声を掛けられ、トマスは顔を上げた。

昨日、次の授業を尋ねてきた少女だった。


「あ……おはよう。」

「おはよう。」


少女はそう返してから、少しだけトマスの顔を見る。


「今日、前髪どうしたの?」

「えっ。」


やっぱり気付かれた。

別に悪いことをしているわけではないのに、なぜか緊張する。少女は少し意外そうな顔で続けて言った。


「いつも留めてないから何かこだわりがあるのかと思ってた。」

「…今日は、その……邪魔だなって」

「ふーん。」


少女はもう一度こちらを見る。


「そっちの方が顔見えていいじゃん。」

「……。」


トマスは反射的に前髪へ手を伸ばしかけて、止めた。

少女もそれに気付いたらしい。


「あ、ごめん。嫌だった?」

「え?」

「顔とか髪の話題…」

「…別にそんなことは…ない、よ。」

「ほんと?なら良かった。」


少女は笑って言った。

ただそれだけで、なんでもない会話だった。


(…凄く普通のやりとりだよな)


当たり前ではあるが、前髪を留めていても、別に何も起きなかった事にトマスは少しだけ安心しながら教科書を机へ置いた。


すると、少女はまた話しかけてきた。


「あのさ。」

「…なに?」

「今日、なんかエマ話しやすいね。」

「……え?」


思いがけない言葉だった。

少女自身も、言ってから少し困ったような顔をする。


「あっ、違う。いつも話しにくいって意味じゃなくて。」

「……。」

「なんていうか……。」


少女は言葉を探した。


「今まで、エマって話しかけてもいいのか、よく分からなかったんだよね。」

「……どういうこと?」

「ほら。」


少女が自分の前髪を指差しながら言った。


「いつも前髪で顔があんまり見えないし。」

「……。」

「話しかけても、こう……。」


少女は少し俯いて、小さな声を出した。


「『……うん』みたいな感じで。」

「……。」


割と…いや、だいぶ似ている。


「だから、怒ってるのかなとか。」

「怒って…?」

「機嫌悪いのかなとか。話しかけないでほしいのかなとか。」

「……。」

「昼休みもすぐ一人でどっか行くでしょ?」


トマスは言葉を失った。


「だから、一人でいる方が好きなのかなって思ってた。」


——あの子、一人が好きみたい。


以前、聞いた言葉を思い出す。


「……嫌われてる、とかじゃなくて?」


思わず尋ねてしまった。

少女が目を丸くして言う。


「誰に?」

「……いや、その…」

「まあ、全員と仲良いわけじゃないだろうけど。」


少女は首を傾げる。


「私は別に嫌いじゃないよ。」

「……。」

「ただ、どう接したらいいか分かんなかっただけかも。」


あまりにも普通に言われて、トマスは何も返せなかった。


「……そっか。」


ようやくそれだけ言う。


「うん。」


その時、別の少女が教室へ入ってきた。


「あ、いたいた!昨日の課題やった?」

「やったけど最後分かんなかった。」

「私も!」


二人が話し始めたのでトマスは自然と自分の教科書へ視線を戻した。ところが。


「エマは?」

「え?」


先ほどの少女がこちらを見る。


「最後の問題、分かった?」

「あ……途中までなら。」

「ほんと?途中式見せて。」

「あ、うん。」


トマスは慌ててノートを取り出した。

二人が机の横へ来る。


「ここまでは同じだ。」

「じゃあ、この先じゃない?」

「……。」


気付けば三人で、一冊のノートを覗き込んでいた。


(……。)


別に大した話はしていない。

面白いことを言ったわけでもない。

ただ、課題の話をしているだけだ。

それなのに、グループに最初からいる人みたいになっている。


(……僕、何かしたっけ。)


トマスは考えたが何もしていない。

したことと言えば前髪を留めたくらいだ。

なのに今日は、昨日までより少しだけ人と話せている。


(……変なの。)


