表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/21

13.なんか…

朝になり、トマスは昨日と同じように、侍女に髪を梳かしてもらっていた。

鏡台の前に座り、なるべく余計なことをしないよう、じっとしている。


「お嬢様、今日は少し寝癖がございますね。」

「えっ。」

「こちらです。」


侍女が笑いながら後頭部の髪を整える。


「あ…ありがとう」


昨日よりは、この時間にも慣れてきた気がする。

最初は自分ではない身体を鏡で見ることすら落ち着かなかったし、侍女に髪を触られるたびに妙に緊張していた。


けれど今日は、少しだけ余裕がある。


「……。」


トマスは鏡の中のエマを見る。

侍女が髪を梳かすたび、長い前髪がさらさらと顔の前へ落ちてくる…目にかかる。


(…邪魔だな)


少し顔を動かすが、また目にかかる。


「……。」


トマスは思わず手で横へ避けた。

けれど手を離せば、また戻ってくる。


(…鬱陶しいな)


昨日まではそこまで気にならなかった…というより、緊張感に加え、他人の身体なのだからなるべく何も変えないように、ボロを出さないようにしようとしか考えていなかった。


だが、しばらくこの身体で過ごしてみて慣れてきたのか不便さが際立ってきた。授業中も本を読む時も、何度も前髪が視界へ入ってきた。


「お嬢様?」

「あ……その。」


トマスは前髪を指で摘まむ。


「これ、少し邪魔で。」


侍女が目を瞬いた。


「前髪でございますか?」

「うん。」


言ってから不安になる。

エマはいつも前髪を下ろしている。

勝手に変えてしまっていいのだろうか。


「切るのは……ちょっと。」

「でしたら、こちらはいかがでしょう。」


侍女は鏡台の引き出しから、小さな髪留めを取り出した。


「こちらで軽く留めておけば、お邪魔にはならないかと。」


「あ。」


それなら外せば元に戻る。


「……じゃあ、それでお願い。」

「かしこまりました。」


侍女が前髪を少し横へ流し、髪留めで留める。


今まで隠れていた額が少しだけ見えた。

目元も、いつもよりよく見える。


「……。」


トマスは鏡を見る。

何かが大きく変わったわけではない。


顔は同じだ、特別可愛いわけではない。

肌だって変わらず少し荒れている。

ただ、前髪が目にかかっていないだけだ。

それでも


「いかがでしょう?」

「……うん。」


トマスは何度か瞬きをする。

首を右へ向けたり左へ向ける。

下を見て、それからもう一度、正面。


「…あ、」

「お嫌でしたか?」

「いや…その、」


思っていた以上に。


「……快適。」


ぽつりと言った言葉を聞いて侍女がくすりと笑う。


「それはようございました。」

「こんなに違うんだ……。」


前髪が目へ入らない、ただそれだけなのに、思った以上に楽だった。


(エマさん、これ……邪魔じゃなかったのかな。)


そう思ったがすぐに、昨日までのエマを思い出す。


長い前髪。

俯いた顔。

あまり人と目を合わせない。


もしかすると、邪魔かどうかよりも、あの前髪がある方が、カーテンの中にいるようで安心したのかもしれない。


トマスはそれ以上考えるのをやめた。

これはエマの身体だ。

自分が決めつけることではない。

ただ。


(今日、これがすごく快適だってことは、教えてあげよう。)


それだけは、報告用のノートに書いておこうと思った。


———


同じ頃、ベネット男爵家ではエマが制服へ着替えていた。


男子の服は、自分で着る部分が多い。

最初は慣れなかったが、こちらも少しは手順が分かってきた。


「……よし。」


鏡の前に立ち襟元を整える。

昨日の夜にも確認した。


トマスが普段どう立っていたのか再現しようとしたが、結局よく分からなかった。

だから今日も、無難にしておくことにした。


背筋を伸ばして顎を少し引く。

そして肩の力を抜く。


「……これで大丈夫。」


鏡の中のトマスを見る。

昨日より、少しだけこの顔にも慣れてきた。

顔立ちが良いとは思わない。

けれど。


「……。」


エマは首を傾げる。

最初に見た時より、少し印象が違うような気がする。


(……慣れただけかしら。)


そう思い、部屋を出た。


階段を降り食堂へ向かう。


その途中。


「……あれ?」


エマは肩を回した。

昨日は剣術の試合に出た。

だから身体のあちこちが痛い。

腕も少し重い、それなのになんとなく


「……。」


もう一度、肩を回す。


(なんだか…私の身体よりも…肩が楽な気がする。)


試合のせいで筋肉は痛い。

なのに首や肩のあたりは、不思議と軽い。


「……?」


エマは立ち止まった。

何が違うのだろう。


食事?

寝具?

