11.謝罪と、尊敬
昼休みになり、トマスは昨日と同じ校舎裏へ急いだ。木陰には、すでにエマが座っている。
自分が座っているのを他人の視点で見るのには、やはり慣れない。
「あ……。」
エマもこちらに気付いて立ち上がる。
「お、お疲れさまです。」
「うん……エマさんも。」
二人とも、なんとなく落ち着かずソワソワしていた。そして二人とも報告したいこと、と言うよりも、言わなければいけないことがあった。
二人は並んで腰を下ろした。
しばらく無言で弁当を広げる。
「…………。」
「…………。」
トマスがちらりとエマを見る。
エマも、ちらりとこちらを見た。
「あ、あの……」
「あの!」
同時だった。
「「!!!」」
「す、すみません。どうぞ。」
「いや、こっちこそごめん。エマさんからどうぞ。」
「い、いえ、トマスさんから……。」
「……。」
「……。」
また黙った。そして。
「「ごめんなさい。」」
今度はぴったり重なった。
「……え?」
「え?」
二人は顔を見合わせる。
「エマさん、何かしたの?」
「トマスさんこそ……。」
「いや、その……。」
トマスは視線を泳がせた。言わなければ…。
「実は…今日の選択授業の時に…」
「…はい。」
「エマさんの教科書を落とした人がいて。」
エマの表情が固まった。
「……あ。」
その反応で、やはり初めてではないのだと分かった。
「その……わざと、だったみたいで。」
「……はい。」
「僕……。」
喉が詰まる。
「拾ってくださいって、言っちゃった。」
エマが目を瞬く。
「……え?」
「それで、もうやめてくださいって……次にやったら先生に相談しますって。」
「……」
「言っちゃって…」
「……」
「勝手なことして、…ごめん。」
トマスは俯いた。
「僕が余計なこと言ったせいで、戻ったあと何かされたら……。」
「待ってください。」
エマが遮った。
トマスが顔を上げる。
「それ……本当に言ったんですか?」
「……うん。」
「その子に?」
「うん。」
「みんながいるところで?」
「……うん。」
エマはしばらく黙っていた。
「……すごい。」
「え?」
「すごいです、トマスさん。」
「いやいやいや!」
トマスは慌てて手を振った。
「全然すごくないよ!ものすごく怖かったし、お腹痛くなったし、途中で何回も謝ろうと思ったし!」
「でも、言ってくださったんですよね。」
「……それは。」
「私……。」
エマは膝の上に置いた手を見る。
「何度も、本当は言おうと思っていたんです。」
トマスは黙った。
「拾ってくださいって。」
「……。」
「やめてくださいって。」
エマの声は小さかった。
「先生に相談しますって言えばいいことも、分かってました。」
少し笑ったけれどその笑い方は、少し寂しそうだった。
「でも、言えなかったんです。」
「……。」
「頭の中では何度も言えるのに、その子を目の前にすると何も出てこなくなって。」
エマは顔を上げた。
「だから、トマスさんは…すごいです。」
トマスは何も言えなかった。
自分は今、エマさんだから言えた。
自分のことなら、きっと言えなかった。
「……ありがとう。」
トマスは小さく言った。
「勝手にしたことなのに。」
「いいえ。」
エマは首を振った。
「してくれて、よかったです。」
胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……じゃあ。」
トマスは気を取り直す。
「エマさんは?」
「……。」
今度はエマが視線を逸らした。
「私も……勝手なことをしてしまいました。」
「…何?」
「剣術の授業で。」
嫌な予感がした。
「試合に、…出ました。」
「え…?」
トマスは固まった。
「何に…出たって?」
「試合です。」
「エマさんが…?」
「はい。」
「……出たの?」
「はい。」
「……なんで?」
「す、すみません!」
エマが慌てて頭を下げる。
「みんなに『どうせ逃げる』って言われて……見学しようと思ったんですけど。」
「…うん。」
「でも。」
エマは少し迷ってから続けた。
「私がそこで逃げたら、戻ったあともトマスさんがまた『やっぱりトマスだ』って言われるんじゃないかと思って。」
「……。」
「なんだかそれじゃいけないような気がして…勝手に出てしまいました。」
トマスは言葉を失った。
「怪我は?」
「少し痛いくらいです。」
「えっ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫です!」
エマは慌てて続ける。
「まあ…負けましたけど。」
「……。」
「全然ダメだったってみんなから言われました。」
「……。」
「でも、『やればできるじゃん』とも言われました。」
トマスが瞬きをする。
その言い方、なんとなく誰が言ったのか想像がついた。
「……本当に、出たんだ。」
「はい。」
トマスは自分の手を見る。
今は小さな、エマの手。
頭の中では、昨日までの自分が思い浮かぶ。
剣術の授業。
声を掛けられる。
試合に出ろと言われる、その度に
——僕には無理。
そう言って断り、笑われる。
そしてまた次も断る。
ずっとそうだった。
そうしてきた。
出た方がいいってことも、一度くらい挑戦した方がいいってことも、そんなことくらい、自分でも分かっていた。
でもできなかった。
「……すごいな、エマさん。」
今度はトマスが言った。
「え?」
「エマさん、すごいよ。」
「そ、そんな。」
「僕は、勇気が出なくて…無理だった。」
エマが目を丸くする。
「でも、トマスさんは教科書の……。」
「それはエマさんのことだったから。」
「……。」
「僕のことだったら、たぶん無理。」
トマスは苦笑した。
「出た方がいいって思っても、結局見学してたと思う。」
「……。」
「だから、僕と違ってエマさんはすごいよ」
エマは困ったような顔をした。
「私も……トマスさんのことだったからです。」
「え?」
「自分のことだったら…」
少し考えてから。
「たぶん、いつも通り逃げてました。」
二人は顔を見合わせる。
「……。」
「……。」
妙だった。
自分にはできないことを、相手はやった。
でも相手もまた、自分にはできなかったと言っている。
「なんか……。」
トマスがぽつりと言う。
「変だね。」
「はい。」
エマも少し笑った。
「お互い、自分のことだと出来ないのに。」
「相手のことだと出来る。」
「……。」
「……。」
二人はまた黙った。
けれど今度の沈黙は、少しだけ違った。
トマスは目の前の自分の顔を見る。
昨日までなら、エマは自分と同じように、気が弱くて、いつも俯いている人。
それくらいにしか思っていなかった。
けれど、怖いのに試合へ出た…僕のために。
(……エマさんって。)
トマスは思う。
(すごい人なのかもしれない。)
エマも、目の前にいる自分の顔を見ていた。
トマスは気が弱い。
人と話すのも苦手で自信もない。
自分と似ていると思っていた。
けれど、怖くても、お腹が痛くなっても、
言うべきことを言ってくれた。私のために。
(……トマスさんって。)
エマは少しだけ目を伏せる。
(実はすごい人なんだ。)
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。
「あ。」
「戻らないと。」
二人は慌てて弁当を片付ける。
立ち上がってまた少しだけ、顔を見合わせた。
「……じゃあ。」
「はい。」
「午後も、頑張ろうね。」
「はい。」
昨日までと同じ言葉なのになぜか今日は、相手を見る目が、ほんの少しだけ変わっていた。