そう思いながら、トマスはノートの途中式を指差した。


———


一方のエマもまた、教室へ入ったところで声を掛けられていた。


「おい、トマス。」

「!」


思わず肩が跳ねる。


振り返ると、昨日剣術の試合で最初に声を掛けてきた男子生徒だった。


「お、おはようございます。」

「……。」


男子生徒が眉を寄せる。


「なんで敬語?」

「……あ。」


やってしまった。


「いや……その。」

「まあいいけど。」


男子生徒は特に気にした様子もなく、エマの肩を軽く叩いた。


「それより昨日、腕大丈夫だった?」

「え?」

「結構食らってただろ。」

「あ……うん。」


エマは腕を少し動かしてみる。


「少し痛いけど、大丈夫。」

「そりゃよかった。」


それだけ言うと、男子生徒は自分の席へ向かおうとしたが途中で振り返って言った。


「今日の午後やるから。」

「……何を?」

「昨日の続き。」

「……。」


嫌な予感がした。


「剣術?」

「そう。」

「今日も……?」

「当たり前だろ?」

「……。」


何が当たり前なのだろう。

エマには全く分からない。


「昨日負けたじゃん。」

「……うん。」

「だから今日もう一回。」

「……。」


エマが黙っていると、男子生徒が不思議そうな顔をした。


「出ないの?」

「えっ。」

「昨日も出たし、出るだろ?」


その言い方がなんだか妙だった。


——どうせお前、また逃げるんだろ。


昨日はそう言っていたのに今日はまるで、出るのが当然のような言い方だ。


「……僕も?」

「だからそう言ってんじゃん。」


男子生徒は笑う。


「人数に入れてるからな。」

「……人数に。」

「じゃ、あとでな。」


勝手に決めて去っていった。


「……。」


エマはその背中を呆然と見送った。


(……人数に入ってる。)


昨日一度、試合に出ただけだ。

しかも全然活躍していない。

負けたし、何度も打たれたし、尻餅までついた。

それなのに。


「トマス。」


今度は別の男子生徒に呼ばれる。


「昨日ここ痛めてなかった?」

「あ……少し。」

「今日やるなら先に動かしとけよ。いきなりやるとまた痛めるぞ。」

「……ありがとう。」

「おう。」


また、それだけだった。


エマは自分の席へ座った。


(……。)


なんだろう。

昨日までと、少し違う。


けれど、自分が何をしたのかと考えれば。

試合に出た、ただそれだけだ。


(……一回出ただけなのに?)


エマは不思議に思いながら、授業の準備を始めた。


———


昼休みになり二人はほとんど同時に、いつもの校舎裏へやって来た。


「あの!」

「あの!」


また重なった。


「……。」

「……。」


一瞬の沈黙。


「どうぞ。」

「いえ、トマスさんから。」

「いや、エマさんから。」

「……。」

「……。」


二人は顔を見合わせる。

このくだりは昨日とほとんど同じだった。

思わず、どちらからともなく少し笑った。


「じゃあ……。」


トマスが先に口を開く。


「エマさん。」

「はい。」

「今日、クラスの子と話したんだけど。」

「……はい。」

「その子がね。」


どう言えばいいのか、少し迷う。


「今まで、エマさんに話しかけていいのか分からなかったって。」

「……え?」


エマが目を丸くした。


「前髪で顔があまり見えないから、怒ってるのかとか、機嫌悪いのかとか、誤解してたみたい。」

「……。」

「あと、昼休みも一人でいなくなるから、一人でいたいのかなって思ってたみたい。」

「……。」


エマはしばらく何も言わなかった。


「……そう、なんですか?」

「うん。」

「……。」

「それで今日、課題の話した。」

「…誰と、ですか?」

「その子と、もう一人。」

「……三人で?」

「うん。」


エマが驚いた顔をする。


「大したことは何も言ってないよ。」

「……。」

「というか、課題の途中式見せただけ。」

「……そう、ですか。」


エマは不思議そうに、自分の顔を見る。


「トマスさんが、なにかしてくれた…わけではなくて?」

「僕は本当に何もしてないよ。」

「……。」

「……。」


二人とも少し考えたがよく分からなかった。


「……変ですね。」

「うん。」


トマスも首を傾げる。


「なんか変。」

「……。」

「……。」


今度はエマが口を開いた。


「私も、トマスさんに報告があります。」

「なに?」

「今日も試合に誘われました。」

「……え?」

「昨日の続きだそうです。」

「また?」

「はい。」


エマは少し困ったように笑う。


「『人数に入れてるから』って。」

「……。」


トマスが目を瞬いた。


「僕を?」

「はい。」

「人数に?」

「はい。」

「……。」


しばらく黙る。


「…昨日、一回出ただけなのに?」

「私も、そう思いました。」

「……。」


トマスは自分の顔をまじまじと見た。

何かが少し引っかかったが、それが何なのかは分からない。


「…変だね。」

「変ですか?」

「うーん…」


トマスは首を傾げる。


「なんか…不思議」

「……。」

「……。」


二人は顔を見合わせた。


エマは何もしていないのに、今日は三人で課題の話をした。

トマスも一度試合に出ただけなのに、今日は最初から人数に入っていた。


「……よく分からないね。」


トマスが言う。


「はい。」


エマも頷く。


そして二人は、それ以上考えるのをやめた。

今はまだ、どうして昨日までと少し違うのかを二人とも、うまく説明できなかった。

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