それともトマスの身体は元々こうなのだろうか。


分からない。


「まあ……いいか。」


痛いわけではないのだから、困ることでもない。

エマはそのまま食堂へ向かった。


———


学園へ着いたトマスは、馬車から降りた瞬間に気付いた。


(……見やすい。)


前髪が視界を遮らない。


歩いても、風が吹いても視界が遮られないことがこんなにも…。


思わず髪留めへ触れる。


(これ、いいな。)


昨日は何度も前髪を避けていた。

それが今日は必要ない。

ただそれだけなのに、歩きやすい気さえする。


校舎へ向かっていると、前方に見慣れた姿を見つけた。


「あ。」


自分だ。


エマがトマスの身体で歩いている。

向こうもこちらに気付いた。


「あ……。」


二人とも少しだけ足を速める。


「おはよう。」

「おはようございます。」


そして。


「……。」

「……。」


二人は同時に相手を見る。


トマスは、エマの中にいる自分を見た。

どことなく背筋が伸びている感じがする。

いつもより少しだけ顔が上がっていて、肩も内側へ縮こまっていない。


「……。」


なんだろう。


(僕って……あんな感じだったっけ。)


もちろん顔は自分だ。

見慣れた、冴えない顔。


けれど、なんとなく普段より大きく見える。


身体そのものが大きくなったわけではない。

ただ、いつもより場所を取って立っているような、そんな感じがした。


一方のエマも、目の前にいる自分を見ていた。


「……。」


まず目に入ったのは前髪だった。


「あの……。」

「え?」

「前髪……。」

「あっ!」


トマスは慌てて髪留めに触れた。


「ご、ごめん! 勝手に!」

「い、いえ!」


エマも慌てる。


「別に、怒っているわけでは……。」

「朝、ずっと目に入ってきて…。切ったりはしてないから!すぐ外せるし!」

「はい。」

「嫌だったらすぐ戻すから。」

「……。」


エマはまじまじと、自分の顔を見る。


自分の顔なのに、こうして正面から見ることは、ほとんどなかった。前髪が横へ留められているから、目元もいつもよりよく見える。


そして、トマスはいつもより背筋を伸ばして立っていた。

いや…トマスにとっては、それが普通に立っているだけなのかもしれない。


でもエマから見ると。


(……私って。)


なんだかいつもより、少しだけ違って見えた。


もちろん綺麗になったわけではない。

顔立ちは何も変わっていない。

肌だって同じだ、それでも。


(こんな感じだったかしら。)


「……エマさん?」

「あっ。」


見すぎていた。


「す、すみません。」

「いや。」

「その……。」


エマはもう一度、前髪を見る。


「髪留め、邪魔じゃないですか?」

「全然。」


トマスは即答した。


「むしろ、すごく楽。」

「……楽?」

「うん。思ってたよりずっと。下を向いても、本を読んでも目に入らないし。」

「……。」


エマは少し驚いた。

今まで前髪が邪魔だと思ったことは、正直言うとある。けれど、それよりも、顔が見える方が嫌だった。

邪魔さよりも顔を隠せている安心感の方が強かった。


「……そうなんですね。」

「うん。だから、その……これも報告しようと思ってたんだ。」


トマスは少し笑った。


「エマさんが戻ったあと、別にしなくてもいいんだけど。僕は楽だったから。」

「……はい。」


エマは小さく頷いた。


「覚えておきます。」


そこでトマスが首を傾げた。


「エマさんも……。」

「はい?」

「なんか今日……。」


じっと自分の身体を見る。


「何でしょう。」

「いや……。」


何が違うのか分からない。


制服も同じで髪型も同じ。

顔も当然同じ、なのに


「……なんか、いつもより大きく見える。」

「えっ!?」


エマが自分の身体を慌てて見る。


「太りました!?」

「違う違う!」


トマスは慌てて手を振った。


「そういう意味じゃなくて!」

「では……。」

「なんていうか……。」


トマスは考える。


「ちゃんと立ってる感じ。」

「……?」


自分で言っていてもよく分からない。

エマも首を傾げた。


「昨日、鏡でトマスさんの立ち方を真似してみたんですけど。」

「え?」

「よく分からなくて。」

「……。」

「だから、無難に…普通に立つことにしました。」

「普通に……。」


トマスはもう一度、自分を見る。

確かにただ立っているだけだ。


「……。」


その時、エマが自分の肩へ手を置いた。


「そういえば。」

「なに?」

「今日、少し肩が楽なんです。」

「肩?」

「はい。試合に出たので腕や脚は痛いんですけど……首とか肩は、なんだか私の身体より軽くて。」

「……。」


トマスもなんとなく、自分の肩を回してみる。


「……あれ。」

「どうしました?」

「僕も……。」


もう一度動かす。


「言われてみたらなんか、肩が楽かも。」

「……。」

「……。」


二人は顔を見合わせた。


「なんでだろう。」

「分かりません。」

「身体が入れ替わってるから?」

「それなら昨日からでは……?」

「あ、そっか。」

「……。」

「……。」


結局、分からなかった。


けれど、前髪が目に入らないと楽。

普通に立っていると、なんとなく肩が軽い。

少なくとも、それだけは本当だった。


「……まあ。」


トマスが言う。


「楽なら、いいか。」


エマも少し笑った。


「そうですね。」


二人は並んで教室へ向かう。

いつもより少しだけ顔を上げて。

いつもより少しだけ背筋を伸ばして。


けれど二人とも。


自分たちがいつもより少しだけ違って見えていることには、まだ気付いていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